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beloved ZONE  作者: 鶏の唐揚げ
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【一】

 全日本少年サッカー大会決勝。スタジアムには沢山の観客。鳴り響くメガホンや太鼓の音。それらを聞きながら、少年は息を切らしピッチを見渡した。

 少年のチームメイト達は足が止まり息も絶え絶えで、今まさにゴールネットを揺らした、揺らされたボールをセンターマークの上に置く。

 少年が目を向けたスコアボードには五対〇という絶望的な数字が表示されている。そして、後半はもうロスタイムに入っていた。

 圧倒的な実力差。仮にも全国で選ばれし二チームの対戦。それなのに、少年達は相手に手も足も出なかった。相手がプロリーグのジュニアチームだとしても、この点差は屈辱的だった。

 センターマークにセットされたボール。もうロスタイムは残り二分あれば良いところだろう。どう足掻いてもひっくり返せる点差じゃなかった。

 その試合の終了後、夕方のワイドニュースで、試合の結果が小さく報道された。

 優勝は前年度優勝チームのプロリーグジュニアチーム。そして、試合結果は……。

 ジュニアチームが五対一で快勝。


【一】


 宮崎第一中学校。硬い白土のグラウンドに運動部のかけ声が上がる。その声を聞きながら、気怠そうに鞄を背負い直す少年。少年の前を女子生徒が走り去り、その去り際に女子達の黄色い声が聞こえる。

「サッカー部の櫻井先輩、見に行こう!」

「私、手を振ってみようかな」

 真新しい通学靴のつま先に視線を落とす。通学靴と言っても屋外運動靴と兼用で、体育の授業を受けているうちに、すぐ土色に染まってしまう。

 少年はつま先から目を離し視線を前に向けると、校門を出て直ぐにあるため池の外周を走るサッカー部の姿が目に入る。

 第一中の校門前にある池は、生徒達の中で鴨池と呼ばれる人工のため池。鴨池の周囲は立ち入り禁止で高いフェンスが設置されている。そのフェンス越しではあるが、池の名にもなっている野生の鴨をよく見ることが出来る。親鴨と子鴨が戯れている様子には癒やされ、特に女子生徒に人気がある。ただ、大雨が降った次の日は、池が増水したことによって池に生息する魚が岸に打ち上げられ、生臭い臭いを漂わせることもあるため、全部が全部良い池とは言えない。それに、冬場の持久走シーズンにはこの鴨池の周りを何周も走らされるため、運動嫌いの生徒からは忌々しい池でもある。

 そんな鴨池の周りを、練習前に数周ランニングするのはサッカー部の習わしであり、いつもこの時間帯に帰宅する柊人がサッカー部と遭遇するタイミングも毎日同じ。そして、柊人がサッカー部の部員に睨まれるのも、毎日このタイミングだった。

 黒く長いストレートの髪を風になびかせながら、列を乱すこと無くランニングをする女子部員。サッカー部唯一の女子部員で、見た目とサッカーという競技とのギャップのせいか学校内でも目立つ。

 名前は晴海李々はるみりりか。ギャップの理由は運動部らしからぬ黒く長いストレートの髪もそうだが、運動部にしては肌荒れも日焼けも全く無い綺麗で白い肌。更に清楚に整った顔立ちは、ユニフォームを着ていなければ、美術部や吹奏楽部といった文化部の生徒だと言われても全く違和感はない。むしろ、彼女がサッカー部に居ることの方が違和感を抱いてしまう。

 そんな李々香に、少年は、雪村柊人ゆきむらしゅうとは毎日睨まれる。それは柊人自身の勘違いという訳では無く。確実に、李々香はとある非難を柊人に向けるために睨んでいる。ただ、柊人はその非難の理由は知らない。だが、柊人はその李々香の睨みも特に気にした様子もなく歩みを緩めない。

 ランニングのために走り去るサッカー部とは反対方向に歩く柊人は空を見上げる。

 中学に上がったばかりのまだ冬の寒さが残る春。帰宅部の柊人は帰ってから何をするかを考えていた。


 大抵、中学に上がってからの体育の授業は集団行動をまず習う。これには決まりの遵守や他者との協調性を養う等の様々な意義のある授業だが、生徒達にとっては退屈な授業でしかない。

 そんな退屈な集団行動の授業がやっと終わりを迎えた頃、体育の授業は本格的に始まる。

「ドライブシュート!!」

「なーにやってんだよ。それ、ただ思いっ切り蹴ってるだけじゃねーか!」

 大声を上げて男子がボールを蹴り飛ばしたことに対するツッコミに、男子のみならず見ている女子からも声が上がる。そんなピッチ中央部で繰り広げられている楽しそうなやりとりから大きく離れ、自陣のゴール前にボーッと突っ立つ柊人はそれを眺めていた。

