第十四話 「暗闇」
ミリリアとアルドは目的の場所に辿り着いた。
シーカルド城を占領した魔物たちの隊長ドルギヌスが、普段使用している部屋だ。
ここに来るまで魔物に見付からなかったのは運が良かったのか、アルドの手際か。
ともかくミリリアはひとまず安堵して、胸に手を当て息を抜く。
失敗するわけにはいかなかった。
この部屋のどこかにあるはずの〈あかし〉を壊すのが、ミリリアとアルドの二人に与えられた役割だ。魔物の兵士が噂して、囚われた人たちが聞いた。大魔王から隊長に渡されるという、暗雲を呼び寄せる〈あかし〉。
確かな情報ではない。しかし懸けてみる価値はある。
シェロナはそう判断したらしい。
魔物はシェロナたちがあかしの存在に気付いているとは知らないはず。その上、魔物の間でさえも極秘扱いの代物だ。だから王女や人質のように表立った警護はできない。そこに忍び込んで壊すのだ。難しくはない。もしそれで暗雲が晴れなかったとしても、その時は初めの予定通り、隊長のドルギヌスを倒せばいいだけだ。
焚き火の周りに集まった面々に、シェロナは淡々と説明してくれた。「どちらにしろ隊長は叩くが」と、ミリリアの背筋まで寒くなる恐ろしい微笑を付け加えて。
そんな考えを聞いたルートは、微妙な顔をして首を傾げていたようだが、ミリリアは納得した。
暗雲が晴れれば、魔物は城からいなくなる。
怪しい物があるなら壊してみればいい。
王女さまの安否は変わらず気掛かりなものの、とりあえず安全そうな彼女の救出は後回しで大丈夫だ。むしろ今は敢えて無視する方が、物騒な事態から遠ざけられるだろう。
それが今ならば、諭される前にすんなりと受け入れられた。
この作戦を無事に成功させるために、アルドの盗賊一味は、結局ほとんど総出で駆り出されることになった。城へ隠密に侵入しなければならないミリリアとアルドの二人が目立たないように、同じように城の中に入って魔物の兵士を派手に掻き乱すのだ。
もちろんただの盗賊には違いないから、一人だろうと数人だろうと、彼らに魔物と戦う力は無い。それはもう、紙ぺら同然に無い----と、ルートが遠慮なく言い切ったものだから、ミリリアはちょっと驚いた。
しかし追い掛けっこだけならばなんとかなるだろう、と平然と提案したのはシェロナだった。その時の、ぎょっとしたアルドの顔が忘れられない。
彼らは盗賊だから逃げ足は速い。細工も得意だ。
深夜のうちにあちらこちら----それこそ城の内から地下道に至るまで、罠を張り巡らせておく。日が昇る頃合いになったら、魔物にある程度わざと見付かって、そんな場所に誘い込み、足止めしてやり過ごしたり、可能ならば空き部屋に閉じ込めてしまおうという算段だ。
もし追い付かれても戦わない。
武器を投げ出して抵抗しなければ、そんな奴まで殺さないだろう。頭に角でも付けておけばなおさらだ。というのもシェロナの意見だが、これはさすがに、ミリリアでさえ危ういと思った。
ミリリアが思ったくらいなのだから、アルドはもちろんのこと、盗賊一味からも続々と抗議の声が湧き上がったのだが----それらをさらりと無視して、勇者はその作戦もまた断行したのだった。
そんな経緯もあって、ミリリアと----そしてアルドは、少しでも早く自分たちの仕事を終わらせてしまいたかった。あかしを壊した後ならば、どう転んだとしても仲間たちに加勢できるのだ。
二人は暗闇の中でうなずき合って、扉を開け中に入った。
広い部屋だ。
廊下とは違う空気の流れからそう感じられるものの、ミリリアには何も見えなかった。正面にあると辛うじて分かる窓からでさえ、ほんの少しの明かりも入らない。廊下と同じだ。黒々とした闇が固まっているだけ。なにかを見定めようと目を凝らすと、それだけ目が眩む。
扉を閉めたアルドが、近くに元の部屋の持ち主が使っていたのだろう燭台を見付けて、蝋燭に火を点ける。さすがと言うのか、暗闇での行動に慣れている。淡い光につられて目を向けると、その手にあったのは小さな火種を呼び出す魔法の道具。----確かそれなりに高価で珍しい品だったはずだが……。ミリリアは強いて、考えないことにした。
