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beloved ZONE  作者: 鶏の唐揚げ
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【五】

【五】


 次の日、第一中学校サッカー部には一ヶ月の活動停止処分が下った。それは全校に広まり、その原因を作った恋は酷く冷たい視線に晒された。そして、それに伴い、柊人も周りから冷たい視線を向けられる。

 グラウンドに居た運動部のほとんどが、柊人と恋のやりとりを見ていた。大半の女子生徒が、女子である李々香に恋が行った行動は良く思っていない。だが、恋に対して好意を持っている女子も居ることは変わらず、その恋を痛め付けた柊人はその女子達から良く思われていない。だが、柊人に向けられている冷たい視線の大半はそういう種類のものではなく、恐怖から来る視線だった。

 表情を変えず淡々と恋を手玉に取って痛め付ける様子は、他の生徒達に恐怖心を与えるのに十分過ぎるインパクトがあった。サッカー部ではない運動部員でも、恋が飛び抜けて上手いというのは周知のことだった。その恋を地に付けて余裕をかました柊人に、凄いや上手いという感情は、周りから一切湧かなかった。

 柊人自身も、自分の行いに対して良いことをしたとは思っていない。柊人がやったことは、李々香に恋がやったことと全く同じ。ただの虐めだった。それに李々香を助けるためとか、恋を改心させるためなんていう正義感のある行動ではなく、ただ恋のことがムカついたからやっただけだった。全て自己満足でしかない。

 今日一日が終われば明日からの土日は学校に行かなくていい。そう思って耐えながら迎えた放課後。柊人はいつもより手早く荷物を纏め、すぐに教室を出る。

 教室を出た柊人は、すれ違う女子生徒達から嫌悪の目を向けられ、それ以外の生徒からは遠慮と恐怖の混ざった目を向けられる。しかし、それ相応のことをしたのだから仕方ない。そう柊人は心の中で自分に言い聞かせた。

 今の状況が、小六の全国大会決勝が終わった頃と重なった。もちろん、今とは違い嫌悪の目の方が多かった。でも、他人から距離を取られるという状況は同じ物だ。だが……あの時とは違うことはもう一つある。

 今回は、自分は悪くないと胸を張れないことだった。

 いつもより早く抜けた校門。鴨池では親鴨の後を子鴨が数羽付いて回るのが見える。でも、それを見ても柊人の気持ちは晴れなかった。

 外周をグルリと回る道を歩き、後ろから次々と出てくる生徒達から逃げるように足を速める。賑やかな声が遠くから響くのを聞きながら歩いていた柊人は、その中に靴がアスファルトの地面を駆ける音があるのを聞いた。その音は次第に大きくなり、そして柊人を通り過ぎて目の前で止まった。

「……はぁはぁ、雪村くん……帰るの早い……」

「…………」

 目の前で息を切らす李々香に視線を向け、歩みを続けたまま李々香の隣を通り過ぎる。その柊人に李々香は目を丸くし、首を横に数回振った後に柊人の隣に並んで歩き出した。

「みんな、雪村くんのことを誤解してたから、私、ちゃんと話したから」

「なんの誤解だよ」

「雪村くんが悪い人だって思ってる人が居るから」

「それは誤解でも何でもない事実だろ。俺が櫻井先輩にやったのは、キッキング、トリッピング、ファールチャージにプッシング、そしてファールタックルとホールディング。全部サッカーでは違反行為だ」

「でも、それは――」

「どんな理由があろうとルール違反はルール違反だ」

 柊人の言葉に李々香は押し黙る。柊人の言葉は、真っ当なものだからだ。真っ当に、自分自身を非難する言葉だった。そんな柊人に、李々香は俯いて小さく謝る。

「ごめんなさい、私のせいで……」

「俺は櫻井先輩のやってることにムカついたからやっただけだ。誰かの責任でもないし、誰かのためにやったことじゃない。誰かを挙げないといけないなら、俺の責任で俺のために俺がやったことだ。だから春海さんに謝られる理由はない。とりあえず、そういうことだから」

 足を速めた柊人の隣で、同じように李々香も足を速める。それを見て、柊人はすぐに歩調を緩める。しかし、李々香の方は見ずに前だけ向いて歩き出す。

 あの時、李々香を痛め付けている恋を見た時、自分はどうすれば良かったのだろう。そう柊人は考える。やっぱり、先生を呼んで止めてもらうのが良かっただろうか。そう考えて、心の中で首を振る。自分は、あれを見て大人になれる程精神は成熟していない、と。

 柊人は、李々香を痛め付けていた恋本人を最低だと思うと同時に、見ていたサッカー部員達を最低だとも思った。

 李々香は部員達にとってチームメイト、同じ部の仲間だ。その部の仲間が苦しんでいるのに、見て見ぬ振りをする。自分達が苦しまないために、たった一人の女子部員である李々香に誰も手を差し伸べなかった。どれだけ恋が絶対的な選手で、恋が居なければ試合に勝てないとしても、それは試合以前の問題だった。

