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鬼餓身峠陰獣送り  作者: 東間 重明
第二章 妖蝶両婦地獄
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夏彦来る



 さて日も暮れかかる頃合である。漁師達に持たされた魚籠を担いだ渡浪一行はゆるゆると浜辺に背を向けた。どうにかこれで摩耶の気も散じたことだろう。


「さて、宿に戻るとするか。蝶々の前に、先ずは腹拵えとしよう」


「ええ。どの道、必要な道具は宿に置いたままですから、そうするが良いでしょう」と摩耶が応じる。


 眉根に皺を寄せた姉ちゃんと、食卓に膝を突きあわせるのも堪らんからなあ、と内心でごちる渡浪の傍らに、琴子が頻りに魚籠の中身を検めている。余程のこと釣果に興味をそそられたものらしい。今にも手が出そうに目を輝かせているところを、


「はしたないですよ、琴子。そんなにしないでも、宿に帰ったらちゃんちゃんと料理してくれますから」案の定、摩耶に見咎められた。


「なに、そう決め付けるもんじゃない。琴子は別に腹が減ったから、じっと魚籠を覗き込んでいる訳じゃあないだろう」


 見下ろす渡浪に、琴子はしおらしく頷いた。なんと云おうか、実利一辺倒の摩耶には常識的な範疇にある子供の機微にも、どうにも疎いところがある。現実的である分、浮世離れした性質がある。


「単に釣れた獲物が珍しいのさ。おもちゃみたいなもんなんだよ。子供にとっちゃ、こんな小さな生き物がその第一等だったりするだろう? 姉ちゃんも小さい頃に沢遊びくらいはしただろう」全く困った奴だと渡浪が口にしたが、


「生憎と、遊んでいる暇はありませんでしたので」


「うにのように手強い」

 

 摩耶の反応、膠も無い。冗談はおろか、口を挟むだけでこの有様である。ひょっとしておれは嫌われてでもいるのだろうかなあ、とぼりぼり頭を掻く渡浪であった。


 全体、自尊心が特別高いだけであったのなら、そこにある承認されたいという欲求から一種の可憐さを認めて微笑ましくもなろうものを、克己心が昂じて葛藤と抑制の権化と化して、見定めた位置から一歩でも堕落すればただちに死ぬ程に痛めつけられる精神的な生をどこまでも維持したいという彼女の意志には、渡浪をして手を焼く痛ましさがあった。憐れみと云って都合が悪ければ、ふとした折に摩耶が見せる手応えの無い反応には、面前の人間をぎくりとさせるような違和感があった。


 などと。当の本人を前に、凡そ客観的には好意的に遇されているとは到底思われない位置に在るにも係わらず、にへらと笑ってこんなことを考えている渡浪もまた、尋常一般からは少々ずれた人間には違いない。


 ――秋徳はどうだったかな。あいつは、少し違った。どこがどう違ったろう。同じ家に生まれて、同じい職にあって。一体どこが……。


 そうだ、あいつは打ちひしがれていた。踏みつけられた草みたいに、縁のない人間だった。


 そうだ、それだからおれは、


「ちょっと君、君たち。少しいいかな」


 唐突に思考は遮られた。呼び声に背後を振り返ると、果たしてそこには威儀を正した警察官が、警棒を落とし差しにこちらへ厳しい誰何の眼を向けている。佩刀返納の仕儀に至った今日、しかしながら彼らの面魂は些かも損なわれてはいないといった様子に、元来国家権力というものを疎んじる渡浪は露骨に顔を顰めてみせた。


「おれたちになにか用かい」


 渡浪の不躾な物言いに摩耶は吃驚したが、当の警察官はそれに気を悪くした風でもない。ちょいと制帽のつばに手をやって、苦笑いすると、


「ここらじゃあまり見ない顔だと思ってね。旅行かな」と、やんわりと口にした。


 ゆっくりと一団を見回すと、警察官は渡浪が背負った魚籠と一物に眼を据えた。どうにも自らが怪しく思われているということに満足の行かぬ摩耶であったが、体面を慮ってか口を噤んだまま。傍目に自分たちがどう目に映るものか、とっくりと考えるまでもない。いかさま、怪しい一団であった。


「念の為と言ってはなんだけれど、魚籠を確認させて貰っても良いかな?」


 そりゃあ構わないが、と魚籠の中身を見せると警察官は頷いて、


「おお、これは大した釣果だね。背中のそれで一本釣りって訳か。かなり良い竿なんだろうね」


 さて面倒な本題がやって来たと渡浪は摩耶に目配せをした。摩耶が黙って頷くと、渡浪は委細承知と心得顔で、


「ああ、良い竿だぞ。おれは専らこれ一本で食っている」見当違いを口にした。


「はっはっは、風流だねえ。見せて貰っても?」


 警察官の笑顔のなかに表情のない無患子の実のような瞳がきらりと光り、摩耶があんぐりと口を開けているところへ、今度は通りの横合いから男の二人連れがなにやら話をしながらこちらへやって来た。


「おや、遠見さんに、お連れの方も。奇遇ですね」と、声を掛けたのはつい日の始めに見崎邸で別れたばかりの相羽青年であった。見ると連れ合いは邸で見かけたループタイの少年である。


