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鬼餓身峠陰獣送り  作者: 東間 重明
第三章 呼子の剣子
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肉団子



 加代捜索の手を虚しくしたまま、信吉は街外れの廃ビルへと赴いた。島田に呼び出された為だった。空襲で半壊したビルのエントランスには、青桜会の若い衆が二三人たむろして辺りに血走った目で睨みを利かせている。


 先日、倉庫で構成員の惨殺体が発見され、次いで会長の銃撃と威信を手酷く傷つけられた彼らは報復の気勢に震えていた。会長は一命を取り留め、内部からは昨今の情勢を鑑み真っ向からの抗争を危惧する声も少数ながら上がった。しかしながら、面子を潰されて血気に逸る若い衆を止めることなど出来はしない。警察の警戒線に抑えられた事務所に代わって、この廃ビルが彼らの牙城となった。


 若い衆に案内されて崩れかかったビルを三階まで上る。誰も口を利かなかった。三階に到着すると、急に視界が開けた。天井が一部崩落しているのだった。垣間見える青空の下に、木箱に腰を下ろした島田の姿が在った。彼の傍らに、丸刈りにした少年が直立している。若い衆に背を押され、信吉は島田の前に進み出た。


「来たか、信吉」


「兄御」


 重苦しい空気に、信吉の手はじっとりと汗ばんだ。俯いた島田の左腕に、短くなったラッキーストライクの吸い差しが煙を吐いている。一拍が過ぎた。


「加代が殺された」


 身体が揺れた。言葉を失った。


「上野公園の林で、見つかったんだ。代わる代わる犯されて、挙句に死んじまった」


 そう口にして、島田は面を上げて信吉を真面に見た。吸い寄せられるような暗い目だった。傍らに立たされた丸刈りの少年が息を呑む気配が信吉にも伝わった。


「兄御、おれは」云いかけて、それ以上の言葉は続かなかった。


 信吉は事態を把握した。島田の傍らに立たされた少年には見覚えがある。荷受けの際に一同を襲撃した劉一家の少年に間違いない。加代はあの時の腹いせに暴行されたのだろう。そうとすれば、どのような申し開きができるだろう。信吉は息を呑んで待った。しかし、島田が彼を譴責することはなかった。


「もう直に全員揃う」そう云ったきり、島田は押し黙った。指に着くほど短くなった煙草を鬱陶しそうに投げ捨てた。


 十分か、二十分か。途方もない時間が過ぎた頃、階下から足音がして、少年たちが若い衆たちに連行された。何れも荷受けの際に見覚えのある貌触れだった。頬に治療痕のある少年と信吉の視線が一瞬のこと交差した。島田の側面に少年たちは整列させられた。


「さて。落とし前をつけなきゃならねえな」


 順繰りに、島田は少年たちの貌を見渡した。黒い穴のような暗い目が、一人一人の貌を覗き込んでゆく。気の弱い少年は、それだけで目に涙を溜めている。不意に、


「おれがやったんだ! おれがやろうって云ったんだ。だから、他の奴は勘弁してください。おれが、落とし前つけます。だから、勘弁してやってください」頬に治療痕のある少年が声を張った。


「へえ。他の奴らは悪くねえってのか」舐るように島田が云う。


「……それは」


「なあ、やったんだろ? お前はどうだ、やったんだろ」


 島田が少年の一人に聞く。


「ぼ、僕はやってないです。その、勃たなかったから」


 島田はそれを鼻で笑ってから、淡々と続けた。


「つまり、お前は仲間の分もまとめて面倒みるってことだな」


「そうです、だからこいつらは勘弁してやってください。……お願いします」治療痕の少年は掠れ声でどうにか云ってのけた。


「大した意気だ。でもな、それで勘弁してやるかどうかは他の連中次第だ」


 島田が若い衆に合図して、運ばれて来たものは頑丈そうな木椅子だった。治療痕の少年は然したる抵抗もなく椅子に座らされると後ろ手に縛られ、背後の柱に固定された。固唾を呑んで見守る少年たちの間から、微かな嗚咽が漏れた。


「お前ら中華料理は好きか?」


 唐突に云う島田に、誰もが返事のしようがなかった。


「美味いよなあ、肉団子」


 椅子に固定された少年の頭に麻袋が被せられ、首元で緩く縛られる。その秘密結社の儀礼めいた所作に、信吉の腹で不快感がとぐろを巻いた。むかむかと、吐き気が迫り上がって来る。島田はゆっくりと立ち上がると、若い衆から棒切れを受け取った。細身の、木製バットだった。


