【一二】
【一二】
柊人は座り込む一年全員を見て一言言った。
「散々だな」
その柊人の言葉に、李々香は柊人の頬を両手で摘んでニッコリ笑う。
「柊人? い・い・か・たっ!」
「李々香、雪村の言う通りだ。新人戦は来週だぞ。それなのに一試合四失点はあり得ない。ディフェンス陣が全く機能してない証拠だ。やる気あるのかお前ら」
腕を組んで一年チームを眺める隆輝が容赦ない一言を浴びせる。
「両サイドのミッドフィルダー二人はきちんとフォアチェックもリトリートもしてる。問題はボランチ二人とディフェンダー四人だ。右ハーフの雪村が中に絞った時に何故右サイドバックの矢野はオーバーラップをしない。左ハーフの木崎が中に絞るのは時々だが、左サイドバックの塚原も上がれる場面はあっただろ。お前ら二人は、サイドハーフに守備させて自分達は攻撃参加しない気か。攻め時間を増やせば、こっちが攻められてる時間を減らせる。攻撃は最大の防御って言葉くらい知ってるだろ」
「「すみません」」
「それとボランチ二人。お前らは一緒に動かないと生きられないのか。二人居るんだから別々のことをやれ。片方が上がって攻撃のフォローをするなら、もう一人は空いたスペースを埋めて相手に使わせなかったり、自分がパスの出し所になったりしろ。二人同時に上がったり下がったりしないといけない場面も確かにある。だが、お前ら二人の動きには、そうやって動くことの意味が感じられない。見てる俺はお前ら二人が何がしたくて上がったのか下がったのか分からなかった」
「「すみません……」」
「センターバック二人。お前らはボケッとし過ぎた。ラインを下げっぱなしで、ボランチ二人とお前ら二人の間にスペース作りやがって。取られた点、ほとんどそのスペース使われて取られてんだろうが。しかもハーフタイムにそれを雪村に指摘されただろ。お前らは三歩歩いたら忘れる鳥頭か」
「「すみません…………」」
隆輝は大きなため息を吐いて全員を見詰める。
「お前らには圧倒的に試合中のコミュニケーションが足りない。声を掛け合わないから、全員の動きが噛み合わないんだ。それで、空いた隙間を突かれてやられてる。全く、お前らは何度言えば――」
「春海兄、口出しするなと何度言えば分かるんだ!」
「いや、先生! これは教え子のことを思って!」
「教え子のことを思うなら黙って見守れ」
釜田に連れて行かれる隆輝を見ながら、李々香は一年全員に声を掛ける。
「みんな! まだ練習試合は三試合もあるし、みんなで声を掛け合えるように頑張ろう」
そう言った李々香に、隆輝から注意された六人はうなだれて笑顔さえ作れていなかった。そんな六人に李々香は苦笑いを浮かべる。
新人戦まで一週間。そんなに余裕のある期間ではない。それに今日の練習試合が終われば、実戦で試せる機会はない。
「とりあえず、次の試合まで話し合――」
「褒められたからって余裕見せ付けんな!」
話し合いを提案した柊人に右サイドバックの矢野が食って掛かる。それは誰の目から見ても、柊人に対する八つ当たりにしか見えない。
「矢野くん、ちょっと落ち着いて!」
止める李々香に構わず、矢野は言葉を重ねる。
「上手いからっていい気になってるんだろ! 釜田先生に戦術担当なんて言われていい気に――」
「分かった。じゃあ、先生に事情を説明して戦術担当から外してもらう。ただし、戦術は誰が考える」
「それはキャプテ――」
「キャプテンの春海はみんなをまとめて試合中も積極的に声を出してる。そんな春海に戦術まで考えさせるのか? お前、自分がどれだけ自分勝手なことを言ってるのか分かってるのか? 春海は前線からプレッシャーを掛けて、攻撃だけでなく守備もやってくれている。キャプテンに攻撃に守備に、それに加えて戦術を考えろか……。攻撃参加をしない上に、不用意に突っ込んで簡単に抜かれて、相手にとって全く脅威になっていない、自分の仕事さえ真っ当に出来ない奴が、自分の仕事以上のことをやってる奴の仕事を増やす。自分が情けないとは思わ――」
「てめえ! 好き勝手言いやがって!」
「バカ! 止めろ矢野!」
