VII 「簡単な話」
「なあ、才華。才華は何に気が付いたんだ?」
鞄を持って廊下を歩きながら、ぼくは才華に催促する。図書室を出てからいままで、才華はずっと黙っていた。ぼくも江里口さんもじれったくて仕方がない。
「そうだね、もう話してもいいね。……江里口の言った『証拠』という観点には欠陥があるの。気が付かなかった?」
「何がさ」江里口さんはすっかり機嫌を悪くしていた。「とっとと話せよ」
「その程度、簡単なこと。あそこは図書室だよ? 山口さんが飲み物を持っていなくても当たり前でしょ?」
ぼくははっとした。
「そうか! 飲食厳禁だもんね」
「そう。だから、鞄にでも入れて、わたしたちからは見えないところに鞄を置いていたんだと思う」
江里口さんの舌打ちが聞こえた。才華の言うことはもっともだ。
「なら、才華は誰が犯人だって言うの?」
「それも簡単な話。……瑞希さん本人だよ」
「え?」ぼくと江里口さんの声が重なる。「寝ていたのに?」
「十分もあれば、人目のあるあいだだけ寝たふりをすればいい。その十分のあいだに文集を隠したの」
「どうやって? 文集は結構分厚かったし、三人でお互いの鞄の中とかは捜したんじゃないの? 机の下とかは無理だろうし」
「……青いファイル、かなり膨れてたよね。たかだか活動報告の書類がどうして、四月にもういっぱいなの?」
「まさかファイルに入れるなり挟むなりして隠したとでも? だったらすぐ見つかるだろうし、第一厚くて入らないよ」
才華はゆっくりと、首を横に振った。
「文集はコピーした原稿をテープで束ねただけ。つまり、解体だって容易いってこと」
「ああ! バラバラにしてファイルに入れたのか!」
「そのとおり。最近のポケットファイルは紙が入っていることが多いから、その紙を他のファイルから取って、ポケットごとに二枚ずつ入れて原稿を挟めば、簡単にめくっただけでは気付かれない。だから活動報告のファイルは分厚くなったの。そうそう、剝がしたテープくらいなら、ブレザーの内ポケットにでも隠せるでしょ?」
うんうんとぼくは頷いていた。今度は江里口さんが質問をする。
「確かに、理にかなっている。なら、動機は?」
才華はため息をついた。
「作品の出来、じゃないかな?」
「瑞希さんが、隠したいほどに出来の悪い小説を書いたってこと?」
「正解」この返事に江里口さんはまた舌打ちをしたが、才華は気にしない。
「瑞希さんは自分で言っていたよ。『絵ばっかり描いている』ってね。
要するに、文芸部に入部したのは絵を描きたかったから。イラストの中に、七月の原稿と作者が同じものがあったけれど、雲泥の差だった。絵のほうがよっぽど上手い。文章は根本的に下手で、基本がさっぱりできていなかった。さっきも、活動報告のファイルを『見世物じゃない』と言っていたけれど、正確には『見世物』に『展示物』の意味はない。ほかにも、『二人組』を『ふたり組』って言っていたしね。口語だからあてにはならないけれど、わたしが『二人組』と言っても直らなかった。たぶん知らないんだよ。ちょっとお粗末」
片言隻句まで気にするなんてあまりにも細かい話だけれど、だからといって止めに入るほど妙な話はしていない。
「……なくなった部誌は去年の五月のもの。つまり、瑞希さんがはじめて書いた小説が入っているはず。あとで読んで、下手だったと自覚して、悔やんでいたんじゃない?」
「待って。瑞希さんの作品じゃないってことはないの?」
「ファイルには去年の三年生の絵は入っていないし、七月の文集にも三年生の作品は入っていなかった。どちらかになければ、同一人物のサインなんてあり得ない。あと、その下手な作品は文集の最後に載せてあった。佐々木さんの作品なら、もっと前半のページにあるんじゃない? 先輩なんだから」
確かに、文芸部は運動部と違って文化部だ。先輩、後輩の序列は文集という形でしか現れない。
まだまだ江里口さんは食い下がる。
「山口先輩じゃないの?」
「山口さんは文章をよく書いているらしいから、初歩的なミスは少ないと思うの。そもそも絵をそんなに描かないらしいしね。去年の一年生、要するにいまの二年生は、もうほかにいないよ?」
「…………」
もう江里口さんには反論も反駁もできなかった。ぼくと江里口さんの発想では、才華の推理にはもう間違いが見当たらない。
痛快な真相解明のはずなのに、正直えらく後味が悪かった。
それからは黙っていた。文芸部の真相をぼくたちが突き止めた、ということは決して嬉しいことではない。文芸部の実状が見えてしまったのだから。
瑞希さんは昨年五月の作品がどうしても嫌いだった。それでも、山口さんと佐々木さんは先輩たちの作品を指して『傑作揃い』と評していた。瑞希さんにとっては、自分の失敗作が傑作として並べられてしまうのだ、屈辱に違いない。
ぼくは、瑞希さんの言葉を思い出した。イラストのファイルに三年生のものが含まれないと言ったとき、『新入生はどうせ会えないから』と理由を話していた。ならば、なぜ部誌のほうは三年生の作が含まれるものも展示していたのか?
山口さんと瑞希さんの、顔や感情の表面には現れないすれ違いが見える。
才華にとって、推理は簡単だったのだろう。でも、それを三人の前で話してしまったとしたら、すれ違いを露呈させる結果になったかもしれない。そうなったら、三人の関係を修復するのは簡単ではない。
瑞希さんが、文集を読む新入生を前に頬を赤くしている姿が目に浮かぶ。
外を眺める。東京と大阪では、桜の咲く期間にさほどの差異はない。ほとんどがもう散ってしまい、地面が桜色に染まっている。儚い桜色。
ぼくも瑞希さんと同じ思いをすることになるだろう。周囲ばかりが優れ、他人と自分との才能の差に悩まされる日々。ぼくという桜の枝には、蕾すらない。それなのに、すでにピンク色の花を咲かせた人々の溢れる天保高校にいる。受験に負けたはずのぼくが、だ。
この学校にいる限り、誰ひとり『天才』だなんて認められない。
「……習作を秀作と言われる辛さって、解ってもらえないものかな?」
『桜色の習作』完結です。皆様の推理はいかがでしたか?
おまけ タイトル・名前の由来
・桜色の習作:コナン.ドイル『緋色の研究』より
・家入才華:シャーロック.ホームズより