あまり明るくできないので、小さく灯された火が映し出したのは、執務室らしいと分かる調度の輪郭だけだった。
「どこにあるのでしょうか?」
そもそも、どんな形の物なのか。
ミリリアは音を立てないよう慎重に足を運んで、部屋の真ん中に立ち、ぐるりと一周見渡した。
〈あかし〉はとても大切な物のはずだ。
わたしなら----。ミリリアは自分に置き換えて想像を巡らせてみる。他の人にいじられたくない大切な物は、丁寧に包んで、使用人や兄たちに見付からないように、自分だけが知っている秘密の場所に隠してしまう。我が家ならそれは自室にある壁板の隙間だ。魔物だって、きっと不用意に置いておかないだろう。まして、持ち主は昨日見たあの仮面の魔物だ。
暗闇に浮かび上がる室内は、神経質が過ぎると嫌われているだけあって、几帳面に片付けられていた。そこにある輪郭は大きな家具のものばかりで、細かな道具の類がほとんど見られない。机の上に積まれた書類や筆記具さえ、端までぴしりと揃えられている。
これでは床に転がった何かを蹴倒すような心配はいらない。
その分一つ一つ、戸棚や抽き出しを調べなければいけないのだろうか。
どんな物かも分からないのに。
この暗さでその作業はひと苦労だ。
ミリリアは少し唇を尖らせる。
「そうだなあ」
今まさに魔物と戦っている人たちには申し訳ないものの、少々憂鬱な気分になったミリリアとは違い、アルドの声は軽い。部屋を「見る」というよりは臭いを「嗅ぐ」ように鼻を付き出して、首を巡らせる。
そうして一所に目を留めると、迷わず歩を進めた。
「?」
ミリリアは不思議に思って後を追った。
「たしか、箱に入ってるとかいう話だったろ」
燭台を片手にアルドが向かったのは、部屋の奥まった方にある窓際に据えられた低い戸棚だ。人質の見張りをしていた魔物の噂話の品がそうならば、そういうことになる。ミリリアはうなずいた。
アルドが膝を折り曲げて、その棚の真ん中部分----花の模様が彫り込まれた木の戸を開く。中は棚板で三段に区切られていた。悩んだのはほんの数瞬。そこから無造作に一つを取り出し、天板の上にことりと置いた。
それはミリリアが見たことのない模様の、上品な白い宝石箱だった。蓋に格子や三角を複雑に組み合わせた図形の模様がある。それらの幾つかのマスに、黒曜石のような光沢の石がはめ込まれている。
魔物がこんな素敵な物を持つのだろうか。
偏見かもしれないが、それがミリリアには信じられなかった。
しばらく外見を眺めてから、アルドがその蓋を開いた。
中にあったのは一つだけ。
柔らかな布地に丁寧に包まれた、白銀の記章だ。
豪勢な織り模様の布飾りまで付いている。
「これ----なのでしょうか?」
「さあなあ。
でもこの箱。金具のところに最近直したような跡があるぜ」
記章を手に取って見つめるミリリアの横で、アルドは箱の方を目の高さに持ち上げてしげしげと見分している。
噂を信じるなら、これで間違いなさそうだ。しっかりと鋳造された金属の硬貨も、王から手渡された物としては相応しい重厚で立派な物。
それにしても----。
「よく場所が分かりましたね」
「盗人の勘だな。
貴重品の在処はにおいでピンと来るのよ」
傍らを見上げて問うと、アルドは誇らしげに胸を張った。
褒められたことではない気がする。
ミリリアはちょっと眼差しを険しくしてアルドを見る。
その時。
背後に出現した気配に、ミリリアは驚いて振り返った。
考えるより先にその場を跳び退く。
手から記章が滑り落ちた。
「あっ!」と思う間もない。
記章は床に付く前に、
ぽわんと水の中に包まれた。
「!」
そして元いた位置にある棚に、幾つもの細いトゲのような物が突き刺さっていた。事態を把握しきれないミリリアの目の前を、中に記章を閉じ込めた真ん丸の水の玉が浮かんで漂う。
