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第一話 「召喚」

初投稿になります。

美味しく召し上がっていただけましたら、幸いです。

 石壁に囲われた室内は、常にはない厳かな緊張に包まれていた。

 調度を全て取り払った広い石の床に、円形の大きな魔法陣。

 淡く白い光を放つその魔法陣の正面には、僅かな実りと怪しげな呪具を供えた祭壇。

 そしてその前で、儀式用の床に余るほどに長い法衣を身に纏った魔法使いが、身の丈より遥かに長い杖を掲げて、よく通る低い声で祈りの言の葉を捧げる。

 周りの石壁に背を張り付かせるようにして立ち会う人々は、ただただ息を詰め見守るだけ。近隣の集落の長や、この小さな砦の官吏、それに武官。彼らが握りしめるその手が願うのは、儀式の成功ばかりではない。

 その先にある、

 この世の救済だ。

 清められた室内に、小さくくり抜かれた窓から斜めに差し込んでいた日の光が、ふっと弱まった。空を橙に染め上げていた太陽が、役目を終えて山の端に消えた瞬間だった。鮮やかな朱に代わって、天空を薄青の闇が支配する。

 その時を見計らって、魔法使いが力を込め両腕を振り上げた。額を汗に濡らし、苦しげに表情を歪めながらも、一際高らかに願文を詠み上げる。

 光が溢れた。

 周囲の人々から、悲鳴に近い驚きの声が起こる。

 魔法陣が室内を満たすように眩く輝き、そして、天井に届くかというほどの青白い炎を立ち上らせたのだ。

 ほんのひととき沸き上がった幻視の炎は、直ぐにほぐれて真っ白な煙へと姿を変えた。薄くゆらめく白い煙が、小さな窓しかない閉ざされた室内を覆い隠す。

 いつの間にか、魔法使いの祝詞が止んでいた。

 人々はざわめき、再び息を呑んで静まり返る。

 視界を覆い尽くすその白い幕に、一瞬、影が浮かんだ。

 その黒い影は、

 巨大な、

 巨大な怪物の姿をしていた。



     ▽ ▽ ▽


 突然訪れた不快な眠気に抗いきれず、まるで足下から地面へ沈み込むように意識を奪われる。

 そして気が付くと、白い靄の中に立っていた。

「?」

 何が起こったのか。曖昧な浮遊感から解放されて、すとんと地に足がついたような感覚は、空間渡りをしたときに似ている。

 しかし状況を見極めようとしても、頭はこの視界を覆うもやのようにぼんやりとして上手く働かない。音を拾う耳も、地を踏む足の感触でさえ、まるで薄い布袋にでも詰め込まれてしまったように一枚隔たりがあって、明瞭ではなかった。ただもやの向こう側に、何か物音があるのだけは分かる。

 ともかくも、このもやは邪魔だ。

 一掃すれば愚鈍な思考もはっきりするだろうと、風で全て吹き飛ばすつもりで右腕を前へ振り上げた。

「なんだ?」

 白いもやを揺らして、袖からのぞいて目の前に現れたのは、白い人間の腕だった。

 もの珍しいものを目にしたような気分で、まじまじと眺める。爪を立てれば簡単に裂けてしまいそうな脆弱な皮膚に、柔らかな手の平、薄い爪。獣の鋭い爪や骨張った手、ふさふさの毛皮に、硬い鱗。そんな、あるはずのものが見当たらない。

 しかし、目の前では、初めて動かしたようにぎこちなく、細い指先が曲げ伸ばしされている。それはまぎれもなく人間の腕だが、どうやら----嘆かわしいことに、己の物と認めざるをえないようだった。

 これは、どういうことか。

 何かと便利なので、普段から人間に近い姿で生活をしている。とはいえ、ここまで人間と同じに変化(へんげ)してみたことはない。見れば、両腕だけではなく、顔も、体も、足も、すっかり人間と同じ作りになっているようだ。そればかりか----、

