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鬼餓身峠陰獣送り  作者: 東間 重明
第二章 妖蝶両婦地獄
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秘密修法壇


「へえ、妙なところで意外な名前が出たな。いや、意外でもないか」


 相羽青年の話を聞くなり、一番に声を上げたのは夏彦青年であった。凡そ見崎氏の実子が問題の中心にあったということに驚く摩耶にとって、それは聞き逃せぬ台詞であった。意外と云えば、夏彦が見崎氏の係累に反応することが意外である。やや警戒を強めた摩耶が夏彦に問う。


「貴方は漆原氏と面識があるのですか? そういえば、貴方と初めて会ったのも、見崎氏の邸宅でしたね。あの時は僅か擦れ違ったばかりでしたが」


「うん? まあ、変に勘繰られるのも良くないから、云っておくよ」夏彦は懐中から一葉の写真を取り出して、机の上にそっと置いた。三十台半ば頃の鉤鼻の男が、犬を抱えて微笑んでいる。


「この写真の男を探しているんだよ、僕は。名前は小林っていう、美術商をやっていた男。やっていたってのは他でもない。一月前に元水町に商談に出掛けると云って家を出て以来、行方知れずになっているところを、彼の奥さんの依頼で捜索にあたっていたって訳だよ。見崎氏の方は門前払いの体でフラレちゃったけどね。漆原氏にはその後一度会った」


「捜索、マンサーチャーの仕事ですか」


「そう。面白いもので、骨董の趣味というのは遺伝するものなんだね。今回も御多分に漏れずといったところで、こういった狭義のマニヤは一所にそうそう在るものじゃない。小林も商談に赴くにあたって当たりは付けていただろうしね。別けても近在に評判の趣味であったそうだし、考えてみれば不思議にもあたらない。漆原の方は好感触だったよ」


「三佳の、漆原の宅にも訪問していたのですか。随分と足が速いですね」とは相羽青年。


「まあね。先だって漆原の所在を聞いた折に、見崎のおじさんが顔を顰めていた訳が漸く呑み込めたよ」けらけらと夏彦は笑った。


「それで、漆原の方はどうでした。このところ警察が往来していたところですし、過敏になっていたのではないですか。アレで神経質な男ですから」気に掛かる様子で相羽青年が尋ねれば、


「いや、至って普通な調子だったよ。目を悪くしているからと、奥方が色々と気を配ってくれてね。幾らか商売道具を持参した上で、後日商談の運びになった」


「人探しが仕事ではなかったのですか」


「それは商売人だもの。商機と見ればやることはひとつでしょう。小林の件にしても、少し面白い話が聞けそうだしね。明日の夕方に再訪する予定なんだ」


 夏彦と摩耶が云い合うところ、相羽青年は気遣わしい様子で目頭を押さえて頭を振った。悪友の懲りない女道楽に愛想を尽かしてでもいるのであろう。それを見た摩耶はこほん、と咳払いをひとつ、本来の道筋に話を戻す。


「さて、妖蝶の対処についてですが。これは率直に相羽さんが儀式をやり直すのが一番だと考えます。彼女の執着を解き放つ為の、魂鎮、供養をなさるのが良いでしょう。それは取りも直さず、相羽さんの彼女に対する未練、執着を断ち切るということ。思い切るということです」


「思い、切る……。そうですね、それが良いのでしょう」


 そう応えた相羽青年は息苦しく、熱に喘ぐように咽喉を振るわせた。見れば両の手が微かに震えている。その反応が自身の物云いの結果齎されたものか、摩耶は一々に忖度しないではいられなかった。やがて、相羽青年の手による魂鎮めの儀を執り行うことに決すると、摩耶は夏彦に向き直った。


「それと勝谷さん、貴方は明日漆原邸に再訪すると云っていましたが、これはいけませんね。今となっては貴方も霊異に触れた身、解決を見ないままに余人の元へと訪問すれば先方がどのような危難に遭うか知れたものではありません。話を聞く限り、漆原さんも全くの無関係ではなさそうですし、仕事とはいえしばらくは自重して頂きたいのです」と摩耶が警告を与えれば、


