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鬼餓身峠陰獣送り  作者: 東間 重明
第一章 蛇身不産女地獄
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遠見摩耶の憂鬱

 

 ――呼気一閃。裂帛(れっこう)の神気を込めた破魔札は袂から中空に乱舞し、一瞬の滞留の後、鋭く不規則な軌道を描きながら、獲物を追い詰めてゆく。相手取る怪異は総数十二。何れも低級の霊異(れいい)であり、直接に人間に危害を与えるほどに強固な存在ではない。遠見摩耶の目には巨大な山ビルや鳥妖と映るそれらは、破魔札の応酬を受け、あえなく消滅する。


(低級の怪異とて看過できない。只でさえ瘴気の溜まりやすい深山だ。頻々と繰り返される争乱の影響は確実に及んでいる。これ以上に数が増せば、何れ危殆(きたい)(ひん)することになる)


 如何な低級の霊異であっても、数を増し一所に滞れば脅威となる。また、新たな怪異の呼び水ともなろう。摩耶は細く溜息をついて、傍らに弓と矢筒を持って控えた童女に目を向けた。年は十歳かそこいらであろう。純正の日本人でありながら、頭髪は赤土のような代赭色(たいしゃいろ)をした童女。彼女は小首を傾げて、特徴的な頭髪にも増して人の目を引くだろう、どんぐり目を瞬かせた。少し知恵が足りないのであろうか。しかし、その瞳はむしろ利発そうな光りを湛えて、確かな知性を感じさせる。自己同一性を持った、赤子の目。童女は落ち着いた抑揚の無い声で、


「弓は要らなかった?」考え込む摩耶にそう云った。


「そうね、この程度の相手なら必要はなかったかもしれない。屋敷からの補給もそう期待出来ないし、神造品(オリジナル)でなくとも高く付くからね。これからは節約して行きましょう」


 そう云って、麻耶は腰に差した護身刀に手を掛けた。白木の鞘に収められた、簡素な作りの短刀である。威力は十二分に具わっているが、元より中、遠距離を主体とする摩耶には取り回しづらい得物である。屋敷で訓練は受けていたものの、どうにも馴染まず、実戦闘に使用したことはない。札にも限りがある。殊に丹塗りの矢は、本山の巫祝が一年を掛けて、漸く一本を用意できるかという貴重品である。残数は十二本。徒に費消するばかりでは今後に障る。となると、接近戦を行う必要が生じるのであるが……。


(私は切った張ったは苦手だし、そうなるとやはりあの男に前に出てもらうしかないのよね……)


摩耶はこめかみを押さえながら、うんうんと唸り出す。


「摩耶は貧乏性」ぽつりと、童女が漏らす。


「そんな言葉をどこで覚えたのですか、琴子」


 唐突な少女の言句に愕然として、摩耶はふるふると震えた。なにもお札の代金をケチろうだとか、矢を消尽して本山に始末書を書くのが厭だとか、そういったことを云っているのではないのですよ。単に今後の戦局を鑑みて、私は物資の過剰な消費を抑えようと云っているだけなのですよ。ですから、貧乏性などいう、不当に人品を損じるような指摘はこの場合、的確ではありませんね、琴子? 


 摩耶はクールに弁駁(べんばく)したかった。しかし悲しいかな、この苦労性の女は、自らの質素倹約が割合に度外れであることを自覚していたのである。今晩のお菜はウドの煮付けですよ。二日続いてしまいましたが、そこは我慢しましょう。こんな時世ですからね。それに不貞腐れるでもなく、わかった、と応えて山菜を咀嚼する十歳児に対して、摩耶は罪悪感を感じてもいたのである。もう少し上等なお菜を用意する選択が、なかった訳でもないのである。そこで、今ここに初めてはっきりとお前は貧乏症だ、と指摘されると、文脈の正誤なぞは通り越して胸の痛む摩耶であった。有体に云えば、どきっ、としていた。ヤバイと思っていた。至急なんらかの弥縫策(びほうさく)が必要である。摩耶は教育家となった。


「渡浪のおじちゃん」


(ぐっ……云わせておけばあの男!)


「駄目よ。駄目です。あぁ、琴子に碌でもない語彙が増えてゆく……。いいですか、それは間違いです。あの男に言葉を教えて貰ったり、云っていることを鵜呑みにしたりしてはいけません。全体、経済の観念がない男が、よくもまあぬけぬ」


「じゃあ、摩耶は貧乏症じゃないの?」


(つらい……! あどけない視線がつらい!)


「お魚を買うお金があっても毎日山菜を食べるのは、貧乏症じゃないの?」


「わかったわ! じゃあ、今晩はお魚を食べましょうね、琴子」


「ううん。琴子、山菜好きだから別にいい。でも、なにがわかって、じゃあ、なの? なんで? それは貧乏症の定義にどう関係するの? 教えて摩耶、貧乏症が不安定になる」


(あぁ……、件の能力が便利だから雅楽川の家から連れ出して来たけれど、色々とつらいわこの子……!)


 ともかく今晩のおかずはお魚と約束をし、琴子の貧乏症は不安定になった。意地でも口に出しては認めない摩耶である。しかし思うところあってか、食後に水菓子や落花生なぞが折々は付いて出るようになったそうな。尤も、食事に頓着しない琴子はその大半を渡浪に手渡してしまい、彼を養う糧秣の一部として胃の腑に収められてしまうのであったが。


「まるで猿の餌付けだなあ」


「餌付けってなに?」


「動物にな、食い物を与えて、人に慣れ易くすることだ」


「ふうん。おじちゃんは猿なの?」


「猿だな」


「じゃあ、琴子になつくようになる?」


「ならない。でも猿だから、餌に未練が残る。わっはっは」


保護者摩耶の与り知らぬところで、両者は着々と親近しつつある。


 





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