 太い尻尾までが、無くなっていた。

 蜥蜴に似た鱗の、床を叩く尻尾が。いつもそこにあったはずの、尻尾が。

 僅かに己の本来の姿の痕跡を留めているのは、頭蓋の左側から後ろに向かって生えた、一本の角のみ。これさえ、本来なら左右二本揃っていたはずなのだ。

「…………」

 あまりのことに顔を歪める。

 これはどういうことか。これではまるで、否、まるっきり、

 『人間』ではないか。

「おおお!」

 その時、急速に世界が戻ってきたかのように、周囲で上がった何人もの歓声が耳を打った。

 驚きに顔を上げる。すっかり失念していた。視界を覆って周りを隠していた白いもやが、己の身体を上から下まで眺め回しているうちに、いつの間にか薄くなり消え去っていたらしい。

 ぐるりと見渡せば、そこは見知らぬ石壁の部屋だった。その壁に張り付くようにして十数の人間の姿が見て取れる。その他にこの部屋で目につく物は、果物が乗せられた壇と、床の大きな模様くらいだ。

 我を取り囲むようにして並んだ人間共は、我がそうして視線を送っただけで、一際騒がしくなる。それらの視線と関心が、輪の中心にいる己に、異常なほど注がれているらしいと、肌で感じた。

 人間の顔、かお、カオ。

 不可解だった。

 我が人間の----好奇のまなざしに晒されている。

 それだけでも不可解だというのに、その我を見る人間の表情は、期待や安堵、さらには崇拝に近いものさえある。

 そんな中で----、

 床に石灰で描かれた円形の模様----これは恐らく魔法陣というものだろう。その外側に仰々しく設えられた壇の正面で、杖にすがりつくように体を支え膝を付いている人間がいる。この人間、ただ一人だけは驚愕に目を見開き、「そんな……」と呟く声に深く恐れを滲ませる。まるで、周囲とは別のモノを目にしているかのように。

 それは、よく見慣れた、そんな表情だった。

 こちらの方が正常な反応だと思える。我が姿を目にして少しの恐れも表さない人間など、これまで見たことがない。恐怖、怒り、嫌悪。そんなものが主となって表れる感情で、畏敬ならばまだ分かるが、歓声をもって迎えられるなどありえない。

「なんだこれは」

 眉根を寄せて、今度ははっきりと口にする。

 見知らぬ場所で、多くの人間に取り囲まれ、そればかりか不躾な視線に晒されている。全く不可解でありえない状況ながら、人間の姿に----恐らくさせられていることも相まって、非常に不愉快だった。

 返答次第では、なんだか分らぬこの建物ごと踏みつぶして去るつもりだ。

 訓練された戦士でさえ竦み上がる、冷えた瞳で睥睨する。それだけで、先ほどまでの囁き交わすざわめきが一転、人間共が静まり返った。

 そんな人間たちの窺うような視線が一人に集中する。その人間はゆっくりとした足取りで、やや怖ず怖ずと前へ進み出た。毛に白いものが目立つ、歳を取った男だ。周りの人間よりも上等な衣を身に着けている。そこに寄せられる視線から、その者がこの中でも高い地位、まとめ役でも担っているのだろうと想像がついた。

 人間は自分たちの上に立つ者を軽んじられるのを、ひどく嫌うものだ。

 苛立ってはいたものの、弁解するつもりがあるのなら聞くだけ聞いてやろうと、氷河のような凍えた薄青の瞳で老人に向き直る。

 背筋を伸ばした老人が話し出そうとした、その途端。

 どさっ! からん、からん、からんん。

 と、視界の隅で、唯一焦りを浮かべ杖にすがっていた人間が、倒れたのが目に入った。近くに控えていた人間共が、慌てふためき助け起こそうとする。どうやら意識を完全に失っているらしく、呼べど揺らせど目を覚ます気配がない。場を乱すからだろう。その内運び出されてしまった。

 我はほんの少しその顛末に目をやっただけで、長い服の裾を払うと不快なほどに弱々しい己の腕を組んで、未だ倒れた男を呆気にとられて見ている老人を見下ろした。

「それで」

 尻尾があったなら、苛立ちを紛らわせる為に床を打ちたいところだ。そんな習慣に思い至ってしまえば、余計に腹立たしい。

「これはなんなのだ」

 そんな心持ちもあって、声が必要以上に冷たい響きを帯びる。

 いつもならば、何をせずとも問うだけで竦み上がって、逃げ出すか或いはへこへこと醜く頭を下げ始める人間共だが、目の前の老人はただ恭しく深く一礼した。そればかりか、周囲の人間まで詰めていた息を抜き、またも感極まったような声を上げる。