左サイドバックの塚原が、柊人の胸倉を掴んだ矢野を羽交い締めにして押さえる。
「矢野! 矢野が抜かれた時に雪村はフォローしてくれただろ!」
「そんなの頼んだ覚えはない! シュート決めれない奴が偉そうに!」
「矢野く――」
「そうか、じゃあポジションを替えよう」
完全に頭に血が上った矢野の言葉に、柊人はそう提案する。その提案に売り言葉に買い言葉で矢野は言い返した。
「ああ! やってるよ!」
「矢野! 止めとけ!」
左サイドハーフの木崎が更に止めに入るが、もう矢野は引き下がれる状況ではなかった。
矢野は木崎と塚原を振り解き、チームから離れていく。
「さて、他に不満が――」
「しゅーうぅーとぉー?」
眉を吊り上げて柊人を睨め付ける李々香。その李々香に柊人は相変わらずの無表情を向ける。
「何だ春海」
「何だ春海、じゃない! なんであんなこと言ったの! 矢野くん怒っちゃったじゃない! これじゃコミュニケーションも何も――」
「春海、言い合うのもコミュニケーションだ」
柊人は春海の言葉を遮りそう言って、歩いていく矢野の後ろ姿を見詰める。
「矢野が俺に不満を持っているのは分かった。だが、俺も矢野に不満がある。それを言い合った」
「その結果、何も解決してないじゃん! ちょっと来て! みんなは休憩しながらちゃんと話し合ってて」
「おい、春海、なんで俺が――」
李々香に腕を引っ張られた柊人はグラウンドの端に連れて来られる。そして柊人を引っ張って来た李々香は、柊人から手を離して両腕を組む。
「柊人、ワザと矢野くんを挑発したでしょ。さっきの柊人、いつもの柊人らしくない」
「俺は言いたいことを言っただけだ。春海の仕事を増やして自分は楽しようなんて、そんな話を黙って聞けるわけないだろう」
「春海、雪村、二人共少し話が出来るか?」
話をする柊人と李々香の元に、困った表情を浮かべる釜田が話し掛ける。そして、大きなため息を吐いて柊人に目を向けた。
「雪村、お前、矢野に何言った? いきなり俺の所に来て、雪村をスタメンから外せって言われたんだが……。あんなシュートが決められない下手くそなんて要らん、とまで言われてた。てか、そもそもスタメンを決めているのは俺じゃないぞ。決めてるのはお前だろ、雪村」
「自分の役割もこなせていない矢野が、春海に戦術を考えろと言ったので、客観的に見た矢野の評価を言っただけです。ああ、そういえば矢野が俺の戦術にはついて行けないそうなので、戦術担当から降ります」
そう言う柊人を見て頭を押さえた。そして李々香を見て同情の目を向ける。
「春海、大変だろうが頑張ってくれ」
「は、はい。ありがとうございます」
李々香が頭を下げるのを見て、釜田は柊人に目を向ける。
「次はどうする気だ」
「矢野の希望通り、スタメンから俺を外して、右のミッドフィルダーに矢野を入れます。右サイドバックは俺の予定でしたけど、他の人間でも構わないでしょうし」
「雪村、さっきの試合を見ていたが、お前が抜けたら――」
柊人は無表情のまま釜田に一言告げる。
「目標は、六点差です」
二試合目が終わり、試合に出た全員が地面を見て、そこから視線を一切動かせられなかった。そんな一年チームに、見るに見かねた釜田が集合を掛ける。そして、フーッと息を吐いて口を開いた。
「〇対七……またとんでもない数取られたな」
第一中一年チームは、二試合目の練習試合で七失点し完封負けを喫した。相手が二、三年を中心とした他校のAチームだったとしても、異常な失点数だ。その結果を重く見た釜田は、視線を全員に向けた。
「なんでこんなに点を取られたか分かるか?」
「ディフェンス陣の連携が、取れていませんでした」
左サイドバックの塚原がそう声を絞り出す。その言葉に頷きながらも、それを全肯定しなかった。
「確かにディフェンス陣の連携は問題だ。だが、一試合目よりも大分改善されつつある。改善されつつある、だから、まだ改善されたわけじゃない。さてじゃあ一試合目より改善されつつあるのに、七点も取られたのか。他に分かる奴は?」
そう釜田に尋ねられた一年の中で、左サイドハーフの木崎が手を上げる。
