山の縁起
「さて、夕餉のことはこれで決まったとして、折角ここまで来たのですから、御堂の様子も見ておきましょう、琴子」
小豆色をした江戸小紋の着物に、蝶や草花の刺繍された帯を締めて、人形のような佇まいの琴子は、こくりと頷く。二人は山の中腹を目指して歩み始めた。そこに摩耶の云う御堂はある。伝承に曰く、鬼の頭部が収められたという岩戸である。
御堂について言及するには、当地の縁起から説明する方により便利があろう。山頂に明達寺を構え、渡浪が生活する深山は一名、身延山と称される。さまで標高があるでもなく、なだらかな稜線を引く低山であるが、この山裾から堺町と呼ばれる山村が続き、西には同様の低山、葦切り山が控えている。摩耶の云う屋敷とはこの葦切り山に存し、両山は対を成す存在として、当地村民の信仰の対象となっている。
摩耶の生まれ育った葦切り山は今でこそ字面が異なってしまっているが、元は足切り山と書いたものと思われる。文献にはかつて山から下り、村を荒らした大鬼が在ったという。娘を攫い、人肉を好み、殊に闘争を好む人語を介するこの怪異は、腕に覚えのある武芸者を自らの元に呼び集めては、その死闘を愉しむものとある。敗北した者は耳を削がれ、この大鬼の首元を飾る一個の装飾となったそうな。
打つ手無しと思われたところへ、どこからともなく法力を持った武芸者が長者の元へと現れて、これを討伐してみせようと云う。一命を賭してこれを果たした暁には、長者の娘を貰い受けたい。長者は、もし大鬼の討伐がなるものならば、屹度そうしようと約した。長者には、日陰の白い花のように美しい一人娘があったのだ。大鬼の襲来を恐れるあまりに屋敷に閉じ込めた娘のあることを、男がどこから聞きつけたものかは知らねど、村を脅威から救ってくれるほどの男であれば、来歴など問わぬ。長者は渡りに船と快く歓待し、怪異調伏の準備は急がれた。
葦切り山で迎え撃った武芸者は法力で大鬼の身動きを封じ、長大な刀(それは自在に刀身を伸縮するものであったらしい)で左足を切断し、倒れ伏したところに止めを刺したという。それで大鬼が身を伏した山を、今日では身延山というのである。
その後、武芸者は大鬼を頭部、胴体、両腕、両足とに分けてそれぞれに封印を施した。長者から娘を貰い受けると、男は海のある方へと飄然と去って行ったという。
大鬼の形姿について、面は赤銅色、目玉はひとつで、体長十尺(約三メートル)、手の指は三本、黒金のような鋭い爪を生やして、長さは五寸(約十五センチ)と記録にある。これは身を横たえて身延、葦切りの両山にも及ぶ大鬼の描写には些か迫力不足と思われるが、それでも人外の規格ではある。これは元、巨人伝説の変節から生まれた山の鬼が、後世現れた山賊、凶賊が鬼賊と呼ばれるようになって後、結び付いた為であろう。長く純朴な村の話し手達の口を伝播するうちに、自然な潤色を施されたものと思われる。事実、村の老人などは子供を叱り付ける教育の一端としてこれを用いた。悪さをすると鬼が下って、お前を喰うぞ。悪路王がやって来るぞ。魏石鬼が来るぞ。賢明な読者には、その節操の無さに口角を緩めずにはいられないところであろう。しかし無数の、それも節操の無いヴァリアントが、頻りに鬼の存在を示しているとは考えられないだろうか。兎も角も、村民に鬼という概念が馴染みであることに間違いはない。より純朴な形の伝承では、鬼はただ鬼と呼ばれ、村の翁が祖先から受け継いだ書物には、禍津鬼子と短く記載されてある。鬼の子、という部分には奇妙な感覚が伴い、興味深くもある。より一層の究明が成されるべきところであろうが、ここに項を割くことは煩雑に過ぎる。
