【一四】
【一四】
宮崎県中学校新人サッカー大会三日目。柊人は、一年全員の前で頭を下げた。
「戦術を変えさせてくれ」
その柊人の態度に、一年生全員が面食らった。
一年にとって雪村柊人という存在は、常に冷静に淡々と役割を完璧にこなす、異次元の存在だった。でも、表情を歪ませて頭を下げる姿は、そんな柊人像とはかけ離れていた。
「私からもお願い。昨日までの作戦じゃ柊人一人に負担が掛かり過ぎてた。あれじゃ、柊人が保たない」
隣で李々香まで頭を下げる。その行動に、少なからず李々香に好意を持っている一年達は動揺する。たとえ柊人に反発する気持ちを持った者が居たとしても、李々香にまで頭を下げられて反発する気の起きる人間は、第一中の一年には居なかった。
全員の承諾を得て、柊人は作戦を全員に丁寧に説明した。各ポジションの選手達はその説明を真剣に聞き、自分がやるべき事を頭に叩き込んだ。
「俺のせいで――」
「俺は、雪村のせいなんて思わない」
そう言ったのは、フォワードの間宮だった。
「俺は、今回の大会でフォワードとしてほとんど結果を残してない。雪村にもらったパスも後ろに落とすか横に流すかしか出来なかった。一度も、前を向いてシュートを打てなかった。それは俺が下手くそだからだ。ごめん」
「そ、そんなこと言ったら俺も! 今まで左サイドハーフで出てたけど、攻撃の組み立ては全部雪村に任せっきりだった。俺がもっとドリブル突破出来てパスも出せれば雪村一人に任せる事はなかった」
左サイドハーフの木崎もそう言って頭を下げる。その木崎の隣に居た矢野が立ち上がり、そして、全員の前に立って頭を下げた。
「みんな、ごめん! 俺は、自分が上手い奴だと思い込んでた。戦術なんて理解しようとしないで、自分のやりたいようにやってた。それで試合が成り立ってたのは、雪村や周りのみんながフォローしてくれてたって事に全く気付かなかった。それでみんなに迷惑を掛けて、チームの雰囲気まで悪くした」
両手の拳を握り唇を噛んで、全身を震わせながら言う矢野を、誰も嘲笑しない。まっすぐ矢野の方を見ていた。
「試合に出られることがあったら全力でプレイする。自分に出来ることを、自分がやらなきゃいけない事を全力でやる。だから……」
「矢野の出番はある。矢野以外の全員も同じだ。俺達はチーム全員で戦わないと勝てない。無駄な戦力なんて、今は何処にもない」
柊人は手に持っていた作戦盤を置いて、隣に居る李々香に視線を向けた。柊人から視線を受けた李々香は、全員を見てニッコリ笑う。
「絶対に勝とう! 準々決勝も決勝も! それで、私達が初めて出た大会で優勝しよう!」
第一中一年チームは全員で立ち上がり円陣を組んだ。
「絶対に勝つぞ!」
「「「オオッ!」」」
ハーフウェイラインに並んだ真正面に居るのは大字北の選手達。その中に、以前李々香に声を掛けた選手も居た。
「第一中の雪村。この前はやってくれたな」
「借りは返させてもらう」
大字北選手のその言葉に、柊人は視線を向けただけで言葉は返さなかった。しかし、それには効果があり、余裕を見せ付けられたと思った大字北選手二人は、明らかに怒った様子で自陣の方に歩いて行く。
「雪村、そういえば大字北の生徒と一対ニやったんだって?」
「嫌がる春海の腕を掴んでいたから、それを止めるためにやった」
「なあぁにぃ!?」
円陣を組みながら間宮の質問に柊人が答えると、ゴールキーパーとして先発した木村が大字北の方を睨み付ける。
「俺はあいつ等に一点もやらん。その代わりに、二度と春海にちょっかいを出せないようにしてやろう」
「「「おう!」」」
当人の春海は苦笑いを浮かべて柊人を見る。そして、唇を少し尖らせた。
昨日、兄の隆輝が言っていた。髪の濡れた女の子を見たら男はドキドキする。という言葉を信じて、自分としても結構大胆な格好も合わせ柊人にアピールした。実際、柊人には少なからず驚かせる効果はあったが、李々香の求めているような成果は得られなかった。
そして李々香は一人、ある想いを胸に秘めていた。
新人戦が終わったら柊人に自分の気持ちを伝えよう。そう、決意していた。
隣で肩を組む柊人の体温を感じ、李々香は体に入った力を抜く。準決勝だと言うのに、試合に対する緊張は体が動かない程ではない。小学生の頃なら、ガチガチに緊張で体が固まっていたのに、今は程良い高揚感がある。
