初めて見た、それは何なのか。
俺はブラスト。
それなりに名の知れた冒険者だ。
冒険者ギルドからAランクの依頼を名指しで任されるなど、自分で言うのもなんだが、培ってきた実力とこれまでの経験、成果を冒険者を纏める最大機関である冒険者ギルドにも認められている冒険者だ。
もちろん、それは俺だけが受ける評価ではない。
長年共に協力し合い、高めあって来た仲間達を含めての、評価だ。
種族の違いなど、一見すると協調性の無さそうなあべこべなチームではあるが、任務の中ではそれがピタリと当て嵌まり、これまで大きな失敗もなく順調にギルド内のランクを上げてきた。
そんな信頼し合う仲間達と共に、ギルドから受けてある依頼の為に、数多の魔物が住み着いている腕の立つ冒険者といえど油断のならない、魔窟と呼ばれる森へと踏み入ったのは数日前の事だ。
油断はなかった。
魔窟で起こっている異常事態の調査。
それは、油断出来るような依頼内容ではない。
最近、魔窟の中で異常な状況が起こり、それが日に日に拡大をしているのだ。そう、顔見知りのギルド職員から聞かされた。
牙や爪、魔法を駆使して人々を襲い掛かる獰猛で手強い魔物達や、魔窟の中に集落を作っているエルフ達、魔力を持って人を襲う木々など、魔窟に住み着いていると知られている多くが姿を消し始めているのだと。そう報告が入り始めたのは、数年も前からだったのだとそいつは声を潜めて言う。
だが、始めは違和感を覚えたという簡単な噂話程度の報告だったのだ。
それが次第に目を疑うような報告の数となり、何の気配も感じられない不気味な魔窟内部の様子を必死に逃げ延びてきた冒険者の、恐怖に怯えながらの報告が入るようになった。そして、人間とは相容れぬと頑なな態度を貫いていた筈のエルフからの助けを求める連絡、ギルドが重い腰を上げるのに充分な状況につい最近、悪化の一途を辿った。
エルフ達の連絡によれば、すでに幾つかあったエルフの集落の大多数が消滅したそうだ。残されたエルフ達は一つの集落に集結し、身を寄せ合って正体も分からない脅威から身を護る日々を送っている、と。
魔窟へ戦力を送り込む前に、それが何であるのか、何によってもたらされているのかを知らねばならない。
そうしなければ、必要の無い犠牲を生む可能性があるのだから、ギルドが調査役を送り込むことは何の間違いではない。下手に深追いするな、それが何であるか確かめたらすぐに戻ってこい、と厳命されている。この依頼を受けたのも、俺達だけじゃない。俺達と同等の実力を持っているチーム、俺達以上の力を持つ憧れであるチームも投入されての、調査だ。
そして、どうやら大当たりを引いてしまったのは、俺達だったらしい。
鬱蒼と薄暗い森の中を突き進んだ。草木を踏みしめ、進行方向を邪魔する茂る草は全て剣で薙ぎ払った。
そして、辿り着いたのは、冒険者が一度でも足を踏み入れたことのある場所は逃さず記してある地図には無い、太陽の光が煌々を降り注いでいる魔窟の中の広場。一切の木々が無く、ただ見たことも無い珍しい草だけが光の恩恵を受けて茂っているその広場。
その広場の中心に、空を見上げて目を閉じ、無防備極まりない姿を晒している女の姿を見つけた時は、警戒すると共にただ驚きを覚えた。
魔物か?女の姿を取る魔物や魔族は多い。
だが、その女のその無防備な姿からは魔物などの魔に属する存在に通じる、特有の気配は一切感じなかった。それなりに場数を踏んだ身だ。初心者ではないのだから、瘴気ほどの毒を伴うものではない小さな魔の気配にも敏感になっている。
女からは、そんな魔の気配を一切感じない。
それは仲間達も同じだった。
目配せをして仲間達の意見を聞いてが、全員が魔のモノではないと断言する。
では、何なのか。
透けるような鮮やかな翡翠色の長い髪に、服。目は閉じている為に分からないが、その女は透けるような白磁の肌とそれ以外を占める翡翠色だけで覆われている。
王侯貴族の娘か、と疑いたくなるような線の細い容貌の女。だが、そんな立場の女がこんな魔窟の中に、たった一人で、あんな暢気な姿で居るわけがないのだ。
その正体はあっさりと、警戒しながら光の差す草の広場の中に進み出た彼等に女自身が告げることで判明するのだが、その時にはもう何もかもが遅かった。
『勇者』達と共に異世界から降り立った、ミントという植物の精霊なのだと女は名乗り、そして上品な微笑みを浮かべたまま、俺達全員を完全に拘束してのけた。
手にしていた剣を振るって、体を拘束する緑の蔓のようなものを切り裂こうと試みるが、鉄なのかと思える強度のそれに全く刃が立たない。
オークを殴り殺したこともある力自慢の仲間にも解くことの出来ないそれは、『勇者』達と共に降り立った時に得た恩恵のおかげだと、女はニコニコと笑う。
止めろ、と無駄だと分かっていても叫んでしまった言葉にも、可笑しそうにコロコロと鈴の音のような笑い声を上げるだけだった。
