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第六話 「シーカルドの町」

 規則正しい歩調に合わせて、鎧の金具が音を立てる。

 薄闇に包まれた町の広い通りを、槍を手にした魔物の兵士が二人----二匹と言うべきなのか、行き過ぎていった。我はそれを裏路地の物陰に隠れ、息を潜めて見送る。

 町を見回る兵士の足音以外にはない静寂。少しでも物音を立てれば見付かってしまう。そんな空気が己の鼓動を大きく聞かせる。それは、久々に味わう感覚だった。

 ----あれが、魔物。

 シーカルドの城下町に入ってから、既に何度も目にした。

 我はじっと、その姿を観察する。

 砦を出立してから二晩を経ていた。その道中、人間の盗賊に襲われたものの、ここに至るまで魔物には出くわさなかった。我はこの町に来て始めて、この世界の----人間共が恐れる〈魔物〉という生き物を見た。

 〈魔物〉は背筋を伸ばして二本の足で歩く、人間のような姿形(すがた)をしていた。

 「人間」と言ってしまうと語弊があるだろうか。ミリリア辺りなら怒りそうだ。それぞれ種族が違うのか、獣や魚や虫、その他の生き物に似通った特徴を別々に持っている。しかしその骨組み----とでもいうのか、根本となる形はみな人間に似た作りをしていた。二本の足で立ち、二本の腕を自由に使う。地面から垂直にのびた腰、背、肩。その上に乗った頭。こちらの世界の人間と同じ言語を話し、それぞれの体格に合わせた揃いの鎧を身に纏い、揃いの武器を手にする。

 そんな様からは、人間のような生活を営んでいるのだと窺わせた。

 しかし異形の姿は人間には見えない。

 ルートによると、この世界の〈魔物〉と言えばこんな奴らなのだそうだ。(ドラゴン)化枯木(トレント)のように、別の姿形をしたものもいるが、それらは〈魔獣〉と呼ばれ区別される。

 姿形だけならば、我が世界の魔物は後者に近い。だがその在り方が違う。やはりこちらとあちらでは、魔物は似て非なる生物のようだ。

 そんな解説をした後、ルートは付け加えた。

「彼ら魔物は自分たちのことを特に〈魔族〉と言って、他のあらゆる生物よりも一段格上の存在だと認識しているようです」

「そんなの傲慢です」

「人間が言えた事ではないかもしれないけれど」

「そうなのか?」

「…………」

 憤然として言うミリリアに、ルートは苦笑して返す。その反応は、人間も魔物と同じように考えている面もある、と言っているように見えた。我にはその感覚が分からない。首を傾げると、ルートは説明に窮して口を閉ざした。そして何故だか、無愛想な眼差しを向けたのだった。

 通り過ぎて行ったのは、狼のような頭の額に一本の捩じれた角を生やした魔物と、大きな口の間から上向きに二本の太い牙を生やした醜い面構えの魔物だった。

 それら二つの足音が遠く消えるのを待って、ルートがそっと息を抜く。

「さて、どうしたものですかね」

 呟いて、こちらに視線を向ける。別の物陰に身を潜めていたルートは、腰を伸ばすと路地を奥へ進んだ。人間ひとりがやっと通れる幅の、家と家との隙間のような道だ。我もまたその後に続いて----ふと、通りを振り返った。

 両側に迫る建物が濃い影を落とす路地。その先にある表通りの商店。

 ここからでは建物に遮られて、切り取られた一部しか見えない。

 まだ昼過ぎだというのに、シーカルドの町はどこもかしこも、夜闇の迫る夕刻のように薄暗かった。この路地も、ただ隙間だから暗いというだけではなく、闇に閉ざされている。壁に手を付いて歩かなければ、足下が危ういほどだ。それでなくても、放置されたままの雑多な生活の品を蹴飛ばしてしまいそうだった。

 明け方森を出た時は、確かにそれまでと同じ、晴れやかな晴天だったはずだ。

 それがシーカルド城に近付くに連れて、空に重苦しい黒い雲が垂れ込め始めた。

 城を中心に渦を巻き、墨を流したような混沌とした暗雲が日の光を遮る。一帯を薄暗闇に染めるその裾が、まるで地上にまで流れてきているかのようだ。空気に溶ける黒い霧が、町を灰色に閉ざしている。

