表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/17

第七話 「地下道と宝物庫」

 身動きにも難渋する細い階段は、漆黒で塗りつぶされた地底へと、どこまでも続いているかのようだった。当然そんなはずはなく、通常の家屋ならば二階分ほどを下りたところで、空間が開けたのが空気の流れで分かった。

 地面に付いた足が砂利を踏み、音を反響させる。壁を滴り落ちる水滴の微かな音さえ、閉ざされた空間は増幅させ、奥へ奥へと広げる。ただの地下室に繋がっているのかと思えば、そこは細長い洞窟のような場所らしかった。

 先に下りて安全を確認していたルートが、杖の先に明かりを灯した。

 柔らかく包むような光に照らし出された空間は、ほんの僅か。その円から外の影を、より濃く浮かび上がらせる。左手に延びた道の先の先は、どこからが壁でどこからが床なのか、判然としない闇にとける。

 例えそこに先に下りたはずの『どろぼう』が----もっと言えば魔物がいたとしても、こちらからは分からない。しかし闇を見透かす魔物には見付かってしまうだろう。ならば光があっても無くても同じことだ。

 目を閉じて耳を澄ましてみても、何者の足音も聞こえなかった。

「なんなのでしょうか……ここ」

 続いて下りてきたミリリアが、無駄に響いた己の声に恐る恐る口を開く。暗闇を怖れているわけではなさそうだが、洞窟特有の湿り気を帯びた冷たい空気に身震いして、細い腕で自らの体を抱えた。薄気味悪そうに、辺りを見回す。

 それは我としては馴染んだ空気だった。自然の洞窟をねぐらとすることは多く、むしろ落ち着く。しかしここは、そうした天然に出来たものではなさそうだった。

 ルートが不可解そうに壁を照らし、地面に膝を付いて調べる。

「……分からない。

 少なくとも、最近造られたのではなさそうです。

 かなり前----それこそ、シーカルド城が建てられて、この町ができた頃のものではないでしょうか。とてもただのどろぼうが造れる代物には見えませんね」

 きれいに整えられた壁面。天井を支える木の梁や柱。積み上げられた石。それらは明らかに人間の手が加えられた跡だった。この土を掘り進んだのが魔法によってなのか、道具によってなのかまでは定かではないが。いずれにしても簡単ではない。

 ルートが立ち上がり、道の先を見遣る。

「かつてなんの為に、誰が造ったのかは分かりません。

 でも、現在何者かが利用しているのは確かだと思います。

 新しい足跡がいくつかありますから」

 どろぼうのような姿をした、何者か。

 地下を走る道は、いったいどこに続いているのか。

 ルートが話すうちにも声は反響し、その音の広がりは広大な規模を窺わせた。

「行くぞ」

 我は一向に歩き出そうとしないルートの脇を抜けて、闇に沈む地下道へ歩を進めた。

「----はい」

 ルートが小さく返事をして、足早に前に立つ。

 地下にある道は、地上の薄闇とは比べ物にならない暗さだ。ルートの持つ明かりが無ければ、顔の前にかざした己の手さえ見えない。元の体であればこれほどの暗闇でも、輪郭や大凡の形くらいは見えるのだが、ここでは明かりに頼る他なかった。

 ルートが杖を松明のように掲げて先導する。

 普通の民家を装った、暖炉の中に隠されていた秘密の道。

 ただの地下室ではありえない。

 そんな得体の知れない場所を行くことに、腹の底ではどう思っているのか。ルートが返事をするまでに微かな躊躇があったのを、我は見逃していなかった。

 どんなに気をつけても物音の響く地下道を、周囲に注意を払いながら進む。

 道は緩やかに曲がりくねり、時折脇道と交差した。視界を限られ、また代わり映えの無い地下の景色も相まって、それは道を知らぬ者を迷わせる意図を明確に表していた。

 そんな作り手の思惑とは別に、幾つも延びる分かれ道には、最近になってここを利用している何者かの痕跡が見受けられた。交差する道の壁に、白墨で目印が描かれている。文字----ではなさそうだ。仲間内でだけ通じる簡単な記号か。消えそうになる度、重ねてなぞっているようだ。

 後ろを行くミリリアが、不意に我の服の裾を掴んだ。

 振り返ると目が合う。僅かな光を露のように映し込む瞳に、不安が影を差している。なんでもないと強がって我を見返すものの、手を放そうとはしなかった。

 鬱陶しい。

 目を細めて睨んでも、小娘は縮こまるだけで頑なに握り続ける。

 ----沈黙。振り払うのも面倒になった。暗闇ではぐれる方がより鬱陶しいに違いない。きっとルートが文句を言う。

 我はため息と共に前に向き直って、その魔法使いの背中に声をかけた。

「さっき言いかけていた、勝算とはなんだ」

「……ああ。そう言えば、話の途中でした」

 慎重に道の先に気を配りながらも、一定の歩調を保って進むルートの背中が、どこか上の空で応じた。いつの間にか手には帳面と細筆を持っている。脇に挟んだ杖から抜け出たような光の玉が、頭の横をふわふわと漂う。もう一つ持っている平たい丸い道具は、確か方角を知るための磁石とかいう物だ。

