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鬼餓身峠陰獣送り  作者: 東間 重明
第二章 妖蝶両婦地獄
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一ツ目橋へ



 旅籠に夕餉を済ませると、身を改めた一行は各々の装備を手に仮寓する六畳間を後にした。相羽青年に悪いというので、食事と準備を済ませた後、指定された場所に集合すると別れ際に摩耶が申し伝えた為であった。摩耶が帳場のおかみに少しく出かけてくる旨を伝えると、彼女は目を剥いて驚いた様子。


 さもありなん、縫い取りの付いた白砂の袿に緋袴、挙句は背中に和弓を背負った巫女など、日常的の存在では有り得ない。ばかりか、背後には剣豪小説に出てくる山篭りの武芸者のような大男が、穴倉から這い出ようとする熊のようにのさのさと上体を揺らして、嗚呼、低くなった天井に頭をぶつけて呻いている。腰には布に包まれた棒状の物を差していて、先日は到底見当も付かなかったが、腰差しにあれば刀剣の類だと容易に推察できた。更には、洋装の童女がぱんぱんに膨れ上がったナップザックを背に後へ続く。彼女も日本人らしからぬ赤い髪の毛をして、やはり尋常一般からは余程遊離している。


 そのように卦体(けたい)な一同がぞろぞろと階上から降り来たったのであるから、おかみが動転するのも無理はない。配膳の折など、机の上にごちゃごちゃと物を広げて作業をしているのを目にすることもあったが、まさかに芍薬の君が神職者であったとは思いもよらなかった。全体取り合わせの奇妙が、おかみの想像を逞しくしたことは疑いを容れぬところである。


「行ってらっしゃいまし」


 平静を装いつつ彼等を送り出すと、一同の関係性についてあれこれと妄想逞しいおかみである。まさかに情夫……。まさかに私生児……。まさかまさかに……、


「……あれが寺侍」ぼそりとおかみは呟いた。


 残念ながら、三人ともが神職者であった。武士はもういない。消閑の備えに帳場の奥に隠した小説本は、江戸時代を舞台とした剣豪小説であったという。婚期を逃してはならぬと焦りを感じ始めているおかみである。送り出した寺侍、もとい似非坊主の後ろ姿を目にして、いやいや、もっとこう、しゅっとしているのが良い。あんな野暮ったい感じではなくて……。おかみは帳場に一人、幾度も被りを振る。悩ましい初夏の夜であった。



 して、一同は境川が支流の一つ、黄瀬川に架かる二ツ目橋に到着した。灯火は疎らに川原の暗色の葉叢を浮かび上がらせ、足下の流れから立ち上る涼気が三人の頬を撫でる。


「――琴子には出来れば宿で待機していて貰いたかったのですが」


 橋の欄干に手を掛けて、保護者二人から少し隔てた所に、琴子は川面をじっと眺めている。元より好奇心の強い娘ではあったが、山を降りてからこちら、その傾向には拍車が掛かっているようで、さながら久し振りの散歩に雀躍する子犬のように、そこかしこを元気に走り回っている。その様子に些か呆れた調子で摩耶が零した。


「三人も神職者がいれば、滅多なことにはならないとは思うがな」同じく琴子の方を見遣りながら、渡浪が云う。


「仕事に関して然程の心配はしていないのです。あれであの子は飲み込みが早い。異常な程に。一度見聞きしたことは忘れない性質なのだそうですよ。事実、私の仕事を横に見て、形だけならばほぼ全てを再現することが出来るくらいです」


「それは凄い。ちょっとした天才児だな」


「ええ、そこは幼くとも雅楽川ということでしょう。ですから、私が心配しているのはあの様子なのです」


 川原は足場が悪く剣呑ですし、こんな夜分に走り回って転げたら、危ないでしょう、というのが摩耶の心配の種であるらしかった。それを聞いて、なかなかどうして立派に保護者をしていると渡浪が顔を緩めているところへ、行灯を手に御金神社より相羽青年が到着した。