 中学生にもなれば、小学生のおだんごサッカーと呼ばれるような、全員が一つのボールに固まっているような風景は見られない。適度に散らばって周りでボールを受けようとする姿勢が見られる。しかし、それでもサッカーをやったことがある生徒とやったことの無い生徒ではそもそも基本的な技術面で差がある。

 パスを受ける時に行うトラップという技術がある。これは飛んできたボールを手以外の体の部分で受け、自分の扱いやすい位置へ移動させる一連の行動を言う。よく想像される足の裏等でボールを完全に止める行動はストッピングと呼ばれ、トラップとは異なる。

 トラップにも地面と足に角度を付け、ボールに足等を斜め上から被せる様に行うウェッジコントロールや、飛んできたボールに合わせて体を引いて勢いを殺して行うクッションコントロールと言った種類もあり、トラップを行う体の部分も様々だ。

 サッカーを経験したことがある人なら、大抵の場合はそのトラップを使ってボールを自分の扱い易いようにコントロールする。だが、サッカーの経験が無い生徒はトラップが出来ない。そもそもトラップを知らない生徒が多く、上手くコントロール出来ずに居る。

「李々香、すごーい!」

 女子の方から歓声が上がる。それは、ピッチ中央で一際目を引く、男子にたった一人混ざってプレイする李々香に向けられたものだ。

 現役サッカー部が大人げない。と柊人は思う。

 李々香はトラップなんて基本的なテクニックは当然身に付けている上に、サッカー部員の中でも男子に引けを取らないドリブル技術がある。そのドリブルはスピード感のあるタッチ数の少ないドリブル。素早い切り返しで時間を掛けずに相手を抜き去っていく。

 李々香とマッチアップしている生徒がサッカー部員ではないということを差し置いても、李々香の技術は高い。小学生時代は宮崎県の一二歳以下トレセンメンバーに選ばれていたこともあり、その実力は確かなものだ。

 李々香はドリブルで相手をごぼう抜きして、柊人が守るゴールに迫る。そして、あの放課後のランニング時と同じ目で柊人を睨み、思い切りボールを蹴り出した。

 真っ直ぐ飛んでくるボールは柊人の顔面に迫り、そのボールを柊人は、首を横に傾けて避けた。

「雪村! ゴールキーパーがボール避けてどうするんだ!」

 チームメイトからのツッコミと笑いが起こる。その笑いに柊人も笑みを浮かべるが、シュートを放った李々香は柊人を睨み付けた後、プイッと視線を逸らした。


 柊人は放課後、何時も通り帰ろうとしていた。その柊人を呼び止めたのは、柊人のクラス担任である釜田良樹かまたよしきだった。

 釜田は体育教師兼サッカー部顧問であり、二五歳と若くサッカー部顧問ということもあって女子生徒の人気はそこそこある。その釜田に呼び止められて柊人は、釜田に隠すことない怪訝な表情を向ける。

「雪村、今日は暇か?」

「暇じゃありません」

「今日は体育の授業があったから体操服あるだろ?」

「先生、話を聞いてますか?」

「どうだ、体育以外にも運動をしてみないか?」

「先生?」

「部活はいいぞー。部員と一緒に汗を流し一つの目標に共に努力する。楽しそうだ――こらこら、帰るな」

 全く話を聞こうとしない釜田を諦め、黙って帰ろうとした柊人の肩を釜田は掴む。自分の肩を掴んだ釜田に視線を戻して、やる気のない声を返した。

「入部の話は断ったはずですが?」

「そうだな、雪村は断ったが、俺は断ったのは認めていない」

「なんて無茶苦茶な……」

「とにかく見るだけ見て行ってくれ。見ていかないと向こう三年間、体育の評価を一にするぞ」

「先生、それは教師としてどうなんですか」

「まあまあ、堅いことを言わずに」

 ガッチリと柊人の腕を掴んだ釜田は、何故か校舎の上階に続く階段を上っていく。

 サッカー部の練習が行われているのはグラウンドであって、サッカー部の練習を見るには、校舎を出てグラウンドに行かなければいけない。しかし、釜田はそれとは逆に、校舎の最上階に向かって階段を上っていく。その釜田の行動に眉をひそめ、ため息を吐きながら柊人は仕方なく釜田に連れられるまま階段を上った。