 曲がり角で一区切りつけてから、ルートは顔を上げた。

「シェロナさまはどうやって城を奪還するつもりでしたか」

 質問を返されて、我は首を傾げる。

「敵の大将を討ち取り、兵の数を半分くらいまでに減らせば、城を明け渡して退却するだろうと考えていた」

「乱暴な言い回しですが、大雑把に言えばそんなところだと思います。

 ですが現在の状況なら、他にも方法があるようなのです。

 それに関わるのが、あの〈暗雲〉です」

 また、分かれ道。とりあえず意味のありそうな同じ記号の道を選んで進む。

 変わらぬ歩調で行くルートは、地下の複雑な道筋に合わせるように、話を途切れさせながら語った。

 魔物は暗雲を引き連れてやって来る。

 それは何故か。

 もともと魔物が暮らしていたのは、北の果てにある〈深淵の森〉だ。魔物の故郷と言えるその森は、まるでそこにある樹々から溢れ出ているかのような、光を呑み込む黒い霧で閉ざされ、一時として日が差すことがない。

 その霧こそが、〈暗雲〉の正体だ。

 常世の闇に支配された森と、その影響を受け同じように濃い霧に包まれた周辺の土地で古より生きてきた魔物は、他に類を見ない強力な魔性と独特の生態を持った。しかしその一方で、そんな暗闇の中でしか生きられなくなった。

 つまり、太陽の光が苦手なのだ。

 それ故に、他の土地に侵攻する際には、魔性の黒い霧を伴う。

 自分たちの暮らせる土地にする為に。

「ですから、あの暗雲さえ晴らしてしまえば、魔物は撤退せざるを得なくなるというわけです。まだ占領されて日の浅いうちなら、それも比較的容易に可能だそうです」

「それはどうやるのですか!」

 ミリリアが我の背に張り付くように身を乗り出した。

 歩き難いことこの上ない。

 身を捩って振り払う。ミリリアはたたらを踏んで蹌踉けた。狭い洞窟だ。直ぐ壁に突き当たる。首筋に水滴でも落ちたか、ミリリアは飛び跳ねて戻ってきた。

 そんなやり取りの間も歩調を変えなかったルートが、数歩分先へ行ってしまってから足を止めた。何事かと振り返ったその表情が、微笑ましいものでも目にしたかのように綻んだ。我は怪訝に眉を寄せる。時々、人間の感覚が分からない。

 ルートは気を取り直して続けた。

「シェロナさまが言った通り。ここにいる魔物の部隊の大将を討ち取ればいい。

 どういう理屈なのかはまだ分かっていないのですが、その部隊の一番上に立って指揮を執っている魔物が倒されると、しばらくして暗雲が晴れた、という事例が過去に幾つも残っているのです」

「曖昧だな」

「そうですが----実際の記録ですし、現在では定説とされていることなので信憑性はあるかと……。それにどれだけいるか分からない魔物の兵を相手にするよりは、大将一人に目標が定まる分、確実ではないでしょうか」

 我の顔色を遠慮がちに探るような眼差し。あくまでも情報提供の域を出ない----出ようとしないルトランスの言い回しだ。どうしますか、と問う視線は、こちらに決断を丸投げしている。

 あの忌々しい暗雲を晴らす。

 わざわざ持って来るのだから意味はあるのだろう。

 そこに異論はない。

 やることも、あまり変わらない。理屈の後ろ盾が付いて、やり易くなった。

 我はゆるりと腕を組む。

「----違いない。

 大将だけならば、確かに勇者ひとりでも勝算はある」

「そうですね……」

 ルートは神妙にうなずいた。

 そうして幾つかの角を曲がり、分かれ道を選び、どれくらい歩いただろうか。

 始めは冗談として、この地下道はシーカルドの町全体に張り巡らされているのではないか、などど話していた推測は、あながち間違いとも言い切れないようだった。

 我でさえ方角を見失いかけた頃。

 辿り着いたのは、小さな部屋のように作られた場所だった。小部屋とはいえ、剥き出しの土は変わらない。ここまで通ってきた通路よりは幅を広く、天井を高く、四角く作られているだけだ。

 ただの行き止まりではないと分かるのは、この小部屋の入り口に、例の何者かが付けた目印があったからだ。ルートが端から一周、部屋の内部を照らして回る。

 その部屋には、半分朽ちた木箱が脇に寄せて積まれていた。何かの材料か、他にも丸太や太い縄などが一緒に転がっている。その様は、用途の知れない物置のようにも見えた。

 そうして目を留めたのは、我と同じ場所。奥の壁の右側だ。

 上手く壁の陰影に紛れさせてあり、薄暗い中では分かり難い。そこの壁にだけ、足掛かりとして石が不揃いに埋め込まれていた。本来はそれも木箱で隠されていたようだが、既にどかされている。

 ルートがちらりと我を振り返った。小さくうなずいてみせるその意味は、「自分が調べる」といったところか。我が不満を口にするより早く、それを予想済みだったルートが速やかに動いて、梯子代わりの石に手を掛けた。