 御金神社さんのお知り合いでしたか、と見る間に警戒を解く警察官に渡浪は些か飽足りないものを感じた。二、三会話を交わすと、警察官はその場を後にした。去り際、近頃は山中に山賊が出るという噂もあります、剣呑ですから、どうかお気をつけて、と言い残して。


「倒頭、山賊にまで身を窶しましたか」


「別に、おれだと決まった訳でもないだろう」


「まったく。それと、先程のことですが、ああいった場合には背中の得物のことは隠し立てする必要はありませんよ。私と、屋敷が貴方とそれを保証しますから」


 ふむ、と渡浪は頷いた。摩耶の腹では必要とあらば太刀の存在を隠し通す気はないものらしい。おいそれと人目に晒して良い物ではないが、それを所持しているが為に行動を阻碍されることはないのだと。婉曲な物言いではあるが、国家がこれを保証するということに相違ない。転じて、それは怪異の存在を認めるということにもなる。国家神道を廃した現在にあっても、遠見の命脈は絶たれることなく、巫祝の業は倦むことなく営々と受け継がれて来た。奇しくも、秋徳の杜黙と呼ばわる霊刀が呼び水の剣であるように、彼らの対する怪異とは他ならぬ、神職者自身のアトリビュートであった。全て魔的なものはこの範疇であろう。尤もこれは一人神職者に限ったものでなく、可逆的偏倚性を暴く力を仮に浄眼と呼ぶものとすれば、摩耶の常ならず忌避するところも上手く呑み込めるように渡浪は思った。


 して、ひとくさり言いたい事を口にすると、摩耶は相羽青年に向き直って頭を下げた。


「ありがとうございました。面倒なことになるところでした」


「いえいえ、そんな。丁度折り良く通りかかったところでしたので。私が出しゃばるまでもなかったようですけれど、彼と話しているところに貴方方の姿が見えたものだから」


 皆の視線がループタイの少年に集まると、彼はずいと前へ出て微笑み、腰に吊った手箱のようなもののひとつから幾片の紙片を取り出すと、一枚を摩耶に手渡しながら、


「今朝、見崎邸で擦れ違いましたね。僕はこういう者でして」


 渡された紙片は古紙を利用した名刺であった。名刺には、『ギャルリー膝突堂』と大きく印字され、その下には恐らく役職でもあろうか、マンサーチャー、勝谷夏彦、とあった。右下には住所と、固定電話の番号が記されている。


「ご丁寧にありがとうございます。ギャルリー、というと画商さんでしょうか」摩耶が聞く。


「惜しい。骨董屋ですよ。僕は三代目になるそこの従業員です」


「そうでしたか。私、芸術には疎くて。ギャルリーと聞くと、絵画や彫刻を展示している施設といったものが頭に浮かんでしまいますね」


「まあ、字義としてはそれで大体合っているんですよ。悪趣味な店主でね、ちょっと変わった店だから」


 一同の紹介が終わると、夏彦は渡浪に名刺を手渡した。どこか含みのある表情に、名刺をむんずと掴んだ渡浪は、


「しかし、こんな御時世に骨董品なんて需要があるのかい?」と思ったことを率直に口にした。


「こんな御時世だから、面白い骨董があちこちで見つかるんですよ。死蔵されていた逸品が市場に出回るチャンスです」言って、にやりと不敵に夏彦は笑った。


 渡浪はふうむ、と鼻を鳴らして、マンサーチャーとあるのは? と聞く。


「読んで字の如く。人捜しですよ。仕事の内容は正直色々ですが、骨董の調査から持ち主の人品骨柄の調査まで。骨董のオーナーと渡りをつけるのが主な仕事ですが、実際に行方不明になった人間の捜索まで、まあなんでもやりますよ」


「おれも胡散臭い人間だと自覚しているが、お前さんも相当に胡乱な肩書きをしとるなあ」


 横合いの摩耶に脾腹を突かれて噎せ返る渡浪を尻目に、夏彦はその場に中腰になると渡浪の傍に所在無く立っている変わった髪色の童女にも同じい名刺を渡そうと手を伸ばした。


「はい、キミにも」


 爽やかな笑顔を向けて夏彦が手を差し出すと、あにはからんや、どんぐり眼を輝かせて何事にも興味の尽きぬ琴子の常にあらず、すす、と無音で渡浪の背後にスライドすると完全に姿を隠してしまった。それも横合いに様子を伺う気配もなく、夏彦の眼界から姿を消してしまったのであった。さしもの夏彦もこれには些か心痛を覚えてか、差し出したままに片の付かぬ手をぷらりぷらりの苦笑い。


「……子供には割りと好かれる方だと思ってたんだけどなあ」


 それから、夕餉が済んだ頃に迎えに上がりますと言う相羽青年と夏彦に別れた。旅籠への道すがら、夏彦くんは相羽さんとなんの話をしていたんでしょうね、と摩耶。さあて、なにか仕事の話でもしていたんじゃないのか。


「それにしても琴子にしては珍しい。人見知りするような柄でもないだろうになあ」


 脇をちょこちょこと付いて歩く琴子は頻りに肩を竦めるように、なにかむずがってでもいるような様子であった。






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