「魔物は〈暗雲〉を引き連れてやってくる」

 明らかに不自然なその空模様を見て、ルートは言った。

 魔物に占領された土地は、どこもこのような暗雲に覆われてしまう。メリダスの話によると、シーカルド城が急襲された時もそうだったとか。こんな暗闇の中では、人間はおろか他の生き物も生きられない。それ故、魔物は争いを生む。

 古よりずっと、繰り返されてきたことなのだそうだ。

 我は想像する。

 そんな薄闇に沈んだ世界を。

 戦いの名残を濃く刻むシーカルドの町は、荒涼とした雰囲気が漂う。

 足下の割れて零れた鉢植えや、壊れた壁の窓枠を飾ってはめ込まれたタイルは、光の下で見ればさぞ鮮やかな色柄だったろう。今はそれら全ての色彩がくすんで、我が目を楽しませない。季節の花も、南国の鳥も----。

 大魔王とやらがこの世界を支配すれば、こんな色彩を失った世界になる。

 それは----つまらない。

 我は尻尾が無い分持て余した感覚を、腰の剣の位置を確かめて紛らわし、踵を返した。

 細い路地を奥へ行くと、そこは幾つかの民家の裏口が集まって出来た井戸端だった。

 井戸の横で、ミリリアが体を小さく折り畳むようにしてしゃがみ、両手で口を塞いでいる。我が姿を現すと、大きな瞳が見上げた。先に着いたルートが腰を下ろすのに向かい合って、我も地面に膝を付く。

 人間が去り、生活の気配が消えて静まり返った町では、そんな動作ひとつひとつに、衣の触れ合う音がついて回った。思い掛けず高く響いた物音に、驚かされることもある。

 我は顎に手を添えうつむいた。

「まずはどうやって城に侵入するか、だ」

 思考が呟きとなって口から零れる。

 シーカルド城は、魔物の兵士によって守りを厳重に固められていた。

 堅固な高い城壁の外側を、ぐるりと一周水を湛えた深い堀が巡る。内部に入る道筋は四カ所。東西の二つの跳ね橋は上げられたまま。北の一つはもともと使用人の通用口か。細い石橋があったが、半ばから壊れて落ちている。残る正面の丈夫な石造りの橋には、手前と奥に二人ずつ兵士が張り付いていた。どの魔物も、牛や熊を立たせたような屈強な体格だ。簡単に討ち取れそうもない。見上げる城壁の上の通路にも兵が巡回し、見張り台からも目を光らせている。魔物は暗闇を見透かす。あれでは堀端へさえ近寄れない。

 漆黒の影と化してそびえる城は、メリダスが「小城」と表現していただけあって、その規模は我が城よりも見劣りした。それでも人間になってその前に立てば、大きく……感じられるものだ。背後に二本、暗雲を突き刺すように出た三角屋根の塔が、その偉容を際立たせる。

「正面から突破するというわけには、いかないのですか」

 囁き声のミリリアが、当然そうするべきなのに、という顔付で言う。

 目を伏せて考え込んでいた我は、顔を上げた。

 ぽかんと口を開けたルートと目が合った。

 魔法使いは呆気にとられて二度瞬きすると、そのままの顔でミリリアに向き直った。

「それは----いくらなんでも、無茶……というものではないかな」

「そうでしょうか」

「そうだよ。戦力以前に人質もいる。盾に取られたら、身動きができない」

「……あっ。そうでした」

 それであっさりと納得したミリリアに、ルートはほっと胸を撫で下ろす。

 我も腕を組んでうなずいた。

「できるのならば疾うにやっている」

 元の力があれば、迷わずそうしていた。

 門番四人を蹴散らし、次々と向かってくる魔物の兵士をばったばったと薙ぎ倒しながら、城の奥にいる大将を討ち取って、残りの兵士も一掃する。人質など考慮の外だが、盾に取る隙も与えない。