「……」

 振り向きもせずさっさとそれを上る。

 我は下から恨めしく見上げる。

 通路よりは高いとはいえ、地下に作られた部屋の天井は低い。上まで行ったルートは、両足と片手だけで器用に体を支えながら、もう片方の手で天井を探った。いつでも手放さない杖はどこへ行ったのかと見れば----腰の帯に刺さっている。これを好機と差し出した手は、何手も遅かった。

「……」

 抜け目ない。虚しい手を引っ込める。

 土で出来ているはずの天井は、梯子の上の一部分だけが不自然に固かった。ルートが拳で叩いてみせると、確かに妙な音がする。四角く切れ目のような境まであるようだ。手の平を当てて力を込める。上に向かって天井が僅かにずれたのが、下からでも見て取れた。

 ルートがこちらを振り返って、もう一度うなずいた。

 ここでも己が先に行くつもりなのだ。

 息を殺して上の気配を探ってから、ルートは隠し戸を押し上げた。そこにも暗闇が口を開ける。まずは頭だけを差し入れてから、身軽に新たな闇の中へと滑り込んだ。

 それからしばらく。

 ただ待つだけの時など、つまらない。

 暖炉の階段を見付けた時も、ルートは「下で盗人たちが待ち構えているかもしれないから」と珍しく言い張って聞かず、我はしぶしぶ先を譲ったのだ。それがお目付役の仕事かなにか知らないが、小さな不満が頭を出す。

 その苛立ちを抑えるように腕を組み、

 空想の尻尾を左右にゆっくり一往復と半分振る時を置いて----。

 天井の入り口に淡い光が灯った。ルートが顔を出して手招きする。我は軽いミリリアを先に引き上げさせてから、その後に続いた。

 そこは、倉庫のようだった。

 土と古い木のにおいが鼻先に漂う。

 顔を出すと、大きさを揃えた石を丁寧に敷き詰めた床が見える。直ぐ側に木枠の大きな棚があった。幾つもの木箱や樽、中身の詰まった袋の類がそれぞれ区分され、床に整然と積まれている。

 やはり隠し戸だったのだろう。地下道への出入り口は、倉庫の扉からは直接見えない一番奥まった角にあった。壁に沿って置かれた棚が隠し戸の分短く作られ、床に妙な隙間を残している。木箱を積むにも微妙な空間は不自然だ。しかし隣りに並ぶ棚も、壁との間が通路として同じ隙間だけ空いているから、それに揃えているように見えなくもない。

 隠し戸を閉めると、きれいに並べられた床石に紛れて、その境が見えなくなった。

「ここは----食料の貯蔵庫ですか?

 どこなのでしょう?」

 ミリリアが興味深そうにきょろきょろと見回しながら訊ねた。

 我は振り返って答えた。

「恐らくシーカルド城だ。

 この感じだと、まだ地下か」

「えっ!」

「よく……分かりましたね」

 ミリリアが勢い振り返る。思わず抜けた己の大声に、慌てて指先で口を塞ぐ。

 木箱の上に町の地図を広げ、手の中の帳面と見比べて険しい顔をしていたルートも、目を丸くして顔を上げた。どこまでも抜け目なく、歩幅を揃えて距離と方角を測っていたこやつのことだ。やはりここがどこか、既に分かっていたらしい。

 心底驚いた様子のその顔は、我の感覚が正しいと告げていた。

 ルートは苦い表情で髪の毛に手を差し入れて、くしゃりと握り込む。

「まさかこんな抜け道があったなんて----」

 我の分も代弁してそう言う。気付いていながら直ぐに言い出さなかったのは、ルート自身、信じられなかったからか。目は地図の上を彷徨った。

「メリダスさん、一言も言ってなかったんだけどな……。

 この期に及んで勇者さまに隠し立てする理由はないから、そもそも地下道の存在を知らなかったのか。ここ何十年も、使っていなかったのかもしれません」

 この手の隠し通路が城にあるということは、城の主が何らかの理由で秘密裏に抜け出す必要があったからだ。それは多くの場合、命の危険を回避する為。それ故、一部の者にしかその存在を知られてはならない。と、我が城を作らせた大工が得意げに語っていたのを思い出す。

 出口の民家はきちんと管理されていたから、現在もそれなりに心得ている人間がいるのだろうが、魔物の襲撃があった混乱で行方不明にでもなったのか。地下道の存在を知る者は砦にいないようだ。そうでなければ、あの階段の先が城に続いていると知らされていなかったのか。

 どちらでもいい。

 思い掛けない好運だった。

 魔物がここを知っていれば放っておくはずがない。

 これで城の内部に問題なく侵入できる。

 だというのに、ルートの表情は晴れない。ほんの一瞬、ここにはいない誰かを睨むように眼差しを細め、それから深く息を抜いて額を押さえた。

「こんなにあっさり城の中にまで入れるとは思いませんでした。

 まずは町の偵察だけのつもりだったのに……」

「かまわぬ。中も調べる必要があった」

「それはそうですが----」

 ルートが視線を上げて我を見る。何を憂う必要があるのか。小首を傾げて見返すと、そのまままじまじと顔を眺めている。それから悩ましそうに眉根を寄せたが、やがて釈然としない想いを振り払うように小さく首を横に振った。気を取り直してうなずく。