 校舎の最上階に着き、空き教室に入った釜田は、グラウンドに面した窓を開けてグラウンドの方向を眺める。

「今日はアップが終わったらミニゲームだけやるように言ってる。見てみろ」

 上からグラウンドを見下ろす形で見えるサッカー部のミニゲーム風景に、仕方なく柊人は視線を向ける。丁度、ピッチ中央でボールを持った選手が、前線に向かってボールを蹴り出している場面だった。

 蹴り出されたボールは選手の足ではなく、受け手の選手が触りやすい数歩前の位置にピッタリと合わせたように送られた。出し手の選手の技術が高い。

「あいつをどう思う」

「上手いですね」

「他には」

「女子に人気があります」

「まああれだけ上手くて顔が良いからな。他にもあるだろ」

「窮屈そうなパスですね」

 柊人の最後に言った言葉を聞いて、釜田はニヤリと笑ってバシッと柊人の肩を叩く。ジンジンと肩に響く痛みに顔をしかめながら、柊人はサッカー部のミニゲーム風景に視線を戻す。

「あいつは、櫻井さくらいは上手い。だけど、雪村の言うとおり窮屈そうだ」

 櫻井恋さくらいれん。第一中学校二年のエース。同年代としては飛び抜けたパス技術の持ち主で、一年の頃からレギュラーとして活躍している選手。その実力は地域トレセンではなく、世代別代表に選ばれるだけの物を持っているが、何故かトレセンにも世代別代表にも入っていない。それは恋自身が選出辞退をしているからで、誰もその理由を知らない。サッカーに詳しい人達からは、一度少年サッカー雑誌で紹介された二つ名をそのまま使われ『無冠の射手』と呼ばれている。

 その恋は、パスを出す瞬間に、ワンテンポ遅らせて、あるいは蹴るボールのスピードを意図的に落としてパスを出している。それは、恋の本気のパスに追いつける、合わせられる選手が居ないからだ。もちろん、パスは繋がらなければ意味がない。だから、受け手が受けやすいようにパスを変化させるのは当然のことだ。しかし、それは釜田から見ても、そして柊人から見ても酷く窮屈そうに見えた。

「本来なら櫻井はうちみたいな、普通の公立中の部活に居るような生徒じゃない。それこそ、ユースのレギュラーを張れる実力がある」

「本人がそれを望んでないんでしょう」

「雪村も言っただろう、櫻井は窮屈そうだと。それが気がかりなんだ。あいつは真面目な奴だが何を考えてるかもよく分からん。聞いても話さないしな」

 ジッとサッカー部を見詰める釜田の横顔をチラリと見た柊人は、一度サッカー部に視線を向けた後、背を向けた。

「じゃあ、俺は帰りますね」

「雪村」

 釜田は歩き出した柊人の背中に声を掛けて呼び止める。出口付近まで歩いていた柊人は、扉に手を掛けた状態で振り返る。振り返った先に居る釜田は、真剣な表情で柊人を見詰めた。

「あの一点のことをまだ気にしているのか」

「…………失礼しました」


 その日は、酷いくらいの晴天だった。まだ五月だというのに、真夏かと錯覚するような日差しで、放課後になってもその日差しは残っていた。

 何時も通り、帰宅するために校舎を出て校門まで歩いていた柊人は、校門を出たところで何時も通り李々香に睨まれる。そこまでは何時も通りの出来事だった。しかし、そこからいつもとは違った。

「おい、お前」

「はあ」

 何時も乱れず綺麗に整列しながらランニングをするサッカー部の列から、一人の生徒が列から離れる。そして、その生徒は校門に差し掛かった柊人の前に立ちはだかった。その自分の前に立ちはだかった生徒に、柊人は怪訝な視線と声を向ける。