小学生の頃から圧倒的な技術で、どんなに李々香が追いすがろうとしても、あっと言う間に置いて行かれていた雪村柊人という存在。その柊人と今は、肩を並べチームメイトとしてピッチに立っている。これからもずっと一緒にプレイしたい、そして出来るなら柊人の一番近くで。そう心の中で想いを噛み締め、李々香は声を張り上げる。
「第一!」
「「「ファイ、オー!」」」
自陣中央の後方から柊人は相手の配置を確認する。
「三―三―一―三か……。御影、両サイドに居るウイングに警戒してくれ。あの二人が攻撃の起点になってくる」
柊人達から見て右サイド、相手の左ウイングトップには、李々香にちょっかいを出した一人が居る。そして、柊人とマッチアップするであろうトップ下に入ったもう一人は、柊人の方を睨み付けている。
試合開始のホイッスルが鳴り、キックオフをした大字北はいきなりロングボールを放り込む。ピッタリ左ウイングにとまではいかないパスだったものの、大字北の左ウイングへボールが渡る。
「へっ、余裕だって――なっ!?」
ボールを保持した左ウイングがドリブルで中央に切れ込もうとした瞬間、ピッチ中央からライン際へ追い込むように、右サイドバックの浜砂が寄せる。
中央ではボランチ二人を含むディフェンス陣がカバーに入り、大字北のパスの出し所を的確に潰していく。
「クソがあっ!」
無理矢理中央に放り込んだクロスを、左センターバックの入江がヘディングで弾く。そのセカンドボールの元には、柊人が居た。しかし後から大字北のトップ下が迫る。
一瞬、視線を後ろに向けて大字北のトップ下を確認した柊人は、落ちてきたボールに優しく右足の甲を合わせた。
「ボールが消えた!?」
柊人の体で視界を塞がれた大字北のトップ下はボールを見失う。その彼に、大字北ベンチから声が上がった。
「上だ!」
その声に大字北のトップ下が顔を見上げると、頭上をフワリと飛んでいくサッカーボールが見えた。
柊人は右足の甲にやや角度を付けてボールに触れ、自分の後方に向かって浮き球を上げた。そしてその浮き球で大字北のトップ下をかわす。
ドリブル中に浮き球にして相手の頭上を通すドリブル技術のシャペウと、李々香に教えたファーストタッチコントロールの合わせ技。ファーストタッチシャペウ。
呆気に取られた大字北のトップ下に構わず、柊人はすぐに右足を思いっ切り振り抜いた。
「行けっ!」
振り抜かれた柊人の右足から放たれた勢いのあるロングボールは、ピッタリ前線へ走り込んでいるセンタートップの間宮へ向かう。
「クソ! 抜けさせるな! 競って止めろ!」
大字北のディフェンダーが間宮と競り合いになる。しかし遥かに身長の高い間宮相手にハイボールでの競り合いに勝てるわけがない。
間宮はピッタリ自分の最高到達点に合わせて飛んで来たボールに頭を合わせて、横に流した。
「なっ……」
大字北のディフェンス陣はもちろん、ベンチまでもが間宮と間宮へ向かうボールに視線を奪われた瞬間、大字北のディフェンスラインから一つの影が飛び出した。
「春海! 頼んだ!」
間宮が流したボールは、ディフェンスラインの間からタイミング良く抜け出した李々香の前に落ちる。そのボールを李々香はファーストタッチで前へ出した。
一歩も二歩も出遅れた大字北ディフェンス陣を、李々香はランウィズザボールで置き去りにした。
「ウオォォッ!」
声を上げて飛び出して来たゴールキーパーの位置を冷静に確認し、李々香は左足の内側、インサイドキックでゴール左隅へ向かいグラウンダーのシュートを放つ。
地を駆ける李々香のシュートは、吸い込まれるようにゴールに向かい、ゴールネットを軽く揺らした。
「やった!」
ゴールを確認した瞬間、李々香はガッツポーズをして柊人を振り向く。柊人は両手を上げて李々香に拍手を送り、ナイスゴールと呟いた。
「ナイッシュー、春海!」
「間宮くんこそありがとう! ナイスヘディング!」
試合開始僅か五分でのゴールに第一中は沸き立つ。しかし、対する大字北は呆気に取られた選手ばかりだった。その中で、柊人に因縁のある二人は頭に血が上り、ピッチの地面を強く踏みしめたり蹴ったりしていた。
次に試合が動いたのは前半二五分。大字北のサイド攻撃を凌いでいた第一中の中央に、大字北のトップ下がボールをドリブルで持ち込んでくる。