「それもそうですね。

 しかし中を調べるとなれば、行き当たりばったりというわけにはいきません。

 ここからはしっかり計画を立てて、慎重にいかないと。

 二人とも、城内の地図は頭に入っていますね」

 ルートは急にてきぱきと動き出し、木箱に広げていた町の地図を畳むと、そこに新たに城の見取り図を取り出した。昨晩も見せられたものだ。それはメリダスたちの記憶を頼りに描かれたもので、実際の尺度や部屋数は正確ではないと聞かされていた。それでも大凡の見当はつけられる。

 緊張した面持ちでうなずいたミリリアが、胸の前で小さな手を組んで、心配そうに眉を下げた。

「王女様はどこに囚われているのでしょうか。

 こんな魔物だらけの場所にお一人でいるなんて、さぞや心細いでしょうね」

 お可哀想です、と小さく呟く。

 ルートも地図を睨んだまま、唸った。

「魔物の側としても、王女さまは大事な交渉材料だ。無闇に傷つけることはないと思う。きっと丁重に扱われているよ。そうだな----物語の定番としては、やっぱり二本ある塔のうちのどちらかかな。貴賓室として使われていたそうだから」

 ルートが指差すその場所は、この城の特徴でもある空に突き出た二本の高い塔だ。そこの最上部ならば、城の一番奥まった場所でもあり、辿り着くには道筋も限られている。監禁するにはうってつけだ。

「それに一人ではないよ。

 身の回りの世話をする侍女も一緒に捕らえられたそうだから。

 他にも逃げ遅れた町の人や、人間の兵士が何人かいるはずだ」

「そうなのですか」

「そうなのか」

「そうなんですよ。

 というか、ミリリアが知らないのは分かるとしても、どうしてシェロナさままで疑問系なんですか。メリダスさんからその辺の事情は聞いているはずですが」

「言われてみれば、そんな事も言っていたな」

 我は腕を組んで、召喚されたばかりの夜を思い起こす。

 他の人質が印象に残らなかったのは、メリダスを始めそこに集まった者共が一様に「王女様を助け出してください」、王女様を、王女様を、とそればかり繰り返していたからだ。我に真剣味が欠けていたというのもある。それ以前に、

「どうでもいい事だと気に留めなかった。

 そんな事よりも、まずは先ほど話していた魔物の大将とやらの居所を突き止めるのが重要だ。兵の配置や数も把握しておきたい」

「どうでもいいって……」

 ミリリアが顔を上げて我を見上げる。低く抑えた光源は、顔に落ちる陰影を濃くした。淡く黄みがかった光の輪の外は影ばかり。身動きする度揺らいで見える。子供の青い瞳が、行き場を失ったように揺れた。

「どうでもよくは……ありませんよ。

 だって、人質になっている人たちを助け出すのが目的なんですから」

「違うな。

 城を占拠する魔物を追い払って奪い返すのが目的だ。

 さっきから聞いていれば、囚われた人間にばかり気を取られているようだが。些細な事にこだわっていると、果たせるものも果たせなくなるぞ」

「些細な事ってなんですか」ミリリアの眉が険しくなる。

「王女様だっているのに」

 我は小さくため息をつく。

 人間は人質だとか、そういうものを特に気にする。この娘のように情に厚い輩はなおさらだ。その上で、人間にだけ通用する身分とやらの上下にもこだわる。そんなもの、我が前では無意味だ。

「知ったことか。

 考えろ。

 人質を助け出せたとしても、城を取り返せなければ意味がない。

 何人いるかも分らない人間を連れていれば身動きが取れなくなる。そんな状態では、城の奪還など不可能だ。仮にあの砦まで人間共を逃がせたとしても、いずれはそこも魔物に攻め込まれ、同じ事になる。ならば、城を優先するのは当然だ。

 それとも。その王女とやらは、そんな戦況を覆しうる知恵や技能を持っているのか。

 そうでなければ、いま救出する価値はない」

 瞬間、ミリリアの眉が吊り上がった。

「ふざけないでくださいっ!

 人の命はっ、そんな風に量れるものではありませんッ!」

 僅かな明かりでも分かるほど、ミリリアは顔を真っ赤にして声を張り上げる。

 食って掛かるその勢いに、我は少々驚いた。

「ちょっと待った二人とも」

 ルートがやんわりと、両の腕を広げて割って入る。

「ミリリアはまず声を落とそう。

 近くに兵はいないみたいだけれど、声が漏れる」

「でも、ルートさんッ!」

「いいから。頭冷やして」

 声を荒げないながら、いつになく厳しい顔付で言い渡す。そこには有無を言わせない雰囲気があった。ミリリアは気圧されたように言葉を呑み込む。顎を引き、眉に力を込め、唇を引き結ぶその表情は、矛を収められない心の内をありありと映していた。