「やりかたを説明するからよく見ておけよ」


 肩を回してバットを扱くと、島田は椅子に固定された少年の頭部へと凶器を振りぬいた。悲鳴が上がった。鈍い音がして、椅子の少年の身体が激しく揺れた。膝頭が痙攣し、股座から小便の雫が滴り落ちる。


「実に天晴れな兄貴だ」


 ほらよ、と島田は丸刈りの少年へとバットを手渡した。


「えっ」


「青桜会名物“肉団子“ってんだ。次はお前の番だ。どうすればいいか、判るよな」


 丸刈りの少年の貌が笑った格好に引き攣れた。


「一番“良い”のは頭だぜ」


 よろよろと歩み出た丸刈りの少年は茫然とバットを見つめた。逡巡の後、繰り出したバットは椅子の少年の肩口を横合いから殴打した。麻袋の内からくぐもった声が漏れる。


「やり直しだ。そんなへっぴり腰じゃしょうがねえ」


「ご、ごめんよ。兄貴」


 いいから、やれ。椅子の少年が口にした。二度目の殴打が頭部を見舞った。


 それからはまるで地獄だった。下手人の少年たちにバットが手渡されてゆく。順繰りに私刑が遂行される。なかには卒倒する少年もあったが、若い衆に水を頭からぶっかけられて、否応なく引き立てられる。少年たちが一通り殴り終えると、それからは若い衆の番だった。


 腹部から向う脛、足指の先から肘、膝頭。それは死に至らぬだけの容赦ない乱打であった。椅子の少年に被された麻袋はどす黒く染まり、首元から垂れ落ちた血が衣服をもだんだらに汚している。辺りは誰彼なく垂れ流した小便、大便、反吐の悪臭立ち込めて、目を覆わんばかり。遂に、木製バットは信吉の手に渡った。


 これが極道だ。おれの目指した先にあったものだ。


 ……これが? おれはこんなものに成りたかったのか。こんな、正気を失った群狼に成りたかったのか。


 物云わぬ島田の目に射竦められながら、信吉は振りかぶったバットを叩き付けた。


「よし、こんなもんだな」


 島田の合図で、椅子の少年の頭から麻袋が外された。人間とは思えぬ有様だった。虫の息の肉塊と成り果てた少年の姿に、またぞろ気を失う者がある。それはいつか闇市を引き摺られていったシャブの売人を想起させる。しかし、悪夢の光景はこれで終わりではなかった。


 階下から若い衆が鍋を持って現れた。ぐらぐらと煮えた液体を湛えた軍帽鍋。


「これが本場の肉団子ってやつさ。天晴れな大将の覚悟を無下にしちゃなんねえ。あまり長く苦しめちゃあ気の毒だからな。ほれ、さっさと末期の水を呉れてやんな」


 少年の一人に鉄のオタマが手渡された。先に島田にやったのかと聞かれて、勃たなかったと答えた少年だった。傍に立った若い衆の持つ鍋の中身を理解すると、彼の表情は絶望に沈んだ。鍋の中身は、食用油だった。誰もが意識を失わないでいる自分を呪った。


 島田の片腕にいつの間にか銃が握られている。少年に拒否権はない。彼は震える手でオタマを捧げ持ち、鍋から琥珀色の油を掬い上げると、椅子の少年に歩み寄る。震えるオタマから零れた油が剥き出しのコンクリートを焼く。便臭の交じり合った蒸気に噎せながら、椅子の前に辿り着く。


 椅子の少年は譫言を繰り返していた。薄明りの意識を繋ぎ留め、母を恋い、許しを乞うた。


 ――一番“良い“のは頭だぜ。


 肉と毛髪の焼ける臭いと、断末魔の叫び。死に際の人間の発する悲鳴とは、それを聞く者に真実恐怖を与えるものだった。腹腔から渦を巻いて発する絶叫はながくながく尾を引いて、魂を削り取ってゆく。椅子の少年はぴくりともしない。


「“肉団子“の完成だ」島田が云った。


 オタマががらがらと音を立てて床を転がり、信吉は盛大に胃液をぶちまけた。


 


 



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