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鬼餓身峠陰獣送り  作者: 東間 重明
第二章 妖蝶両婦地獄
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地鎮祭・前篇



「掛巻も畏き大神に降臨一切の諸神、仰ぎ願わくは元の宮へ送り奉る。恐れながら承引給え」


 一ッ目橋の掛かりにて、斎主相羽順一の元、地鎮祭が執り行われた。斎主に続いて、地固めに列した皆々が頭を垂れる。地には玉が埋められ、因神の守護は成る。参列者は我となく貌を見合わせて、ほっと息を吐いた。


 見崎氏の計らいで、直会(なおらい)は海辺に出て浜焼きの運びとなった。鶯の鳴く高い空の下を、参列者はぞろぞろと続いた。誰から聞き及んだものか、元水町の遊女の貌が多く見受けられた。それは椿の知り合いに留まらず、腰の曲がったお婆さんだの、丸々と肥えた中年増だの、様々な年恰好の遊女たちが歩いているのだった。或いは椿と同じように病に苦しみ、恋の煩悶に身を散らしたかつての友人の姿を偲んで、ここへやって来た者たちであったかもしれない。彼らは数人ずつに寄り合って、互いに深い物思いに沈んでいる様子だった。


「やあ、元気でやってるかい」


 女たちの背を見守っていた相羽青年の肩を、遊女風の女がぽんと叩いた。相羽青年の振り返ったところへ、懐かしい貌が飛び込んできた。華やかで騒々しい、子供時代の忘れ形見。


千里(ちさと)。来ていたのか」


「そりゃ来るサ。姐さんの供養だもん。ジュンちゃん、ありがとうね」


 千里と呼ばれた遊女が見せた花咲くような笑みに、相羽青年はしどろもどろになって目を泳がせた。彼女のあまりにも無防備で惜し気もない笑顔に、年甲斐もなく胸が高鳴るようだった。


「うん。いや、その」


「祝詞、途中のところ噛んでたでしょう」


「う、ま、まだ修行中なんだよ。今日は親父の名代で」


「あはは、変わらないね。変わらないけど、立派になった」


「あんまり僕で遊ぶなよ……。それにしても、ここで会うとは思わなかったな」


「そんなに薄情な女に見えるかねえ」


 慌てて手を振る相羽青年に冗談だと返して、千里は後ろを指差した。見ると、作務衣を着込んだ大男が懐手にぶらぶらと歩いている。相方は見崎氏に随行しているのだろう。少女の姿が見えなかったが、これはいつものことだった。数日の交際ではあるが、あれで見た目以上に目端の利く少女だ。馴染みの漁師たちにでも混ざって会場へ先行しているのだろう。


「あの野武士みたいな坊さんに聞いたのサ。知り合いなんだろ」


「うん。今回の仕事を手伝いに来てもらったんだ」


「その割りには、ぬぼーっと突っ立ってるだけだったけどねえ」


「あはは……。彼はまあ、裏方の仕事をね。そうだ、僕からも千里に礼を云っておかなくちゃいけないな」


「お礼って?」


「だって、千里が連れて来てくれたんだろう、界隈の芸妓さん」


 それがねえ、違うのよ、と千里は含みのある貌で続けた。なんでも、数日前に『横雲』に見崎氏から地鎮祭の通知が届いていたらしい。『横雲』に限らず、界隈の主だった店には報知が行き渡っていたのだと云う。


「色々と、思うところがあるんじゃないのかねえ。なんせ沢山だから」


 身投げした、遊女は。


「そうか」


「なんてジメジメした貌してんの。あんたも次、来るんでしょう? 先に行って待ってるからね」


 云いたいことだけを云って、千里はさっさと浜辺へ向かう一団の元へ走って行ってしまった。相羽青年はぽつねんと取り残されて、空を仰いだ。


 本当にこれで終わったんだろうか。僕はきちんと務めを果たし、供養することができたのだろうか。遠見さんは僕の未練が亡魂を呼び寄せたのだと云った。渡浪さんは僕の未熟が地の底に眠る怪異を惹き寄せたのだと云った。それが必然だとも。僕はこの未練を思い切れるだろうか。


