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beloved ZONE  作者: 鶏の唐揚げ
15/15

【一五(最終話)】

【一五】


 敦は、柊人のランニングを遮って立ち、その人を馬鹿にしたような笑みと視線を柊人に向ける。

「サッカー、辞めたんじゃないのかよ」

「敦には関係ない話だ」

 敦を避けて走り出そうとする柊人の進路をまた塞ぎ、敦は一歩足を踏み出す。

「第一なんて弱っちい所でエース気取って気持ちが良いか?」

 柊人は敦を無視して背中を向ける。その柊人の背中に、柊人を嘲笑う敦の声が被せられた。

「決勝、楽しみだな」

 歩き出した柊人の隣に並ぼうとした李々香は、柊人が放つ雰囲気に押されて、並ぶことも声を掛けることも出来なかった。

 敦。その名前を李々香は柊人から聞いていた。そして李々香の聞いていた敦という名前は、柊人がシュートを外すきっかけになった監督の息子で、柊人に嫌な思いをさせた人だ。そう思った李々香が振り返って歩き出す。しかし、後ろから柊人に手首を掴まれて引っ張られる。

「試合前だ。余計な体力を使うな」

 柊人は冷静を装った。でも、それは李々香にも見破られてしまう程度の装いで、李々香は自分の手を握る柊人を心配そうに見詰めた。

「柊人、大丈夫?」

「大丈夫だ。決勝の相手なだけだ。何も意識することはない」

 意識することはない。それを敢えて口にすることで、柊人は自分に言い聞かせた。気にする必要はない、もう卒団して時間も経っている、それにここには少年団の監督は居ない。

「柊人、大丈夫じゃない。凄く辛そうな顔してる」

「春海、クールダウンの続きをさせてくれ」

「柊人、柊人っ!」

 柊人は呼び止める李々香の言葉を無視して走り出し、李々香は柊人の名前を呼ぶだけで追いかけることは出来なかった。


 クールダウンを終えた柊人は、一年全員が集まったミーティングで開口一番言い放った。

「決勝のスタメン、フォワードは春海を外して矢野で行く」

「柊人ッ!」

 隣に居た李々香は、柊人に詰め寄る。その李々香の瞳はキッと柊人を睨んでいるが、ウルウルと揺らいでいた。そして、李々香は柊人に背を向けて走り去っていった。

 その李々香の後ろ姿から視線を逸らし、柊人は李々香以外の一年に向ける。

「木花学園相手じゃ、春海が潰される。クールダウン中にあっちの選手を見た。全員体格が間宮くらい、いや……間宮よりも良い奴が多かった。相手が手加減してくれるなんてあり得ない。男子だろうが女子だろうが関係なく徹底的に潰してくる」

「ま、まじかよ……」

 矢野が顔をしかめて、苦々しい声を出す。そして、一年全員が李々香を外すと決断した柊人を無言で容認した。

 宮崎県中学生新人サッカー大会決勝は、宮崎市立第一中学校対私立木花学園中等部との試合になった。

 木花学園中等部は学校法人経営の木花学園の中等部。高等部はここ数年、選手権大会に毎年出場し、前年度にはベスト四まで残った。その高等部の下部組織として存在する中等部は、三年後に高等部で主力となる選手を育てながら、全国から有力な選手を集めている。

 木花学園中等部のフォーメーションは五―四―一。堅守速攻型のフォーメーション。

 横一列、フラット型に配置されたディフェンダーの中央に、一人スイーパーと呼ばれるディフェンダーを置く。このスイーパーはドリブル突破をされたときのカバーや、マーク外から飛び出してくるミッドフィルダーに対する守備を行う。

「相手のフォーメーションは五―四―一の堅守速攻型。戦術は堅い守りで奪ったボールを素早く前線に供給するカウンターサッカーだ」

「でも、そこまで分かってるなら――」

「相手は俺が見てるのを分かってやっていた。見られたとしても対処出来ないだろうってことだろう」

「クソッ! なめられたってことか」

 矢野の声に柊人は冷静な目を向ける。第一中の一年チームでは、全国でレベルの高いプレイをこなせる選手を集めた木花学園相手ではそもそもの技術差があり過ぎる。たとえそれが同じ一年生だとしても。

 準決勝は大字北のディフェンス陣よりも身長が高く体格の良い間宮が居たからこそハイボールのポストプレイが機能した。でも、今回はそれが機能するとは思えない。かといって、第一中一年の技術ではショートパスによる崩しやドリブル突破への崩しは難しい。柊人からのパスも、寄せられてまともにシュートを撃たせてもらえないことは簡単に予測出来た。そして、唯一ドリブルで崩せる柊人だが、柊人のシュートは枠に飛ばない。