「クソ野郎が! ナメやがって!」
マッチアップした柊人は半身に構えて相手の出方を窺う。ボディフェイントからのシザースで抜こうとしたボールをあっさりと柊人が奪取する。
「クソっ! ロングボールだ! センタートップを自由にさせるなッ!」
後ろを振り返り、大字北のトップ下が叫ぶと同時に、柊人は一気に加速してドリブルを開始した。
「ドリブル突破だと!? さっきまではあんなにロングボールに拘ってたのに!」
「バカ野郎! ボーッとするな! 戻れ!」
「えっ? ……なっ!」
大字北ベンチの怒鳴り声を聞いて大字北のトップ下は初めて気が付いた。
自分が、たった一人第一中のペナルティエリア前に残されている事に。
第一中は柊人がドリブルを開始した瞬間、右センターバック御影の指示でディフェンスラインを押し上げた。柊人のドリブル突破を起点に人数を掛けた。その人数を掛けた速攻に大字北ディフェンス陣はパニックに陥った。
今までボールを奪ったら、ロングボールボールからのポストプレイに終始していた第一中が、いきなりラインを押し上げドリブル突破を仕掛けてきた。そして、ディフェンスの指示をする大字北のセンターバックは、その中でも最も混乱していた。
ドリブルする柊人を止めに行った。セントラルミッドフィルダーと右サイドハーフは簡単に抜かれ置き去りにされている。左サイドハーフが戻って来てはいるが、攻撃のために前へ位置をとっていたせいで間に合わない。
大字北のディフェンス陣は自分と両サイドバックの三人。対する第一中は。
「なんでこんなに居るんだ!」
大字北のセンターバックには、もはや数を数える余裕もなかった。
第一中の攻撃陣は、フォワードの李々香、間宮、そして両サイドハーフの小田原と木崎が中央に絞って四トップのような陣形を取る。更に、足の速い両サイドバックの浜砂と塚原もオーバーラップで駆け上がり、サイドでボールを受けれる位置にいる。
柊人を含めて七人。到底、三人のディフェンス陣でカバーし切れる人数ではない。
「クソォォオッ!」
大字北のセンターバックは意を決して、柊人のパスコースとシュートコースを絞るために寄せる。
「焦ってラインを下げ過ぎだな」
「な、にぃ!?」
柊人は迫って来るセンターバックの左側を抜けるように、前方へ向けてボールを出す。そのボールを受けたのは、柊人から少し離れた位置を走って駆け上がって来た、左ボランチの平坂だった。
「うりゃあっ!」
柊人のパスを受けた平坂が、ペナルティエリア前から左足を振り抜く。
サイドバックはやや外側に開いた位置にポジションを取った李々香と間宮のマークに付いていて、ゴール正面には何も遮る者が居なかった。
平坂が放ったミドルシュートは、シュートコースを限定出来なかった大字北ゴールキーパーの逆を突き、ゴール右側に突き刺さった。
その後、後半は一方的な展開だった。
李々香を矢野に替えて、ディフェンスから裏へ抜け出す選手は居なくなったものの、それは大字北にとっては関係なかった。
ロングボールを使ったポストプレイ、そして個人技のある柊人のドリブル突破、更にはエリア外からのミドルシュート。その三種の攻撃を目の当たりにして、どの攻撃に対応すれば良いのか統率が取れず、大字北のディフェンス陣は瓦解した。
後半に間宮と木崎の得点で二点を追加した第一中は、相手の攻撃もシャットアウトし、今までの最多得点四点を奪い四対〇で勝利した。
試合終了後、表情の明るい第一中メンバーから離れ、クールダウンの為のランニングをいち早く始めた柊人は、唇を噛んだ。
柊人は準決勝で三本のシュートを外した。それは一本も枠の中に飛んではいなかった。それが決まっていれば七対〇だった。
だが、柊人が思ったのはそれだけではなかった。
隆輝のアドバイスが、隆輝の考えた戦術がピタリとはまり、今までで一番点を取ることが出来た。それは、戦術担当として自分が考えた戦術ではダメだったという証拠だった。
「柊人、決勝頑張ろうね」
「春海?」
いつの間にか隣に並んで居た李々香が、ニッコリ笑って拳を握って見せる。その李々香に笑顔を返そうとした時だった。
「おっ、日向のペテン師の雪村柊人じゃないか」
その人を見下したような声を柊人は聞き間違えなかった。
「……敦」
柊人が視線を向けると、ユニフォーム姿でニタニタ笑う、少年団時代の監督息子である高見敦が居た。