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鬼餓身峠陰獣送り  作者: 東間 重明
第二章 妖蝶両婦地獄
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糸車


 渡浪が飄然と御金神社を去った後、一同は社務所に車座となっていた。渋面を作る摩耶は何時になく落胆の色濃い様子。枕沼の一件では少しばかり彼を見直したものだが、人間の根本というものは易々と改まるものではないと痛感した次第である。渡浪の無責任な行動に摩耶はむっつりと俯き加減に黙り込んでいる。どうにも息苦しい空気に堪えかねて、相羽青年が口を開いた。彼自身も、緊張に強張った貌付きをして。


「それで、今晩はここで夜を明かすとして、妖蝶をどう対処するかですが……」


「対処を考えるより先に、アレがどのようなものかを検討する方が先なんじゃないかな、相羽サン。地縛霊の類で間違いないとは思うけどね」


 横合いから夏彦が口を出したが、相羽青年は気を悪くすることもなく、摩耶に目で問うた。


「勝谷くんの云う通り、地縛霊の類でしょうね。尤も、人間に積極的に害を成す猛悪らしさは感じませんでしたから、残留思念と云った方が良いのかもしれませんが」


「見た目は結構なエログロだったよね」悪びれもせずに夏彦は軽口を叩く。


 ついと摩耶は厳しい視線を向けたが、直ぐと相羽青年に向き直り穂を継いだ。


「相羽さんには幾つか確認をしておきたいことがあります。あの断崖の岩場は以前からあのような、つまり、不幸が多く起こってしまう地所なのですか?」


「確かに、あの崖はこの辺りでは有名な自殺の名所です。すると、あの妖蝶は自殺者の霊魂ということになるのでしょうか。毎年、供養は欠かしたことのない筈ですが」


「ええ、しかしそうなるとどうにも辻褄が合わなくなりますね。妖蝶は地鎮祭の以前には現れなかったのですから。実は先程川縁で相羽さんと渡浪さんの会話を耳にしまして、私も渡浪さんと同じことを思ったのです。彼は敢て問い質すようなことはしませんでしたが、相羽さん、不躾にこのようなことを尋ねるのを許して頂きたいのですが、貴方に関係のある誰かがあの場所で不幸に遭ったのではないですか?」


 相羽青年は咽喉を詰まらせ、暫く何物も云い得なかった。どこか来たるべきものが来たというような貌付きをして、覚悟を決め兼ねているといった様子であった。そうして逡巡を飲み込むように大きく一度咽喉を震わせると、恐る恐る話し始めた。


「……遠見さんの仰る通り、あの場所で、僕に関係のある人物が亡くなりました。もう、十年近く前になりますけど、友人があの崖から身投げしたんです」僅かに声音を震わせながら、相羽青年はそう口にした。


 ちくり、と摩耶の胸に棘質の痛みが走った。相羽青年の答えは摩耶の望んでいたものであった。やはり、断崖の妖蝶変化は相羽青年に因を成すものであった。後はこれを考究し、一歩を踏み込めば、怪異発生の次第を闡明することもできよう。しかしそれは、本当に正しいことなのだろうか。目の前に苦悩する人間の内実を抉り、事態の究明を図ることが? 人心を暴くことが果たして本当に正しいことなのだろうか。結果としてそれが充分な解決を見る手段であったとしても。それは渡浪の方便に似ているようで、どこまでも懸け離れているものらしく思われた。


 摩耶は依頼主である見崎氏との会見の折、自身が口にした言葉を図らずも思い出すこととなった。すなわち、それが事件解決に必要な事由であると判断した場合には、そうしましょう。もっとも、そのような場合に必要な人間は、我々のような神職者ではなく、探偵でしょう、と。これは些か皮肉な響きを以って摩耶の脳裏に反響した。


「そうですか」短く、摩耶は口にした。口にするべき百の言句が咽喉元を出掛かったが、その他にはなんとも口にしようがなく、不調法と分かっていても一揖するのが精一杯であった。そんな摩耶の様子に困まったような表情で相羽青年は頭を振った。