「そう云うだろうとは思っていたけどサ。それだったら遠見サンも一緒に付いて来れば良いんだ。僕のお手伝いってことでね。霊異霊異と云うが、忘れて貰っちゃ困るけどこっちも人が一人消えているんだぜ? 人命に関わるという一点に於いて、事の前後を論議する場合かね」夏彦はのらりくらりとやり過ごす。


「そうしたが良いでしょう。僕も漆原にひとつふたつ云ってやりたいこともありますから、それへ同道しましょう」とは相羽青年。


 相羽青年が同調したことで力を得た夏彦に摩耶は渋々折れるという形。


「それから、遠見サン。僕のことは名前で呼んでくれて良いよ。堅苦しいのは嫌いなんだ」馬脚を現すというほどでもないが、ここにきて夏彦の態度は随分と砕けたものに成り代わっていた。


「はあ」


 摩耶がなんとも云えぬ気の抜けた息を吐いて、今夜は就寝の運びとなった。壁へ向かったまま、まんじりともせずにいる琴子の耳からコルク栓を引っこ抜き、寝室へと向かう。寝所は男女別である。一日忙しく立ち働いた為に、一同は間もなくして夢の中。


 のそりと、皆が寝静まった頃合をみて寝具から起き上がったのは夏彦少年。忍び足に神社を後にすると、山を下って行く様子である。民宿の立ち並ぶ辺りまでやって来ると、そろそろと看板の傾いだ安宿へと入ってゆく。外観こそオンボロなれど、立派に錠前付きの一室である。ポケットから鍵を取り出して、夏彦は数時間振りにセーフハウスに帰り着いた。


 六畳の板間には未だ馥郁と安悉香が立ち込めていた。先夜に繰り返された、降伏修法の名残である。対象は云わずもがな、あの容貌魁偉の大男、渡浪幾三。床には簡易な修法壇が造壇され、周囲には様々の秘密道具、秘密宝器が備えられてある。すなわち、造壇に用いる金、銀、瑠璃、真珠、琥珀、その他に五穀、柏木を塗香とし、燈油は芥子、焼香の安悉香、これらが小体な瓶に入れられてある。そこへ夏彦は腰に吊ってあった木箱を安置して、結跏趺坐する。


 先ほどから秘密秘密と口幅ったいようであるが、一体に密教に於いては秘密ということがとかく重要視される。密教に対して、それ以外の宗教を顕教というくらいで、言葉で分かり良いように工夫された教えの他に、事相といって一定の修法に通じることで霊験を顕すことを旨とする実践法があり、こちらは絶対的に外部への公開を禁じられ、師質相承の他、決して伝授を許さぬ。元より秘密神法というものにしてからが、機にあらざる者が安易に用いれば冥罰を免れぬ剣呑としたものである。故に易々と他人に教えられるものでない。


 して、ここに夏彦が行った降伏修法とは別に折伏法とも、調伏法とも呼ばれる。本来ならば自身の煩悩を調伏するのであるが、これを反転させ、仏敵、悪人、罪人、これらを悉く調伏するもので、極端に走れば呪詛を念じて対象を殺す。呪殺である。


 或る悪人を殺すということは、被害者を援けるということ以上に、彼が更なる悪行に手を染めることを未然に防ぐ、正義に適った徳行である。それは救済であり、御仏の慈悲である。史実にある怪僧はこの理念の下、数多の人間を手ずから『浄土』に送ったという。


 夏彦が行った修法はそこまでに先鋭苛列なものではなかったが、五体の満足を一時封じる程度には作用するものであった。降三世憤怒尊の劫火を以って対象を縛する。しかし、問題の渡浪にはいっかな効果のある様子もない。


 (まあ、修法は得意じゃないからな。やはり直接手を下さなきゃ駄目なようだ)


 夏彦は床に紙片を広げる。それは元水町の拡大地図である。これへ瞑目したまま慣れた手振りで焼香を散らす。しっ、と軽く音を立てて火の粉が地図を焼く。当地にやって来た折、小林を対象に行った人探しの呪いである。


(小林には会った事もないからイマイチだったが、これがおっさん相手なら効果は覿面だ)


 焼けた地図の一点を確認する。情報の裏も取らねばなるまい。そうして、皆が起きる前に何食わぬ顔で神社に戻る。必要なだけの道具を取り纏めると、夏彦は元水町の旧繁華街へと向かった。







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