声は戸口の方からした。
「----まさかそれを狙って来るなんてね。
どこで聞きつけたのか。一応気にかけておいて良かった」
女性の声だった。
宙をふわふわ進む水の玉を追って、ミリリアは目を凝らす。
開け放たれた戸口に立っていたのは、魚を彷彿とさせる魔物の兵士だった。
他の兵士とは違って揃いの鎧を着ていない。小さな火を照り返す青緑色の鱗の肌。それを覆うのは上等そうな----それこそ、隊長のドルギヌスよりも格の高そうな軽量の鎧だ。水の玉を迎える右腕に、トゲが並んで生えている。髪の毛は----表現は悪いけれども、海藻のような質感だった。
声からすると、女の人なのだろうか。
ミリリアは腰の剣を抜きながらも、小首を傾げる。
人間であるミリリアの目から見ると、大人の女性から連想するような柔らかな丸みはなく、胸や腰はむしろすっきりと精悍な印象だ。
黒々とした眼が面白そうに笑っている。
「私はレザクダ。実質、この部隊を取り仕切っている者、と名乗っておこうか。
人間よ。目の付け所は悪くなかったな。
私に見付からなければの話だけれど」
平たい唇の端を上げて、また笑う。
----この人があの噂にあった副官。
「!」
思った途端、目の前が真っ暗になった。
アルドの持っていた燭台が消えたと気付いたのは、一呼吸おいてからだ。
それがレザクダによって消されたのだと考え至ったのは、そのさらに後。ミリリアが驚いてただ左右を見回しているうちに、肩に鋭い痛みが突き刺さった。
「----ッ!」
衝撃と痛みに、ミリリアは足を引いてうずくまる。
近くでアルドの呻き声が聞こえた。
一拍置いて、金属の何かが床に叩き付けられたような音まで響く。
見れば----見たところで、漆黒の闇が垂れ幕にでもなったように目を塞いで、何も見えない。手探りに辿ると、右の肩になにか細い物が伸びていた。手で握り込める長さの分、突き出ている。
思い起こすのは、さっき棚に突き立ったトゲだ。レザクダの腕にあったものと似ていた気がする。あれを打ち出せるのだろうか。恐らく、水の魔法も操る。それで蝋燭の火を消して----。
卑怯な!
ミリリアの頭に、理屈よりも早く、瞬発的にその言葉が浮かんだ。
そこにレザクダの不敵な笑い声が響く。
「ふふふ。
卑怯だなどと、言ってくれるなよ。
おまえたちが誰にやられたか、きちんと分かるよう、姿を見せてから消したのだから」
ミリリアは背筋に冷たいものを感じた。
シェロナに時々感じるのとは違う。胸に広がって眉間を険しくさせるのは、嫌悪だ。
レザクダの笑みが、ただただ気持ち悪い。
指が自分の血で濡れる。
闇の向こうから、アルドのため息が聞こえた。
「陰険だな」
「なんとでも言うがいい」
「うおっ!」
鋭い物が硬い木製の家具に突き刺さる音が連続して聞こえる。
人が大きく動く気配と、床に倒れたような音。
ここは----音だけの世界だ。
何も見えない。
目を開いているはずなのに。
それだけで、ミリリアの胸いっぱいに不安と焦りが広がる。心の内にまで、闇が手を伸ばしているかのようだ。何度も何度も瞬きする。
人間には見えない。
でも、魔物には見える。
昼日中の草原にいるように、はっきりと。
物陰に隠れなければ丸見えだ。狙い撃ちにされるだけ。
ミリリアがしゃがんだ位置は、ちょうどレザクダとの間に布張りの長椅子や大きな執務机があった。ミリリアは小さい。そうした家具の陰に入り易く、狙い難いはずだ。
----落ち着いて、落ち着いて……。
ミリリアは痛みを堪えて、右手にある愛剣の感触を確かめた。
今はそれだけが確かなもののように感じる。
レザクダになんとか近付かなければならない。
そうして、〈あかし〉を壊さなければ----。
縮こまって考えるミリリアの耳が、空気を切り裂く音を聞いた。
「!」
慌てて脇に体を避ける。
今度痛みが走ったのは、脇腹だ。
掠っただけ。
しかし暗闇の恐怖が、痛みを倍増させる。
----なんで……?