「いえ、お気になさらず。では、やはりあの妖蝶は彼女の亡霊なのでしょうか」


「十中八九、そうではないかと思います。御金神社さんは毎年供養をしているということですし、発生の時期を考えても通常の地縛霊とは異なり、相羽さんに惹かれるようにして顕現した怪異ということでしょう。先に申し上げた通り、地に縛られた霊魂というよりは相羽さんの想念に惹かれ合った亡者の、……失礼しました。その、亡くなられた方の思念といったものでしょう」


 妖蝶は一ッ目橋に現れる怪異であって、それが断崖に女性と変じて地獄を見せたからといって、あの岩場の地縛霊であるとは即言できない。そもそも地縛霊とは人や物に憑依して所を移すということはあっても、自立的に移動するようなものではない。文字通りに、未練を地に縛られた霊魂を指す。してみれば、一ッ目橋の妖蝶とは摩耶の所感の通り、地縛霊ではなく残留思念のようなものなのかもしれない。


 通常、地縛霊の成仏は霊魂が未練を断ち切り、執着する根本的な因果を解消することで果たされる。以って地に縛られる自らを解消するのである。依って立つところが固着した未練であるから、これは相当に手強く、強制的な浄化などは十全な効果を見ないばかりか、かえって悪性を強める結果を惹き起こすことにもなる。尤も強制手段に訴えようと思えば実行に適うだけの用意が、摩耶たちにはある。しかしそれは最終手段に留めようと方針を転換した今、結局のところ摩耶は気の進まぬ一歩を踏み抜かねばならないのであった。


「相羽さん。貴方と〝彼女〟との間に何があったのか、話しては頂けないでしょうか」


 口にすると、覚悟が決まった。摩耶は自分がかつて怪異調伏の任に当たったどの瞬間よりも張り詰めた緊張の只中にいると感じた。自らの残酷な手振りを確かめる。相羽青年は静かに目を閉じ、深閑と往時を想い出すようであった。そうして相羽青年が口を開いて話し始めると、摩耶は血の滴る、脈打つ心臓を今、手にしたのだと確認した。或いはこの熱く脈動する心臓を、この手に握り潰そうとしているのだ、とも。


「それは構いませんが、少し、聞き苦しいところがあるやもしれませんので」


 相羽青年は書き取り机にノートを広げて何事かを熱心に書き付けている琴子をちらと見遣った。琴子には聞かせたくない話でもあったので、摩耶は別室に彼女を移そうと考えた。ところへ、しばらく話を聞くに任せていた夏彦が、


「なら僕がしばらく遊び相手になってあげようか。琴子ちゃん、隣の部屋へ行こう」と水を向けたが、琴子は唇を尖らせて書き物に夢中で返事も呉れない。些か心痛を覚えた夏彦がなにを書き込んでいるだろうと書き物机の上のノートを覗き込もうとすると、普段の緩慢な動きからは想像も付かぬ俊敏さで彼女はノートを閉じ、そそくさと部屋の片隅に置かれたナップザックの元へと歩み去ってしまった。どうしたものか、またも中空に半端に差し伸ばされた手をぷらぷらと力なく振って、夏彦は遣り切れない思いを苦笑に紛らわせた。


「琴子、少し難しい話になるでしょうから、隣室に待機していて下さい」


 さて、難しい話とはどんな話だと常であれば返ってくるところ、琴子からは返事もなく、彼女は無言の内にナップザックからコルクの耳栓を取り出しては、両の耳にすっぽと嵌め込み三猿の構え。壁に向かって座り込む琴子に摩耶は何事か思わん。


「はあ。仕方がありませんね。相羽さん、話し難いところは按配して頂ければ問題ありませんので、どうかこのままでお願いします」


「そう、ですか。では、どこから話しましょうか」


 琴子を不思議そうに眺めていた相羽青年は気を取り直すと、ゆっくりと口を開いた。糸車は回転を始め、記憶の糸は何時かのあの場所へと相羽青年を案内してゆく。








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