 どうにも様子がおかしい。「心強い」「威厳に満ちておられる」「風格が違う」などと口々に褒めそやす言葉を聞くに、我に恐怖して縮み上がっていたのではなさそうだ。人間の勝手な言い分は、疑念が募るばかりで少しも響かないが。

「まずはあなた様の都合を顧みず、勝手にお呼びだてした事を心よりお詫び申し上げます」

 ここにいる者たちの長として、相手に侮られるわけにはいかないというように、老人は頭を上げると胸を張り、線のように細い目で真っ直ぐにこちらの目を見返してきた。そこに怯えの色は無い。

 ますます分からなくなる。

 我の威圧が効いているとかいないとか、以前の問題だ。

 これではまるで、我を知らないかのようだ。

 これだけの人間がいるのだ。まさかそんな事、あるはずがないのだが。

 鼻の下に刷毛のようなもっさりとした髭を生やした老人は、気負いによる緊張を抑えるためなのか、落ち着いたゆっくりとした口調で言う。

「わたくしは、この名も無い小さな砦で、皆々の代表を務めております。

 名をメリダス・ユラングランと申します」

「----うむ」

 ----おまえの名など聞いていない。早く説明しろ。

 と、先立つ言葉は飲み込んだ。

 頭に掛かっていたもやも徐々に晴れ、状況を観察する余裕が戻ってきていた。こやつらの態度がむしろ頭を冷やして冷静にさせる。

 ほんの少し前にいたのとは、まるで違う場所。得体の知れぬ人間共。現在何が起こっているのか、己がどういう状況に置かれているのか、全く掴めないうちは不用意な行動は控えるべきだ。把握してからでも遅くはない。この苛立ちをぶつけるのは。

 メリダスと名乗った老人は、こちらを見詰めたまま何か不自然な間を置くと、----もしかしたら人間の当然の行動として、こちらが名乗り返すのを待ったのかもしれないが、気を取り直したように咳払いして続けた。

 その視線がちらちら角の方へ行くのも、我は見逃さない。

「突然の出来事にあなた様も戸惑い、困惑されていることでしょう。

 ですから、まずは状況を理解していただく為にも、単刀直入に申し上げます。

 ここは、あなた様がよく知り暮らしていた世界とは、別の世界でございます」

「ふむ。--------なに?」

 軽くうなずいてしまってから、思わず聞き返す。

 まだ頭は充分に回転していないらしい。危うく聞き流すところだった。

 我は目の前でもっともらしくうなずいている老人から目を離して、改めて左右を見る。調度品はまるで無いが、そこにいる人間共の服装や姿はどこか見覚えのある物ばかりで、違いは見出せない。

 左側の石壁に、小さな窓があるのを見付けた。大股にそちらへ向かう。

 いつもあるはずの尻尾が無いというだけで、少々歩きづらかった。

 勢い、そこだけくり抜いたような小窓に手を付いて、外を見る。

 太陽が地平へ沈んで間もないようだ。薄暗く陰影の濃く際立った景色は、遠く重なり合う山々まで見通せた。その連なりから手前へと視線を移動させると、ふもとには小さな農村らしきものと田畑があり、さらに手前は傾斜のきつい森になっている。よく茂った木々の間に、細い山道も見て取れた。この砦は山の中腹にあるらしい。それらの景色のどこにも見覚えは無いが、しかし見知った世界と格別違ったところも見受けられなかった。

 それにしても、この程度の距離にある向こうの山々がぼやけて霞み、光源の無さを薄暗く感じるなど、今まで無かった経験だ。この分では、身体の見た目だけではなくそういった内にある感覚まで、人間と同じになっているのかもしれなかった。

 我知らず眉根が寄る。

 この景色だけでは疑わしい。

 すると、隣りにやって来て我の脇から同じようにその景色を見ていたハケ髭の老人が、先回りして言った。

「本当でございます。

 あなた様がどのような世界におられたのか、わたくしどもは存じ上げませんので、こちらの世界と明確に差があるのか、分かりかねますが。ここは、間違いなく、あなた様がおられたのとは別の世界----時の歯車(トクル=ウィクル)と呼ばれる世界でございます」

 殊更に強く、断言する。

 我は肩越しに老人を見遣った。

理由(わけ)あって、先ほど倒れた魔法使いに命じ、古より伝わる秘術で、わたくしどもに必要な英雄となられるお方を、どことも知れぬ世界よりこの世界にお呼びしたのでございます。