 釜田が言っていた、恋の問題は根深い。でも、それは恋個人の問題からサッカー部全体の問題に変化している。

 恋が絶対的なエースとして支配し、絶対的なエースとして逆らわせていなかったチームが、部員全員が絶対的なエースに支配され、絶対的なエースに逆らえないチームになっていた。だが、徹底的に恋を痛め付けたことによって、その構図は既に瓦解している。

 部員達は、恋が居れば勝てるという免罪符があったからこそ、恋の自分勝手な行いに目を瞑っていた。でも、帰宅部の柊人にその絶対的なエースは完膚無きまでに叩き潰された。その時点で、サッカー部に取って恋は“絶対的な”エースではなくなった。

 しかし、絶対的なエースを失った今でも、技術的に一人飛び抜けている恋をエースとして据えるしかないチーム事情がある。

 現状のサッカー部では、恋が居なければ試合を組み立てられる、試合を作れる選手は居ない。だから、不信感を抱いていても、恋に司令塔をやらせるしかない。でも、それらは柊人にとって、全く関係ない話だった。柊人にとっては、自分自身の醜悪さの方が問題だった。

「活動停止期間の間に、ファーストタッチとランウィズザボールをちゃんと身に付けたい」

 隣に居た李々香は柊人にそう言う。しかし、柊人はそれに対して冷たい言葉を返した。

「そうか、頑張ってくれ」

「雪村くんに教えてほしい」

「俺はサッカーの指導者じゃない」

「でも! 雪村くんに教えてもらったら凄くサッカーが上達出来たの! 今まで止められてた先輩にも、ファーストタッチとランウィズザボールを意識するだけでも、自分で分かるくらい抜けるようになったの! だから!」

「それは春海さんが努力した結果だ。俺は何もしてない」

 柊人は立ち止まった李々香を置いて歩みを続ける。後ろから柊人の背中を見詰める李々香の表情は、酷く寂しかった。


 柊人は、橋脚に向かってボールを蹴る。街灯の照明が入り込む橋脚前に立つ柊人の表情は暗い。

『幸村くんに教えてほしい』

 その李々香の言葉が何故か頭の中で反響する。

 まずはファーストタッチコントロールの精度を向上させるには、基本のトラップの質を上げる必要がある。自分の扱い易い場所にボールをコントロールする。それをどんな質のボールが来ても的確に行える必要がある。それにはリフティングや柊人のやっている壁打ちが効果的だ。特に、壁打ちは敢えて自分で左右に自分を走らせるようにボールを蹴って、跳ね返ってきたボールのトラップ能力を身に付ける。本当は、向かい合ってパス練習の要領で相手に様々なボールを蹴ってもらうのが楽だが、一人でやるにはこうするしかない。リフティングはそこそこのスペースがあれば一人で出来るから、柊人は好んでリフティングをやる。

 ランウィズザボールの取得は、まず周囲を見て一瞬でボールを出せるオープンスペースを判断する能力を身に付ける必要がある。

 試合中、選手達は常に動き回っている。そしてディフェンス陣はオープンスペースがあれば潰すし、パスコースやシュートコースも潰してくる。だから、数秒前にオープンスペースだった場所がボールを受けた時にオープンスペースのままとは限らない。だから、ボールを受ける直前ないし受けた直後にオープンスペースを見付けて抜け出さなければならない。それにボールを出すスペースを判断する能力が必要だ。しかし、この能力は一人での練習では限界があり過ぎる。だから、部活が停止になっている今は……。

 そこまで考えた柊人は、思い切りボールを蹴って頭の中からそれを振り払う。何を考えているのだと、自分を叱責する。

 柊人はサッカーの指導者じゃない、サッカー部の顧問じゃない、サッカー部員でもなんでもない。だから李々香の技術向上には全く関係ない存在だ。李々香が上手くなっても、柊人には全く関係ない話だ。

「雪村くん、こんばんは」

「……春海さん」

「今日も、一緒にやっていい?」

 スポーツウェア姿の李々香が、何時も通り長い黒髪をポニーテールにしてボールを脇に抱え立っていた。その李々香を見て、柊人は心の中で「何で来た」と思った。なんで来てしまったのかと。

「雪村くん、私と勝負してほしい」

「まだやる気か」

 ここ数日間、李々香は度々柊人にドリブルでの一対一を仕掛けてきた。その勝負は柊人のサッカー部入部を一方的に賭けたもので、柊人は負ける気がしなかったこともあったし、李々香との一対一の攻防が好きだったら受けていた。結果はもちろん柊人がサッカー部に入っていないことからも分かるとおり、柊人の全勝だ。

「今回はちょっとルールを変えようと思うの。ドリブルで相手を抜くのは同じ。でも、抜いた後に“シュートを決める”まで決着が付かないのはどう? シュートを外したら、相手ボールからリスタート」

