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鬼餓身峠陰獣送り  作者: 東間 重明
第二章 妖蝶両婦地獄
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漆原邸


 商売道具を引っ提げた夏彦以下は、夕刻を待って漆原邸へと向かった。


 人家も乏しく、心寂しい岬にその西洋館は在った。訪う者も絶えて久しいものであろう。館の白壁には古蔦が放縦な曲線を描いて絡み付き、趣味の花々が手入れもされずに海風に晒されている。半ば老朽した建築は如何にも個人の所有にかかる小振りな建築であった。孤高の詩人が住まうべき、或いは、不幸な身の上の女が逼塞するに相応しい館でそれはある。夕陽に染まった館は色褪せた古写真を思わせた。さらさらと、波音が聞かれた。


 夏彦が来意を告げると、女が取次ぎに出た。夏物の薄い毛織物を羽織った、容色に優れたる妙齢の婦人である。くっきりとした二重瞼に黒目がちな目。地味な格好こそしてはいるが、見る者が見ればそれと判ることであろう。どうにも玄人臭い。長く花柳界に在った人間特有のうら寂びた疲労の痕が、留木のように影身に染み渡っている。これといった欠点も見受けられない代わりに、薄靄のように陰の薄い女。

 彼女は重たげな目を瞬くと、夏彦の隣へ立った相羽青年に目を呉れた。底意を図りかねる絡みつくような視線から、相羽青年はついと目を逸らして俯いた。


「ごめんください。先日お約束を頂きました、膝突堂の勝谷ですが」


「ええ、膝突堂さんですか。主人からお話は伺っております。奥へどうぞ」


 女が背後の二人に目を遣ると、落ち着き払って夏彦が云う。


「ああ、彼女は新しく入った従業員なんです。出来れば実地に経験を積ませたいと考えまして。不調法なようですが、彼女も同席させて頂けませんでしょうか」


 遠見と申します、と恭しく摩耶は一礼した。予め示し合わせていたとおりの所作である。骨董商の見習いにしては背負った和弓が異様と見えたが、女がそれを訝しく思ったかどうか。女は感情の起伏に乏しい声音で淡々と受け答えした。


「まあ、それは熱心ですね。ただ、ちょっと主人に聞いてみませんと」


「宜しくお取次ぎ願います。それから、こちらの男性は」


「どうも大所帯で押し掛けてしまって済みません。僕は相羽順一と申します。漆原の、古い友人です」


「別件で知り合いましてね」


「それはまあ、不思議なご縁ですね」


「合縁奇縁というやつでして……」


 夏彦の冗句に含み笑いして、女は奥の間に消えた。しばらくして、主人自らが女に手を引かれて応対に出た。


「やあ、やあ。皆さんお揃いで。狭っ苦しいところですが、どうぞ上がって下さい」


 館に篭もって詩作に耽る詩人という話からは狷介な人物が想像されたが、当の漆原は人好きのする性格のようであった。これといって病的な印象も見受けられない。


「三佳」


「おう、順一か。久し振りだな」漆原は鷹揚に頷いた。相羽の声にそちらを向くが、目の焦点が僅かに合っていない。


「目を悪くしていると聞いたけれど、相当に悪いのか」


「もう随分悪い。彼女がなにくれ世話してくれるからなんとかなってるけどな。この間は箪笥の角に足をぶつけちまって大変だった」


 漆原に続いて居間に向かう。館は外観に比して酷く雑然としていた。通路に備え付けの書架には隙間なく書籍が詰め込まれており、壁龕には花瓶や用途の判らぬ骨董の数々が収められていた。それでいて、ひとつひとつの纏まりには偏執的なまでの整序が加えられている。通された居間は、反対に物が少ない。時代がかった柱時計に、簡素なテーブルと、椅子が数脚あるばかり。あちらこちらへと目を転じる摩耶に、


「あまり見ない方が良い」と夏彦が小声で警めた。


 さっと朱を刷いた貌に手を遣って、摩耶はそろそろと後に付いた。


 各々が席に着くと、早速のこと夏彦は手袋をして卓上に商売道具を広げる。鞄から取り出された物は二十センチ四方の木箱であった。丁寧に緩衝材を取り分けて取り出されたのは、鮮やかな朱色の碗。漆原が食い入るように目を凝らすのを、夏彦は楽しげに眺めた。


「碗。いや、鉢かな。中東か、もしくは中国ってところでどうだい」


「良い鑑識眼をお持ちですね。中東が当たりです。ギザで出土しました。あそこらじゃ海外製の土器も多く出るんですが、なかでも一等美しいのはこういった磨研土器でしょう」


 第四王朝期の土器からは華美な装飾が淘汰され、このように表面に文様のない土器が好まれた。主にロクロを用いたそれらは滑らかで優美な曲面を持ち、殊に日本人の好みに適うものであろう。今回の仕事に当たって夏彦が準備した、隠し玉のひとつであった。


 さて如何ほどかと値を聞くに、提示された金額に漆原は目を剥いた。一山当てたが関の山の詩人に、おいそれと手の出る品ではなかった。


「いやあ、しかしこれは好いな。目が悪い人間に骨董なんて要らんだろうと思うだろうがね。おれはこの頃、触覚で味わうということを覚えたよ。今ここで直接触れないのが残念でならないな」漆原は幾分、興奮して饒舌になっているようであった。