「あの、櫻井先輩ですよね? 何か用ですか?」

 他のサッカー部のメンバーも足を止め、向かい合う柊人と恋の側まで駆け寄ってくる。

「俺はお前が嫌いだ」

「……はあ」

 いきなり声を掛けられ、そしていきなり嫌いと宣言された柊人は、更に怪訝な表情を恋に返す。その視線を特に気にした様子もなく、恋は極め付けに一言言い放った。

「日向のペテン師。この宮崎の面汚しが」

 その言葉に、柊人は体の横に置いていた右手の拳を強く握り締める。それは、今の今までひょうひょうと対応していた柊人が、初めて見せたささやかな感情だった。

「特に用事が無いなら失礼します」

「逃げるのか」

 歩き出そうとした柊人の進路を遮って立ちはだかる。その恋に、今度は静かな怒りを表して柊人は言葉を発した。

「インピードですよ。サッカー経験者ならルールは守って下さい」

「ペテン師にルールをとやかく言われる筋合いはない」

「……俺のことが嫌いなんでしょ? じゃあ放っておけばいいじゃないですか。嫌いな奴に自分から関わるなんて、ヘディングのし過ぎで頭イカれてるんじゃないですか?」

「ああ?」

「れっ――櫻井先輩! 落ち着いて下さい!」

 柊人の胸ぐらを掴んだ恋を、サッカー部の集団から飛び出して来た李々香が止める。李々香に腕を掴まれた恋は、柊人の胸ぐらを掴んだ手を乱暴に放した。乱れた制服を整えて、柊人は鞄を背負い直して歩き始める。しかし柊人は体が前屈みになるのを感じ、とっさに鞄を投げ出して、体のバランスを取って転倒を防ぐ。そして、今度こそ隠すことのない怒りを露わにして、思いっ切り恋の左肩を突き飛ばした。

「何すんだ!」

 横を通り過ぎようとした柊人の足に、自分の足を掛けた恋に対して柊人は詰め寄る。そして握り締めた拳を繰り出す前に、柊人は後ろから引っ張られた。

「雪村、うちの部員がすまん」

「先生!」

 柊人を後ろに引っ張ったのはサッカー部の顧問である釜田で、柊人は釜田に向かって抗議の目を向ける。しかし、真剣な表情で頭を下げた釜田に、柊人は握った拳の力を解いた。

 釜田は柊人の横を通り過ぎ、恋の目の前に立つ。そして、恋を含めたサッカー部全員に視線を向けた。

「櫻井、雪村に謝れ」

「…………」

「……全員、部活終了時間まで池の周りをランニングだ。俺が監視している、怠けようと思っても無駄だからな」

「「「はい!」」」

 柊人に謝罪の言葉を口にせず無言を返した恋から目を離し、サッカー部全体を見てそう命じた釜田は、改めて柊人に深々と頭を下げた。

「本当に申し訳ない」

「いや、先生に謝られても困るんですが……」

 正直、柊人の怒りは収まらない。だが、自分より遥かに年上で、しかも恋とのトラブルに直接関係の無い釜田に謝られ、柊人の頭は冷静になった。

 釜田はランニングに戻っていくサッカー部員達の後ろ姿をチラリと見て、力なく首を横に振る。

「なんで櫻井がお前に噛み付いたのか、理由は分かるか?」

「分かりませんね。俺は櫻井先輩とは学校内で話したこともありませんし」

 サッカー部でもなく、同学年でもない二人には面識は全く無い。それなのにいきなりの嫌い宣言からの足掛けである。しかし、柊人はそれよりも恋の口にした『日向のペテン師』という言葉に引っ掛かりを覚えた。そして、それを問いただすために釜田へ視線を向ける。

「櫻井先輩に話したんですか?」

 その質問に、釜田は横に首を振って柊人の言葉を否定する。

「櫻井くらいサッカーに興味があれば当然知ってるだろう」

 柊人は、小学一年から六年まで、スポーツ少年団でサッカーをしていた。そのスポーツ少年団は県内でもかなり強いチームで、そのチームでも柊人は常にレギュラーに選ばれる主力選手だった。そして、柊人が六年だった時、柊人の所属するチームは全日本少年サッカー大会の決勝にまで進んだ。相手はプロリーグでも強豪で有名な神栖アインホルンのジュニアチーム。その圧倒的な強さで、柊人の所属していたチームは手も足も出なかった。

 後半を折り返し、試合終了間際には既に五対〇という圧倒的な、屈辱的な点差を付けられ、観客のみならず、父兄に監督、そしてチームメイトも戦意を喪失していた。

 試合時間はもうロスタイムに入っていて、どう足掻いても試合をひっくり返すことが出来なかったのだから、戦意喪失は仕方がなかった。でも、その中でたった一人だけ、柊人だけは諦めていなかった。いや、諦めたくないと思っていた。

 相手が強いチームだと知っていたし、試合が始まってから今の今まで、パス回しから個人個人の技術も圧倒的な差を感じていた。でも、柊人は諦めたくなかった。このまま相手にやりたい放題やられて、仮にも全国の決勝まで死闘を潜り抜けて来た自分達が、このまま負けてしまうのが悔しかった。

 柊人は、持ち前の個人技で相手を抜き去り、ゴールに向かって走った。しかし、チームメイトは点を取るために走ることはせず、ただ柊人を遠巻きに見ているだけだった。

 チームメイトのフォローがない柊人は、ピッチの端のゴールライン脇に追い込まれた。そこで、柊人は保持していたボールから突然離れ、ゆっくりと自陣の方に向かって歩き出した。その行動を見て、相手チームのディフェンダーは『ボールがゴールラインを割った』と判断して、柊人が離れたボールをゴールキーパーに向かって軽くパスした。守備のために下がっていたアインホルンのメンバーもゴールに背を向けてダラダラと走っていた。

