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鬼餓身峠陰獣送り  作者: 東間 重明
第二章 妖蝶両婦地獄
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雅楽川琴子の冒険



 御金神社に一夜を明かした後、一同は夕刻まで散会の運びとなった。相羽青年は儀式の準備のあることだし、夏彦にしても商売道具を宿に取りにゆかねばなるまい。摩耶も一度宿に戻り準備を済ませた後、神社に参集することに異論はなかった。しかし、各々が神社を後にしようという段になっても、一同のなかに渡浪の姿はない。用向きがあると言い残したまま、とうとう帰らずじまいである。


「あの人は一体どこをうろついているのでしょう。朝になっても帰ってこないとは」摩耶が呆れ返って嘆息すれば、


「どうでしょう、お酒を過ごしたのなら先に宿に帰っているのかもしれません」と相羽青年はどことなく渡浪に同情的な様子。


 先夜の話を聞く分には相羽青年も昔時は相応の遊び人であったようだから、どことなく親愛の情が湧くのであろう。口を窄めて何事かを云い倦む様子の摩耶であったが、現在するところの相羽青年は実に廉直な人間である。渡浪に対する憤慨を彼にぶつけるのも筋が違う。どうにも始末のつかぬ心持ちで、摩耶は握り拳をぷるぷると震わせたことである。


「それではまた後ほど」


 相羽青年に見送られて神社を後にする。夏彦は適当な辻で手を振って別れた。どうにも処置の難しい少年だ、と摩耶は思う。総体に自分は歳下の人間が苦手なのかもしれない。どのように応対したら良いのか分からぬのだ。足下、先夜から際立って様子のおかしな童女も同じこと。後を黙ってついてくる琴子に振り向くと、摩耶は彼女に問うた。


「なにか視たのですか」


 果たして、琴子はこくりと一度頷いた。


「詳しい話は、宿に帰ってから聞きましょう」


 そうしてどこか覚束ない足取りの琴子に手を差しだそうとして躊躇する。どうにも、自分はこんな些細なことにも及び腰になってしまう。恐る恐る差し出された摩耶の手の平を、琴子はくっと強く握り締めて、歳若い同宿は言葉もなく山路を下る。


 宿に帰り着いた二人を帳場のおかみが出迎える。なにか書見でもしていたのだろう、手元から顔を上げてお帰りなさいまし。


「おや、お連れの方は」云い差して、余計な詮議であったと慌てるおかみへ、


「昨夜から出掛けたきりですよ。こちらにはまだ帰らないようですね。今頃は何処で羽觴(うしょう)を飛ばしていることやら」ぽつり、投げ捨てるように摩耶は云う。


 ええ、と曖昧に頷くとおかみは二階へ向かう珍客の背を見守った。妙に鬼気迫る様子に、


「なにかあったのかしら」胸の騒ぐおかみであった。


 室に帰ると、二人はちゃぶ台に差し向かいで腰を落ち着けた。


「それでは琴子、見せて頂けますか」


 緊張した面持ちで摩耶が云う。琴子は頷いて、ナップザックからノートを一冊取り出して卓上に広げて見せた。ごくりとひとつ、摩耶は生唾を吞み込んだ。さもありなん、これへ転写された未来図は己が末期の姿やもしれぬのだから。


 雅楽川に伝わる未来視の異能は代を重ねる毎に力を増してゆき、琴子の母親に於いて完成を見た。予見から予知へ。雅楽川に営々と流れる先見の能力は先鋭化の果てに、自身をも蝕む呪いと変じた。神に伺いを立てて未来の情報を漠と掴む予見ではなく、否応が無しに目前に視る絶対的に覆ることのない未来図でそれはある。


 琴子の母親、笙笛(しょうき)はその力の為に心を狂わせ帰らぬ人となった。家の者はそれを惜しんだ。彼女は一体なにを見て発狂したのか。その答えを、人々は琴子に望んだ。琴子はこれに応えた。幸か不幸か、琴子の心が壊れることはなかった。彼女は未来から持ち帰った様々の光景を紙に描いて見せた。人々はこれへありとあらゆる罵詈讒謗を以って酬いた。そうして甚だ不名誉な綽名を烙印された琴子は、雅楽川の家から放擲されたのであった。


 摩耶が覗き込んだノートには果たして精巧極まる未来の情景が刻々と写されていた。鉛筆書きのそれは一見して写真と区別が付かぬ。琴子自身には画才が無いけれども、視たものを正確に捉える能力だけは一倍に秀でていた。風雅な一幅を仕上げる能力はないが、目で見たものをそのままに転写することにかけては玄人はだしである。