ともあれ、村民には御堂と呼ばれ、鬼を封じたとされる岩戸が各所に存することには疑いがない。鬼の存在についてもまた、遠見摩耶をして同断である。御堂は平時堅く閉ざされているが、世に争乱の気配が漂うと、屹度その口を開いているという。その精確から、本山に於いて忌避された異能の力、件。遠見の分家筋に当たる雅楽川琴子の第一の予言、狂いなく起こってしまった大戦の最中、御堂の岩戸は口を開いていたという。先行して現地調査に当たっていた摩耶の兄は、手紙を葦切り山の屋敷に残して失踪。倉皇として身延山に駆け付けた摩耶が、兄の親友を称する大男、渡浪と出会ったのが四月、今より一月前の話になる。それより当地管理者の代行を務めながら、兄の消息の手掛かりを探しているのが、摩耶達の現在するところであった。
山頂から下って、当地にあって鬼餓身峠と呼ばれる峠の中途に、御堂はあった。なんの標識もなく、岩肌にぽつねんと祠の残骸と思しき木片が散らばるのみで、余程この手の語り口に興味ある者でなければ判らぬところであろう。わざわざ訪なう者とてなく、周囲は雑木の生い茂るままに放置されてある。摩耶は岩肌の一つ岩に手を合わせると、そっと目を閉じた。
「……なんの気配も感じられない。眠りについているのか、それとも」
「もう出てっちゃった?」
「そうではないことを祈るばかりね。貴方はなにか見える? 琴子」
「ううん。感じない。なにか見えるときは背中がむずむずするの、今はむずむずしない」
そう、と頷いて、摩耶は一つ岩にじっと視線を注いだ。
(兄さん、どこにいるの……)
◆
二人は堺町の長屋に戻り、摩耶は装束から平素の装いへと身を改めた。琴子の格好とは相反するように、地味な濃紺の結城紬に亜麻色の更紗帯。何れも母の使い古しである。
(まだ十分着れるからね。新調するには及ばない)
長屋を後にし、琴子の手を引いて今晩のお菜をどこで調達しようかと思案するうち、しとしとと小雨が降り出した。この程度の雨なら……。とこうするうち、雨脚は急速に強く激しくなって、土砂降りの様相。慌てて適当な軒下に身を隠すと、通りの反対から沛然として降りしきる雨粒のなかを、猛然とこちらへ駆けて来る者がある。蓬髪を乱して、腰の瓢箪をぴこぴこ揺らして。
「あっ、渡浪のおじちゃん!」
琴子が珍しく喜色を見せる。反対に摩耶は渋面の様子。
「いやあ、参った! これは凄いな」
相手を認めると、渡浪は遠慮なく二人の雨宿りする軒下に、大柄な身をずいと差し入れた。
「ちょっと、はみ出します」
「お二人さんは町に何の用?」
「琴子はね、今晩のおかずを買いに来たの。今晩はお魚」
「おお、ちっこいの。お魚たあ豪気だなあ」
「ちっこいのじゃないよ。琴子だよ」
渡浪は琴子の頭に手を置いて、うんうんと頷く。三人共に濡れ鼠の体である。髪の水気を払いながら、
「丁度これから夕餉を仕掛けようというところだったのですよ。それより貴方にはあまり町中に出歩いて欲しくありません。以前忠告したでしょう。太刀を抜いた以上、貴方は周囲にも影響を及ぼす特異点になったのだと」
ふむ、と顎に手を当てて渡浪、
「相変わらず無茶を云うなあ。山に籠もってたら、楽しみもなくなるじゃないか。目の前に現れたなら、心配せずとも斬って捨てるさ。それより、これから飯なら丁度良い按配じゃないか。上を見てみな」
そういう問題では、と口籠もりながら摩耶が見上げた頭上には、杉板に墨書で「お食事処 かつみ」という看板が掛かっていた。魚なら、ここで食わせてくれるかもしれない、と渡浪は云う。支払いはどうするのかと摩耶が聞くと、渡浪はおれに任せろと胸を張る。どの道この雨では仕方がない。三人は渡浪の行きつけであるという、食事処かつみの暖簾を潜った。