 続いてルートは我を見る。

「シェロナさまも。人間の勇者なんだから、もう少し考えてください」

「……む」

 ルートはこちらにも厳しい眼差しを向けた。

 すっかり、失念していた。

 我は〈勇者〉なのだ。

 人間の勇者ならば、人質を簡単に見捨てるような決断はしない。

 少なくとも、数多見てきた者たちはそうだった。

 望まれる言動を考える必要はある。それを実行するかどうかは別として。

 腕を下ろして、ルートが呆れに息を抜く。

「価値ですか。

 それに合わせて言うなら、王女さまは美しく聡明で、国民に非常に慕われているそうです。彼女を無事に救い出すことができれば、勇者として、シェロナさまの評価も信頼も格段に上がるはずです。これからのコトを考えると、ずっとやり易くなると思いますが」

「……」

 逆に、もし王女を助け出せず死なせてしまったら、

 人間共は落胆し、我は信任を失うだけではなく批難される。

 今更人間の評判や噂をちまちまと気にする我ではないが、それは元の世界でならばの話だ。それを知ったことかと言える立場に、今は無い。それがひどく煩わしい。煩わしいが……。

 我は顎先に指を添え思案する。

「人質を救出して城を奪還する。厄介だな」

「そこまでの無茶は言いません。シェロナさまの言う通り、連れ出すのは困難です。

 だから、捕まっている人たちを見付けて安否を確かめて、その場所で出来うるかぎりの安全を確保できないか、とそう考えていたんです」

「なるほど」

 そうして我に考えさせておいて、ルートは再びミリリアに向き直った。

 薄暗い中で肩を怒らせうつむく子供は、一際小さく見える。ルートはその頭をしばらく眺めて一呼吸おいてから、親身な声でそっと語りかける。

「ミリリア。君が気の毒な人々を助けたいと思う気持ちは分かる。

 でも無理をして囚われている人々を連れ出しても、おれたちでは守りきれない。それを『助けた』とは言えないよ。

 感情を先走らせて、自分の実力と状況を冷静に判断できなくてはダメだ」

「……」

 ミリリアは顔を上げない。頑なに目をそらしながら、それでもルートの言葉を聞く。理屈は分かる。だが受け入れられない。我に対する憤りを抑えきれず、ただむっつりと押し黙る。

 ルートが腰を屈めて、その小さな肩に優しく手を置いた。

「君のその気持ちは大事だ。

 だから、考えよう。彼らを無事に救い出す方法を。

 それができるのは、ここでは君だけじゃないのかな」

「……」

 ミリリアがそっと瞳を上げた。ルートがふわりと微笑む。

 大きな青い瞳がその顔を見定めるように眺めて、その視線をちらりとこちらに向けた。それからまたうつむき、考える。完全に納得はしていない。それはこの娘にとって譲れない一線なのだろう。しかしゆっくりと一つ瞬きする目には、先ほどまでとは違った光が宿っていた。

 ミリリアは躊躇いがちにうなずいた。

 ルートが満足そうに目を細める。

「……」

 理屈をこねて諭しても反発されるだけなら、情に訴える----。

 我はそんなやり取りを横目に肩をすくめた。

 メリダスたちがあれだけ念を押していたことからしても、本音では王女の安否をなにより気に掛けていたのだろう。それを踏まえた上での、王女救出を第一に据えた、ルートのこの進言だった。




     ▽ ▽ ▽


 ここがシーカルド城の地下にある食料の貯蔵庫だとは分かっても、不確かな地図やルートの測量ではその正確な位置までは特定できない。従って、まずはこの場所がどこに当たるのかを見極め、その上で周辺の魔物の警備状況を探ることになった。巡回経路や見張りの位置を把握しなければ、おちおちと出歩くこともできない。厳重に警戒されている場所が掴めれば、自ずと人質が囚われている場所もあぶり出せる。

 ルートによって付け加えられたその一言に、人質が優先されていると思わなくもなかったが、我は口を出さなかった。

 これ以上拗れさせないでくださいよ、と目配せされたからではない。ずっと城に監禁されていた人質ならば、この城や魔物に関する有益な情報を持っているかもしれない、と考えたからだ。

 ともかく話はまとまった。

 我は地図を荷の中へしまうルートの隙をついて、先に立って貯蔵庫の入り口へ向かった。

 倉庫内の環境を一定に保つためか、両開きの扉は厚く頑丈だ。黒く丸い鉄輪の取っ手に手を掛け、扉に顔を寄せて気配を探る。

「--------んで今日に限って兵の配置が違うんだよ」

 がんッ!