 それができれば、こそこそと偵察などせずに済んだ。

 しかし現状それは無理だ。門番くらいならばどうにかなっても、城に入って戦ううちに力尽きてしまうのが目に見えている。

「しかし----」そんな状況に考えを巡らせて出た一つの気付きに、我は眉根を寄せる。

「これはそもそも、無理があるのではないか」

 きょとんとした二つの顔が注視したのが分かった。

 召喚されたばかりの勇者に充分な力が無いことは、我以上に分かりきっていたはずだ。にもかかわらず、そのお供に魔法使いを一人だけ付けて、実力も把握しない早々に敵地に送り込む。それは確実な方策とは言い難い。

 魔物の軍隊が占拠する城を勇者ひとりで攻め落とす。

 不可能とは言わないが。人間が頼みの綱とする勇者に託すには、危うい。

 ルートが小首を傾げた。

「えっと……。王女さまを救出するだけなら、なんとかなるかとは思いますが」

「なにを言っている?

 城を解放しなければ意味がない」

「……ですよね」

 じっとやり取りを見守るミリリアの横で、ルトランスは側頭部の毛に手を差し入れて、それをわざわざ乱すように握った。それから、情けないような苦い顔を作る。

「まあ……そうですね。

 とんでもなく甘い見込みの上に成り立っている作戦だとは思います。

 おれやミリリアが加わっても、難しい。

 でも……----。

 まあ、ここだけの話ですが」

 そう前置きして、ルートはふわりと笑った。

「そんな難しい事を軽々やってのけてしまう。そういう奇跡みたいな力を、当たり前に期待されているのだと思います。〈勇者〉という存在は」

「……」

 翻って言えば。

 いらないのだ。

 それくらいの奇跡も起こせない勇者など。

 我は胸の内にこの暗雲のようなもやが広がる心地がして、微かに眉を曇らせる。

 思考を停止させたとしか思えない、手放しの信頼だ。よくもそこまで、会ったばかりの他人に任せられるものだ。呆れてしまう。

 だが、我にも意地はある。

 ならば----……やらねばなるまい。

 言外に口を利くルートが忌々しくてならなかった。

 不機嫌を露に、顔を背ける。

「----理解した。

 本当に。正面から城ごと吹き飛ばしてしまえたら、どんなにか楽だろうな」

「出来たとしてもやらないでくださいよ。

 魔物から取り返せたら、拠点としてまた使うんですから」

「……」

 沈黙。

 ルートの呆れた眼差しが返ってきた。

 額に手の平をあて、軽く首を振って仕切り直す。

「それはそれとしてですね。

 ちゃんと他に勝算もあって----」

 ピーーーーーーッ!

 ルートの発言を横殴りにする、けたたましい笛の音が鳴り響いた。かと思うと、

「出たぞ!」

「そっちだ、追え!」

 続いて幾つもの怒声までが聞こえてきて、町の静寂を一気に吹き飛ばした。

 ルートが口を中途半端に開いたまま言葉の先を見失う。あまりに突然の喧噪に、ミリリアが驚いて声を上げそうになった。慌てて己の口を両手で塞ぎ、緊張に身を強張らせる。丸く見開かれた瞳だけが、忙しなく動いて声の主を探した。

