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鬼餓身峠陰獣送り  作者: 東間 重明
第二章 妖蝶両婦地獄
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会見 後篇

 疲れ果てた様子でソファに腰掛ける見崎氏は、通り一遍の挨拶をすると、煩わしげに目頭へと手をあてがった。どこか気もそぞろの様子であったが、思い付いたように家人を呼んで茶器の始末を云い付けると、幾分気を取り戻したものか、はっきりとした口調で、


「いや、すみません。少しばかり妙な手合いがやって来ましてね。ご覧の通り、その応対にすっかり消耗してしまった」


 昂然と先の不調法を詫びてのけた。


 渡浪は門前に擦れ違った少年を思い出した。来客者とは果たして彼であったろうか。確かに変わった格好をしてはいたが、それほど尾篭な人物とも思われない。着崩れた格好をしてはいたものの、どことなく育ちの良さを感じさせる少年であったから。とはいえ、見崎氏の家人とも思われない。


「いえ、お気になさらないでください」と、受けて答えるは摩耶。


 依頼の本筋に関わる事でないのなら、それに頓着する摩耶ではない。前置きは要らぬとばかり、それで今回の依頼についてですが、と進行を務める。摩耶の態度は天木老人に対するそれとは正反対に無味乾燥なものと見える。実際、生一本に偏せず事件に当たる彼女も、こと人間の趣味については割合に好き嫌いのはっきりした性分であるらしい。ぴりぴりとした緊張を肌身に感じて、渡浪は彼女の横合いに苦笑いを浮かべて頬を掻く。


「ええ、大略は御屋敷の方からも伝わっていることと思いますが、今回貴方方にお願いしたいのは、一ツ目橋に現れるという怪しげな蝶の調査でして。工事は今も進められておりますが、このままにおいてはなにかと支障が出ますのでね。早急に事実の確認とふさわしい処置をお願いしたいのです」


 見崎は支障と云う。とかく、人の口は災いの元である。地主などをして、大きな貌をしていては面白く思わない人間も少なからずいることだろう。そのような人間がよし、その目に怪しげな蝶を見ることがなくとも、これを都合良く用いたなら後顧にどのような憂いを残すものか知れたものではない。渡浪はぼんやりとそんなことを考えたが、彼の主人に気になることは煩雑極まる政とは別所にあった。


「随分と曖昧なことを仰いますね。屋敷からは妖蝶の目撃情報を受けています。ここに来て、まるでその実在を疑うかのような口振りはどうした訳なのですか」


 摩耶の鋭い追及を受けて、見崎氏は初めて来訪者に対する感情らしきものを露にした。そうしてそれは今回の会見に先駆けて根底的に準備されていた懸隔に違いなかった。すなわち、事実、そのようなものは存在しないではないか、と。見崎氏は目を細め、はっきりと面前の巫女に冷笑したのであった。


「私はこの目でそれを見ないのですよ、遠見さん。確かに詳細な目撃情報も幾つか上がっています。けれども、実地に私がそれを確認した訳ではないのです。話によると一度目にすると、どこまでも後をつけてくるのだとか。そうだったね、相羽くん?」


「は、はい。その通りです」唐突に水を向けられた相羽青年は気まずそうに口篭った。


「それで、君自身見たんだろう? 光る蝶を。それでどうなった。なにか問題があったかね?」


「いえ……。神社の近くまでは後を追ってきていたのですが、気が付くと幻のように掻き消えてしまって。幾人か目撃したという人もあるのですが、なかには家の中まで入ってきて、悪夢にうなされたという報告も……」


「それで命までは獲られない。そうだろう? なかには私を良く思わぬ亡魂の仕業だなどという者もありましてね。本当に口さがない連中もあったものだ」


 見崎氏はここで一つ咳払いをして、


「ともかく捨て置く訳にもいかないだろうと、御金神社さんに一度お払いをしてもらったのですが、事後も目撃の報告は後を絶たないという訳でして、なんとか決着を着けて貰おうと遠見さんにこうしてお出で願った次第です。私としては妖蝶の始末もそうですが、何故一度お払いをしたにも関わらず、それが消滅しなかったのか、尚も身に覚えのない噂が絶えぬのか、その原因も含めて調査をお願いしたいのです」