それはやはりトゲだった。
ここはレザクダからは死角のはずだ。移動したような物音も聞いていないのに。
考える間も無かった。
咄嗟に跳び退いたせいで、ミリリアの体が物陰から出てしまっていた。
幾つも鳴る風切り音に、ミリリアは転がるように走る。
何かそこにあった物にぶつかって足がもつれ、床に倒れる。
意味はないかもしれない。他にやりようはなく、無我夢中で手の中の剣を振った。
一つ二つの軽い手応え。唐突に足を刺す痛みに、喉から短い悲鳴が漏れる。
ひとつひとつは木の枝のような細いトゲだ。金属に比べれば遥かに弱く、見えてさえいればこれほどの脅威にはならない。それが、なぜだかどこからともなく飛んでくる。まるで四方を包囲されて狙われているかのような感覚を、ミリリアは受けた。
「同族相手では取るに足りない特技だと思っていたけれど。
こうして人間をなぶるのには、向いていたようだ」
闇の中から、レザクダの含み笑いが聞こえる。もしかしたら、体に生えたトゲだから、あまりたくさんは続けて打てないのかもしれない。攻撃に間隔がある。
ミリリアは歯を食いしばって、長靴を貫いて足に刺さったトゲを引き抜いた。血がより溢れると分かっていても、刺さったままでは動けない。
「……?」
そのトゲが、濡れていた。
血ではない。さらっとした液体だ。
疑問を片隅に置いたまま、ミリリアは床を這って移動した。不格好だなんて気にならない。わりとしょっちゅうやっている。こつん、と前方の何かに頭をぶつけた瞬間、閃いた。
レザクダは魚系の魔物だからなのか、水を操る。さっき記章を中に入れて水玉を飛ばしてみせた。それと同じように、トゲの尻に小さな水の玉を付けて操っていたのだ。だから直線でなくても飛ばせる。それこそ物陰に隠れていても狙えるのだ!
それならば----!
ミリリアは期待を込めて、さらに頭を働かせる。
働かせたが、直ぐに眉間が寄った。
気付いてどうなるものでもなかったかもしれない……。
ミリリアはがっくりと肩を落とした。
そうしている間にもトゲは飛んでくる。
微かな音だけでは避けきれない。傷が増えればいずれ動けなくなる。
レザクダはそれを楽しんでいるようだ。
ミリリアは顔の横に突き立ったトゲの音を聞いて、胃の腑を冷やした。
----逃げ回っているだけではダメだ。
レザクダはどこにいる?
真っ直ぐに飛んでくるのではないから、トゲの向きでは判断できない。
聞こえる物音は、肌に感じる空気の流れは、アルドとレザクダどちらのものか。ミリリアにはもはや、自分がどちらを向いているのかさえ分からなかった。
どうすれば----……。
ばさっ、と異質な音が室内に沸き起こった。
ミリリアの頭上に降り掛かった、何か。
ちょっと首をすくめて確かめる。それは、紙だ。
机の上にあったはずの長方形の書類らしきものが、はらりはらりと音を伴い宙を舞う。ミリリアは立ち上がりかけた中腰の姿勢のまま、その様子を想像した。さっきほんの少しだけ目にした、暗い部屋の中に舞い散る、白い、紙の、束。
「悪あがきを」
「うっせえうっせえ!
----て、どわわっ! チッ! ダメか!」
閉ざされた暗闇の中から聞こえてきたのは、レザクダとアルドの会話。
ミリリアは考えるのを止めた。
瞬時に立ち上がる。
短い言葉だった。それだけで充分だ。
頭に思い浮かべていた部屋の間取りに、声を発したレザクダの位置が、針を刺したように示される。そこへ向かって、ミリリアは床を蹴った。
なりふりかまわない。
途中何かの家具に体の側面がぶつかって蹌踉けても、止まらない。
直感として理解した。
視界を塞ぐように広がったたくさんの白い紙。
それを突き破ってアルドを襲ったトゲ。
ならば、直ぐにまたトゲは使えないはず。
今なら愚直に突進しても、正面から攻撃される心配はない!
「やあああああ!」
ミリリアは吠えた。
右手の剣を振り上げる。
距離は----もう、勘だ!
レザクダの胸が悪くなる笑い声を斬り裂くように、刃を振り下ろす!
「浅はかな」
剣は、まるで水に叩き付けたように、空中で止まった。
顔に飛沫が跳ねる。
まるで、ではない。そのまんまだ。
レザクダに届く前に、空中に生み出された水の壁に遮られたのだろう。
思い掛けない負荷に、トゲの刺さった右肩が鋭く痛む。
水を打った反動を、手首が支えきれない。
ミリリアは剣を取り落とした。
愛剣が床に跳ねる音を聞く。
勢いをつけていたミリリア自身も体勢を崩した。
床に付いたと思った足が家具に邪魔され、少女の細い腕が宙を泳いで尻餅をつく。
闇の海に身を投げるような心地がした。
今度は手の中に剣が無い。ミリリアは咄嗟に手を伸ばした。床を滑らせて探る。どこまでも続くような闇しかない。でも、そこにあるはずなのだ。
その手が届くより先に、
音がした。
がっと蹴り飛ばすような音。
長い物が床を滑って離れていくような音。
「滑稽だな」
そして背後で、剣を抜く、聞き慣れた音を聞いた。
膨れ上がる伸し掛かる重圧に、ミリリアは振り返った。
闇よりも濃い影が立ち塞がっていた。
しまった……!