 我もまた、息を殺して気配を探る。

 見付かったのか。

 静けさに慣れたせいか、それらの声は間近に迫って聞こえた。実際はそうでもなさそうだ。民家を幾つも隔てた表通りの方で、騒々しい物音が行き来する。

「違う! あっちだ!」「またあの盗人どもか」

「目障りな」「今日こそは取っ捕まえて」

 などと、途切れ途切れに、魔物のものらしい声が届く。

 反響して位置の特定は難しい。しかしその声が求めているのは我らではなさそうだ。

 誰からということなく、三人揃って顔を見合わせた。

 このままここに留まるのは危険だ。

 苛立つ兵の声や足音は、何者かを捜して入り組んだ裏通りに延びている。

 いずれ見付かる。

 意見は一致していた。

 速やかに立ち上がり、民家の影に隠れてその場を後にした。



 「くそっ! 見失ったか」

「この辺だったのになあ。

 しかたない。通常の巡回に戻ろうぜ」

「……だな。あぁでも、こんな報告したらまた隊長にどやされる。

 なんであの人、報告書の隅々まで目を通して、いちいちケチ付けるんだろうな」

「ばかだな。そんなの報告しなけりゃいいんだって。

 どうせいつもと同じ、人間の盗人どもだ」

「……そういうわけにいくか。

 今日は他の組も一緒に派手に騒いだ。辻褄合わないと他が迷惑する」

「それもそうか。めんどくせっ。

 最近アイツ、余計にぴりぴりしてるもんなァ」

 細い裏道で、背中を民家の壁に寄せて聞き耳を立てる。

 建物や道を挟んだ向こう側の広場に、駆けて来た魔物は二人。お座なりに周囲を探索した後、愚痴をこぼしながら来た道を引き返していった。

 その足音が完全に消えるまで、身じろぎせず待つ。

 向かい側にいるミリリアが、至極不服そうな顔で壁を睨んでいた。こちらとしては、あまり熱心ではない兵士のおかげで助かった。しかしこの娘はその不真面目な態度が気に食わなかったらしい。行いを正すわけにもいかず、ただ唇を尖らせる。

 一つ、また一つとそんな物音が消え、

 やがて町に静けさが戻った。

「おれたちの他にも、誰か入り込んでいるみたいですね」

「火事場泥棒でしょうか。許せません」

 ミリリアが兵士たちに吐き出せなかった分も、姿の見えない何者かに対して憤りを露にする。「火事場泥棒」という言葉は聞き慣れないが、これが鼻息を荒くしているのだから人間にとって善い行いをする者ではないだろう。興味は無い。

 我らはシーカルド城の近くから町の外縁部まで、笛を鳴らし人影を追って走り回る魔物の目をかいくぐって移動していた。どこの誰とも知れぬ『どろぼう』の巻き添えで見付かっては堪らない。我はひとまず詰めた息を抜く。

 それから何気なく後ろを振り返った。

 直ぐ後ろにはルートがいる。

 その先に----目が留まった。

 二軒ほど離れた先。

 十字に交差するその道を、何かの影が横切った。

 ほんの一瞬だった。

 そこは狭苦しく建物が迫っていて闇に沈んでいる。

 なんだったのかは分からない。

 少しの物音も立てず通り過ぎたモノは、しかし人間のように見えた。

「----」

 我は狭い通路の行く手を塞いでいるルートを壁際に押し退けて、そちらへ足を向けた。

 魔法使いが喉を潰したような声を上げ、子供の声が疑念を乗せて名を呼んだが、どちらも耳に入らない。足下にだけ注意を払い、目はあの影を追ったまま、我はその十字路に辿り着く。

 慎重に角をのぞき込む我の背に、付いて来たらしい、ミリリアがぶつかった。

「なにかあったので----」

 同じくやって来たルートが声を潜めて問い掛けるのを、皆まで言わせないうちに口を手の平で押さえ付けて黙らせる。その腕の下で間に挟まったミリリアが、肩を跳ねさせて目を丸くする。ひと睨み。目配せする。察しの良いルートはそれで抵抗を止め、何度も小さくうなずいた。

 その道の先は住宅街だった。ここよりも道幅が広くなり、整えられている。

 視線の正面にある民家の前に、その人影はあった。

 あちらの方がまだ明るく、今度はその風体がぼんやりと見て取れる。身成からして、あれが先ほど兵士共に追い回されていた『盗人』だろう。その男は首を伸ばして左右を確認すると、扉を僅かに開き、慣れた仕草でするりと家の中へ入っていった。

「どろぼう……ですね」

 脇から顔を出したミリリアが、正義の怒りを再燃させて呟く。音も無く閉まった扉を、穴よ空けとばかり睨み付ける。

 その家は横に並ぶ他の家々と比べても、変わった所は見受けられない普通の民家だ。二階の雨戸は全て閉ざされ、一階の窓も厚い遮幕で覆われている。玄関横の壁沿いに、横長の鉢植えが二つずつ並ぶ。中から明かりが漏れる様子は無い。

 ----気になる。

 我はまた一歩を踏み出した。

 しかし。

 服の裾を引かれて止められた。

 振り返る。目が合ったミリリアが、不本意な顔で慌てて首を左右に振った。その手はしっかり我が服を掴んでいる。ミリリアが不満の眼差しを向けたのはルートだ。どうやら指示を出したのは後ろにいる魔法使いのようだ。家々の隙間でしかない通路では、体の位置を入れ替えられない。