 完全に手詰まり。試合が始まる前から、試合の結果は見えているようなものだった。

「どうする気だ」

「考えがある。だから、前半……いや後半一五分になるまで一点もやらないように耐える。一点やったら、俺達の負けだ」

 重々しい柊人の一言に、一年全員が顔を下に向ける。そういう時、顔を上げさせられる、前を向かせられる存在は、今第一中の中に居なかった。


 ピリピリと肌に刺すような緊張感。それをヒシヒシと感じながら、柊人はベンチに視線を向けた。ベンチには隆輝が無理矢理連れてきた李々香が座らされている。しかし、ピッチの方には顔を向けず視線を下に向けられていた。

 李々香は、柊人に外された。柊人にしつこく詰め寄ったから外されたのだと思っていた。柊人はそんな理由で外したわけではない。むしろ李々香の身を守るためにスタメンから下げた。しかし、それを理解する信頼関係は、会って数ヶ月の柊人と李々香の間にはまだ存在しなかった。

「久しぶりだな。李々香がかんしゃく起こして泣き出すの」

「…………」

「よく見とけ、それで考えろ。なんで雪村がお前を下げたのか。そして、お前が何をすべきか。それが分からなかったら、うちは勝てない」

「お兄ちゃんは、柊人が――」

「ヒントはここまでだ。あまり口出しすると、先生に怒られるからな」

 李々香は両手の甲で目を擦り、真っ直ぐピッチに視線を向けた。そして、その視線の先では、相手ゴールを見詰める柊人の横顔が見えていた。

 試合開始のホイッスルが鳴り木花学園のキックオフから始まったが、キックオフ早々、柊人は顔をしかめる。

 キックオフしてボールを保持した右サイドハーフの敦が、センターサークル内から動こうとしない。そして、近くに居た矢野に向かって手招きをする。掛かってこいと挑発しているのだ。

「野郎! ナメやがってッ!」

 挑発に乗った矢野がボールを奪いに行く。右足を伸ばした矢野を腕で防ぎ、サークル内で巧みにかわす。しかし、矢野を抜いた後反転し、体の正面を矢野に向ける。

「このヤロッ!」

 頭に血が上った矢野が果敢にボールを奪いに行くが、ボールに触れることが出来ず敦は鼻で笑いながら矢野を何度もかわす。木花学園の選手からも、木花学園のベンチからも笑い声が起った。

 結局、矢野はボールを奪えず、敦がボランチへバックパスしたボールを眺めることしか出来なかった。

「御影! フォワードに付け! 入江は御影のカバー! 浜砂と塚原は両サイドバック! 俺と平坂は両サイドハーフの警戒!」

 そう言って柊人が戻る姿をベンチから眺めていた木花ベンチの一人が、笑いながら呟いた。

「一人だけ頭使える奴が居るみたいだな」

 戻されたバックパスを、木花学園の右ボランチは保持することはせず、思い切り正面へロングフィードした。

 柊人はバックパスからのロングフィードを予測して、先にディフェンス陣に指示を出した。そして、後方へ走りながら後ろに視線を向けて目を見開く。木花学園の両サイドバックどころか、両サイドハーフさえも上がってきていなかったのだ。

「御影! チャージを受けるなっ!」

 孤立したワントップに高いボールが飛んでくる。そのボールが来る前に、御影の体が横に吹き飛んだ。

 甲高いホイッスルが鳴ってフォワードのファールが言い渡される。ボールを持たない選手へのショルダーチャージはファールチャージになる。それを取られた。

「御影! クソッ!」

 柊人はベンチに居る隆輝に手をクロスさせるジェスチャーをして続行不可能を知らせる。そのジェスチャーを見た隆輝、そして後ろに控えていた釜田がピッチに飛び込んでくる。

 右足を押さえて倒れ込む御影を気遣いながら、周囲に視線を向ける。周りで見ている一年全員が、痛がる御影を見て青い顔をしていた。そして、自陣の方に戻った木花学園のフォワードは笑顔を向けていた。

「中学生なのになんてえげつないことをしやがんだっ!」

 御影に応急処置をしながら、隆輝が怒鳴る。柊人は木花学園ベンチに視線を向けるが、監督やコーチらしき人は居ない。

 木花学園の選手達は、まず技術面で圧倒的な差があることをセンターサークル内の奪い合いで見せ、そしてフィジカルの差を見せるために御影をファールで吹き飛ばした。それは、フィジカルでも勝てないことを見せつけ、第一中の選手に恐怖心を植え付け守備時の寄せを甘くさせるため。青ざめた顔をしている選手達を見れば、木花学園選手達の思惑は成功したと分かる。でも、そんなことは許されて良いことじゃなかった。