『勇者』
それは突然、この世界に異世界から降り立った恐るべき存在達だ。
神託によって各国の王侯貴族のみならず世界中に知らされたその存在は、その神託の通りに各国のあらゆる場所に降り立った。その総勢は、36人。それぞれが、幼ささえ残す子供の姿で、普通ではない恐るべき力を持って居た。世界を渡った恩恵であるというそれらの力は、人々を恐れさせる一方、強く魅了した。王侯貴族にあらゆる組織の頂点に座す者達が、彼等を身の内に取り込むことに躍起となった。ギルドも同じで、数人の『勇者』と契約を交じわすことが出来たと、顔見知りの職員が自慢げに語っていたのを覚えている。
何人かの『勇者』は、裏社会だけに留まらず表にまで名を知らしめる組織に入った。俺達も、何度か対峙しかけたことがあり、俺達は運よく避けることが出来たが、もたらされたその被害を見知っている。あれは、下手な魔族と戦うよりも性質が悪く、恐怖を覚えるものだった。
そんな力を持っているという、精霊。
いや、魔の気配を感じさせないというだけで、このミントの精霊と名乗る女は魔物や魔族よりも厄介で、恐ろしい存在だろう。
魔窟に異常をもたらしているのも、この精霊の仕業とみて間違いはない。
「リーリン」
「うん。分かってるわ」
ギルドの依頼では、何もせずに戻ってこいとあった。
だが、こうして対峙し捕まっている状況ではそんな事に拘っている場合ではない。
上級位の魔術師である仲間、リーリンの名を呼ぶと、彼女も同じことを考えていたようで、準備は万全だという強い声が返ってきた。
リーリンは魔術師。それも、炎を得意としている。
いかに、恩恵がある化け物といえど、植物だ。ならば、リーリンの全力を注ぐ炎によって、燃えてしまえば全ては終わる。
「"炎よ!"」
深紅の炎が辺り一面を覆い尽くす。
女を中心に置く広場を越え、周囲に茂っていた草も木々にも燃え移っているようだが、この化け物を前にしてそんな事を心配している隙はない。
リーリンによって生まれた炎が鎮まっても、木々に燃え移った火は消えることなく勢いを段々と増しているが、それは化け物が消えたことを確認した後でも処理すればいい事だ。
「この程度ですの?」
それは本当に、化け物だった。
炎が消えた後、女は焼けた痕一つ無く、なんのこともなく立っていたのだ。足下に広がる、女自身だという植物も、瑞々しい緑を鮮やかに見せ付けたまま。
「私を燃やしたいのなら…」
古竜を連れて来い、と女は鮮やかに、子供の様に無邪気に笑う。
指差したのは、千年を生きるという古竜が棲む山。魔物も竜も、冒険者も退けて千年という永い月日を生き抜いた竜は強力だ。ギルドが定めた危険度でいえば、Sランクの冒険者が束にならねばというレベルの存在だ。
それと何度もやりあい、古竜の吐く炎を受けようと生き残っているのだと、女は嘘だと言い捨てることも出来ない笑顔で言う。
「魔術師様。貴女の仕出かしたことなのですから、貴女に存分と協力して頂いてもよろしいですわよね?」
周囲の、燃え上がる木々を見回した女が、それまでとは一変した、恐怖に身が竦む怪しげな微笑を浮かべて、ゆっくりとした足取りでリーリンに寄る。
拘束されていなかったら、恥も外聞もなく全速力で逃げ出していただろう。
それだけの気配を、化け物は放っていた。
「貴女の全て、私に下さいませね?」
何が起こったのか、すぐに理解することは出来なかった。
化け物は、リーリンの口に自身の口を当てたのだ。
口付け。
そう呼ばれる行為。だが、それはそんな生易しいものでは無かった。
「んんんn!!!!!!!」
サラリ。
化け物としか思えない女の口に口を塞がれたまま、リーリンは絶叫を上げる。
そして、次の瞬間、消えてしまった。
そう、消えてしまったのだ。その光景は、砂漠の中を歩いた時を思い出すものだった。乾燥しきった砂が風に簡単に舞い上がり、散っていく。そんな光景を思い出すように、リーリンは身に纏っていた服や装備を残して消えてしまった。
「ご馳走さま。貴女という糧によって得た力は、私がしっかりと活用していきますわね」
クスクス、と呆然とするしかない俺達の前で、女は笑う。
そして、手を振り上げたのだ。何をする気だ、と思う間もなく周囲一帯に豪雨の如く雨が降り注ぎ、周囲を燃やし尽くそうとしていた炎の全てを消し去っていた。
長い間、共に歩んできたのだ。
俺達は分かってしまった。理解出来てしまった。感じ取れてしまった。
降り注ぐ水滴から感じ取れるのは、リーリンの気配。彼女が魔術を揮う際に周囲を満たしていた、リーリンの魔力。
消えたリーリン。
女の言葉。
そして、女が起こしたとしか思えないものから感じ取れたリーリンの魔力、気配。
取り込んだのだ。
そして、自分達の行く末も容易に、想像出来てしまった。
「さぁ、皆さん。そんなに怯えないで。私が子等を育む為の、糧とお成り下さいな」