「木崎」
木崎はゆっくりと立ち上がり、一瞬躊躇うような仕草をした後に、声を押し出すように発した。
「雪村と矢野が替わって、雪村が抜けたからです」
「何んだと木崎ッ!? 俺が悪いって言うのかよっ!」
木崎の言葉に矢野は当然、激昂して声を荒らげる。その矢野を釜田は落ち着いた声で制した。
「矢野、お前の意見は後で聞いてやる。木崎は、なんで雪村が抜けたから七点取られたと思うんだ?」
木崎はチラリと柊人に視線を向けて、釜田に視線を戻す。
「一試合目、雪村はドリブルで切り込んだり決定的なパスを出したりして、チャンスを作っていました。でも二試合目、矢野に替わったら、右サイドからの効果的な攻撃が一度もありませんでした」
「他には?」
「矢野は前線からプレッシャーを掛けるフォアチェックをしてませんでしたし、自陣に戻るリトリートも遅かったです」
「それで終わりか?」
「俺が気付いたことはそれだけです」
木崎の言葉を聞いた釜田は、今度は矢野に視線を向ける。
「じゃあ矢野の意見を聞こうか。木崎の指摘についてどう思う?」
「ドリブルやパスは周りのフォローが――」
「一試合目、どっかのバカタレ右サイドバックが一切オーバーラップやフォローをしなくても、雪村はチャンスを作っていたぞ」
「フォアチェックとリトリートは、そんなことまでやってたら体力が――」
一年チームがやってる四―二―二―二は、両サイドに開いた攻撃的ミッドフィルダーの仕事量が多い。攻撃を組み立てるのも、主に攻撃的ミッドフィルダーが行う。それに木崎が言ったように、攻撃的ミッドフィルダーがどれだけフォアチェックを掛けれるかで、ディフェンダーの負担が減るかと攻撃のチャンスが増えるかに影響してくる。だから攻撃的ミッドフィルダーは豊富な運動量が求められる。その必要とされる豊富な運動量に矢野の動きは達していなかった。
「お前らがやってるフォーメーションでは、それもやれて初めて、攻撃的ミッドフィルダーだ」
「でも、守備は右サイドバックの浜砂がちゃんとやっ――」
「先生」
釜田の指摘に食い下がる矢野の言葉を遮る声が響く。その声の主は李々香だった。李々香は一切矢野を見ずに言葉を続けた。
「矢野くんをスタメンから外します。キャプテン権限でやらせて下さい」
「春海! な、なんで!」
「残念だが、矢野。俺も春海と同意見だ」
一試合目、矢野は自陣の右サイド後方にずっと居て、自陣の右サイドに放り込まれたロングボールを追い掛けるくらいしかやっていなかった。しかも、簡単に抜かれ、攻撃を遅らせることさえ出来ていなかった。
そして二試合目、柊人に替わって右サイドに入った矢野は、右サイドのハーフウェイラインからピッチの四分の一くらいの距離だけを、行ったり来たりしていた。前半の始めの方はドリブル突破を仕掛けていたが、突破出来ずに相手のショートカウンターというピンチを招いていた。更にドリブル突破が無理だと判断したら、無茶苦茶なロングボールを蹴って無駄に右トップの李々香と左トップの間宮を走らせ、二人の体力を消耗させただけだった。
柊人が右サイドハーフをやっていた時よりも明らかに運動量が少なく、攻撃にも守備にも、矢野の貢献度は皆無だった。その差が、一試合目よりも失点を増やした主な原因だった。
右サイドバックとしても、右サイドハーフとしても最低限の水準に達していない上に、自分の責任を他の選手に転嫁する人間を、他の選手が信頼出来るわけがない。
「さっきの試合、浜砂は良い動きをしてた。春海、次の試合、右サイドバックは浜砂で行け」
「ちょっと待って下さい! なんで俺が外されな――」
「ちょっとお前来い。ついでにお前も」
遠巻きに一年チームの様子を見ていた隆輝が、耐え切れずに矢野の首根っこを掴む。そして一緒に柊人の首根っこを掴んで引っ張った。
チームから少し離れた場所で掴んで来た二人を離すと、隆輝は矢野を見下す。
「おい矢野。次の試合、雪村に前半右サイドバック、後半右サイドハーフをやらせる。お前、もう新人戦には出られないが今後のために見とけ」
「えっ……」