「雪村、こんな試合負けでいい。怪我しないように――」

「御影に替わって中島。全員下がれ、全員自陣から出るな」

「雪村! 相手は選手が怪我しようとも関係無しにやってくる! そんな相手に勝ったって」

「このまま引き下がれるかッ! 仲間潰されてやられたまま逃げられるわけないッ!」

 立ち上がった柊人は右手の拳を握りしめ、笑っている木花学園の選手達を睨み付けた。

「後半は九―一―〇で行く。ミッドフィルダーは俺がやる。ボールを持ったらすぐに俺に回せ」

「雪村、みんなでやれば何とか」

「お前らじゃあの削りで怪我する。怪我したくなかったら俺に預けろ」

 御影の状態を見て恐怖心を植え付けられた第一中からすれば、その言葉は柊人に従うには十分な言葉だった。


 試合が再開して、柊人はボールを保持して、たった一人、前へドリブルしていく。その柊人に寄せてきた左サイドハーフがニヤッと笑う。しかし、その笑みはすぐに消えた。

 寄せてきた左サイドハーフの逆を切り返しで抜けて、柊人は前へ進んでいく。抜け出した柊人の足を刈るように左ボランチのスライディングが迫るが、それを見て柊人はボールをつま先で跳ね上げてボールと一緒にジャンプしてスライディングをかわす。

「へぇ、あいつ知らない顔だけどなかなかやるな」

「でも、うち相手に一人じゃどうしようもねえだろ。ほら見ろ」

 木花学園ベンチの選手がピッチを指さすと、左センターバックが寄せてくるのを見た柊人が、大きくボールを蹴り出していた。蹴り出されたボールは木花学園のスイーパーが、後ろに下がりながらボールを保持する。

「うち相手に良くやったぜ」

 木花学園ベンチから声援とは到底取れない声が上がる。その後も、柊人一人に二人か三人のディフェンスが囲み、容赦なく足を削り体を吹き飛ばす。しかし、柊人はそこでボールを奪われることを避けて、スイーパーに向けてボールを蹴り出した。

 そして、ついにその時が訪れた。

「おーおー最後の威勢はどうしたよ」

 もう一〇何回目のドリブル突破を試みた柊人に、敦が横からショルダーチャージを繰り出す。それを反転してかわした柊人は、右足のヒールでボールを相手ゴール側に出し、敦の股を抜く。

「高見! 股、抜かれてんぞー!」

 ベンチから上がる声に木花学園選手も笑い、敦は怒りに満ちた顔で柊人のユニフォームを掴もうとする。しかし、すんでの所で加速した柊人はその手から逃れる。

「もーらい!」

「クッ!」

 横からスライディングタックルを受けた柊人は、遂に初めて中盤でボールを奪われた。

 そして、木花学園の雰囲気が変わった。

 倒れた柊人が顔を上げると、柊人をあざ笑うように見ているスイーパーと目が合った。しかし、木花学園陣内に残っているのは、スイーパーとゴールキーパーの二人だけだった。

「しまった!」

 地面の土を掴んで立ち上がって後ろにダッシュし始めた柊人の目には、圧倒的な残虐が見えた。

 スイーパーとゴールキーパー以外の全員が上がった速攻。技術の乏しい羊の群である第一中が、ゴールを狙う猟犬と化した木花学園に無惨に引き裂かれていた。

 柊人が戻る暇さえなかった。九対九という同じ数の攻防だったのにもかかわらず、あっけなくボールは第一中のゴールネットを揺らしていた。

「クソッ!」

 柊人は地面に右手を打ち付けて悔しさをにじませる。その横を、ダラダラと歩く木花学園選手達が通り過ぎていった。


 前半は果敢に仕掛ける柊人を削るのを楽しむように、木花学園は攻撃をしてこなかった。それどころか、奪ってゴール前に持ち込んでも、バックパスをして笑うようなことまでやっていた。完全なる侮辱行為だった。

 木花学園が一点を奪った速攻。その時に、フォーメーションがスイーパーを一人残した一―四―五に変化していた。技術力の差がある木花学園相手に人数を掛けられれば、第一中にはどうすることも出来ない。ましてや、技術に乏しい急造の一年チームでは。

