VI 「天才は忘れない」
「久米弥! 誕生日おめでとう!」
ぱんぱんと破裂音が響き、がさがさと紙テープがぼくの視界を塞いだ。
ドアを開けた途端に、百円ショップで買ったのだろう小さなクラッカーを鳴らしたのだ。待ち伏せしていたのは平馬梓と、家入才華――
ぼくは事態を飲み込めず、ただ呆然としていた。
「あれ、意外と反応が薄いね?」才華が不思議そうな声を出す。「江里口、やっぱりこのくらいじゃあ解りやすかったんだよ。もっとうまく隠さないと……まさか、弥に下手なこと言ったんじゃない?」
「はあ? 私は別に怪しまれるようなことしていないってば」江里口さんが怒った声で対抗する。「家入が長いことふらふらとプレゼントを見つけてこないから、久米くんに勘付かれたんだろ?」
「勘弁してくれ、キリがない」平馬が疲れた声で割り込んだ。「どちらにせよ久米の反応が薄いのは、ただ呆れているだけだと思うが?」
三人の期待するような視線が一斉にぼくに集まる。
ぼくは盛大に、ため息をついてやった。
「まったく、驚きすぎるとリアクションが取れへんものなんやな。どいつもこいつも、けったいなこと語りくさって、ふらふらして、そのくせお誕生日会かいな! ホンマ、よう言わんわ――」
叫んでみると膝の力がすっと抜け、立膝のような姿勢で床に崩れ落ちてしまった。平馬が笑いながらそんなぼくを見下ろす。
「久米、本当に大阪から来たんだな。たまにアクセントが変だとは思っていたが」
「せやけど、訛りは似非や」
「いや、おかげでおっかなかったぜ」
「……大阪弁、そんなに怖いかな? とっつきやすい言葉だと思うけどな」
膝に力を入れて立ち上がる。そのときにくらくらするくらい、ぼくは突然のことに対応できず、疲れてしまっていた。
部屋に明かりをつけて、改めて三人を見回す。平馬、江里口さん、そして才華。みんなにこにことぼくを見つめている。
いつも通りの茶の間に、異質でカラフルな紙くずが散らかる。しかも、なんということだろう、台所のテーブルの上には奮発したであろう料理が並び、ケーキの箱らしきものもある。ケチな才華がこんな大層なものを用意するなんて。
腕時計を見る。日付も表示されていて、それによれば、きょうは2010年五月二十一日、土曜日。ぼくの十六歳の誕生日だ。すっかり忘れていた。
ああ、真相は三人がぼくに黙って企画した、ただのお誕生日会。えらいこった、考えに考えた結果、すべて空回り。誰の推理も当たっていないじゃないか。あえて言うなら、杉内先輩がかすっていたかな?
となると、ぼくにでも見えてくることがある。
「三人が企んで、ぼくを驚かせようとしていたんだね。つまり、……平馬も江里口さんも、とんでもないデタラメを吹き込んでいたんだね? 恋人だの、犯罪だの」
ふたりが目を逸らす。困ったものだね、才華も困った顔をしているほどだ。
「ああ、しんど。賢いのが三人、揃いも揃って人騒がせな」
「ごめん、ごめん」才華がぼくを座らせながら謝る。「ふたりに、『弥に、サプライズで誕生日パーティをやってあげたいから、思い切り隠してほしい』って頼んだの。わたしの言い方の問題だったんだよ、ふたりが本気で騙しにかかるとは思わなくて」
当のふたりは、テーブルの向かいの席に並んで座りながら笑っている。まさか、騙すにもそれほど本気ではなかった、ということか? いま冷静に考えれば確かに、平馬の発想は安易だったし、江里口さんは過去の事実を述べただけでしかなかったとも思えてくる。
「……じゃあ、才華がぼくを引き留めて、でたらめを教えるように頼んだってこと?」
「簡単に勘付かれると思ってた」
「ぼくが鈍いと言いたいんだね?」
皮肉で返すと、才華ははにかんだように笑いながら、ぼくの隣に座った。ああ、図星ね。ぼくが鈍いと思っているんだね。
よし、それなら少し言い当ててみよう。
「全部わかったから、気になったことがみっつある」ぼくは才華が推理するところをイメージしながら言葉を編んだ。「まず、ひょっとして、平馬に才華のことを話すとき、同居していることにさほど驚かなかったのは、才華の話を聞いていたせいかい?」
「充分驚いていたつもりだったんだが」
平馬が目を丸くする。それを見て、江里口さんが口を挟む。
「私、梓と久米くんが話しているところを陰で見ていたんだけど……梓の大根役者っぷりには、ひやひやさせられていたよ」
「そうかい……」
ああ、猿芝居だったのに見抜けなかったのか。いまとなっては本当に恥ずかしい。この芝居に気がついたうえで、江里口さんがうちの表札を気にしなかったことに気がつけば――あるいは? となったかもしれない。
まあ、悪い結果にはならなかったのだから、くよくよしても面白くない。わざと咳払いをして、気分を変えてから話を続ける。
「ふたつめ。……どうやってぼくの誕生日の日付を知ったんだい? ぼくの誕生日はきょう、五月二十一日だ、なんて教えた憶えはないのだけれど」
「ええ?」今度は才華が目を丸くする。「自分で言っていたでしょ? 生年月日は『1994年の五月二十一日』って」
「いつ?」
「弥のロッカーを開けたとき」
「……ああ!」