「まさか自分の非を認めずチームメイトこき下ろした挙げ句の果てに責任転嫁したやつがチームに居られると思ってるのか? 俺だったら、そんなことをする選手を使うチームなんかその日に辞める」
そして、矢野に顔を近付けた隆輝は、末恐ろしいドスの利いた声を出す。
「ここからは李々香の兄貴としての話だ。李々香はな、優しい子なんだよ。そんな優しい李々香が、生半可な気持ちでチームメイトを外すなんて言えるわけねえんだよ。今、李々香は心ん中で罪悪感と必死に戦ってる。俺は李々香の兄貴だから分かる。だから俺は、俺の大切な妹にそんなことをさせた奴を許さねえ。だが、だからと言って今後、俺が私怨でお前をメンバーから外したりいびったりはしない。もしそんなことをしたら、辛くなるのは李々香だからな。でも、お前は俺や先生、チームメイトからの信頼も失ったと思え」
矢野から手を離した隆輝に、一緒に連れて来られた柊人は声を掛ける。
「春海コーチ、俺が連れて来られた理由は何でしょうか?」
尋ねられた隆輝は、一瞬、視線を合わせて口にする。
「なんとなくだ」
水道の蛇口を捻り、李々香は頭から水を被る。そして冷たい水で頭を冷やしながら、右手を握った。
キャプテン失格だ。李々香はそう自分を評価した。
チームを纏めないといけない立場の自分が、チームなら矢野を切り捨てた。しかし、あのまま矢野を放置すれば、周りの選手が矢野に不信感を持つ。不信感を持っている相手を信頼することなんて出来ないから、連携なんてとれるわけがない。そう考えながらも、李々香はそれだけの理由で矢野を切り捨てた訳じゃない。それが、自分をキャプテン失格だと思った理由だった。
李々香は、自分の責任を柊人のせいにしようとした矢野を許さなかった。柊人は攻撃を組み立て守備も行い、矢野がこなさなかった仕事のフォローまでやっていた。そんな柊人を悪く言う矢野を許せなかった。そんな矢野と一緒にプレイ出来ないと思った。それは矢野の言動を聞いていた誰しもが思うことだったが、李々香には柊人に対して特別な感情を持っている分、柊人を贔屓してしまったと自分を責めた。
「李々香。よく頑張った」
「お兄ちゃん、ありがと……」
蛇口を捻って水を止めた李々香の頭にタオルを被せ、隆輝が声を掛ける。
「あんまりそんな姿を男子に見せるな。中学生男子なんて女の尻しか追い掛けない生き物なんだぞ」
隆輝の注意に、頭をタオルで拭きながら李々香は首を傾げる。
「私、水被ってただけなんだけど?」
「男ってのは、女の濡れた髪に色気を感じるものなんだよ。李々香みたいな可愛い女の子がそんな姿を晒すなんて、猛獣の檻に生肉放り込むようなものだ」
髪の水気を取った李々香は、俯いて地面に転がる石ころを眺めた。黙った李々香に、隆輝は独り言のように話す。
「にしても、雪村も賭けに負けたな。わざわざ反感買ってまでやったのに、今の矢野じゃダメだった」
「賭け?」
「矢野が自分で気付いて自分で見直すかの賭けだよ。まああえなく負けたけどな。負けた代償は、大きかった。俺の可愛い妹にこんな思いさせやがったしな」
隆輝の言葉に、李々香はそれを聞いて、妙に矢野へ突っ掛かる柊人の不自然さに納得がいった。そして、柊人が人に憎まれてまでやったことが無駄になったことが、辛かった。
柊人は本来そういうことをやるような性格ではない。昔から強豪と呼ばれるチームに所属し、使える選手はレギュラーに昇格、使えない選手は何の説明もなくいきなりベンチ外へ降格。そういうドライな体験を幾度となく経験してきた。だから、柊人としては、明らかに居る意味の無かった矢野は、黙ってスタメンから外して他の選手をスタメンに入れ替えるつもりでいた。だが、李々香はそこまでドライなサッカー環境の経験は無かった。上手くない選手でも、それなりに試合に出場出来ていた。そういう一面では優しく、一面では生温い環境で育って来た李々香は、ドライなメンバー外しを嫌がった。だから、柊人は矢野へチャンスを与えた。しかし、結果は現在の状況だ。
矢野は、中学生の頃からサッカーを始めた選手ではなく、柊人や李々香のように、小学生の頃からサッカーの経験のある選手。