「柊人!」

「「「雪村!」」」

 前半終了を知らせるホイッスルが鳴った瞬間、地面に座り込む柊人にみんなが駆け寄る。そして一年男子は、その柊人の姿に足を止めた。

 全身砂だらけ。大きな怪我はしていないものの、腕や足には擦り傷が幾つもある。それに、柊人は自分の力で立ち上がれないほど消耗していた。

「柊人、立てる?」

「春海……ありがとう……」

 ベンチに引き上げ、柊人はドリンクをボトルから飲むと、ベンチに座る控えの選手に声を掛ける。

「消耗の酷い木崎に替えて大澤」

「えっ?」

「木崎に替えて大澤だ」

「あっ、ああ」

 交替を告げられた大澤はアップの為にベンチを離れる。深く息を吐いた柊人が地面に座り込むと、李々香が柊人の前に両膝をつく。

「柊人、後半は他の人と交替し――」

「交替枠はもう使えない」

「交替は三人までじゃん! もう一人交替出来る!」

「後半残り一五分になったら、矢野に替わって春海だ。一五分になる前にはアップを始めてくれ」

「柊人ッ!」

 もう今にも溢れ出しそうな涙を溜めて、李々香は柊人の両肩を掴んで揺する。

「柊人! もう良いから! もう止めてッ! あんなに辛そうな柊人、もう見てられないッ! だからお願い……もう止めてよ……」

 力無く訴える李々香に、柊人は視線を逸らしながら口にする。

「黙って見てろ。春海の仕事は後半一五分からだ」

「柊人! どうして!」

「あんなサッカーを舐めてる奴らに負けないためだッ!」

 柊人の上げた声に李々香は目を丸くして固まる。その李々香の様子に柊人は自分が声を荒らげることに気付き、声を落として李々香に謝った。

「ごめん……」

「雪村、どうやって勝つつもりだ。残念だが、このままだと良くて同点だぞ。それに余裕を持って遊んでた向こうと違って、こっちは消耗しきってる。特に、お前が」

 上から見下ろす隆輝の言葉には「替われ」そう命令が含まれている。それも柊人は分かっていた。でも、柊人には引き下がれない理由があった。

 柊人達一年は大会までの一ヶ月藻掻き苦しんだ。その主な理由は柊人の戦術に不備があったから。そう柊人は思っていた。でも同時に、みんなで協力して努力して積み上げてきた一ヶ月は無駄にはなっていないと思っている。

 今、失点が一点に抑えられているのは、木花学園が遊んでいるからだけではない。全員が一つになって必死の、紙一重の堅守が行われているからだ。

 木花学園はその一ヶ月頑張ってきた柊人達の仲間を踏みにじった。その行いは到底許せるようなことではない。だから、柊人達は勝たなければならない。サッカーを舐めた、サッカー選手として正しくない行いをした木花学園に。

「どうにか、します」

 立ち上がった柊人は、なんの根拠もない言葉を吐いた。しかし、その言葉を聞いた隆輝は黙って柊人に背を向けた。それは「もう何も言わない。好きにやれ」そういう無言のメッセージだった。

