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鬼餓身峠陰獣送り  作者: 東間 重明
序章 渡浪大蝦蟇斬事
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月を詠う

 

 今夜死合うと笑う、渡浪の悠揚(ゆうよう)迫らぬ態度から、どこか遊び半分な印象を抱いていた吉野であったが、目前に展開する場景に物見遊山の気分は何時か掻き消え、食い入るように、怪異に立ち向かう彼に見入っていた。

 

 凄惨な戦場に長日月を過ごし、幾人もの人間をその手に掛けた吉野ではあったが、彼が今、目にしているものは、そういった政情や帰属を度外視した桁外れの代物であった。そこには良心の呵責も、わざとらしい倫理の弁明もなかった。間、髪を入れずの、雷鳴のような生命の閃き。


 仕方がないからそうするのか、日々の糧秣を手にする為にそうするのか、何れも渡浪の実際には当たらないように思われた。僧侶と怪異。両者は一対を成す精確な機械のように、己が一身を動力に屈託なく蕩尽(とうじん)して、運命を回転させるもののように思われた。ただ夢中に、結末へと向かって疾走してゆく機械。

 

 渡浪の腰から銀糸が迸り、月影に異形が露と消えたとき、吉野は漠とそんなことを考えた。それまでの間、彼の頭にはなんら具体的な意識がなかった。まったく状況に合一して、彼もまた忘我の境にあったのだ。ふと意識を取り戻して、こちらを振り向いた渡浪を見ると、総身が粟立つのを感じた。それは二目と観られぬと思われた、怪異調伏の現場を目の当たりにした興奮からだろうか。いや、それは違う。それだけでは足りぬ。


 ――美しいとすら感じたのだ。まるで平仄の合わぬ、恐ろしい死闘を。機械のように自動的な存在を。この世の理や、説明を必要としない、一個の形而上存在の歯車。その陸離(りくり)たる光彩は抜き身の刃へと宿り、ひらりと閃いては吉野を魅了する。鋭尖たる鋩子に、冷たい光輪。


 あれは屹度、霊刀などではあるまい。それを操る人間も同じこと。全て妖しに同根の、妖刀だ。こうも私を狂おしく魅了するからには。

 

 知らず、吉野はからからと乾いた笑い声を上げていた。渡浪は片腕に力瘤を作りながらこちらへ戻ってきて、


「いやあ、今回は危なかったかもしれんなあ」

 

 などと、後頭部を撫で擦りながら、一向構わぬ平常の体である。吉野は自分が抱懐したものの一端を、なんとか口に出そうと苦心した。


 そこへ、不意に頭上から二人の間へと、何かが軽く音を立てて降り立った。


 新手の怪異かと息を呑んだ吉野であったが、どうやらそれは人間のようである。白拍子とも違うのだろうが、縫い取りの付いた白い装束に赤い袴の女。腰まであるだろう月光に濡れた黒髪は後ろに束ねられ、風を受けた装束が、輪郭を朧に浮かび上がる。見れば片手に弓を手にしている。からりと、矢筒が音を立てた。


「毎度世話が焼けますね。一人でやると云うから任せてみれば……」

 

 凛とした声が響く。渡浪は頭を掻きながら、


「なあに、こうして無事でいるじゃあないか」と無精に返した。


「無策で突撃した挙句に云うことですか。この矢とて安くはないのですよ。呪符を幾つか渡しておいた筈でしょう。まさか無くしてはいないでしょうね?」

 

 ふむ、これか、と渡浪はなにやら懐をまさぐり、赤茶けた札を取り出した。それも随分な分量を結い紐でいい加減に纏めたものらしく、わちゃわちゃと小汚いこと夥しい。女は今にも鼻をつまみでもしそうに顔を顰めて、


「なんですか汚い。ちり紙じゃないんですよ、きちんと使ってください」


「なんだか長ったらしい台詞を云わなきゃならんのだろ。厭だよおれは。面倒臭い」


「仮にも坊主の台詞ですか……。それに、これはどうしたことですか。一般人を死地に招じ入れるなど、以ての外ですよ」

 