 しかし、ゴールキーパーに出されたボールに走る一つの影があった。それは、さっきボールから離れた柊人だった。

 実際は、柊人の保持していたボールはゴールラインを割っていなかった。それは副審も確認していて、副審も主審もゴールキックの指示は出していない。だから、アインホルンのディフェンダーが出したボールは『ゴールラインを割ったボール』ではなく『非常に緩いパスボール』になっていた。

 ラインを割っていなければプレイは止まらない。そして、緩いパスボールはインターセプトしてもなんら問題は無い。それに、相手選手が出したボールならオフサイドもない。

 柊人はその緩いパスボールをインターセプトし、完全に油断し切ったアインホルンゴールへ蹴り込んだ。

 柊人の行った行動はパスカットからのカウンターによる得点。だから、ルール違反ではない。しかし、その行動は問題になった。「小学生らしくない」「スポーツマンシップに反している」「卑怯だ」そんな言葉で糾弾され、柊人は監督、そして全く関係ない大人達から怒られ、同級生からも責められた。

 戦意を喪失して諦め、フォローにさえ回ってくれないチームメイトの中で孤立した柊人が、このままで終わりたくないとがむしゃらに取った一点が、完全に否定された。柊人の諦めない気持ちが否定された。

 その話題は少しだけ全国でも話題になり、宮崎の旧国名になぞらえ、柊人は『日向のペテン師』と呼ばれるようになった。それは恋の『無冠の射手』のように好意的なものではなく、悪意的な呼び名だった。

 そして柊人は、その大会後に少年団を辞めた。

 柊人のその過去を知る人はあまり居ない。小学生サッカーの注目度は、それこそサッカー好きでなければ高くない。でも、その少ない人数でも、周りからの糾弾は、小六の柊人の心には重く辛かった。

 柊人は今でも、その時に取った一点を間違っているとは思っていない。倫理的に間違っているとしても、がむしゃらに取ったあの一点を間違っていると認めたくはなかった。

 そして今日、それを言外に否定する人物が現れた。それが恋だった。

「俺は、あの試合、テレビで観ていたんだ」

「聞きましたよ。中学に上がった初日に」

「そうだったか」

 釜田は頭を掻きながら記憶を反すうするように見上げる。

「一人だけ飛び抜けて上手いミッドフィルダーが、完全に諦めて足が止まってるチームの中で、一人だけ必死に走り回ってボールを追い掛けてる。五対〇なんて誰でも諦めてしまうような点差でも、一点でも取ってやろうと懸命にアイデアを出して周りを動かそうとしている。そんな頑張ってる選手に対して、周りは完全に戦意を失って協力しようとしなかった。それが、画面越しに観ていても不憫だった。それと同時に、選手達を奮起させなかった監督や協力しなかった他のチームメイトに怒りさえ覚えた」

 柊人は釜田の意外な言葉に目を丸くする。柊人は釜田から「あの試合を観たぞ」という話しか聞いていなかったからだ。あの試合を観てどう思ったか、それを聞くのは初めてだった。そして、柊人を肯定する意見も初めて聞いた。

「ロスタイム終了間際。あんな方法で点を取るとは思ってもなかった。でも、お前がゴールを決めたとき、震えが止まらなかった。お前は圧倒的な点差を付けて余裕をかましていた相手だけじゃない。完全に諦めていた父兄や監督、そして自分のチームメイトまで出し抜いたんだ。思わず、してやったぞ! って、画面の前で叫んださ」

「でも、あの一点は良くない点だと――」

「あの一点、サッカー協会は取り消していない」

「えっ?」

「取り消されていないということは、認められたゴールだってことだ。お前が努力して、懸命に走って取った一点だってことだ。それにな、現役のサッカー選手がお前のゴールのことを聞いて、テレビのインタビューでこう言ってた。『確かに彼の行動は子どもらしくはない。ただ、試合を諦めない、何が何でも一点を取ろうとする姿勢は、一サッカー選手として見習いたい』とな」

 柊人はその話を聞いて、心のどこかに引っ掛かったトゲが外れるような気がした。あの日からずっと胸の奥でズキズキと止まなかった痛みが止んだ気がして、柊人はホッと息を吐いた。

「サッカー部、入ってみないか?」

 その釜田の言葉に、柊人は視線を向けて何時も通り答える。

「せっかくですが、お断りします」

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