小学生時代の矢野は、所属選手が少ないというチーム事情に加えて、身長も高く足も速く、ほどほどの技術があったためにレギュラーを外れることが無かった。矢野が小学生時代に所属していたチームは、戦術やフォーメーションなんてものはあまり考えられていない、選手にそれらに対する理解を求めないチームだった。それは勝つことよりサッカーを楽しむことという一見良く見えるチーム方針が生んだ、負の一面だった。
フォーメーションを、戦術を、自分の役割を考える必要のない、自分のやりたいことをやっているだけで良かった環境で育った矢野には、戦術理解という概念がそもそも存在しなかった。その上で、プライドが高く我の強い性格も合わさり、実力の追い付いていない恋のような存在になってしまった。
チームで戦う選手として、フォーメーション、戦術、チーム方針に合わせてプレイ出来るのは最低ラインだ。それが出来ているのが左サイドハーフの木崎と間宮。出来て居ないのは矢野を始めとしたディフェンス陣の面々。柊人と李々香は、戦術を理解した上でその場の状況に臨機応変に対応出来ているレベルの高い選手と言える。
チームを指揮する立場としては、柊人や李々香のような選手を集めたい。しかし、一年だけのチームでそんなことが出来るわけがない。柊人は戦術担当として、ローテーションで選手を使ってみた。その上で、メンバーが固まり掛け、なんとなくメンバーのことが分かってきた時、矢野は試合に出せるレベルではないと判断していた。
ただ、それをキャプテンである李々香に相談しなかった。李々香に気を遣いすぎた柊人にも問題がある。もし、もっと早く李々香に話していれば、トラブルは起きなかったかもしれない。起きたとしても、試合まで一週間という時間のない今ではなかったはずだ。
「李々香。李々香にはお兄ちゃんが付いてる。何時でもお兄ちゃんの胸に飛び込んで泣いても――」
「私、ちょっと柊人の所に行ってくる」
両手を広げて李々香を受け入れる体勢をとった隆輝を無視し、李々香は柊人を探して駆け出していく。その李々香の後ろ姿を見て、隆輝はハアっとため息を吐く。
「兄貴離れ、早過ぎるぞ」
戦術担当失格だ。柊人はシンプルに自分へその評価を下した。
チームを作る時間は今日まで三週間ほどあった。そして、新人戦まで最後の練習試合の今日、そのチームは形を成していない。
矢野の問題は致命的だった。でもディフェンス陣の連携不足も、練習中に度々指摘はしたものの今日まで引きずっていた。
「何が、自分の仕事さえ真っ当に出来ていない奴、だ……」
柊人が矢野に浴びせた言葉を自分に浴びせ、柊人は自分を非難した。柊人は戦術担当として、不十分な仕事しか出来ていない。だから、新人戦前最後の週末に七失点もするチームになっている。そして、柊人は拳を握り締める。
「右サイドとして、俺は役割をこなせていない……」
一年チームがとっている四―二―二―二の両サイドハーフ、攻撃的ミッドフィルダーは攻撃の組み立てのみならず、前線からの守備も必要になる。だが、やはり主体となるのは攻撃だ。
ドリブル突破で両サイドをえぐり、効果的なフォワードへのパスで守備陣を切り裂く、そして”自らも得点する”ことも重要だ。柊人は一試合目でシュートを打って得点を狙った。しかし、枠内にボールが飛んだことは一度もなかった。
シュートを打たないより、シュートを打った方が、相手への脅威を感じさせ全体的に守備寄りに退かせることも出来る。だが、枠内に飛ばなければその脅威もあまり高くなく、当然得点も期待出来ない。
点を取れていない。それは矢野の指摘通りの事実だ。柊人のチームへの貢献度は、無得点ということを差し引いても余りある。だが、シュートが決まらないことを問題視している柊人にとって、差し引ける問題ではなかった。
「そういえば、第一中の女子可愛くね?」
「やっぱりお前も思った?」
「俺、グルチャのID聞いてみようかな」
「いや、あの雰囲気だといきなり聞いても教えてくれないだろ。見た目清楚っぽいし」