 従って、わたくしどもはあなた様がどのようなお方なのか、一切存じ上げません」

「……」

 とつとつと語る老人は、嘘を吐いているようには見えなかった。

 それが本当ならば、この人間共の態度にもいくらか説明が付く。我を知らないのであれば、姿だけでは恐れようがない。そして、我が何者か理解している人間が、嘘を吐いてまで我を呼びつける利益も思い付かなかった。思い付かないが、仮に嘘であった場合は、それ相応の代償をこやつらに支払わせればいいだけだ。

 ----秘術で『英雄』を呼ぶ、か。

 まだはっきりしない部分もある。

 もう少し、この老人の話を聞いてみることにする。

 我は裾を払って振り返った。

「その理由(わけ)とはなんだ」

「はい。ここからは長い話になります。

 別室に席を設けておりますので、そちらにて----」

「かまわぬ。話せ」

「----……。

 ----さようでございますか。では」

 腕を組んで促す。尻尾を左から右へ、ゆっくり振ろうと----して、また無いことに気が付いた。むう。やはり、不便だ。

 そんな我を、老人は量るように見てから一つ大きく頷いた。

 まだ信用されていないと判断したようだ。知らぬ土地で、知らぬ人間が用意した場へ移動するということを、警戒しているのだろう、と。老人の細い瞳から、そんな考えが透けて見える。

 それはその通りでもあるのだが、わざわざ場所を変えるのが面倒だったに過ぎない。もし話が気に食わなければ、この場で暴れてぶち壊してしまえばいいのだから。

「わたくしどもが別の世界へ英雄を必要とした、その理由をお話しさせていただきます」

 前置きをしてから、老人はこくりと小さく喉を上下させた。そうしてゆっくりと、用意していたかのように滑らかに語り出す。本当に、長い話になりそうだ。

「この世界トクル=ウィクルには、古来より、人間や光と共に生きる生物とは対立する存在として、暗闇に住む〈魔物〉という生き物がおりました。神話の時代より、魔物はわたくしども人間の土地を奪い、また全ての人間を滅ぼさんと、幾度となく争いを繰り返しております。

 そして、ほんの半年前の事でございました。

 その魔物の軍勢を束ねる、現在の〈大魔王〉ズィーマが、大陸で最も強い勢力を誇っていたこのサンクルティアラン王国へ攻め込んできたのです。大群を率いて奇襲を仕掛けられた王城の正規軍は、ほとんど為す術無く敗走し、城を明け渡す他ございませんでした」

 そこで少し言葉を切る。やや力んだ声音を深いため息で整え、続けた。

「それからというもの、あれよあれよという間に主要な街道や港、都市を抑えられ、他の地域や国々もほとんど占領されてしまいました。今や人々は、このような辺境の地で、細々と隠れ住んでいるような状態でございます。

 それぞれの地に分散し、僅かに残ったわたくしども人間の勢力も、抵抗する為の力を少しずつながら蓄えようとしておりますが、これ以上の侵攻を防ぐだけで精一杯という有り様です。一丸となって魔王軍に対抗するまでには至っておりません。それどころか、このままでは備蓄した食料や資源が底を尽き、反攻する前に飢えて力尽きてしまいます。

 そんな時、わたくしどもは思い出しました。

 かつて神話の時代。同じように魔王に侵略され、人間世界が滅びようとしていた時、運命の女神によって異界より使わされた英雄の伝説を。その秘術が、現代にまで脈々と語り継がれていることを。

 現在のわたくしどもには、古の伝説のように、散り散りになった勢力を一つに纏め、魔の軍勢と戦う旗頭となって魔王を討ち倒し、平和へと導いてくださるような〈勇者〉の存在が必要なのです。