 顔面を衝撃が襲った。

 勢い跳ね飛ばされ、堪らず顔を押さえてうずくまる。

 唐突に扉が開いたのだと分かったのは、その後だ。

「----と、なんだ? いま、ぶつかったか?」

 頭上から怪訝な声が降り掛かる。何者かが扉の隙間から顔をのぞかせたのが分かった。

 背後からも、慌ただしい足音と声が近寄ってくる。

 殴る。絶対殴る。

 そう心に決めて、

 我は鼻を強かに打って涙ぐむ氷の瞳をゆらりと上げた。

「あれ? おまえら----」

 そこにあったのは、知った顔だった。

 あまりに思い掛けない相手に、我は拳を振り上げるのも忘れて目を見開く。

 盗賊の頭だ。一昨日前に森で出会った----襲ってきた、あの忌々しい盗賊の虚を突かれた顔がそこにあった。

「あ! あんたこの前のツノ野郎!」

 大柄な盗賊は後ろに数人の仲間を引き連れていた。

 扉を中途半端に開けたまま中に入ろうとしない頭領の脇から、不思議そうに顔をのぞかせて声を上げる。頭領はその声で我に返り、状況を思い出した。舌打ち一つ。それら子分を急いで倉庫の中に押し入れる。

 妙な空気が流れた。

 ばたばたと中に入った取り巻きの盗賊共が我らに気付き、過剰に警戒した視線を交わす。ミリリアが受けて立つように腰を低くして身構える。ルートがさりげなく隠し戸の退路を断つ。

「……」

 我は扉を後ろ手に閉めつつ、大股に倉庫の内に進み出る頭領の動きを目で追った。

 想うところは----大いにある。

 頭領は倉庫の真ん中の空いた空間まで行くと、内部の空気を見回して、居心地悪そうに後ろ頭をかいた。

「止めとけおまえら」

 言って、どっかと冷たい床に腰を下ろす。胡座をかいた膝に肘を突き斜に構える。

「まさかこんな所でツノ野郎に出くわすとは思わなかったぜ。

 なにしてんだあんたら----て、勇者サマなんだから理由はあるか。

 ここでやり合うのは止めとこうぜ。お互いの為だ」

 両の腕を広げ、肩をすくめてみせる。その余裕ぶった態度が鼻につく。

 言葉通りの鼻頭の恨みだけでも晴らしても良かったが----。

 我は顎を引いてうなずいた。

 その言に利はある。

 倉庫の中央に我が物顔で座る頭領へ足を向ける。子分の一人がそれを遮ろうと立ちはだかった。我は目もくれず腕で簡単に押し退けると、盗賊の頭の前に立ち、冷えた瞳で見下ろした。

「それはこちらが聞く事だ。

 話せ」

「あんたに凄まれたって恐かねえ----とは言えねえか。

 相変わらず、目付きの悪い勇者サマだ」

 相変わらず舐めた口を利く。

 上から見下ろす我の視線にぎくりと身を縮こまらせた頭領は、それを強いて肩をすくめてまぎらわし、軽口でやり過ごしてみせた。視線を横に流し、後ろ頭をかく。

「なに、単純な話だ」

 と言う。

 少し前の事だ。半月前に魔物に占領され無人となった町で仕事をしていると、盗人の勘か、偶然にもあの暖炉の隠し階段を見付けた。時間をかけて地下道を探索し、辿り着いたのはシーカルド城だった。

 これ幸い、と魔物の兵士たちの目を盗み、城に蓄えられていた食料や物資を失敬----。

 と、そこでアルドと名乗った頭領は言葉を濁す。咳払いをしてから続ける。

 ともかくも、盗賊たちは城で宝物庫を発見した。

 扉の鍵には難儀したものの、一味には腕の良い鍵師がいる。なんとか鍵を開け中に入ると、そこには金銀財宝がざっくざく----と言うほどでもなかったが、小さいとはいえ城だけあって、なかなかの品が揃っていた。

 そんな中で、一番奥に設えられた石の台の上に、なにやら意味深な宝箱が一つ、やたら丁重に置かれていた。その箱自体にも凝った装飾が施された、なかなかの一品だった。

 これはなにかすごいお宝が入っているに違いない。

 そう、期待を膨らませたのはいいが。

 宝箱は開かなかった。

 入り口よりも複雑な錠前で閉ざされた箱は、ならばそのまま持ち去ろうとしても、石の台にしっかり固定されていて難しい。壊そうにも頑丈な作りだ。その上箱自体の価値を考えるとはばかられる。

 こうなると、中身が余計に気になるのが盗人の性だ。

「とは言ってもな。オレとしては盗れないお宝にいつまでもかかずらっていられねえわけよ。魔物は恐えしな。だけども『どうしても開けたい』ってウチの鍵師が熱くなっちまって。それに付き合ってやってたってとこだ」

 我もまた、石の床に腰を下ろす。話を聞いて、思わず声が漏れた。

「ほう……。それは興味深い」

「おっ。あんたなかなかイケる口だな」

 アルドが嬉々として応じた。

 人間や小人族が作る細工物は好ましい。我が城には、世界各地から集めたそうした工芸品が溢れている。惜しいのは、それらに触れられないことだ。元の身体の我が手指は、人間のそれのようではなく、骨張って硬い指先や鋭い爪で、繊細な細工を傷つけかねない。否、何度となく壊して消沈したものだ。悔やむくらいなら、いっそ触れない方が良い。

 田舎の城にあってそこまで厳重に守られている宝。その箱の中身を見てみたいと思うのは、だから自然な流れだ。代々受け継がれている品か。そうまでしなければならない稀少な石の類か。何か曰くの在る物か----。