「ダメッ! 柊人は替える! キャプテンの私が!」

「春海、雪村にやらせてやってくれ」

 李々香が振り返った先には、足に包帯を巻いた御影の姿があった。

「御影! 足は!? 足は大丈夫なのか!?」

「大きな声を出すな、入江。ただの打撲だ」

「そ、そうか」

 御影はベンチに座り、立ち上がった柊人を見上げる。その顔は真っ直ぐ柊人の目を見て、ハハッと笑った。

「いやー、雪村助かった。お前がチャージ受けるなって叫んでなかったら、多分骨いってたわ」

「御影……俺がもっと早く」

「バカ野郎。ディフェンダーは体使ってでも止めるものだ。お前が叫んでくれたおかげで、ファールチャージしてくることが分かった。だから俺も上手く受けて打撲で済んだ」

 そう言った御影は、柊人の脇で涙を流して震えている李々香に視線を向ける。

「このチームで、木花学園に対抗出来るのは雪村くらいだ。その雪村がどうにかするって言ってるんだ。信じてやろうぜ? 俺はこのチームで優勝したい」

「御影くん……私だって優勝したいよ! でも優勝のために柊人が、みんなが怪我したら――」

「もうハーフタイムは終わりだ。みんなピッチに戻るぞ」

 李々香の言葉を途中で切り、柊人は全員を引き連れてピッチに向かう。そして、深呼吸をしてタッチラインを踏み越えた。

「あの女子、お前の女?」

 ニヤッと笑った敦が隣に並んで柊人に話し掛ける。柊人は視線を向けないまま短く低く声を発する。

「春海はチームメイトだ」

「へー、お前のじゃないなら俺が貰おうかな。顔もなかなか良いし、こんなボロボロの下手くそなんかより、木花学園の俺が声掛ければホイホイ付いてくるし」

「残念だが、春海はサッカーの上手さで友達は選ばないそうだ」

 柊人は李々香を侮辱する敦の言葉に柊人は冷静さを保って言葉を返す。

 敦がやっているのはトラッシュトーク、相手に汚い言葉や挑発を発して精神的に揺さぶりを掛ける行為。それを柊人に向けてやってきているのだ。

 柊人は早々に会話を切り上げるため敦に背中を向けて自陣に向かって歩いて行く。しかし、その柊人の背中に、敦の言葉が降り掛かる。

「はぁ? 何か勘違いしてねえか? 友達? 違うだろ、俺の女にするって言っただろうが。ちょっと胸が小さいのが残念だけど、揉めば大きくなるって言うし」

 柊人はその言葉に振り返った。そしてゆっくりと近付き、目の前に居る敦の目を睨み付ける。そして、柊人の目を見た敦は思わず後ろに一歩下がった。

 色の無い目。確かに敦の方は見ている。でも、何を考えているか分からない、不安を掻き立てる底の知れない冷たく暗い視線。

 敦は背筋に凍えるような寒気を感じ、逃げるように自分のポジションに走って行く。

 キックオフをするためにセンターサークル内に走っていった大澤は、柊人の隣に並ぼうとして躊躇った。何故か、柊人へ近付くことに恐怖を感じたのだ。しかし、気を持ち直して隣に並ぶ。その様子をベンチから見ていた李々香は、手に持っていたボトルを地面に落として、呆然として見ていた。

「しゅう……と?」


 後半開始のホイッスルが鳴って、ボールを前に出した大澤は直ぐに下がって守備に戻る。守備に戻りながら、大澤の、いや……試合を見ていた全員の目に映った。

 右手を持ち上げて、手招きをする柊人の姿が。その手は、木花学園選手達に向けられていた。

「おーおーうちの真似か? 行ったれ行ったれ!」

 笑いながら煽る木花学園ベンチの声に従って、前半、矢野を手玉に取った敦がセンターサークル内に立つ柊人に近付いて行く。そして、間髪入れずにチャージを仕掛ける。しかし、サラリとかわされ、柊人はその場でリフティングを始めた。

「高見! ナメられてっぞ!」

 敦を前半と同じように笑う木花学園ベンチに、完全に敦はキレて足を出した。その出された足はボールではなく、紛れもなく柊人の右足を狙っていた。しかし柊人は、ボールを空中で内側に跨ぐ動作をしながらその蹴りをかわした。

「なに? クソ!」

 体を当てたりユニフォームを引っ張ったりして柊人からボールを奪おうとするも、その全てを柊人はリフティングをしながらかわし、そして、リフティングをしながら掛かってこいと手招きをする。

「ナメられ過ぎだろッ! はっ!?」

 柊人の背後からボールを奪いに来た右ボランチは、思わず抜けた声を上げ、驚愕で目を見開く。柊人は背後という死角から出された足を、再びボールを空中で跨ぐ動作でかわしたのだ。

「クソッ、高見二人同時に足出すぞ」

「ああ。今だ!」

 同時に足を伸ばした二人を、柊人はリフティングをながらジャンプして回避し、着地すると、何事も無かったようにリフティングを続ける。

「「ッテェ!」」

 足を伸ばした二人は、互いの足を蹴り合ってしまい、その痛みに足を押さえてしゃがみ込む。

「お前ら何やってるんだ」

「それ以上ナメた真似させんな!」

 右サイドハーフの敦、そして右ボランチに加え、左サイドハーフと左ボランチの選手までセンターサークル内でリフティングを続ける柊人からボールを奪うために集まって来た。

 四方から取り囲む四人に柊人は顔色一つ変えずにリフティングを続ける。最初に動いたのは敦だった。

「クッソ! 余裕見せやがって」

 また足を伸ばしてボールを弾き出そうとした敦をかわしながら、右足でボールを跨いだ後、軸足である左足に落とし跳ね上げさせる。それをライン外で見ていた隆輝は、思わず声を漏らした。