シュート練習のためにボールを蹴った柊人の後ろを、他校の生徒が二人通り過ぎる。そして、外れたシュートを見て笑った。
「うわっ、下手くそ」
「バカ、聞こえるって。さっきの試合、一度も出てなかっただろ。練習試合にも出られないってことを察してやれよ」
一試合目を見ていない彼らからすれば、柊人は練習試合にも出られない下手くそ。そして、そう思うことを隠さない無神経さと、あえて聞こえるように言う意地の悪さに、柊人は右手を握り締めた。
「柊人!」
駆け寄って来た李々香に視線を向けていると、李々香の後ろからさっきの他校生二人が近寄ってくる。
「きみ、第一中の右トップだよね?」
「はい、そうですけど」
「は、春海?」
柊人は愛想が感じられない冷たい返事を返した李々香に戸惑う。その態度は李々香らしくなかった。
「俺ら大字北の一年なんだけど、グルチャのID教えてよ」
「すみません、友達をバカにする人に教えたくないので、お断りします」
冷たくキッパリと断る李々香。李々香は彼らの、柊人に対する言葉を聞いていた。だから、柊人を悪く言う彼らは、李々香にとって好ましくない存在だった。
「友達だったの? でもきみみたいな子は、もっと上手い奴と仲良くするべきだと思うけど、大字北の俺らとかさ」
大字北は、柊人の通っていた大字北サッカースポーツ少年団のある地域。しかし、その李々香に話し掛けて来た大字北中生に、柊人は見覚えはなかった。
大字北中は数年前まで、県内でも無類の強さを誇るチームだった。それは柊人が所属していた少年団の卒団生のほとんどが大字北中に進学していたからだ。しかしここ最近は学区の縛りが無くなったことと、私立高校の中等部に進学する選手が多くなり、大字北はせいぜい県大会でベスト八くらいの実力しかない。だが、それでも第一中よりも成績は上だ。
「私はサッカーの実力で友達は選ばないので」
李々香は変わらず冷たくあしらうような態度を示す。
「良いじゃん、ID交換するだけだって」
「ちょっと、放して!」
柊人は、李々香の腕を掴んだ大字北中生の手を横から弾き、李々香との間に入って視線を彼らに向けた。対する大字北中生達は、自分達よりも下手くそな、下手くそだと思っている柊人に邪魔をされ、表情に不快感を露わにした。
「春海が嫌がってる」
「はあ? 下手くそは黙って――」
柊人は大字北中生が足元に持っていたボールを奪い去る。そして、数メートル離れた所から、右手を手招くように動かして挑発する。かかってこい、と。
「てめえ、ナメてんじゃ――ッ!?」
伸びてきた大字北中生の右足をヒラリとかわすようにターンした柊人は、自分の動きに自分で驚いた。仕掛けてくる相手の動きが遅くなったのだ。
「マグレでかわせたからって調子に乗るなッ!」
柊人は大字北中生が仕掛けてくる瞬間、また彼の動きが遅くなったように見えた。目線の向き、足の出される方向、どっちに重心が向いているのか。それを判断する余裕が柊人にはあった。
一向にボールを取り返せる気配のない大字北中生は、二人で柊人を囲んでボールを奪おうとする。だが、二人でも柊人からボールは奪えず、遂に二人は地面に座り込んだ。
大字北中生二人が座り込むのを見ると、柊人はボールを二人の足元に転がす。
「下手くそに負けたお前らは、もっと下手くそだってことだな。行こう春海」
「えっ? う、うん」
李々香は戸惑った表情を浮かべながら、柊人の後ろを歩いて行った。
三試合目の練習試合。第一中は二対一で勝つことが出来た。守備の乱れから一失点してしまったが、一試合目、二試合目と比べれば格段に良くなっている。そのせいかたった一人を除いてチームメイトの表情は明るい。
ベンチに座りながら、矢野は膝の上に置いた両手をグッと握り締めていた。
試合を客観的に見て、柊人の動きは矢野が想像していたよりも相当良く見えた。ドリブルの技術は当然だが、柊人は右サイドバックをやらせてもレベルの高い動きをしていた。
右サイドバックをしていた前半、右サイドハーフをしていた後半。どっちも柊人を起点にした攻撃でチャンスを作り、右サイドでは相手の左サイドハーフにほとんど仕事をさせていなかった。