「どうした、浜に行くんだろう」


 いつの間にか後ろを歩いていた渡浪が並び立って、相羽青年を見下ろしている。太陽の白い光線に相羽青年は目を細めた。


「渡浪さん、体調はもうよろしいのですか」


「ああ、大方疲れが溜まっていたんだろう。二晩も眠ってたんだ、もう大丈夫さ」


 しばらく連れ立って歩くうち、相羽青年がぽつりと漏らした。誰かに肯って貰いたくて、確言して貰いたくて、仕方がなかった。


「これで良かったんですよね」


 返事はなかった。


「そのまま、聞いてください。前に川縁で云っていましたよね。怪異とは能楽におけるシテとワキのようなものだと。お互いに惹かれ合い、必然的に出会ってしまうものなのだって。ここのところずっと考えていたんです。遠見さんは、ぼくの未練が地縛霊を惹き寄せたのではないかと云っていました。だとしたら、あの紅い蝶はぼくの過去そのものだ。ぼくの未練が、椿さんの未練を呼び寄せたんだ。漆原のところにいた女の人もそう。漆原の未練が呼んだ、誰かの未練なんだ」


 最後は自分に云い聞かせるような口振りだった。


「そうでしょう、渡浪さん」


 渡浪は応とも否とも答えない。代わりに、


「憑き物祓いというのは、実は根治の難しい怪異だ。神明の力を借りて憑く物を浄化することは、ものにもよるだろうが比較的に容易い。おれのこれが最たる例だ」と云って、二本指で作った刀印で中空を斬る。


「ずんばらりん、と事足りる。それで問題はお前さんの云う未練というやつだ。憑いた物はなるほど、排除した。しかし、憑かれた者の未練はそのままに残されている。未練は消えない。業は斬れない。それをするのは繰り返しになるようだが、憑かれた者の自助に依る他ない。おれたちに出来るのは対症療法だよ。精々が藪医者止まりの、いや、もっと性質が悪いな。お出で願う先から戸口に現れて、問答無用に古女房を斬り捨てるのだから、辻斬り未満の凶党だ」貌を歪めて自嘲した。


 あの夜、奇怪な現象を斬った後、崩れ落ちて意識のない渡浪は漆原邸に運ばれた。昏々と眠り続ける渡浪の周りに座して、誰もが口を噤んでいた。漆原から説明を求める訴えは上がらなかった。彼はなにかを悟ったようだった。客間の破れた障子の他に邸宅には女の痕跡はなにひとつ残されてはいなかった。


「こう、おれを両手に抱き締めて」漆原が口を開いた。


 なにかから守るような格好だったな。ぴくりと、夏彦の眉が痙攣した。


 集団幻覚を見たのでないことは確かだった。ここに在った女性は露と消えた。霊刀の一閃で消滅したのだった。漆原はまたも独り、この世に取り残された。


 その夜の漆原の姿を、相羽青年は克明に覚えている。きっと口にしたところで、どうにもならないだろう。そう思いながらも、漆原の影絵へと告解せずにはいられなかった。


「漆原と椿さんの交際を見崎さんに密告したの、ぼくなんです」


 影絵は答えなかった。渡浪もまた答えない。長年、相羽青年を苦しめてきた胸の痞えは益々彼を苦しめた。


「きっと、漆原も薄々は気づいているんです」


「そうか。云う相手を間違えたな。おれはお前さんの友達じゃない」


「……そうですよね。この上あいつを苦しめるようなことはしたくないですから、きっと墓場まで持って行くんでしょう。漆原の今後については、見崎さんにうまく取り合ってみようと思います。色々と有難うございました」


「いいや、ちっとも」


「これからのこと、考えていかないと」


「そうするがいいよ。少なくとも、怪異の出番はないだろうさ」


 浜辺の賑わいが近づき、細く煙の立ち上る様が見えてきた。磯の香りが鼻先をくすぐる。酒肴の準備も万端整っている頃合であろう。貌見知りの漁師が渡浪に気付き、大声で呼ばわった。それへ裾を捲って活気付いた渡浪が応よと返す。


「さっさと行かねえと食いっぱぐれちまう」


 ばたばたと大慌てで駆け出す渡浪の姿はあっという間に小さくなってゆく。微笑をひとつ打ち零して、相羽青年は松籟(しょうらい)のなかをそぞろ歩く。幾人かの子供たちが、彼の背を追い越していった。光の肖像は木漏れ日の合間を縫うようにして戯れながら、柔らかな木霊を残して、あわい陰影のなかへと溶け消えた。







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