 想像を巡らせるのも楽しい。

 ここでなら、触れることさえできるのだ。

「そんならいいもん見せてやる。どうだ、これ。これもここの宝物庫にあったんだぜ」

「む。美しいな」

 アルドが腰の後ろから得意げに取り出して見せたのは、装飾の施された短剣だった。優美な曲線を描く大振りな鞘に、細かな浮き彫りの細工がしてある。淡い緑と白の草木模様だ。ところどころにある小さな山吹色の宝石が彩りを添える。柄や鍔にも、持ち手を邪魔しない程度に同じ意匠の装飾がなされていた。

「し、シェロナ様! なんてこと言うんですか!

 泥棒は悪い事なんですよ!」

 無粋な声を上げたのはミリリアだ。側までやって来て膝を付く。

 我は首を傾げた。

「見たままを言ったまでだ。すばらしいと思わないのか?」

「おっ、思いますけど……。それとこれとは別ですよっ」

「それにしても命知らずですね。

 魔物が警戒している所にわざわざ忍び込むなんて」

 ルートがミリリアの肩に手を置いて、やんわりとなだめながらその隣りに座った。話ができる奴だと判断したのか。盗賊の頭に対して、この娘のようなこだわりはないようだ。

 秘密の地下道を使っていたのはこやつらだったらしい。魔物の兵が言っていた頻繁に現れる人間というのもこやつらだ。何者が出てくるのかと思えば、どろぼうはどろぼうに違いなかったのか、と我は頭の片隅で納得する。

 しかしその地下道を使えたとしても、こやつらは実際に地上で見付かって、魔物に追い回されてもいる。無謀には違いない。

 問われたアルドは、勿体つけた野太い笑みを浮かべた。

「それがそうでもない。

 どうもあいつら、数が足りてねえらしい。町も城も中に入っちまえばザルだ。

 そりゃあ地上から城に侵入しようとすれば難しいが、その気になれば中で動く分にはどうとでもなる。兵士のヤツらあんまりやる気もねえみたいだしな。交通の要所でもないこんな僻地に派兵されちまったんだ。やってられねえわな」

「確かに。そんな感じだったな」

 そこでふと、アルドが太い腕を組み、背中を丸めて考え込んだ。

「ああでも。今日はなんでか城内が騒がしかったな。

 いつもと違う所に兵がいて、宝物庫まで辿り着けなかった」

 我もまた、思い付いたことがあった。

「おまえ、城の内部や兵の配置に詳しいのか」

「ん? まあな。落ち着いて物色するために、それなりに調べたぜ」

「ならば魔物の大将の居場所を知っているか」

「は? 魔物の大将? 知るわけねえだろ親玉の居場所なんて。

 つうか。知ってたとして、なんでオレらが教えなくちゃならねんだよ。

 冗談じゃねえ。これ以上関わり合いになってたまるか」

 意表を突かれたような口振りは、本当に知らないようだった。

 吐き捨てるように言って、体重を後ろに両腕を張る。

 そのやり取りを正座して見守っていたミリリアが、我と、頭領の顔を頻りに見比べた。口を挟みたいが、躊躇われる。そう眼差しが雄弁に語る。少しの間思い悩むと、ミリリアは意を決して身を乗り出した。

「あのっ! それなら捕まっている人たちがどこにいるのか、知りませんかっ」

「あん? 人間? 人質か?」

 ミリリアに聞かれるとは思わなかったのか。アルドが少し目を丸くして、余所を向いていた首を戻す。視線を一度宙に彷徨わせてからうなずいた。

「それなら----見たな。

 荷運びなんかの雑用をやらされてた。居る場所も、たぶん分かる」

「本当ですか!

 王女様は! 王女様はいませんでしたか!」

「そこまでは知らん。

 でもあそこにいる連中に聞けば分かるかもな」

「場所を教えてください!」

「……だからなんでそうなる」

 必死の子供に問い詰められて、アルドは体を引きながら嫌そうな眼差しを向けた。

「オレたちになんの得が----」

 しかしその言葉を口にした瞬間、表情が切り替わった。天から閃きが降ってきたと言わんばかりに二度瞬きをして、にやりと意地の悪い笑みを顔いっぱいに広げる。

「そうだな。どうしてもって言うなら----」

 手の平。

 ごつごつと骨張った大きな手。幾つものまめが浮かび、皮が分厚い。

 我に向かって不意に差し出されたその手の平を、つられて見る。

「情報料。よこせ。

 金額次第じゃ考えてやらんこともない」

「……」

 荒事で磨いてきた無骨な手から、計算ずくの笑みを浮かべる顔へ。

 我は翡翠の眼差しを上げた。

「そんな!

 町の人やお城から、物資や宝を奪っただけでは飽き足らず、金銭まで要求するつもりですか! 図々しいにも程がある!