 黙って一部始終を眺めていた吉野は、急に女が振り向いたのに驚いた。些か険のある顔つきではあるが、女は夜目にも美しかった。涼やかな眉宇には衣装の効果も手伝ってか、一種神聖な薄命の気韻(きいん)があった。吉野はまたも言葉を失って、曖昧に笑うと、その場を誤魔化した。


「建物には姉ちゃんが用意した護符が貼ってあるんだから、大丈夫だろう?」


「私が建物に用意した護符は、怪異の干渉から積極的に身を守るものではないのですよ。勿論効果はありますが……。これは内にある者の気配と視線を逸らし、攪乱を目的とするものです。怪異からすれば居留守を使っているようなものですから、遠慮斟酌なしに踏み込まれたら、体を成さない代物です」


「なあんだ。ちっとも役に立たないんじゃないか」

 

 云いながら渡浪はさっさと座に上がって吉野の隣に座り込む。さて仕切り直しとばかりに手酌をしつつ、まったくなあ、などと吉野に水を向けた。


「む。なんですか、心外ですね。第一、貴方は節操なしに怪異を牽き付ける生餌ではないですか。それを有効に利用する為に私が用意した――」


「それで結果、あんたがここに陣取って援護してだな、この通り怪異も調伏したのだから良いじゃあないか」

 

 少し、論点がずれているのではなかろうか。吉野は思った。女はしかし云い方というものが、などとぶつくさ呟いている。ふと本来の話頭を思い出して、


「ともあれ、常人をこちらに引き込むような真似はしないで下さい。怪異を見てしまえば、玉の緒を()かれてしまう」


「そうは云っても、吉野さんは過去にも一度目にしているんだぜ。それはどうなるんだ」


「本人の業が因を成したのなら、自覚せずとも、認識することはあるでしょう。ありのままに見てしまうことが問題なのです。貴方の持つその太刀は存在そのものが怪異の証明ですから、近くにあれば浄眼(じょうがん)を持たない者にも怪異が目に見えてしまう。それに慣れてしまえば、不完全とはいえ開眼してしまうかもしれない。怪異怪妖の跋扈(ばっこ)する世界に、どうして常人が晏如(あんじょ)足り得ましょう。そうなって、元の平穏な生活に戻りたいと思っても遅いのですよ」

 

 ここできっ、とまなじりを据えられた吉野は、


「あ~、はい。気をつけます、はい。それであのう、失礼ですがどちら様で?」

 

 女はすっかり失念していたという顔。専心すると周りが見えなくなる性分は、渡浪と一脈通ずるものがある。先程までの会話から、二人の付き合いは短くもなく長くもなく、浅からず深からずと云ったところであろうか。

 

 女は佇まいを正して、吉野に正対した。武人をさながら、心金の通った凛々しい立ち姿は、年の頃を考えれば(女は吉野の目に二十歳かそこらと映った)痛ましいほどであった。あらゆる国民がそうであるように、つぶさに甞めた苦杯と剣呑な妖怪退治が、彼女をして年不相応な気配を滲ませるまでに鍛造せしめたのであろう。一等痛ましいことには、彼女の気配にはどこかぴんと張り詰めた生硬な部分があり、それは今だ鍛えられずにあるということであった。調和を欠いて板に付かぬ、未熟で柔弱な印象。少女と云っても良いだろうあどけなさ。張り詰めた弦のようだ。丹塗りの矢のようだ。自身を引き絞り、射出する装置。内心の不安定。それらを吉野は美しいと思った。限界まで引き絞った弦を、そっと指で扱いてみたいというような、嗜虐の趣味が幽かに吉野の腹を(くすぐ)った。


「申し遅れました。私は遠見摩耶(とおみまや)。代々怪異調伏の任にあたる一族の末裔です」


「はあ、ご丁寧に有難うございます。私は吉野桔平(よしのきっぺい)と申しまして、背負い商いをやっとります。まあ、行商の真似事みたようなことですな」

 