 どうやら地主と氏神社は円満とは呼べぬ間柄にあるものらしい。見崎氏の当てこすりに、相羽青年なぞはかあいそうに身体を屈めて怯える子猫のように震えている。一方、正対する摩耶といえばこれは立派なものであろう、眦を据えて臆することなく、


「それが事件解決に必要な事由であると判断した場合には、そうしましょう。もっとも、そのような場合に必要な人間は、我々のような神職者ではなく、探偵でしょうけれど」真っ向から受けて答える。


 見崎は低く短く、うふふと嗤った。


 渡浪は、ほとんどこの俗物が好きになっていた。この卑俗な男は再三に渡って実際上必要とは認めぬ金銭を手放すことに手酷い痛苦を味わっているのであった。それがどのようにして予告されたにしろ、自らが信じぬものに金銭を支払うことは、溝川に放ることと同義なのであった。業腹で堪らぬのであった。


 そうして、我々が応接室へと闖入した折、向けられた疲労した貌と長嘆息とは、正しく我々に向けられたものであったのだと理解した。


 ――すっかり消耗させられる、妙な手合い。


 彼をして、その第一等がこうして向かいのソファに雁首を揃えて座っているのだから。渡浪は愛情を惜しむことなく、えっへっへ、と笑った。


 果たしてその不気味な様子に眉根を寄せるが見崎氏である。これまで意識を向けることもなかった大男に無遠慮な視線が向けられた。


「ところで、こちらの方は? 遠見さんの御屋敷からは一人でお出でになると聞いていましたが」


 小さなお連れもいらっしゃるようだ、と云わんばかり、まんじりともせずにいる琴子にもじっとりと視線が注がれる。


「なに、おれのことは置物だとでも思ってくれて良い。坊主に経文、武士に太刀。主人の身に添う道具というわけで」


 摩耶が見崎氏の疑念に答えるまでもなく、満面に喜色を浮かべた渡浪が云う。いったいなにをこの人はにやにやと笑っているだろう、と謹直な摩耶はついと眉根を寄せた。


「彼は、私の兄と縁故のある人間で名前を渡浪幾三と申します。こちらは私の遠戚で同じく神職にある雅楽川琴子。何れも今回の依頼に際し、助力を願うべく手配した者です」


 摩耶から詳細な説明が成されたが、それで尚、見崎氏の不審が解けることはない。いやまして不躾にねめつけるところを、どういうわけか渡浪はへらへらと笑っていることだし、一方の琴子は退屈そうに生欠伸を噛み殺していたりなどする。何れも主人の体面には些かの頓着もない様子であった。これには見崎氏宜しく重々しく嘆息しそうになるを、摩耶はぐっと堪えて、ともあれ今回の面談の進行に勤めた。


 そろそろと茶と菓子が運び込まれる段になって、夜に相羽青年と合流し、現地に赴くことと段取りがついた。ついては事前の準備を日中にされたし、とのことで、ともあれ渡浪一行と相羽青年は見崎邸を後にした。


 摩耶は現地に見崎氏の同道を暗に求めたのであったが、霊能力のない私が付いて行っても役に立たないことだろうから、後の事は相羽君に一任する、とのことだった。常人を危地に招くことは摩耶の主義に反することだから、強く求めたのでないが、少なくとも初手から内実の把握に自身が注力する姿勢を見せないということは、彼女の目には責任の位置に在る者がそれを放棄していることと同義であった。


 自らの恃む力を否定されたことに怒るのでなかった。むしろ、常人が安寧を享受出来得るよう尽力することこそが彼女の本懐なのであるから。それだからこそ、摩耶は憤る。実際になにかあってからでは遅いのだ。見崎氏のみならず、被害は拡大することだろう。それを強く訴えかけても、頭から怪異の存在を否定されてしまっては身動きが出来ぬ。責任の不在を面罵することも適わぬ。一度怪異怪妖に出会ったのならば、玉の緒を牽かれる。かくして、現代の巫女はオカルトの一語を押し付けられる形で、第一者の存しない暗夜に幾つもの暗闘を切り結んで来た。これまでも、そうして、おそらくはこれからも……。