「あれは、フリースタイルフットボールの技じゃないか」

 隆輝の言うとおり、柊人が敦をかわした動作はフリースタイルフットボールでミラージュと呼ばれる技。そして、最初に敦をかわしたのはアラウンドザワールドインサイドと呼ばれている、こっちもフリースタイルフットボールの技だ。ボールタッチの練習としてフリースタイルフットボールの技を練習していたというのは、一緒に練習していた李々香はもちろん、隆輝も練習の合間にリフティングで技をやっていた柊人を見ている。だから柊人がそういう技が出来ることに驚きはしない。しかし、それを試合中に、しかも四人に囲まれてその四人をかわしながらやっていることに、唖然としていた。

 隆輝はその柊人を見ながら驚きはしたものの、柊人を囲む四人の驚愕した顔、そしてさっきまで声を上げて煽っていた木花学園ベンチが静まり返っていることに、いい気味だと思っていた。選手を教える立場だとしても、木花学園選手達が行った行動には思うところが大いにあった。敬意に欠けた態度、非人道的なプレイ。たとえ柊人の行っているプレイが見る人が見れば敬意に欠けたプレイだとしても、気持ちが良いと思った。

 しかし、その隣に居た李々香は立ち上がり、柊人に対して不安を持っていた。

 心に沸き上がる、背中に押し寄せる黒い不安。このまま柊人がどこか遠くへ行ってしまうような、そんな恐怖に李々香は襲われていた。

「柊人……ダメ……行っちゃ、やだよ……」

 その李々香の呟きの直後、柊人は半回転ししながらジャンプし、空中でボールを外側に跨ぎ左足も一緒に跨いだ後、跨いだ後の右足の甲で左側へボールを弾き出す。柊人の背後に立っている二人は後ろからで手も足も出せず、前に居た二人は空中で行われたその足捌きをただ見ているしかなかった。

 トゥーザニアラウンドザワールド。それが四人をかわすために柊人がやった技だ。しかし、通常は直立して行うこの技を半回転しながら行った。その反転するような動きは、ドリブル技術のルーレットのような動きで、トゥーザニアラウンドザワールドとルーレットの合わせ技、トゥーザニアラウンドザワールドルーレットとでも言うべき神業だった。

「クソ! ここで潰してやる!」

 接近してきた左サイドバックの選手に柊人は背を向けてシザースフェイントでかわす。しかしもちろん背中を向けているからただのシザースではない、バックシザースだ。

「うそ、だろ……」

 センターサークル内でその場に立ち尽くす四人と今正に抜かれた左サイドバックは加速していく柊人の背中を見送るしかない。

 右サイドバックが柊人の左側から接近し、正面には右センターバックが接近する。

「えっ?」「なにっ!?」

 最初に柊人の目の前まで来た右センターバックを、右足の裏でボールを引いて釣り、そのままボールを上へ引き上げた後、右足の膝で一度右側へボールを弾く。その動作に釣られ右センターバックの体が左に完全に傾いた瞬間、伸ばした右足の甲で右へ飛ぶボールを左側へ弾き返す。アッガリフト、これもフリースタイルフットボールの技だ。

 アッガリフトで綺麗にかわされた右センターバックも、右センターバックがかわされるのを目撃していた右サイドバックも呆然と立ち尽くす。

 二人の間を抜けた柊人は、すぐ近くに迫っていた左センターバックを視界に入れる。

「ウォオォォオ!」

 ここまで七人の木花学園選手をかわした柊人。しかもそれはスタンドプレイとしか思えない、曲芸のようなボール捌きでだ。それは、完全に左センターバックの逆鱗に触れた。しかし、今の柊人にとってはその冷静さを失った動きは好都合でしかなかった。

 さっきと同じようにボールを右足の裏で引き、相手を釣る。冷静な時の左センターバックの彼なら、その明らかな釣り動作に引っ掛かるはずがなかった。だが、怒りに冷静さを失った彼は、柊人のその動きにまんまと釣られた。

 後ろに引かれたボールを右足のつま先で上げ、空中で上げた右足のふくらはぎに載せ、そして足をクロスさせながら、軸足である左足の裏から前に出す。これもベールフットリフトという技を応用したものだった。

「マジかよ……」

 そして残るのはスイーパーだが、スイーパーの彼は冷静に柊人接近を待つ。

 これまでは柊人に向かって取りに行ってかわされた。それを見ていた彼は柊人から抜きに来る、その瞬間を狙うつもりだった。しかし、スイーパーの目前に迫った柊人は、突然左足で片足ジャンプをした。

 飛び上がった柊人は右足のつま先をボールに添え、そのつま先で前方に向かってボールを転がす。更に、転がしたボールを右足の裏で止め、今度は後ろに引き戻しながら左足を着地させる。そして、後ろに残った右足の甲でボールを前に蹴り出して、スイーパーの左側を抜けた。その間、スイーパーは体を傾けることも、足を出すことも出来なかった。