 勇者の召喚は、我が国だけではなく、人間の国々全ての希望となりました。

 そうして、ようやく実行された英雄召喚の秘術によってこの世界へと呼ばれたのが、あなた様だった、というわけなのです」

 また一つ息を抜く。それから老人は、僅かに見えるくすんだ緑の瞳により一層の力を込めて、我を見上げた。

「身勝手な事とは承知の上でお願い申し上げます。

 あなた様にはどうか! われわれを勝利へと導く勇者になっていただきたいのです!」

「なるほど」

 我は話を聞きながら、抜かりなく周囲の人間を観察していた眼差しを、意気込んで言う老人に戻して、僅かに顎を引く。

 ----どうやら、

 この世界の人間共は、今まさに、

 我と同じような存在に、征服されようとしているらしい。

 老人の言う〈魔物〉と我が世界で言う〈魔物〉とが、完全に同じ種族----というのか同じ生物というのか。ともかく同一のモノを示すわけではなさそうだが、人間ではなく、ありふれた動植物とも区別して呼ぶところからすると、我はこちらの世界で分類すると、その〈魔物〉にあたる生き物になるのだろう。

 そしてその魔物の頂点に立ち束ねる者を〈魔王〉と呼ぶのならば、確かに我は〈魔王〉なのだ。

 違いがあるとするならば、話を聞くかぎりでは、こちらにいる大魔王とやらが、主に人間を虐げ、土地を奪い、それを駆逐することで世界を征服しようとしているのに対し、我は人間のみならず、獣や鳥などの動物から、木や花などの植物、それに土も水も風も、世界に存在するあらゆる全てを支配下に置いているという点、だろうか。

 もっと言えば、あの世界は我が所有物なのだ。

 それを知らずに、ここの人間共は我を呼び出したらしい。

 そしてそんな我に、大魔王の軍勢から世界を救ってくれ、と頼んでいる。

「理解した」

 我は指先で己の顎を撫でる。

 恐らく、ここが我が生まれ育った世界と別の世界であるということは、間違いないのだろう。もはや、疑う余地は無い。

 この老人の話だけでは、それが全て偽りであるという可能性を否定はできない。しかしこの者が嘘を言っているとは思えない空気が、この空間を占めている。ここにいる人間共は我を〈勇者〉と信じて疑っていない。それ故に、今も変わらず手放しの期待を募らせ、早とちりに安堵しているのだ。

 そこまでの演技をする意味も、これが我に対する盛大な皮肉でもないかぎり、ありえないだろう。そんなことに命を懸ける意味はそれこそない。我が世界の人間なら、我の機嫌を損ねればどんなことになるのか、よく分っているはずだ。

 そしてなによりそんな理屈ではなく、この肌で感じる。

 この世界に満ちる空気というのか、気配が、今まで慣れ親しみ手中に収めた世界のそれとは、どことなく違う。それは生き物の勘としか言いようのないものだったが、何より確かだった。

 ----なるほど、別の世界か……。

 考えもしなかった。

 人間ごときに勝手に呼びつけられたとは、こうして説明を受けた今でも変わらず腹立たしい。その上、人間ごときにあれやこれやと指図され、人間ごときの為に使いっ走りにされるなど、はなはだ不愉快であり、また冗談ではない。

 そんな身の程を弁えない輩など、この場で捻り潰してしまいたい。

 しかし----、

 呼びつけられただけで何もせず----否、その場合は腹いせにこの辺りを焦土と化すが、それだけで元の世界にただ帰るというのも、まぬけな話だ。実に遺憾である。

 それならば、そう。来たついでだ。

 この世界も我が物にするというのはどうか。

 都合の良いことに、大魔王とかいう者がほとんど世界を掌握しているようだ。その愚かな輩を排して、我がその座に成り代わればいい。簡単だ。人間相手に数ヶ月も掛けなければならない輩など、我の敵ではない。

 実にいい考えだ。

 我はその思い付きを、黙したままじっくりと吟味する。

 一見しただけでは我が世界と違ったところは見当たらないが、そうはいっても別の成り立ちをし、歴史を辿って来た世界だ。きっと見所の一つや二つあるだろう。もし気に入らなければ、手にした後で好きに壊すなりして帰ればいい。

 そうと決まれば、この人間共を利用しない手は無い。

 この時の歯車(トクル=ウィクル)とかいう世界のことは、右も左も分からないのだ。

 様子見をするしばらくの間くらいは、人間共の話に付き合ってやるのも悪くない。

 どんな手違いがあったのかは知らないが、呼び出したのはこやつらだ。後でせいぜい悔やむがいい。

 我は静かに一つうなずいた。緊張を隠しきれない面持ちで、顔色を窺い待っていた老人へと視線を戻す。

「了承した」

 老人は一時、細い目をぱちくりとして惚けてから、

「……おお! それでは、引き受けてくださるのか!」

 次の瞬間にはなにかが切り替わったように感嘆の声を上げ、その目を精一杯に開いて喜びを表現した。

 我はもう一度鷹揚にうなずく。

「うむ。おまえたちの望みどおり、

 我が、この世界を脅かしている大魔王とやらを、討ち滅ぼしてくれよう」

「なんと頼もしいお言葉!