 行商の真似事、という部分に摩耶は若干眉根を寄せたが、それ以上に追求することはしなかった。


「となると、遠見さんは先生の上司ということになるわけですかな」


「先生……、そうですね。命令系統は私一本、部下というよりは現地調達員、より正確に云えば彼の管理監督が私の仕事なのです。土地に於ける霊刀の管理が私の仕事ですから、彼自身は付属物のようなものですね」

 

 傍の渡浪はなにが可笑しいのか、手酌でぐいぐいと酒を呷りながら、豪傑笑いをしている。


「まったくよりにもよって、こんないい加減な男に霊刀を譲り渡すなんて……」


「まあ、そうカリカリするな。秋徳が正式におれに譲渡したってことは、姉ちゃんも手紙で知っているだろう」


「だからこそ怒っているんですよ!」

 

 ふむ、と渡浪は思案気に顎を掻いて、


「まあ、その辺りはまた追々な。それより何時までそんなところに立っているんだ。こっちに来い。酒もいける口だったろう、こんなに気持ちの好い月夜だ。一緒に呑もう」

 

 素気無く断られるものと見えたが、摩耶は逡巡して後、結局は堂に昇った。


「月見というには荒漠とした景観ですね。荒城もかくやという有様です」

 

 文句を言いながら摩耶は渡浪と吉野の間に正座した。表は摩耶の云うとおりの有様、大小様々の石片やら木片やらが辺り一面に広がって、樹皮を削り取られた木々の無惨も夥しい。


「相も変わらず、詩美を解さぬ輩だなあ」


「貴方が節操ないだけではないですか」

 

 軽口を叩き合う二人を眺めながら、吉野は、なんだ結局はこれで馬の合うことらしいとほくそ笑んだ。背嚢からチョコレートを取り出して、それを摩耶に差し出した。


「チョコレートは食べたことありますかな。粗製品ですが、味は保証しますよ」

 

 珍妙な物を見るように摩耶は目を瞠った。包装されたチョコレートを受け取って礼を述べると、おずおずと銀紙を剥いて、現れた茶色の物体にまたも顔を顰める。


「ああ、そのまま食べても良いし、手で割って食べてもいいんですよ。煎餅みたいにね」

 

 はい、と頷いて指で押し曲げると、ぱきりと音を立てて、茶色の砕片が出来上がる。摩耶はそれを口元に持っていくと、思い切り良く口に放り込んだ。


「どうですか。甘いでしょう」


「……む。甘いですね」

 

 ふむ、と小さく頷いて、最初の一片を飲み下す。ぱきり、新しい砕片を作って口に放り込む。ぽりぽりと、森のげっ歯類宜しく咀嚼する。くつくつと、渡浪が腹で笑う。


「やはり姉ちゃんには月より甘味か」

 

 摩耶は渡浪に厳しい目を向けた。文句の一つも言いたいところであるが、生憎と口はチョコレートで塞がってしまっているのである。もちもちと口中の甘味を咀嚼しながら、恨みがましい視線を向けるが精々であった。吉野は二人を見て、胸中に蟠っていた印象がほどなく氷解するようだった。


(そうか。まるで兄妹のようなのだな、この二人は)

 

 それから、吉野は両者に憶測や想像を逞しくすることは止めて、気兼ねない酒宴の宰領に努めた。難しい話は、追々。静まり返っていた庭園には、虫の声が蘇生する。ゆるゆると時は過ぎ、山寺に三人の長月夜。月が明白である。


「払えども浮世の雲のはても無し曇らば曇れ月は有明。誰の歌でしたかね、先生」


「さあて、誰だったかな。曇りなき心の月をさきたてて浮世の闇を照らしてぞ行く、だ」


「これは懐かしいな。所信表明ですか」


「ただの歌だよ」


 山の音声(おんじょう)潺湲(せんかん)と。穏やかな夜は更けてゆく。





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