 一瞬の間に繰り出された技、アンクルブレイカーでスイーパーを抜き去った柊人はゴールキーパーの守るゴールへ迫る。

 ここまでフォワードを除く九人を抜き去った柊人に、完全に抜かれた木花学園選手達は戦意を喪失していた。

「くっ、くそがぁぁああ!」

 やけくそに突っ込んだゴールキーパーを見て、初めて柊人が表情を作った。

 不敵な笑み、どう猛な、獲物を狩る猛獣のような笑い。それに、ゴールキーパーは怯んだ。

 立ち止まったゴールキーパーを単純な股抜きでかわし、ゴールへ向かってドリブルする。それを見たゴールキーパーは我に返って振り返り、ゴールへ迫る柊人を追い掛けた。

 柊人はゴール中央のゴールライン上にボールを止めてゴールキーパーを振り返る。その柊人には、もうさっきの笑みは残っていなかった。

 ライン上に止められているボールにゴールキーパーが飛び付く。そのキーパーの右手がボールに届く瞬間、柊人は右足のつま先で軽くボールを蹴り込んだ。右手を伸ばした体勢で倒れ込むゴールキーパーの視線の先には、コロコロとゆっくり転がって、軽くゴールネットを揺らすボールが映っていた。

 地面に座り込んで放心状態の木花学園選手達を尻目に、柊人はゆっくりと自陣に向かって歩く。そして、木花学園ゴールを見ている主審の隣も通り過ぎた。その瞬間、爆発的な歓声が上がり、ゴール前で守っていた選手全員が駆け寄ってくる。しかし、その選手達よりも先に、柊人の体に飛び付いた人影があった。

「柊人!」

 飛び付いた李々香は、他のメンバーのような喜びに満ちた顔はしていなかった。必死に柊人の胸を叩き、体を揺すって涙を流しながら叫ぶ。

「ダメ! 柊人行っちゃダメッ! 戻って来て! 戻って来てよ柊人ッ!!」

 李々香に体を揺すられていた柊人の目に、スッと色が戻る。そして自分を揺すって涙を流す李々香に視線を落とした。

「春海、まだ入ってくるのは早いぞ」

「もう一五分経った!」

「そうか」

「雪村! 羨ましいぞこの野郎!」

 駆け寄ってきた間宮に頭を叩かれ、柊人は間宮に非難の目を向ける。が、すぐに表情を元に戻した。

「まだ勝ってない。あと一点だ」

 柊人は、自分の身に何が起こっていたか分かっていた。自分がどんな方法で木花学園選手達を抜き去ったのか、その全てを詳細に覚えていた。しかし、柊人には分からなかった。何故そんなことが出来たのか。でも柊人はあのプレイを何故か出来ると思った。

 ドリブルで抜く最中も相手の動きがスローモーションで見え、前半で疲れ切っていたはずの体は体力の制限が無いように感じ、体もいつも以上に軽かった。でもやはり、何故スローモーションに見えたのかも、体力の制限がなくなったのも、体が軽くなったのも、その理由は分からなかった。

「柊人」

「なんだ?」

「もう、あれやっちゃダメだから」

「いや、俺でもよく分からな――」

「ダメだから!」

 必死な表情の李々香に、柊人は困るが「分かった」そう答えるしか出来なかった。


 木花学園キックオフで再開された試合だが、木花学園の動きがガラリと変わった。全員が自陣に引いて五―四―一という基本的なフォーメーションは崩していない。だが、全く動きにキレが無く、気迫を感じられなかった。

 ロングボールを放ってターゲットになったフォワードにセンターバックの入江が競る。しかし、前半の力強い動きは感じられず、入江の競り合いには勝ったものの、中途半端な上がりの木花学園選手陣はフォローが甘く、セカンドボールは大澤を経由して柊人に渡る。