 ありがとうございます! 誠に、ありがとうございます!」

 まだなにも成し遂げていないというのに、引き受けただけで老人はうっすらと涙を滲ませ感激した。そればかりか、今にもこちらの手を取って握りしめようとまでする気配だ。我はさり気なく裾を払う動作で----本来なら尻尾を振るところなのだが、回避する。

 我が勇者になることを承諾したと見て取ると、周りで未だ息を呑んで見守っていた人間共も、それぞれに喜びと安堵の声を上げ、囃し立てるように両手を打ち鳴らした。こちらを拝み出す者さえいる。少々煩わしいが、泣き叫ぶ声よりは耳に聞こえがいい。

 それらの騒ぎが一通り行き過ぎるのを見計らってから、メリダス老人は己の目元を少し拭って再びこちらを見上げた。

「それでは改めまして。

 わたくしどもの勇者となられるお方の、お名前をお窺いしたいのですが」

「そうだったな」

 よろしいですか、と丁寧に訊ねるメリダスは、目元に皺を寄せ、晴れやかな笑顔を浮かべている。

 先程はここがどこなのか認識していなかった故に、我が名を知らぬ者などいるはずがないとばかり思っていた。それでつい、普段どおり名乗らなかったのだ。折角の妄信に近い好意的な雰囲気を壊さないように、こちらも態度を少々軟化させて応じる。

「我が名は----人間風に発音するなら、シェロ・ナ・ナルテ・ギラ。

 呼び難ければ、シェロナでもギラでも、好きに区切って呼ぶがいい」

 我の名は人間には口に出しづらいらしい。呼び名一つでおろおろされるのも鬱陶しいので、今までの経験を踏まえ先に付け足してしまう。

 メリダスは少々首を傾げてからうなずいた。

「……では、シェロナ様とお呼びすることにいたしましょう」

 どうしてか、顔いっぱいに浮かべていた笑顔がするするとしぼんでいく。その視線がもの言いたそうに、そして言い難そうにちらちらと泳いでいた。それは始めこの老人が、挨拶をする前にも見せた態度に似ていた。

 こちらの顔と、頭の脇----角とを行き来する眼差し。

「ところで」

 とメリダスは、何気なさを装いつつようやく切り出す。

「その……シェロナ様の頭にありますそれは……、

 つ、角でございますか」

「? うむ。角だな」

 メリダスがちらちらと視線を注ぐ先には、唯一本来の特徴を留めた白い角がある。青黒い髪の間から前に向かって突き出ながら、根元近くで後ろに折れて真っ直ぐ伸びる。先端は鋭く、表面は滑らか。微かに黄みがかった美しい白。まぎれもなく、角だ。

 なかなか言い出さないから何かと思えば、そんなことか。

 我が簡単にうなずいてみせると、しかしメリダスは驚いたように言葉に詰まった。

 それからさらに言い辛そうに細い目を彷徨わせてから、今度は隠しもせず探るように、上目遣いでこちらを見上げる。

「では、あの、シェロナ様は、その、

 に、人間では……?」

「うむ。我はこちらで言うところの〈魔物〉にあたる存在のようだ」

 それがどうかしたのか、というくらいの心持ちで言い、腕を組み小首を傾げる。

 そこで、ようやく思い至った。

 己にとってそれはあまりにあたりまえの事で、そして元の世界であればあまりに言うまでもない事で、つい、うっかりしてしまった。

 目前に立つメリダスが、平然と言ってのけた我を見上げたままぽかんとしている。歓迎の雰囲気だった室内の空気がいつの間にやら鳴りをひそめ、不安と不審の囁きで満たされていた。思い返してみれば、それはメリダスが角の件に触れたその瞬間からだ。