「すみません、お待たせしてしまいましたか」


「いえ、寸刻前に私達も到着したばかりですから。話は道々することにしましょう。相羽さん、案内を宜しくお願いします」


「承知しました。しばらくはこのまま川沿いに進んで、一ツ目橋の近くに階段がありますので、そこから川原に下りましょう」


 摩耶が行きますよ、と声を掛ける。欄干から身を離した琴子がとことこと戻ってきて、渡浪と摩耶の間にすいと身を入れる。一行は川下に向けて歩き出した。


「現場はどのような状況ですか?」と摩耶が聞く。


「工事は今のところ中断しています。人払いもしてありますし、我々関係者以外に、敢えて立ち入る者もないでしょうね」


 受けて、摩耶は何事かを思案する風である。一方の渡浪が気になっていた点を相羽青年に訊ねた。


「見崎邸では主人の手前詳しく聞くこともなかったが、被害にあった人間というのは概ね作業員達なのか? 確かあんたも蝶に追いかけられたとか云っていたような気がするが、どんな悪夢を見るんだ」


「そうですね、一つずつ話しましょう。妖蝶に遭遇した被害者は僕を除き全員が作業員です。恐らく妖蝶は一ツ目橋という場所に限定して現れる怪異のようですね。被害者の総数については、見崎さんの前でははっきりと申しませんでしたが、相当数、十人は超えるようです。正直なところ現場の士気は下がる一方で、自治体にせっつかれた見崎さんも相当に参っているようです。憑かれた者の見る悪夢については、僕はこれを見ることなく難を逃れましたが、作業員の口々にするには、なんでも女の夢を見るのだとか」


「淫夢の類か?」受けて間髪を容れずの応酬に少しく摩耶が厭な顔をして見せたが、渡浪は気にした風もない。


「どうにもそれとも違うようです。内容はまちまちなのですが、業病に苦しむ女の様子をまざまざと見せ付けられたり、はたまた自分が妖艶な女へと変じて老女を刺し殺したり、断崖絶壁から海へと身を投げる女をどうすることも出来ずに眺めているだとか、そんな具合で、ともかく共通項としては女性が現れる悪夢、ということでした」


「なるほど、確かにそれは悪夢だな。妖蝶女地獄というところだね」合点、といった具合に頷く渡浪に、


「また下らない事を云わないでください、渡浪さん」摩耶が厳しくねめつける。最早合の手と云える何時も通りの遣り取りである。


「ああ、肝心のところを聞くのを忘れていた。作業員が妖蝶に遭遇したという、時期を聞くのを忘れていた」


「時期、ですか。少なくとも同時に悪夢を見た訳ではなさそうですし、各人数日の開きがあったこととは思いますけれど……」


「いやいや、そうじゃない。そもそも、妖蝶が現れるようになったのは何時からだ?」


 相羽青年は地に視線を落としてしばらく考えてから、思い付いて顔を上げた。


「全て地鎮祭の終わった後、ですね」


 はっとする摩耶に、渡浪が快活に笑った。してやったりといった様子に、摩耶は歯噛みせんばかりである。


「やはり僕は儀式を失敗してしまったのでしょうか」相羽青年は目に見えて肩を落とし、悄然と項垂れた。今にも消え入りそうである。


「なに、失敗とばかりも云えなさそうだ。もし失敗であるとしても、発生の時期が特定できたのなら、意味合いは大きく異なる」


「それはどういう……」


 云い差した相羽青年に並び立ち、渡浪は足下を指差して、


「まあ、それは実地に検分するとしようよ」


 辺りには工事車両が停められたままに放置され、運び込まれた建材がシートを被って、そこここに山となっていた。流れる水音はより一層明朗に。灯火を差し向けられた黒々とした鏡面は、手招きをするように滑らかに瞬いた。巨人のような山陰に見下ろされながら、直走る水辺へと向かう。

 

 一行は、妖蝶の出没するという、黄瀬川一ツ目橋へと到着した。




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