 柊人はボールを前に出して視線を前へ向ける。上がりが甘かったことが不幸中の幸いだったのか、第一中のオフェンス陣には一人ずつマンマークが付いている。

 ドリブルで駆け上がる柊人はタイミングを計る。寄せてきた敦を軽々とかわして右足を振り抜いた。

 ゴール前で守備をしている木花学園選手は七人。そして、攻撃に上がった両サイドバック二人に左ボランチ平坂、左センターバック浜砂。

 残り時間が僅かな状況での人数にものを言わせた攻撃。その最後の攻撃の行方を決めるパスが出される。

「どこに蹴ってやがる、この下手くそが!」

 ボールの行方を見た敦が、後ろから笑いながら叫ぶ。柊人の蹴ったボールは、木花学園のスイーパーが居る方向に飛んでいく。

 スイーパーは中弾道で飛んできたボールの落下地点を予測し、後ろへ下がり始める。しかし、その下がり始めた瞬間、スイーパーは足を縺れさせてさせて転倒した。そして、その転倒したスイーパーの脇を後半から投入した李々香が駆け抜け、柊人が送ったパスをトラップした。ボールを受けた李々香は一気に木花学園ディフェンス陣を置き去りにする。いくら余裕を持ってプレイしていた木花学園選手も、前半から交替枠を一個も使っていない上に、柊人の誰もが息を呑んだスタンドプレイで体力を削られた彼らには、元々スピードのある李々香に追いすがれる選手は居なかった。

「これは、あいつにとってはペテン師は褒め言葉かもな」

 隆輝はパスを出した柊人を見て、そう呟く。

 後ろに下がるスイーパーが足を縺れさせて倒れたことは、単なる偶然では無かった。

 前半、たった一人でドリブル突破を試みていた柊人が、ボールを奪われてカウンターを食らわない様にスイーパーに向けて蹴り出していたボール。それは、単に逃げるためのボールではなかった。

 スイーパーを後ろに走らせる後ろに落ちるボール。そしてスイーパーを前に走らせる様な前に落ちるボール。そのボールを何気なく追い掛けていたスイーパーは気付いていなかった。自分が柊人に走らされていることに。

 前後へ走らされる動作は、たとえ全力ダッシュでなくても足に負担が掛かる。その負担が蓄積した状態での柊人とのマッチアップ。それで、スイーパーの足は限界に来ていた。

 相手にも気付かせずに自身をも消耗させながらやった柊人のそのプレイは、今この時、後半残り僅かで実を結んだ。

 ボールを受けた李々香はゴールキーパーとの一対一に入る。李々香のシュートコースを巧みに消しながら突っ込んできたゴールキーパーを見て、李々香はニッコリ笑った。

「なっ……」

 飛び出して来たゴールキーパーは、体を傾けて滑り込んだ体勢のまま後ろを振り返る。今、自分の上を飛び越えていったボールを見詰めて。李々香がチョンッとつま先で浮かせたボールは数回地面を跳ねた後、ゴールネットをパサッという音と共に揺らした。

「ル、ループ、シュート……だと……」

 高々とホイッスルが鳴る。それは、試合終了のホイッスルだった。


 試合の終了後、すぐに表彰式が行われた。

 優勝の盾を受け取る李々香は振り返り、その盾をチームメイトに向けて掲げる。それに歓声が上がり、誇らしげにその盾を見詰める李々香を見て、柊人はやっと緊張が終わったような気がして肩から力を抜いた。

「これで、お前も正真正銘のペテン師だな」

「春海コーチ、それ、好きじゃないんで止めてもらえますか?」

 引率者として隣に立っている隆輝がニヤッと笑いながら柊人に言う。柊人としては散々非難されたプレイを揶揄されて付けられた呼び名だから、あまり好ましいものでは無い。

「春海コーチは何時から?」

「お前が走ってるスイーパーを確認してるのに気付いてから。五本くらいボール蹴った後だな」

 柊人は隆輝から視線を李々香に戻し、前で盾を抱えて嬉しそうにしている李々香に視線を向ける。そして、隣に居る隆輝に顔を向けず呟く。

「春海は、気付いてるでしょうか」

「さあな。どうしてだ?」

「いえ、ただでも無茶苦茶してスタンドプレイまでして、それに加えてスイーパー消耗させてたなんて知ったら、相当怒られるんじゃないかと……」

 柊人は心の中で言葉通りの心配はしていたものの、単純に小六の頃と同じようにペテン師と非難されるのではないか。そういう心配が湧いていた。そして、その非難を李々香にはされたくない、そんな思いもあった。そんな柊人の心配を打ち消す隆輝の言葉が隣で聞こえる。

「お前が小六の頃の全日本の決勝を見て李々香は言ってた。格好いいってな。全く、兄貴の俺も格好いいなんて言われたことないのに、ふざけんな」

「そうですか」

 その隆輝の言葉を聞いて安心した柊人は、李々香を見て、照れ臭そうに笑った。


  終わり。

【お礼】


 最後まで読んで頂いた方々、本当にありがとうございます。『beloved ZONE』完結です。

 サッカーを題材として恋愛の要素も入れてみたら、どっち付かずな感じになってしまい申し訳ありません。お一人でも楽しんで読んで頂けたら幸いです。

 本当に読んで下さり、ありがとうございました。

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