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リングランドのパステル工房  作者: 黒猫屋
第1章 星の降る丘
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4 白百合の少女

使用人の持つ日傘に包まれて、白いドレスの少女はゆっくりとガビーの待つ場所までやって来た。


少女は到着と同時に、スカートの裾を軽くたくしあげ可愛らしく会釈をする。ガビーはその可愛らしさの中にも貴族の素養を見いだし、大きく頷いた。


「先生、遅れてしまってすいません、着替えに手間取ってしまいました。このようなドレスはあまり着馴れていないもので……」


「いやいや、私も筆を休めるのに、程好い時間を頂きました。それに陽が傾くまではまだまだ時間もございます、お気になさらずに。それにしても良くお似合いで。お美しゅうございますぞ。ふむ、母君によく似ておられる」


蓄えた髭を撫でながら、ガビーは記憶の中で凛々しく微笑む少女の母親の姿を回想し、満足げにそう語った。


「ありがとう先生、私とっても嬉しいわ。母さまに似ているのね?見せたかったわ、母さまにも」


夜露を落とす花弁が震えるように、少女はやや顔を曇らせたが、笑顔を絶やすことはなかった。そんな健気な少女の芯の強さを垣間見たガビーは、幾ばくかの感傷にひたり、思わず普段は使うことのない飾った言葉を紡ぎだす。


「そうですな、実に惜しいことです。ですがきっと母君様は天の星に姿を変え、成長なされたお嬢様を見ている事でしょう。今夜の星は一段と綺麗に瞬く事となるでしょうな」


「あら、先生。意外と素敵な言葉を紡ぐのね。もっと堅物な方だとばかり思っていましたわ」


「ハッハッハ。いやいや、これはお嬢様にしてやられましたな」


昼下がりの談笑に一区切りがついたところで、少女は視線をガビーの後ろへ逸らし、質問をした。


「フフフ。先生、ところで先生の後ろに居る方はどなたかしら、先生の新しいお弟子さん?」


少女の目映いばかりの美しさについ饒舌(じょうぜつ)になり、ニコの存在などすっかり忘れていたガビーは、その一言で何かを思い出したような顔をして咄嗟に振り向いた。


そこには勿論、ニコがいた。


姿勢は直立不動、視線は真っ直ぐ少女に向いている。正直気持ち悪い。


そんな姿を見たガビーは今日一番のため息と同時に、ニコに一言を放つ。


「いつからニゴは石像になった、そんなところで突っ立ってると鳩に糞をかけられちまうぞ」


からかわれても、ニコはその場から動けない。いや、自らの強い意思で動こうとはしない様子だ。


その掛け合いを見た少女は、クスクスと小さく笑いながらニコに声を掛ける。


「あなたは先生のお弟子さん? それとも父様のとても悪趣味な、新しい石像コレクションの一つかしら」


瞬く間に赤面していくニコが勇気を振り絞り、ようやく口を開こうとした。しかし、直ぐにその小さな勇気は断ち切られた。ガビーが少女にベンチへ移動するよう促したからだ。


「さあ、お嬢様。まだ先は長いですぞ、そんなものにかまっていると熱いスープも冷めてしまう。熱いスープは熱いうちにいただきませんとな。ささ、早速続きと参りましょう」


少女は「はい」と返事をし、ニコに「続きは後程……」と言って小さく会釈するとベンチへ移動し、ふわりと腰を下ろした。




月夜に咲く一輪の白百合。


暗闇の中であってもそれは目映く、凛々しくも儚い一夜の夢は、魔を寄せ付けることなく退ける。誰の心にも咲くのだ。摘むのではない、内面に咲かせるのだ。


偉大なる詩人ミリルニーノは百合を愛し、そんな詩を後世に残した。


ニコは以前、本で見て大好きになったその詩を、目の前の少女と重ね合わせながら見ていた。


純白のドレスを身に纏い、装飾品の類いは一切身に付けてはいない。仮に身に付けたとするならば、少女の美しさを損なう事となるからだろうか。大雑把に編んだ黄金色の髪は、どこか垢抜けない印象をもたらしている。


満月の様に丸く大きな瞳は優しく輝き、そこには澄んだ湖のような蒼き宝石がおさめられていた。


少女は、ガビーのデッサンと寸分の狂いもなく同じポーズをとると、誰もが引き込まれそうになる微笑みを溢しながらモデルを続けた。


ニコもまた同じように石像のまま、微動だにすることなく、少女の決して崩れることのないポーズを見ていた。しかし、波に乗ったガビーが途中からあれやこれやとニコを顎で使いはじめたので、いつの間にやら助手を巧くこなす様になっていた。



陽が傾いてきた頃、ようやくデッサンが納得のいくものとなったのか、ガビーは大きな伸びをして周囲の人に仕舞いの合図をだした。


少女も長い間、同じ体勢のままだったのが身に堪えたのか、ゆっくりと立ち上がり両手を組んで大きく伸びをした。

身なりを整えたあと、少女はガビーへ今日の礼を言い、その足を今度はニコの方へと向けた。


「お弟子さん、今日はご苦労様でした。大変だったでしょう。先生がお弟子さんを連れて来るなんて初めてだったので、今日は私、少し緊張しましたわ」


どうやら少女はニコをガビーの弟子だと思っているようだった。


なのでニコは首を横に振りながら、誤解を解くために自分の名前や職業、ここに来た理由などを手短に話した。


すると少女はハッと思い出したように自分の名前を言いはじめた。


「すいませんでした、私、まだ名を名乗っていませんでしたね。私の名はアンドレア---」


「おーい、ニゴー。そこのイーゼルを畳んでくれー」


何と間の悪いことか。アンドレアとの会話に水を差すように、ガビーがニコを呼びつけ片付けを手伝わせようとした。


「あ、ああ、ごめんなさい。僕ガビーを手伝わなくちゃ」


ニコはアンドレアに一言そう断りを入れるとすぐさま振り返り、ガビーの元へ小走りで行ってしまった。


残されたアンドレアは眉が少し下がり、なんとも切ない表情になった。去っていく小さな背中を少しの間、目で追いかけていた。


ニコはアンドレアとの会話を再開したい一心でテキパキと片付けを済ませたが、願いは儚くも叶わぬものとなってしまった。


アンドレアはいつの間にか使用人と共に屋敷へと歩いて行ってしまっていた。ニコはアンドレアの去り行く後ろ姿を、肩を落とし眺めた。


するとアンドレアは植栽の陰に消える直前に体を翻し、寂しげな笑顔で小さく手を振った。


そして誰も見ていないことを確認すると口をパクパクさせ何かをニコに向けて発した。


ニコはアンドレアが何かを自分に伝えたかったのは理解できたが、その真意がなんなのか、さっぱりわからないでいた。



「なあ、おいニゴ」


不意に背後から声をかけられたニコは頭を後方に回す。ガビーが重そうな道具を持てと目で訴えてきた。


「どうもお前がいるとお嬢様も愉しいのかもしれんなあ。今日はいつになく笑顔が生き生きとしておったよ。筆が自然と踊るようだったわい。どうだ、明後日もまた手伝うか? 返って来る答えはわかってはいるがな」


ニコは二つ返事でそれを快諾すると、重い荷物を軽い足取りでガビーのアトリエまで運んだ。



アトリエからの帰り道、ニコは漠然としたモヤに巻かれながら四番通りの広い道を、青と赤の混ざり合う空を眺めながら帰路につくのであった。




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