 それは砂浜に踊る異形の姿であり、これへ応戦する摩耶と夏彦であり、上空から異形へと奇襲する渡浪である。最後の項には太刀を地摺り正眼に構えた渡浪の姿。異形は妖蝶ではなく、全く未知の怪異であった。


「琴子、これが何時起こるのかは分かりますか?」


 琴子は小さく首を振った。彼女に出来ることは視ることだけであった。それがいつ何時起こるかは各々が判断するしかない。しかし、こうして目にした以上、この光景は絶対的に起こる未来の姿なのだ。少なくとも、そうでなかった例はない。


「用心に越したことはありませんから、出来ることは全てやっておきましょう」


 二人は遅い朝食を摂ってから、しばらく手仕事をした。昼を過ぎて、摩耶は少し早いが御金神社に向かうことにした。琴子が頻りに眠気を訴えるので、彼女はここへ置いて行くことに決めた。護身用に幾つかの道具を宿に置き、ノートを借り受けると、布団を被った琴子に気遣わしげな様子で摩耶は宿を後にした。


 摩耶が出掛けてしばらく後、ぱちりと目を開けて琴子は布団から這い上がった。狸寝入りをしていたのだ。ナップザックに摩耶の置いていった道具を詰め込み、何冊かのノートを確認すると、満足そうにひとつ頷いてトコトコ階下へ降り立った。


おかみは階上から降りてきた琴子に気が付いて声を掛ける。


「あらあら、そんなに慌てて。横になってなくて大丈夫?」


 摩耶から同室の女の子の体調が優れぬので、宜しく頼むと言伝されていたおかみである。大方風邪でも惹いたのであろうと、後で貰い物の林檎でも擦ってあげようかと考えていたところ、二階から降りて来た女の子はけろりとしている。


「ん、大丈夫」


 とっとこ玄関を潜ろうというのを、おかみは慌てて制した。事後を任されてある以上、はいそうですかと一人歩きさせる訳にも行くまい。


「ちょっとちょっと、一人で出歩いちゃあお姉さんが心配するわよ」


 振り返った琴子は目を瞬かせて小首を傾げた。赤い切り禿の女の子が身長に似合わぬ立派なナップザックを背負っている姿は、格好こそ洋装ではあるが座敷童のようで、かあいらしさにおかみはくすりと微笑んだ。


「どこに出掛けるつもりなの?」


「ん、おじちゃんを探しに行く」


「おじちゃんって、お連れの背の高いお兄さん?」


 親戚の集まりででもあったのだろうか。それにしても、当てもなく人を探すのは大変でしょうとおかみが云えば、琴子は心得顔の大丈夫。おかみの元へやってきて、ナップザックから一冊の画帳を取り出すと、それをおかみに手渡した。適当な項を開いてみると、そこには写真と見紛うばかりの精妙な蟹の絵姿。脇には崩れたたどたどしい手跡で、体長はどうの、茹でると赤くなるだの、その他雑多な書き込みがされていた。


「これ、お嬢ちゃんが描いたの?」


 感嘆したおかみが聞くと、如何にもといった様子で琴子は首肯した。更に項を捲れば驚いた、そこへは彼女が探しに行くという件の大男の姿が描かれていた。どこか山寺らしい庭前に、太刀を抜いた彼が険しい顔付きで佇んでいる。


「あらあら、これはまあ、ちょっと」好い男、と云いかけて咳払いをひとつ。


 先日はどうにも野暮ったくていけないと思ったものの、こうして真面目な顔をしていれば、なかなかどうして苦み走った好い男である。持ち前の趣味も手伝って、おかみの鼻息荒くなるのも無理からぬ。項を捲る度、そこには大男の様々な姿が大写しになっている。太刀を佩いた雄姿から、路肩にへばり込んで落花生を齧ったり、縁側に横になって空を眺めているところなど、おかみは童女の視線も忘れて画帳に夢中になった。


「これを見せれば大丈夫」


「確かに、人相書きとしては申し分ないわよね」


「直ぐにみつかるから、でかけても平気」


 なるほど、と画帳に見入ったままにおかみは声を上げて笑った。煎り豆を肴に美味しそうに杯を干す大男の絵図の脇に、生息地、山、寺、盛り場、という書き込みを見つけたのである。


 どれか一枚でも貰えないかというおかみに大上段に太刀を構えた一枚を渡すと、なるべく早く帰りなさいねという彼女を背に、瞳を輝かせ颯爽と、琴子は宿を出た。








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