ジレルとスライム 前編
オリュンポス山脈の南。ゼルビット地方の海に突き出でた巨大半島。
その中心部を成す白紙委任の森。
正確には山脈の集合体なのだが、人々は、畏怖と見た目を加えて白紙委任の森と呼んでいる。
森と海との細々とした境界線には、森の浸食に伴って、すっかり衰退してしまったいくつかの国がへばり付くようにして存続している。
人々は衰退した国にしがみつき生きているのだ。
彼らは、ジリ貧の国をなぜ捨てられないのか?
白紙委任の森は、触手であるワタシと、ワタシが許可した生物のみが住める。
そこは野獣と魔獣と魔物が跳梁跋扈するステキな世界。
あ、小さいながらエルフの村もありますよ。森と言えばエルフですからね。もちろんワタシが守ってますよ、ムフーン!
さて皮肉な事に、小国群にとって、平和な楽園が北の大国群との間の絶対的な防衛ラインとなっている。
ここは、珍しく戦いのない平和な土地でもあるのだ。
あ、申し遅れました。
ワタシは白紙委任の森そのものを本体としている触手の王です。昔は土地神、今はカムイとか呼ばれる者です。
高々度より神の目で見下ろしますと、三本角のクワガタムシがストレッチしている姿だとか、三本足のタコが逆さになって口を突き出している図、なんかに見えることでしょう。
真ん中の角というか足というか、長大な突起部分は何故か右に寄っています。触手ポジション、略して触ポジが右寄りなのです。
さて……。
珍しく静かな夜です。東の空に、まん丸の月が顔を出しました。
「でかい月だなー」
あの月を見ていると、十年前を思い出す。
ジレルは、……今も元気に生きてるだろうか?
十年前……。
三本角の真ん中と右の間に開けた土地より、我がテリトリーに人間が進入してきた時から、今回のお話しが始まります。
普通に触手の森。言い換えれば人外魔境の土地。さらに魔獣共がわんさか生息する大地。
過去、わざわざ危険地帯の奥地にまで入ってくる人間はそう多くおりませんでした。勇者は別です。
それも複数の人数で。前後二グループに分かれて。
何やら事情がありそうです。森の外で――おそらく都で何かあったと推測されます。
森の中での出来事は、それこそ昆虫の交尾まで察知できるワタシですが、森の外となると、とんと情報が入ってこない。
たまに訪れる魔族仲間より外の情報が入ってきますが、あまり正確ではありません。
所詮は享楽的な生き物。自己中心的な情報解析しかしない。面白い方の説を採用したがるのが魔族の、種としての悪癖なのです!
自由に外界を移動できないワタシの弱点であります。
……話が逸れましたね。
ワタシは折を見て、己が分身を現地へ送ることと致しました。
…
……
………。
森と人の世界の境界線ははっきりしない。
人間は、日が遮られ薄暗くなった場所が境界線としているようだ。
ここ、森側へ窪んだ場所に火が焚かれた跡がある。
そこをほじくり返すと、たぶん食べ物か武器かが埋まっていることだろう。
理由は解らない。白紙委任の森へ入るための儀式らしい。ローカルルールで埋める物がが違っているし、火の変わりに清められた水を振りかける場合もあるようだ。
先頭グループは第二防衛ラインであるオニソー渓谷まで進入を果たしている。
こんな山奥、道なんて無い。獣道、魔獣道を用心しながら進んでいる。
堂に入った歩き方。彼らは山歩きに慣れている。
グループのメンバーは大の男が二名。子供が二名。
男の方は、禿げた中年男と剛毛短髪の若い男。
それぞれ小振りの刀を腰に差している。二人とも小作りな体格ながら、その身は引き締まっている。機敏な動きも相まって、表の稼業では無さそうな風体だ。
見事に山歩きの装備で固めている。
子供はというと……、
一人は十歳ほどの少女か?
足元だけは固めているがそれ以外は町娘の装い。時間が無くて最低限の用意だけしかできませんでしたってところか?
それはそうとして、美少女である。
頬の辺りが子供っぽくふっくらしているが、目が鋭い。五人や六人は殺してますがなにか? って感じ。
あと五年もすれば、見下されつつなじられたいと願う大きな少年が出てきてもおかしくない成長を見せるであろう。
大人に混じって周囲の気配を探っている。なかなか、どうしてどうして立派である!
道無き山の中、しっかり大人の足に付いてきている。健脚である。
もう一人は、いかにもひねた男の子。女の子と同い年くらいだが、なんかむかつく顔をしている。
育ちが良いのだろう。プックリした顔。服装もずいぶん上等。いかにも御貴族様の御子弟様だが、それなりに体が絞れている点だけはよろしい。剣でも習っていたのだろう。
彼は、禿げた男の背に背負われている。歩かせれば文句を言うだろうから、これは正しい処置だ。
「疲れたぞ。休ませよ」
背負われているガキが偉そうに命令している。
「セト様、もう少しお待ちください。日が暮れれば追っ手も動けなくなります。目が利く内に、少しでも距離を稼いでおきとう存じます」
負ぶっている男が、負ぶわれているセト少年に対し奉り、クソ丁寧に相手をしている。
「喉が渇いた! 腹が減ったぞ! 背中が痛い!」
セトは大声で叫ぶ。追われている者の自覚が欠落しているようだ。
「セト様、お静かに! お願いいたします! 追っ手に気づかれてしまいます!」
あやすような小声で脇に控える少女が嘆願した。
「うむ、ジレルが頼むならおとなしくしていよう」
色々とムカツク色ボケたガキである。
「セト様、有り難うございま……」
ジレルが言葉を切り、腰を落として振り向いた。大人達も同様にしている。
彼らは移動を中止し、音を消した。
うむ、ワタシの推理が正しければ、彼らは追われている。
セトと呼ばれる生意気なガキんちょを護衛している。
本来、白紙委任の森を迂回して西の海沿いのどこかの国へ入る予定だった。
何らかのアクシデントで白紙委任の森へ入り込まざるをえなかった。
追われる側は、白紙委任の森を突破する事に決めた模様。
解らない事は、彼らの目的とセト少年の正体。そして追う者の正体だ。
では、その説を元に観察・検証していこう!