 その李々香の提案に、柊人は眉をひそめた。でも不快や不審を浮かべたわけではなく、自分に対する心配だった。

 柊人は、シュートを想定した途端にボールのコントロールが急激に落ちる。つまり、決定力が低くなる。スポーツ少年団時代、得点を狙うというよりも、ドリブルとパスで相手を崩す役割を担っていた柊人にとって、それは周囲からは特別問題視されるようなことではなかった。柊人の仕事はドリブルで相手を抜き、そこからの決定的なパスでフォワードのシュートチャンスを演出すること、作り出すことだったからだ。

 でも、柊人自身は、それをかなり問題視している。だからそれを克服するために自分なりに考えて練習をしていた。だが、その答えは見付かっていない。

「いいぞ」

 柊人はムキになった。李々香の意図は見えない。そもそも意図があるのは柊人からは分からない。でも、李々香は明確な意図があって、この勝負内容を提示した。

 李々香は柊人が、決定力の欠如を問題視して、李々香との練習後に一人でシュートを想定した練習をしているのを見ていた。そして、そのシュート全てが枠外に外れるのも、全部知っていた。

 向かい合う柊人と李々香。そして、ボールを持った李々香が仕掛けた瞬間、あっさりと柊人は李々香からボールを奪い去り、素早く反転する。

 取られたボールを取り返しに来た李々香を、キックフェイントからのクライフターンで置き去りにし、何も遮るもののない真正面に左足でシュートを打つ。しかし、蹴り出されたボールは、枠の真上に当たって跳ね返ってくる。

 その後も、ドリブルの一対一では圧倒的な強さで負けない柊人は、李々香を抜き去った後のシュートでことごとく枠外へ外す。何度やっても、何度も何度もやっても、柊人は一本たりともボールをゴールの枠内に収めることは出来なかった。

 一対一を想定した一人練習ではここまで酷いコントロールではなかった。せめて、枠の外、ボール一個分外れるくらいだった。だが、それも当然だ。小六で少年団を辞めてから、柊人が誰かとシュート練習をするのは初めてだからだ。今までは一人で、頭の中でイメージした仮想の相手と対戦していた。それは自分の都合の良いように相手を動かせる、相手のレベルを下げられる状況だった。でも、柊人はそれでも、シュートを外していた。そんな柊人が、李々香という生身の人間を相手にしたシュート練習でシュートを決められるはずがなかった。

「クソッ!」

 柊人はシュートを外して跳ね返って来たボールをやけくそに蹴り飛ばす。しかし、そのボールは無情にもゴール上隅の枠外に当たって地面に落ちる。

「雪村くん、シュートが苦手なんだよね。だから、ずっと練習してた。私ね、雪村くんの小学生の頃のあの試合、録画してたの。それを今日押し入れから引っ張り出して見直した。そしたら、ドリブルでは全然敵無しの雪村くんは、自分が打てる場面でも他の選手に回してた。自分が打たないといけない場面では、全部、シュートを外してた。雪村くんがあのトリックプレイをしたのは、“六本目”のシュートを外した後だったんだね」

 李々香の言葉を聞いて、柊人は動きを止める。そして、拳を握りしめて振るわせた。

「……あの試合、全部俺が決められてたら、負けてなかった」

 柊人は足元に転がったボールに目を落としてそう呟いた。

 サッカーは個人競技ではない。それは柊人自身も理解していた。でも、それと同じくらい個人の力で打開できる場面も少なからずあることも理解していた。それが、あの決勝の柊人が放った六本のシュートだった。

 終わったことを言っても仕方がない。でも、終わった後でなければ後悔は出来ない。そして、後悔がなければ次への成長は期待できない。

 柊人の言うとおり、単純に考えて柊人が放った六本のシュートが全て決まっていれば、五対六で勝っていた。あの、トリックプレイでの一点が無くても勝つことが出来ていた。しかし、六本全てのシュートを決める、シュート成功率一〇〇パーセントというのは、誰から見ても現実的な数字ではない。しかも全国大会優勝が懸かった試合である。その試合で、弱冠一二歳の子どもがそんな成績を収められれば、それこそ子どもらしくない。

 でも、端から見れば仕方ないことも、柊人本人では仕方ないと済ませられなかった。

「私もフォワードをやってるから、シュートを外した時は凄く悔しい。だから、雪村くんの気持ちも分かるつもりで居る」

 李々香は柊人の側にしゃがみ込み、ニッコリと笑顔を浮かべる。

「一緒にサッカーやろう? 私はドリブルをもっと上手くなりたい。雪村くんは決定力不足を克服したい。私はどっちも、一人じゃ出来ないと思う。でも、一緒に、みんなでサッカーをやればきっと答えは見付かるよ。私も、協力する!」

 立ち上がった李々香は、真っ直ぐ右手を柊人に伸ばす。その右手を、柊人は躊躇いながら、自分の右手を伸ばして掴んだ。

「雪村くん、これからチームメイトになるんだし柊人って呼んでいい? 私のことも、その……呼び捨てでいいから!」

 躊躇いがちに、柊人の顔色を窺って尋ねた李々香に、柊人は笑顔を向けて頷く。

「分かった、春海。これから、よろしく」

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