「放せ」

 低く言って睨む。

 ルートは少し身を引いてから、肩をすくめて居直った。

「どろぼうが実在したのは分かりました。

 けしからん行為ではありますが、それをおれたちが今、追い掛ける理由はありません」

 ルートは己を見上げるミリリアの肩に手を置いてなだめる。

「あそこには中にまだあのどろぼうがいるはずです。

 鉢合わせしたら騒ぎになる」

 それは避けなければならない、と言う。

 ミリリアはまだ収まりのつかない表情だったが、顎を引いて押し黙った。

 言われるまでもない。

 しかし、気になるものは気になる。

 我はルートに半分向き直る。

「あれは今、真っ直ぐにあの家を目指して向かって行った。始めからあの家が目当てだったように。もしあれがただのどろぼうだったとしたら、一軒一軒端から物色するのではないか? そうでなくとも、中の様子を調べてから入る家を選ぶような、そんな仕草が見られたはずだ。鍵も開いていた。不自然だ」

「それはそうかもしれないですが----あっ!」

 問答する気は無い。

 顔をしかめて尚も反論しようとしたルートは放っておく。我とルートの顔を見比べて成り行きを見守っていたミリリアの隙をつき、我はその手を振り払った。念のため、脇道から通りへ出る際は兵士がいないか左右を確認する。

 我とて、ルートが止める理由は分かる。

 今もその『一見どろぼうのような何者か』が家の中にいるのは間違いない。それがどんな目的の誰かも分からないのに、この状況で迂闊に接近するのは得策ではない。

 また、単なるどろぼうである可能性も捨てきれない。

 あの人間にこだわる根拠も無い。

 言ってみれば、これは勘だ。

 気になったから確かめる。それだけのこと。

 その家は近くで見ても小洒落た普通の民家だった。並んだ鉢植えに枯れてしなびた花の残骸がある。道に面した大きな二つの出窓を避けて、玄関口で膝を付き、中の気配を探る。

 少しの物音も、人間の息遣いすらも感じられない。

「確かにここに入って行きましたよね?」

 意気揚々と後ろをついて来て、同じように反対で耳をそばだてるミリリアが、不思議そうに首を傾げた。扉の取っ手に目を凝らす。壊されたような跡は無い。

 盗人は鍵だけを器用に開けられるらしいが----。

 側に来たルートに声をかける。

 ここに至って渋る魔法使いではなかった。うなずき返してすばやくミリリアと交替し、扉の開き口の方へ陣取る。杖を短く持ち、魔力をこめると光る法玉を上着の中に隠す。口の中で小さく呟き唱えるのは、眠りの魔法。微かに耳に届くその抑揚は、歌うようだ。

 目線の合図で準備が整ったのを確かめて、

 我は取っ手を握り、

 戸を引いた。

 ルートがさっと中に杖を差し入れる。

「----あれ? いない……」

 続く言葉は、魔法を解き放つ為の鍵語ではなかった。

 扉を目一杯に開いてのぞき込む。外からの僅かな光が床を切り取って見えた。ルートが所在なく佇み、手の平に玉を跳ねさせて室内を見渡す。閉め切りの家の中はやはり暗く、家具が濃い影となって浮かび上がる。

 いつまでもそうして姿を晒しているわけにはいかない。

 きょろきょろと内部を観察しながら、ミリリアがうさぎのような動きで中に入り、我もそれに続いて後ろ手に戸を閉める。

 人間の住処に何度か入ったことはある。外観と同じ。特に変わった所はないように見える。隠れられるような家具も無く、この部屋にあの人間はいないと看做していいようだ。

「他の部屋ですかね?」

 空振りに終わった杖の先を縦に振って、ルートが首を捻る。

 大きな暖炉と花柄の布地の長椅子に、足の短い卓、壁際の棚。床に絨毯の敷かれたその部屋は、生活の中心となる場所だ。ここから続く扉は二つ。玄関と反対の奥の壁にある一つは台所。左手の壁にある一つは階段だ。