連休明けの初日、数学の副教材をロッカーから出してもらうとき、才華は確かにぼくの生年月日を聞いていた。タイガーズの優勝した年に設定していると当てられた結果ばかり記憶して、すっかり忘れていた。
「そうだよ、ぼくは教えていたよ。才華に訊かれて答えていたんだ。すごいね、ぼくは全然憶えていなかった」
「天才は忘れない、といったところか」
茶々を入れたのは平馬だ。まったく、ぼくが忘れていたことを、才華がパーティにして思い出させてくれるとは思わなかった。
ロッカーを開けたとき、才華が初めてぼくの誕生日を知ったとすれば、ぼくの誕生日はすぐ二週間後。パーティを開きたい、という才華の計画からすれば、途端に忙しくもなるだろう。でも、ぼくはそのことで気にかかっている。手を挙げて、三つめの質問をした。
「これで最後。何度も長い時間出かけて、才華は何をしていたんだい?」
「それはもちろん」才華はきょう一番の笑顔を見せた。いや、むしろぼくが出会って以来最も魅力的な笑顔だったかもしれない。「プレゼントを用意していたんだよ」
そう言って、どこからか取り出した小さな箱をぼくに手渡した。
ぼくは箱を開けることも、お礼を言うことも忘れてしまうほど嬉しくて、黙ってしげしげと見つめることしかできなかった。
「ほら、何が良いのかって、弥が身近だからかえって迷っちゃってさ。長いあいだ心配かけて、苦労させたね。ごめん」
「……いいんだよ、いまは本当に嬉しいんだ」
ぼくは箱を大事に、大事に両手で包み込んだ。才華の手のぬくもりが、うっすらと伝わってくる。
それを見てか、平馬が口を挟む。
「せっかくなのに、開けないのか?」
「きょうは開けないことにする」
変な奴、と平馬と江里口さんの声が重なった。同じことを同時に言って面白かったのか、招待客のふたりも楽しげに笑っている。
きょうばかりは、ぼくが主役なんだ――――
いつもは才華や江里口さん、平馬に助けられたり、振り回されたりで過ごしている。ただし、迷惑をかけようと、かけられようと、それは間違いなくぼくの日常の基準なのだ。才華の好奇心につき合わされることこそ、ぼくの安らぎ。
静かな日々もいいけれど、振り回されたって楽しい。天才として生まれなかったぼくは、秀才として一歩後ろから、才華という天才を見守りたい。そして、一歩前から引っ張られたい。
『天才』という言葉に悩まされてきたけれど、いまではむしろ愛おしく、懐かしい言葉だ。天才だなんて主役じゃなくてもいい、ぼくには二番目の『秀才』が性に合っている。……そのせいで、受験に失敗したのかもしれない。
けれども、受験に失敗した結果、楽しい人たちに出会い、新しい日常を手に入れた。
そんな人たちに囲われての主役も、たまには悪くない。
「ねえ、弥。もうひとつあるんだ」
才華がそう言って、またどこからか封筒を取り出した。
ぼくがそれを受け取り、中を見ると、紙が二枚入っている。
「タイガーズの試合のチケット……」
「そう。来月の中ごろの、横浜の試合。ちょっと大変だけど一緒に行こうよ。
プレゼントをどうしようかって、弥のお父さんに内緒で電話して聞いてみたんだ。そしたら、タイガーズに関するものが一番だって。……それで、田中のおじさんに相談して、手に入れたの。安いシートだけどね」
はにかんで笑う。ぼくは大げさなくらいに首を振った。
「こんなものを用意してくれるなんて思わなかったよ! むしろ、こんなに良いものじゃあもったいない」
「いいの」才華は諭すような口調になり、それからまた恥ずかしそうに続ける。「わたしもわたしで、張り切っちゃったんだもん。だって、男の子にプレゼントするなんてはじめてだし、それに……」
ぼくは首を傾げて促す。
才華もまた、照れ隠しなのか首を傾げながら言った。
「家族にプレゼントをするのも、はじめてだったから」
ぼくは江里口さんと平馬の視線をすっかり忘れて、才華を抱きしめた。自分で家族、家族と何度も言っておきながら、無意識に抱きしめてしまうんだから参ったものだよ。自分こそ才華をどういう存在だと思っているのかね?
でも、いつだったか平馬は言っていた――――『事実は小説より奇なり、とは言うが、事実は小説ほど気を張って読み取るものじゃない』
だからこそぼくは、いままでの心配がすべて吹っ飛んで、正直にこう言うことができたのさ。
「なんだ、簡単な話じゃないか」
『天才は忘れない』完結です。この短編をもちまして、『彼女は天才、彼は秀才』が完結しました。
今回、ライトノベルを読むような人向けに、『推理小説は難しくない』『推理小説に犯罪は必ずしも必要ない』と伝えるべくこのお話を書きました。いかがでしたか? 推理小説へのイメージが変わったなら幸いです。
物語は2010年の4~5月のお話なので、まだまだシリーズ化して続きを書くことができます。感想やレビュー、ポイント評価などが芳しければ、続きを書いてみたいな、と作者大和麻也自身は思っています。
今後も応援よろしくお願いします。ご愛顧ありがとうございました。
おまけ タイトル・名前の由来
・天才は忘れない:アガサ.クリスティ『象は忘れない』より
・久米弥:ベイカー街のもじり+ジョン.H.ワトスンより