「しばらくは取り置いておきましょう」


「準備できるとも思えないがね。ところで、そっちの大きな荷物は?」


 漆原が尋ねるのは、夏彦の旅行鞄と一緒に壁に預けた棒状の布包みである。五色の緞子に包まれたそれに、摩耶はどことなく見覚えのあるような気がした。一方、摩耶の弓も同じく壁際に預けてある。


「取り合わせから察するに刀剣の類かな」


「生憎とこちらは()()()()の品物でして」


「それは残念だね。けれども、好い物を見せて貰ったよ、勝谷くん。お礼といってはなんだが、約束の通りに例の物を見せよう」


 彼は女にそれを取ってくるように云い付けた。


「夕飯はまだだろうね? ここで食べていくと良い」


 摩耶は食事の誘いを断ったが、夏彦の頂きましょうの一言で仕方なく同席することになった。部屋から女が戻ったが、どうにも目的の品が見つからないらしい。


「どこにもないって。君が寝室に置いた筈じゃあないのか」


「だっても、それが無いんですもの」


「そんな馬鹿なことがあるか。おれが探しに行っても分からないし、もう一度探してみてくれよ」


 女はそれに渋々頷いて、寝室に戻っていった。困ったな、と肩を竦める漆原に、夏彦は同調して唇を歪めた。


「小林はなんと云ってました? その、貴方が手に入れた品を」


「なんでも人魚の肋骨という触れ込みだったな。あまりにしつこいし、大した額でもないから面白半分に買ってしまった」


 結局人魚の肋骨は見つからないまま有耶無耶に、皆で簡単な夕食を摂った。少量の酒が出て、勧められるままに飲むうち、摩耶は胃の腑からむかむかと気分が悪くなってきた。吐き気が渦を巻き、僅かに頭も痛むようだった。


「少し横になるかね。客室を貸そう」


 女に案内されて通されたのは六畳ほどの和室であった。まめまめしく女が延べてくれた寝具に横になると、摩耶はしばらく眠った。


 ぱちり、ぱちり。金属の擦れ合う音に目を覚ますと、布団の横合いに胡坐を掻いた夏彦の姿があった。摩耶が起き上がると、夏彦は玩んでいた物をポケットに隠すようにしまった。


「どのくらい、眠っていましたか」


「一時間も経たないよ。他の連中はまだ飲んでる。しばらくそのままでいなよ。気分悪いだろ」


「そういう訳には行きません」


「まあまあ。漆原も今夜は泊まっていけってさ。僕は泊まっていくよ。付き合ってくれるんだろ?」


「本当に貴方は性根が悪いですね、夏彦くん」


 勝手次第の人間は他に一人あるが、こちらもおさおさ引けをとらない押しの強さである。


「商売人は性根が悪いくらいで丁度良いんだ」


 少し横になって楽にはなったものの、吐き気は未だ止まず、頭を締め上げるような鈍痛がある。云われた通りに大人しく、摩耶は枕に頭を預けた。


「……先程の商談は、随分手馴れたものでしたね」


「そうかい?」


「はい。なんと云おうか、物慣れた自信が感じられました」


「自信のない商売人というのも面白い。総体に曖昧としていてね、くっくっく」


 取り合わず冗談に紛らわす夏彦に何事かを云おうとして、ずくりと頭を刺す痛みに摩耶は貌を顰めた。


「これでは格好がつきませんね。少しお酒を頂いただけでこの有様とは」


「場所が悪いのさ」


 場所が悪い、と鸚鵡返しに尋ねる摩耶に夏彦は頷いた。彼の手の内に、ぱちり、と音が鳴る。


「蟻の巣みたいな造りをしているだろ。通路が狭く、圧迫感が強い。部屋と部屋がそれによって隔絶されているんだよ。風水の観点から見ても可笑しい。全てがちぐはぐなんだ。吉方に縁起の悪いものが置いてあったりね。あまり見るなと云ったのは、その為なんだ」


 例えば、壁龕に置かれた水盆には銀のナイフが突き立っていた。これは原始的な共感呪術の一種であろう。水盆を覗いた者は、水鏡にナイフの突き立った己の貌を認めるだろう。だからどうしたという者もあろう。常識的な人間はそこに凶兆や、なんらかの呪的な圧力は感じまい。それは非常識的な人間にこそ作用する。神秘は、神秘を知る者により強く作用するものであるから。故に簡素な呪いであっても、看過し得ぬ魔術師殺し足り得る。摩耶の変調も無理からぬところであろう。


「行きはよいよいってやつでね。入り易く、出難い造りになっているんだよ。挙句に玄関は丑寅、望む先には遮るものひとつない海ときた。関心するね。ここは立派な魔窟だよ」


 ぱちり、小さく金属音が鳴る。


「辛いだろうけどさ、少し横になったら弓を張り直しておいてくれよ。荷物はそこに持ってきてあるから」


「どうして、弓を?」


 どうしてって、そりゃねえ。嘆息しながら大袈裟に額に手を遣って、


「気付かなかったの、遠見サン。あの深海魚みたいに何考えてるか判らない影のうすーい女ね」


 ぱち、ぱち、ぱちり。


「本当に影がなかった」


 ひたり、と摩耶の背を悪寒が走った。





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