「わたし上を見て来ます」

「気をつけて」

 階段の扉を開けたミリリアが振り返って言うのに、ルートが返事をしながら奥へ向かう。己は台所を調べるつもりなのだろう。その手を扉にかけたところで、ぎくりと動きを止めた。ルートを踏み止まらせる音が家中に響いた。

 音の発信源は、ミリリアだ。

 階段に一段二段と足を乗せただけで、床板が軋んだ音を立てたのだ。

 その音は----まさかそんなはずはないが、外にまで漏れたのではないかと疑うほど、心臓にのしかかって聞こえた。身の軽いミリリアでこれだ。そもそも二階にも人間のいそうな気配はない。ミリリアは恐る恐る階段から身を退いた。

 我は部屋の真ん中に立って、腕を組む。

 この家に入った者は、我らの存在に気付いていなかった。

 身を隠す理由は無い。

 しばらくしてルートが台所から戻って来る。こちらと同じように整然と片付いた台所にも、身を隠せる場所や、不審な点は無かった。戸棚を全て開いて確認したのだから間違いないと、魔法使いは念を押す。

 ただ勝手口にも鍵はかかっていなかったようだ。

 ルートは試しにそれを開いて外をのぞいてみたが、人影は見当たらなかったらしい。

「裏口から逃げたのではないですか?」

 そうとも考えられる。

 通り抜ける為だけにこの家を使っている。

 しかし何か腑に落ちない。

「……ふむ」

 我の目の前には、大きな暖炉。

 この町は陶器の産地なのか。石造りの暖炉の上に、絵皿が幾つも飾られている。その暖炉の縁にも、外で見たような飾りのタイルが列をなしていた。室内が暗いため色までははっきりと分からないが、花柄と色無地が交互に並んでいる。真ん中はつがいの鳥だ。

 嘴を合わせてくわえた花を受け渡している小鳥たちのタイルに、己の人間のような指先を確かめてから、そっと触れる。そうしてなんとなく下を見ると、そこにもタイルがあった。

 下側の縁は盤目模様と無地だ。

 絨毯に膝を付き、さらには手を付いて、暖炉の中をのぞき込む。

「シェロナさま?

 年末にやって来る妖精ではないのですから、いくらなんでもそんな所に人は隠れられないですよ」

「汚れちゃいますよ」

 暖炉の中に付いた手の平を、顔の前にかざして見る。ミリリアの言う通り、黒い煤が僅かに付いていた。端の方を見れば、掃除しきれない燃えカスが残っている。試しに指で擦ると黒くなった。

 しかし、これは----。

 身を捻って煙突を見上げる。その縁をまたなぞる。暖炉の中は真っ暗で何も見えない。

「シェロナさまー?」

「ルート、明かりだ」

 背後に立つルートは顔いっぱいに疑問を浮かべていたが、しかし言われた通り杖の先に弱く光を灯して差し出した。照らされた指先には、新たな煤は付いていなかった。おかしい。床には使っていたような形跡があるのに、見え難い奥や煙突にはそれがない。

 そうして気が付いた。

 室内が明るかったとしても、中にまで入らなければ見付けられなかっただろう。

 暖炉の奥に隠されるように、タイルがはめ込まれている。

 つがいの鳥だがこれは小鳥ではなく、首の長い二種類の別々の鳥だ。

 何かの紋章のようにも見えた。

「なんだ?」

 そのタイルも指でなぞってみる。押し込んでもみるが、びくともしない。

「?」

 他には何かないか、と今度は見えない場所を手探りする。

 すると、暖炉の口の内側を探る指先に、何かが当たった。

 溝、かなにかか。

 今度は動く。少々固いそれを、試しにずらす。

 かこん、

 と、軽い音がした。

 唐突に暖炉の床石が真ん中から割れて、支えを失った手が体勢を崩す。側にいたミリリアが咄嗟に捕まえなければ、そのまま滑り落ちていたかもしれない。

「なんですか、これ??」

 ルートが膝に手を付き、目を丸くしてのぞき込む。

 その手に持った杖が淡く照らす先には、

 暖炉の中に口を開く、

 地の底へと続く階段が現れていた。


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