矢野と柊人には技術以外にもスタミナの量が格段に違う。だから矢野は途中で疲れほとんど走れなくなるが、柊人は前後半を戦える。そのスタミナの差が効果的な動きの差を更に広げる原因になっていた。
小学生時代、楽しく練習するだけで試合に出れていた矢野と、トップ下をやるために毎日人一倍努力した柊人。その積み重ねの差も大きかった。
「矢野」
「なんだよ、バカにしに来たのか」
柊人が矢野に話し掛けると、矢野は視線を逸らして吐き捨てるように言う。それに周りからは冷ややかな視線が向けられている。
「次の試合、後半から入れ」
「柊人、矢野くんは私がメンバーから――」
「春海は矢野を”スタメン”から外しただけだろ。だったら途中交替は問題ないはずだ」
李々香の言葉を遮り、柊人が言う。その言葉に李々香は反論出来ずに押し黙る。
柊人の言葉を聞いた矢野は、柊人の思惑が理解出来ず、探るような疑いの視線と不機嫌な態度を向ける。
「俺に借り作るつもりか」
「そんなものを作る気なんてない。矢野に借りを作っても、返ってくるとは思えないからな」
その言葉に、一年チームの何人かから小さな笑い声が起こる。それに怒りと恥ずかしさで顔を赤くした矢野は背を向けて歩き去ろうとする。だが、矢野は振り返って柊人に睨みを返す。
「何が目的だ」
「春海を休ませるためだ」
「てめえ! ナメてん――」
柊人の言葉に矢野が掴み掛かろうとした瞬間、その手を控えのゴールキーパー木村が掴む。そして、柊人に視線を向けた。
「雪村、その役、俺にやらせてくれ」
木村の提案に柊人は眉をひそめる。
「試合に出られないよりマシだ」
一年チームの正ゴールキーパーは畑が居る。しかし柊人は、だからと言って木村を全く使わないわけではない。寧ろ交互に使って試合機会は平等にとっていた。
木村には試合に出たいという意図と、李々香に良い印象を持たれたい。という二つの思いがあったが、柊人は前者しか分からなかった。
「俺はゴールキーパーだけど、フォアチェック掛けることくらいは出来る。春海の代わりにはならないだろうが、チームの為に動ける!」
木村のその言葉は、素直に発せられた言葉だった。でも、隣で聞いていた矢野の心にはグサリと突き刺さった。
矢野は自分の動きを自分で見ることは出来ない。でも、自分が出た時と自分が出なかった時では、試合結果に天と地ほどの差がある。それは『矢野がチームの為に動けていなかった』からだ。
右サイドバックをしていた柊人は、日頃はチームメイトと積極的に喋るような人間ではないのに、ボランチ二人や他のディフェンス陣と会話を何度も交わしていた。何故、今はシュートを打たれたのか、何故、失点してしまったのか。それをディフェンス陣と共有していた。
右サイドハーフを浜砂がやっている時は、積極的にオーバーラップを仕掛けて、浜砂の出し所になろうと走っていた。守備も、闇雲に突っ込む矢野と違い、パスコース、シュートコースを限定あるいは消したり、突破を遅らせたり、ライン際へ押し込んだりしていた。それは自分がボールを取るためのディフェンスではなく、相手の攻撃を遅らせる、チームが守り易くするためのディフェンスだった。
「出る」
「そうか、じゃあ頼んだ」
「しゅ、柊人!? ちょっと待って!」
短く矢野に言い切った柊人がチームから離れていく。その柊人の後を李々香は慌てて追い掛けた。
「柊人! 柊人、待ってってば! ――キャッ!」
「危ないっ!」
柊人を追い掛けていた李々香は、柊人に追い付く手前で足をもつれさせて体を前方に傾ける。その倒れ掛けた李々香の体を柊人が抱えるように支える。
「キャ!」
柊人にしがみつきながら踏み止まった李々香は、顔を真っ赤に染めて柊人から飛び退こうとする。しかし柊人は体を支えたまま李々香に視線を向ける。
「やっぱり次の試合、前半から矢野を出す」
「私は!」
「春海は足に来てる。前半から飛ばし過ぎたせいだ。なんであんなハードワークをした」
「それは……」
李々香はついさっきの試合で、前半から積極的に相手へプレッシャーを掛けてボールを追い回していた。それはとても良いことだったが、過剰にやり過ぎた。そのせいで、余計な体力を消耗してしまった。