思うだけ、馬鹿馬鹿しい。
見開く両の眼に、今にも振り下ろされようとしている刃も、敵の姿も見えはしない。
それでも避けるしか、ない! 避ける----!
ミリリアは瞳に力を込める。
「嬢ちゃん、受け取れーーッ!」
その視界の端に、
光を見た。
幻かと思う。
三日月の形をした、淡い緑の光。
それがくるくると床の上を回って近付いてくる。
「何ッ?」
見える物がある。それだけで自然と目が追った。
そして危うく、素手で掴むところだった。
それは刃物だった。三日月の弧を描く、短剣だ。
寸前で気が付いたミリリアは、アルドが寄越したそれを、革靴で床に挟んでなんとか止めた。見覚えがあった。昨日、アルドがシェロナに自慢していた短剣だ。本来はこの城の宝物庫に納められているはずの宝剣。その刀身が、不思議な光を放っている。闇に慣れた目を刺すことのない、柔らかく広がって包むような緑の光。
遠くまでは照らし出さない弱い光だが、
この上ない、希望の光だ。
剣を振りかぶってミリリアに襲い掛かろうとするレザクダの姿を、暗闇の中にはっきりと浮かび上がらせる。
じっくりと見惚れている場合ではない。
ミリリアはシェロナも褒めた美しい装飾の柄を握り、
なにも考えずに振るった。
振り下ろされる刃の下を潜る。小柄な体で体当たりするように、魔物の懐に滑り込む。光の線を引く刃を、走らせる----。
手応えはひどく柔らかなものだった。
レザクダが呻いて床に崩れる。
いつもよりずっと近くに敵の鼓動を聞いて、ミリリアは脇を抜けた。
振り返る。そこで、見付けた。
宙を漂う水の玉。
中には変わらず、あの記章が浮いている。
これを壊せば終わる。
「待て! 止めろ!」
ミリリアは一時も迷わなかった。
刃を持ち直す。
少々高みにあるそれを目掛けて、脇にあった低い卓を踏み台に跳び上がる。
緑の光が、鮮やかな弧を描いた。
水が弾けて形を崩す。
魔法の宝剣は、中にある金属の記章さえ苦もなく切り裂いた。円形の記章が真っ二つになって、水と共に零れ落ちる。床に落下するまでにもう一筋、二筋。飾り布に至るまで、ミリリアは念入りに刃を走らせた。
ばらばらと記章の残骸が落ちる。
軽やかに着地をした途端、ミリリアは体勢を崩して転びかけた。いつもより深く膝を折って、床に手を付き肩で息をする。今更、足の痛みを思い出した。
その横では、いつの間にかレザクダが、アルドによって組み伏せられていた。トゲの飛び出た両腕に気をつけながらも、アルドが遠慮なく魔物の背に乗って押さえ付けている。そのアルドにしたところで、体のあちこちから細いトゲを生やしていた。力を込める度、苦痛に顔を歪ませる。
灯り代わりの短剣が、それらの様子を照らし出した。
レザクダが怒りと屈辱にわめきもがく。しかし床に散らばった金属片を目にすると、気が抜けたように抵抗を止めた。
ミリリアもまたそれに目を留め、急いで窓の外を振り返った。
「これで雲は晴れるのでしょうか……?」
なんの実感も湧かない。
ミリリアの心に、任務を達成した喜びが湧き上がったのは、ほんの一瞬。次には居心地の悪いもやが広がる。これでいいはずなのに、なんとなく心許ないのは空がまだ真っ暗だからだろうか。ルートは〈あかし〉を壊せても、劇的に暗雲が消えるわけではないだろうと言っていたけれど……。
「さあな」
アルドもまた肩をすくめた。
その答えはミリリアを安心させてはくれない。より一層不安が募る。
そこに床から、抑えきれず溢れたような、含み笑いが聞こえた。
顔を伏せたままのレザクダが、肩を揺らして笑っている。
無気味だった。ミリリアはまともに表情を曇らせて、レザクダに向き直った。
「なに?」
「ふふふふ。いいや。人間に言う事なんてもう無い。
ただ、あれはなかなかに用心深かったのだと思ってね」
「……」
ただの負け惜しみには聞こえない不吉な言葉が、胸を急かす。
ミリリアはアルドを振り返って顔を見合わせた。
そして、急かされるままに体を反転させる。
揺れる青の瞳が見つめる先は、城の正門がある方角だ。
「シェロナ様……」
ミリリアは両の手をぎゅっと握り締めた。