 摩耶は一心にそう思ってきた。けれども、それだからこそ。渡浪幾三という存在は遠見摩耶にとって正に青天の霹靂であった。当事者の能動的な助力が必要となる場面に於いても、摩耶の採り得る手段は結局のところ必滅の一手をおいて在り得ない。それを渡浪は鮮やかに転じて見せた。当事者を当の怪異に直面させるという、一面に度し難い危険を孕んだ荒療治を以って。


 怪異に関与してしまった人間を患者であると表現するのなら。外面とは正反対に、退魔の巫女であり薬師である摩耶は病変を取り除く執刀医であり、太刀を携えた放蕩者の渡浪こそが主治医であり、また観察医なのであった。


 今回の妖蝶がどのような因を成しているのかは判らない。けれども災禍の周辺に在る人物に、摩耶がなんらかのリアクションを求めているということは、ひとつの変化であった。少なくとも渡浪と知り合うまでの摩耶の念頭に、如何にも人間臭い責任者に対する義憤めいた感情が芽生える事などなかったのである。壊れかけた装置のように血腥い闘争に明け暮れる日々に在った摩耶に、多少の変化を与えた者は、他ならぬ渡浪であろう。


 もっともそれを意識することのない二人であるから、皆の先頭に立って山道をずいずいと進む摩耶はむっつり黙り込んでぶりぶりと怒っている。道々、琴子が野花を手にとってあちらこちらへ足の向くところを、後をゆく渡浪が手を引いてゆく。


「角でも生えてきそうな様子だなあ。なにをあいつはあんなにぷりぷりと怒っているんだろう」


「角? 摩耶には角が生える?」琴子がどんぐり目を輝かせながら渡浪を仰ぎ見る。


「生えるぞ。誰と云わず、女には漏れなく角が生える。それが本成りともなりゃあ、神仏の加護も有り難いお経も効き目薄の大したもんよ」


「ふぅーん。それじゃあ、叩き折る? ちんこで」


「ふむ、琴子。ちんこで叩き折るのは女房の角だ。誰と云わず振り回して良い物でないというのは太刀も同じで、方々で自侭にせば、きっと後ろ手に縄が回るものと相場が決まっている」


「そっかあ。それじゃあ大変だ……」


「うん、大変なんだ。生半な覚悟ではな。男が叩き折ると決めたなら、そりゃあもう必殺の意気を込めて」


「聞こえていますよ!!」


 声を荒げて振り返る、摩耶の面体、鬼女の如し。頭にゃ手燭の二本差しの、妖怪変化も裸足で逃げ出すその形相。なによりも恐ろしきは実地生身の女人に他ならぬと、渡浪の心胆を寒からしめたものである。


「あはは、随分仲が良いんですね。賑やかで楽しそうだ」


 傍らをゆく相羽青年が、なにか眩しいものを見るように目を細めて云う。


「そうか? 別段、変わったこともないように思うが」


「それが充分に特別なことですよ」


 そうか、と溢して、渡浪は頷いた。


「二人は付き合いが長いのですか? 先の話では摩耶さんの兄君と知り合いということでしたが」


「む? ああ、兄貴の秋徳とは長いが、姉ちゃんとは最近知り合った。話に聞いていたより、数倍おっかない」云って、懲りもせずにわははと大笑する。


「ふふ、やっぱり、気風なのだろうなァ」


 儚く口にして、相羽青年は御金神社へと引き帰っていった。夕刻を過ぎれば、旅籠に迎えに来ることになっている。彼を見送って、三人は旅籠に足を向けたが、日はまだまだ高い。


「琴子よう、海にでも行くか」


 行く、と傍らの童女が元気良く返事をする。目の前にぶりぶりと熱気を放つ摩耶の念晴らしにも良いことだろう。なに、反対はすまい。僅か数日の滞在にも関わらず、摩耶の手荷物に日常品の備えの多大なるを知っているのだから。きっと外行きのあれこれも仕舞ってあることだろう。


 まったく面倒で、おかしな女だなァ、と微笑みながら、


「よお、姉ちゃん。琴子が海に行ってみたいって云うんだがよお」


 山道の木立に陽光の満ち満ちて。さんざめく光の葉波のなかを三人はゆく。






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