 恐らく、始めからずっと気になってはいたのだろう。

 我は人間ではない。

 魔物----我が世界では〈幻獣〉と呼ばれる生き物の一種だ。

 それはあたりまえで、否定しようのない事実だが、

 ここにいる人間共にとってそれは、我の名と同じくらいあたりまえではなかった。

 今度は、こちらが言葉を失う番だった。

 この世界(トクル=ウィクル)に暮らす人間にとって、魔物は敵だ。

 世界を恐怖によって支配しようとしている魔王に従い、その手駒として魔物は人間の生活を壊し、人間の生命(いのち)を奪っている。人間はそれに抗う為これまで魔物と戦ってきた。魔物は忌み嫌う存在(もの)だ。

 その感情は根強い。別の世界だとしても、〈魔物〉というだけで、なにかしらのわだかまりがあるに違いない。それが己らの窮地を救う勇者だとしても、反感を抱かないとは言い切れないほどに。それも恐らく、数多くの人間がそうなのだ。

 それを思うと、今の発言は軽率だった。

 コトを円滑に進めるには、魔物と知られない方が良かったのかもしれない。

 しかし頭に角が残っている以上、いつかは問い質されていただろう。むしろ下手に隠し立てして後で露見する方が、より面倒な事になっていそうだ。

 こういう聞かれ方をして、はっきりと肯定してしまった手前、今更とぼけるわけにもいかない。これ以上こやつらの好意に水を差すつもりはないが、人間共にへつらい取り繕ってまで取り入る気もなかった。

 今はこちらの思惑さえ悟られなければいい。

 なにも出自まで偽る必要はない。

 ほんの僅かな間にそれだけ考えて、その間も悠然と腕を解きうなずいてみせることで埋め、こちらも些細な事のように続けた。

「見ての通り、我は人間ではない。

 しかし気にするな。

 こちらとあちらでは、魔物の在り方が違う」

「さ、さようでございますか」

 敢えて断定する。多くを語らない。

 言葉は重ねるほどに偽りじみて、言い訳のように聞こえる。今いらぬ疑心を持たれると厄介だ。事実は事実。堂々としていればいい。

 あっさりとした返答の我に、メリダスは強張った表情のままぎこちなく首を捻った。そこにはまだ納得しきれていない、腑に落ちない心の内がありありと映っている。

 仕方ない。もう一言、付け加える。

「モトの世界では、少しばかり人間との付き合いもあった」

「さようでございますか」

 同じ台詞でありながら、今度の言葉にはたっぷりとした納得が籠められていた。メリダスに満面の笑顔が戻る。彼は線のような目をより一層細めて、何度も何度もうなずいた。

「いえ、少々確かめたかっただけなのでございます。

 これで安心いたしました。

 苦労を重ねてきた者も大勢おります故、浅からぬ偏見を抱いている者も多いのです。

 失礼があってはならないと、心配していたのですが……。

 しかしあなた様は、わたくしどもの願いを聞き入れてくださいました。我々を導き魔王を倒すとお約束してくださった。古よりの秘術によっておいでになった、勇者様でございます。

 たとえ種族が違っても、それに違いはございません」

 その言葉は、我にではなく周りでざわめく人間共に向けて言ったようだった。囁き交わす声は静まらないものの、角の件に触れてから明らかに棘が立っていた空気が、とけるように和らいだ。

 なるほど、この老人は確かにこの地のまとめ役なのだろう。

 この場でわざわざ指摘したのには、己の疑念を晴らす為だけではない。こういうわけもあったらしい。

 それからメリダスは、長い袖を揺らして、右腕で滑らかに部屋の出入り口を示した。

「それでは先程も申しましたが、別室にささやかながら夕餉の支度を整えてございます。

 今後の予定など、続きのお話はそちらでいたしましょう。

 勇者様の歓迎と激励の意味を込めました晩餐でございます。こちらの食事が口に合えば良いのですが」

「応じよう」

 もともとは人間のように食物を摂らない生物なのだが、今は体の作りが人間と同じようになっている。定期的な食事が必要なのかもしれない。感覚も人に近い。以前興味本位で手を出した人間の食物は美味しく感じられなかったのだが、味覚も人間と等しくなっている可能性がある。これは素直に楽しみだった。

 そんな心持ちが表情に出ていたのか、メリダスが珍しいものでも見付けたような顔をして、おかしそうに微笑むのが分かった。

「ではどうぞ。こちらでございます」

 我は内心肩をすくめながら、恭しく腰を屈めて促すメリダスの後に続いた。

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