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鬼餓身峠陰獣送り  作者: 東間 重明
第三章 呼子の剣子
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報いの施餓鬼


 夕方、市の外れを散策していると細く煮炊きの煙が上がっている。通りがかりの中年が今日も飯にありつけなかったと舌打ちをする。煙の先へ向かうと、今しも火を落として荷物を片付けようとする加代の姿が在った。信吉は若干バツの悪い思いで踵を返したが、


「信吉っちゃん?」と目敏く気の付いた加代に呼び止められてしまった。


 頭に巻いた包帯を気にしながら、信吉は彼女に近づいた。大小の鍋が散らばっていた。小振りなものは軍用ヘルメットに取っ手を付けて鋳直したものだ。


「一人でやってんのか」


「そう。炊き出し、やってるの」


「島田さんに話通してるのかよ。勝手にやってばれたらことだぜ」どうしてこんな憎まれ口が出て来るのか、自分でもわからない。


「許可なら取ってるよ。あの人、別に私のお父さんじゃないんだから」


 信吉の胸奥に棘質の痛みが走った。


「信吉っちゃんこそ、ここのところ姿を見ないと思ったら。頭、大丈夫なの。みんな心配してたよ」


「これか。大分痛みは引いたぞ。陥没したところが瘤になっててな、押すとぐにぐにする。触ってみるか」


「いやだ、やめてよ」


 頭を押し付けようとする信吉を手で押し退ける。困ったように笑う加代を見ていると、信吉の心は不思議に浮ついた。思えば、加代と二人きりで話をするのは初めてのことだった。


 それから二人で荷物を片付けて、余り物の飯を相伴になった。弁当は蒸かした芋と水団の残り。瓦礫に板切れを渡したばかりのベンチに並んで腰を下ろすと、黙々と芋を食った。ここからは市の全容が良く見える。胡麻を散らしたような人の群れから、遠景に退いてこれを眺めるのはなんとも云えない心地がした。自分が事態の局外者であるような気がした。敗戦の荒廃も空きっ腹のみじめな苦痛も、どこか他人事であるような気がした。この世に恨みを呑んで腹を空かせた一匹の獣がいる。自分とはすなわち、この獣に据えられた視点のひとつに過ぎないのではないか。そんな、益体もない空想をした。


「いつまでこうしているんだ、加代は」


「それって、炊き出しのこと。青桜会のこと? どっちも、落ち着くまで続けるつもり。落ち着いて、段々に良くなって、そうしたらそれから先のことを考えるよ。お兄ちゃんは直ぐにでも帰って来いって云っているけど」


「特攻帰りの兄貴か」


「会ったの?」


「いいや。事務所で擦れ違っただけだ。揉めているらしいな、島田さんと」


 加代は少し俯いて、手元にあった小鍋を手に取った。


「うちはさ、金物を造る工場だったの。戦時中は軍需品を造っていたんだけれど、爆撃にあってどかん、とね。幸い私は叔父さんに預けられていて難を逃れたんだけど、お母さんはその時の傷が元で死んじゃった」


「……そうか」


「うん。それでコレ」


「軍帽鍋」


「工場も大分焼けちゃったから、叔父さんが道具や機材を持ち込んで始めたの。田舎に持って行けば需要があったから。でも、最近は芳しくないみたい。お兄ちゃんは叔父さんが勝手に始めたのが気に入らないみたい。お父さんはまだ、戻らないから」


 この時期になって戻らないというのでは、加代の父の生還は絶望的だろう。島田はそうそうに見切りをつけたのだ。兄の憤慨も、情実を汲めば理解できる。けれども、実際的なのは島田であった。それが、兄には余計に憎らしいのであろう。


「きっと無事で帰ってくるさ」空々しいとは思った。しかし、信吉は口にせずにはいられなかった。


「うん、きっとね。きっと良くなるよ。この街もみんな、段々に良くなるよ」


 バラック群を茜色に燃やしながら陽が落ちる。一際美しい残光のなかで、加代はその言葉を一分とも疑わないでいるようだった。


「日も落ちたし、事務所まで送ってやるよ」


「大丈夫だよ、子供じゃないんだから」


 そんなつもりで云ったんじゃない、と云いかけて呑み込んだ。信吉は加代の背中を見送りながら、彼女の言葉に祈りを捧げた。どうか、そうなりますように。おれのこの一念が力添えとなりますように。


 ♦


 夜も更けた頃、青桜会の所有する倉庫の前には人だかりが出来ていた。十数人の人間が入り口周辺に固まっている。お好み焼き屋の親父に使わされた信吉が物資を取りに向かうと、既にこの有様であった。人群れの間から見える広場から、棒杭が伸びている。


「ちょっと、邪魔だよ。通してくれ」


 信吉が人群れを押し退けようとすると、


「だ、駄目だ。行かせられない。見ちゃ駄目だ」作業着の男に遮られた。


「ああ? 仕事の道具取りに来たんだよ」


「それでも駄目だ、誰か上の人が来るまで……」


 甘ったるい臭いが鼻先を掠める。構わずに男を押し退けて人波を進むと、目の前に現れたものに信吉は我が目を疑った。


「きっと仕返しにやられたんだ」


「前にシャブの売人をやっただろ、その意趣返しだ」


 野次馬が口々に喚き立てるなかを、信吉は広場の中心へと進んだ。埃の立つ広場の中央には棒杭が立てられ、裸の人間が吊られていた。精確には、裸の人間の上体のみが棒杭に縛り付けられている。胸は抉り取られ、肋骨の切り取られた胸部は観音開き。辺りにぶちまけられた黒い染みは腑分けされた臓物であろうか。野良犬が鼻を鳴らして周囲を嗅ぎまわっている。先日、貌を合わせた鉄板屋の親父の変わり果てた姿がそこに在った。


 一際異様なことには、それだけ無惨を尽くした有様でありながらも、親父の貌は恍惚の表情を浮かべていた。或る不吉な想念が信吉の背を這い上って来る。それが確信に変わると、信吉の動悸は更に激しくなった。


――生きたまま“解体“されたんだ。牛を密殺したのがばれたんだ。


 中国には百刻みと呼ばれる極刑があると聞いたことがある。柱に縛り付けられ、生きたまま生皮を剥がされ、手足を断ち切られ、臓腑を暴かれる。少しでも刑を長引かせる為に、大量の薬物を投与されて、生きながらの無間地獄を味わうことになる……。


 親父はどこかで殺され、ここへと運ばれて来たのだろう。これは見せしめなのだ。


 警察車両が近づくと、野次馬は蜘蛛の子を散らしたように逃げていった。人がいなくなったのを見計らって、野良犬がぶちまけられた臓物に殺到した。黄色い光線が遺骸と野良犬とを交互に舐める。光の中心で、信吉はまんじりともできなかった。


 青桜会会長が銃撃されたのは、翌朝のことだった。


 重ねて、加代の消息も前日の夜から杳として知れなかった。







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