白紙委任の森に先頭グループが入って半日後、後続のグループが同じルートより潜入した。
しっかり装備と武装を固めた冒険者風の男達十二人である。
観察三日後、後続グループが先頭グループに追いついた。
大人二人と子供二人の先頭グループは、目的地に向けた道を探りながらの行進に対し、後発グループは跡を追うだけ。速度が違う。
事前に危機を察知した先頭グループは、迎撃を決意。
とはいうものの、戦力差は否めない。まともに戦う事も、敵を殲滅することも不可能。
剛毛の男が、悲壮な迎撃を自ら受け持った。
手作りのトラップを仕掛けるだけ仕掛け、その命と引き替えに十二人中、四人を行動不能にした。足だけを狙った攻撃だった。
四人が行動不能にすれば、介護と運搬に八人の人手がいる。足すとちょうど十二人。
森の中、特にこの森で血を流すと魔獣の餌食となる。即時撤退が正しい回答だ。
お見事である!
ところが――。
彼らは負傷者四人を見捨てた。残り八人で追跡を開始した。
残された者は不満の言葉一つ吐かない。
これは……、冒険者ではない。それなりの身分と矜持を保つ戦いのプロだ。
ワタシは正体を沿岸諸国のどこかの騎士と見た。
剛毛の男の献身にもかかわらず、追跡者の撤退は促せなかった。ただ、幾ばくかの時間が得られただけだ。
八対二の戦いが始まった。
結果、逃走に成功したが、ハゲは左腕を失った。
ジレルはセトをかばい、左目に深い傷を負った。
どうやら追跡者は、セトの命を狙っているようだ。ジレル達は身を挺してセトを守っている。そんな構図が見て取れる。
逃走者は二股の辻に出た。
登りと下り。
ジレル達に体力は残されていない。普通、下りだろう。それが証拠に、血の跡が転々と降り道へ続く。
八人に数を減らした追跡者は、当然のように血の後をつけた。
それが彼らの命取り。
ハゲが自らの身体を触媒として大爆発の呪文を仕掛けた。
五人が巻き込まれたが、三人が無傷。
自分の命を犠牲にして、仲間に後を託す。その行為に興味を引かれた。
顔の半分を薄汚れた布で覆い、包帯としたジレル。彼女に手を引っ張られて、足を急がせるセト。
ジレルは応急処置の血止めしかしていない。バイ菌を除去しないと傷が悪化して命取りとなるだろう。
それ以前に、子供だけの足で抜けられるほどこの森はヤワな造りではない。現に、血の臭いをかぎつけた野獣や魔獣、魔物達が遠巻きに平行移動している。
「ジレル! 少し休むぞ! 足が痛い!」
「セト様、もう少しご辛抱を!」
「もう我慢ならぬ! わしは動けぬ! もう歩かぬ!」
セト坊ちゃまが駄々をこねた模様。逃げなきゃ死ぬということが解らないようだ。
「追いつかれて殺されます。どうかわたしの言うことを聞いてください!」
「ジレルが何とかせよ! わしは疲れた。もう動かぬ!」
無理なことを言う。それが通用すると信じているから、ジレルの頭はさぞ痛かろう。
セトは手頃な石の上に座り込んだ。腕を組んで頬を膨らませる。
大人二人に後を託されたジレル。だが、その心は折れかかかっている。
彼女は獣たちに取り囲まれていることを知っている。
すぐそこまで来た追っ手の気配を察知している。
任務の失敗は誰の目にも明らか。万事休す。
急に疲れが足を襲う。膝が笑い出した。
もう動けない。
そして、だめ押し。
進行方向にの地面より、太い触手が現れた。この森の主・ワタシである。
「ひぃーっ!」
セトは当然、ジレルでさえ悲鳴を上げた。
ニョキニョキと空へ伸びた触手は、見る間に大木クラスへと成長。
ジレルの目の前に、先端部分がだらりと垂れ下がった。
先端部より青白い汁が滲み出す。汁というより粘液に近い粘りが見て取れる。
大量に滲んだ粘液は、落ちることなく先端に止まったまま、その体積を増やし続けている。
直径、約1メットルにまで膨らんで、ボトリと落下した。
動けないはずのセトとジレルが、一歩後ろへ飛び退いた。
青白い粘液の塊は飛び跳ねることも、流れ出すこともなく、ドーム条の形状を保ったまま、ゼリーのようにプヨプヨと揺れていた。
透明というわけではない。向こうの景色がギリギリ透けて見えない。
内部には縦に歪んだ泡が二つ。意志があるように揺れていた。
その泡が、ジレルの方へ移動した。まるで目のような動き方だった。
「やあ、俺はスライム。人間になるのが夢なんだ!」
いま、青い粘液の塊が、確かに言葉を喋った。
ジレルとスライム 中編に続く!