李々香は慣れない右サイドバックをやっている柊人をフォローしようと必死だった。それは柊人にもなんとなくだが伝わっていた。
「俺が慣れない右サイドバックをやっているからフォローしてくれていたのは分かる。だが、春海の仕事は点を取ることだ。俺のフォローをして春海が点を取れなかったら、チームとしては大問題だ」
「ごめん」
「謝るのは俺の方だ。俺がもっと上手ければ、春海に安心してプレイさせられる技術があれば、こうはならなかった」
柊人の言葉に、李々香は落ち込んだ。かえって、柊人に悲しい思いをさせたと。柊人の技術を疑ったわけではなく、柊人の役に立ちたいと思ったことが、逆効果だったと。
「ごめん……かえって迷惑に……」
「迷惑なわけがあるか。李々香がフォアチェックをしてくれたお陰で、ディフェンス陣が戻る時間が、落ち着く時間が出来た。それで何度もディフェンス陣の連携が噛み合って良い守備が出来ていた。それはディフェンス陣に、自分達が上手くやれたという良いイメージをもたらしてくれた。それは間違いなく、春海が前線から、あの献身的な守備をしてくれたからだ。迷惑どころかチーム力を上げる大きな弾みになった。ただ、それで春海に負担が増えたり得点力が落ちたりするのは困る。だから、今後は無理をしないでくれ」
「う、うん。分かった」
李々香は、体が、顔が熱くなるのが分かった。
嬉しい、今すぐ叫びたいくらい、飛び上がりたいくらい嬉しい。自分が柊人に褒められた。柊人の役に立てた。そう思うだけで、李々香の胸は高鳴った。それに、自分のことを思っての提案だと知り、自分が柊人にとって特別な存在なのではないかと、明るい温かい希望が湧いてくる。
「柊人、ありがと」
「無理して怪我をされたら困るからな」
はにかむ李々香に柔らかい表情を向けた柊人は、李々香の問題から、次の試合の問題に切り替えていた。
新人戦まで最後の練習試合だった四試合目は一対〇で第一中が勝つことが出来た。初めて無失点で終われたディフェンス陣の表情は明るい。
片付けも終わって解散した第一中サッカー部が帰った後、柊人はゴールを見詰めていた。
二対四、〇対七、二対一、一対〇。四試合を見て二点取れた一試合目と三試合目は、柊人と李々香の連携で崩した試合だった。しかし二試合目は柊人が出場せず、四試合目は李々香が出場しなかった。一点とっている四試合目も、柊人が放り込んだロングボールに競った相手ディフェンダーのオウンゴール。第一中の攻撃で崩した結果のゴールではなかった。
ディフェンス陣が安定してきた。そして、攻撃陣の脅威の低さが目立った。
第一中一年チームは柊人と李々香が居なければ、効果的な攻撃が出来ない。柊人と李々香の攻撃力に寄り掛かってる割合が大き過ぎる。それが、片方抜けた瞬間に瓦解するのだ。
二人が揃って試合に出れる場合は良い。しかし、もしどちらかが怪我で、四試合目の李々香のように疲労で、試合に出られなくなったら。もし、柊人か李々香が封じられたら……。
「柊人……どうしたの? すごく辛そう」
ジャージ姿の李々香は、黙ってゴールを見詰める柊人に後ろから声を掛ける。それに、柊人は振り返らずボールを蹴った。
足の甲で放たれたボールは、ゴールの枠を捉えることが出来ず、後ろにあった防球ネットに当たって地面に落ちる。それを見て、柊人は拳を握った。
「柊人、大丈――」
「大丈夫なわけない」
柊人は、出た三試合すべてで決定的なチャンスをパスで演出し、ドリブル突破で敵を崩してチャンスを生み出した。守備でも積極的な寄せで相手の攻撃を遅らせ、ボールを奪ってカウンターにも繋げた。
でも、ただの一度もシュートはゴールの枠に飛ばなかった。
「どんなに良いサッカーが出来ても、勝てなきゃ意味がない。どんなに良いプレイが出来ても、点が取れなきゃ意味がない。結果が出なければ、それは良いサッカーでも良いプレイでもないんだ」
「柊人……」
李々香は柊人の後ろで、柊人に手を伸ばし、途中でその手を下ろして、視線も下に落とした。