 シェロナ様! こんなヤツらと取引することありませんよ!」

 勢い立ち上がり、ミリリアが鼻息荒くまくしたてる。

 アルドは余裕たっぷりに太い腕を組み、座り直した。

「オレぁそれでもかまわねえぜ。

 こっちは別に困らねえ。

 おっと、もちろん前払いだ。

 あんたたちがこの先無事生き残れる保証なんてねえからな」

「ふむ」

 我は頭領や背後に控える盗賊共の様子を視線を動かして観察する。

 得、か。なるほどちゃっかりしている。

 こやつらとしてはどちらでもかまわない。簡単な情報提供だけで幾らかの金が入る。それを拒まれたとしても、その分関わりたくもない面倒に巻き込まれずに済む。本音では、いま直ぐこの城から----我の前から退散したい、といったところか。至極、分かりやすい。

「で、どうする?」

 にやにやと笑うアルドは、噛み付くミリリアではなく、あくまでも我を前に据えて促した。我はうなずいてみせる。

「よかろう。払ってやる。

 が、今の我には自由にできる財産がない。

 ----ルトランス」

「はい」「シェロナ様!?」

 魔法使いは既に心得ていた。

 腰の鞄に手を差し入れて、金属の触れ合う音をさせる小さな袋を取り出す。紐で搾られた口を僅かに広げ、中から指先で摘まみ上げたのは、表面に彫られた凹凸に魔法の淡い光を受け重量感をもって輝く、一枚の金貨。

「サンクル金貨八枚でどうですか」

 アルドが呆気にとられて、目の高さに掲げられた金貨を凝視する。

 まさか本当に応じるとは思わなかったのか。

 邪魔な荷物は最小限にして、残りは森に隠してきたはずだが。重量のある硬貨を身に付けていたとは、この従者も用意が良い。

 ルートは勿体付けるように、金貨を袋の中に落としてみせた。金貨はきらめきを帯びた音を奏でる。アルドが喉を鳴らす。その笑みが深くなる。袋に釘付けになった視線からすると、ルートの報酬は情報に充分過ぎるほど見合ったもののようだが----。

 我はさっと、その袋を取り上げた。

 金が軽やかに鳴って、腕に重みを伝える。

 アルドが怪訝に眼差しを上げた。

(カネ)は出す。

 だが居場所を言うだけではダメだ。

 おまえたちの誰かがその場所まで案内しろ。

 そうすれば、事が済んだ後にまた同じだけ払ってやる」

「信用してねえのか。

 金のかかった取引で嘘言うほど、落ちちゃいねぇつもりだぜ」

「だろうな。

 念のため、と言うのは、不慮の事態に備えてだ」

「……」

 アルドは苦い顔をして、我の顔色を量るように見据えた。

 我についてくれば、魔物と戦う危険性も出てくる。その危険を天秤にかけても、一蹴できない魅力がこの金貨にはある。

「ちょっと待って下さい!」

 声を上げたのはミリリアだった。現実味のある金貨を目にしてぎょっと息を呑んでいたはずだが、やはりと言うべきか、そのまま見過ごしにはしなかった。

「シェロナ様! 本当にこんな奴らと取引するつもりなんですか!

 ルートさんまで!」

 こうもいちいちわめかれては、さすがに鬱陶しい。

 脇を睨み上げる我が動くよりも早く、ルートが戸惑う顔に半端な笑みを浮かべて頬をかいた。

「いやあのぉ」その瞳が、我の顔色を窺ってちらりと見る。

「シェロナさまが真っ当に金銭交渉とかしているから、逆に感心してしまって、つい……。

 てっきり、力づくで聞き出すのかと思って身構えていたから」

 ミリリアが目を真ん丸に瞬きする。

 眉を吊り上げ怒り心頭だった熱が霧散した。身を引いて腕を下ろす様は、なんと言っていいのか言葉に迷い、心許なく視線が彷徨う。たっぷりの間は、その様を想像したのか。

「それは……いくらなんでも、ひどいです。

 シェロナさまだって、そんな事----」

 しないですよね? と遠慮がちに顔をのぞきこんで問いかける。

 その純真な眼差しを受け、我は天井に漂う光の方へ視線を流した。

「ここではそれだけの力が無い。

 面倒なことだ」

「……」

 盗賊の居並ぶ薄暗い貯蔵庫を半周して、前に戻る。そこには盗賊の親玉アルドがいた。

 ミリリアは言葉の裏を正確に理解したか、絶句する。

 それだけに止まらず、ルートが顔をしかめた。これにしてみれば、アルドから情報を得られれば、手間が省けて危険が減らせる。取引は有意義だ。先の台詞、腹の内ではどこまで本気だったのか。

 我の横に控える二人のそんな反応を見て、アルドは明からさまに唸って表情を引き攣らせた。さっきの条件に加えてこの駄目押しだ。言葉にならない逡巡に天井を振り仰ぎ、しばらく。やがて詰めた息を大仰に抜いて肩を落とす。

 我が差し出す金貨の袋を、重い腕を上げ乱暴に奪い取った。

「交渉、成立だ」

 顔を上げたアルドは、口を歪めそれでも苦々しく笑った。

 我は悠然と微笑を浮かべ、小さくうなずき返した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