V 「好きだ!」
「江里口さん……正直、本当に気が乗らないよ」
住宅街の中を、ぼくは江里口さんと歩いていた。ほんの三十分前にメール呼び出されたというのに、話があっちへ行ったりこっちへ行ったり、あげく江里口さんがぼくの家までついて来る――正直えらく面倒くさい。
「だから、これで全部解るんだから。心配するな」
江里口さんが真相について真剣に考えてくれたのはいいけれど、その『見分け方』とやらがけったいだ。
ああ、ぼくはどうして了解してしまったのだろう――
『久米くん。家入に告白してみようか』
ぼくはそう言われたとき、凍りついた。しばらく何も考えられていなかったと思う。
『待った、江里口さん。詳しく話してくれないかな?』
『久米くんががつんと、好きだ! って言ってみたらどうかと思って。そうしたら、隠し事もできないでしょ?』
江里口さんは楽しそうに言っている。少し前の真剣さは消え、ふざけているような色さえある。ぼくは頭を抱えてしまった。
『あのね、江里口さんは家族に、好きだ! なんて言える? 喩えるなら、才華はそうだね……姉でありながら妹、みたいな存在なんだ。恋とか愛とかじゃなくて、単に持ちつ持たれつの関係だよ? 本気だろうと噓だろうと、変な空気にはしたくないさ』
『ううん、私もうるさい妹と頼りない弟がいるから、きょうだいの感覚は解る。
……でも大丈夫だって。それだけ仲が良いなら、家入のほうも解ってくれるってば』
『いや、江里口さんの趣旨では本気だと思わせるべきなんだよね? ……ああ、ぼくは絶対に嫌や。万が一本気だと思われたらえらいことになるし、だからって理解されてもそれはそれで窮屈になる! ぼくのほうにメリットが感じられへん!』
真剣な訴えのつもりだったのに、江里口さんは笑いながら、
『じゃあ、私も行くよ。告白が失敗したら、私が話をつければいいでしょ? 家入にプレッシャーをかけられるし』
正直もう頭が痛かった。後悔することになるとはわかりながら、ぼくもやけになってしまった。
『もう好きにしておくれ!』
……いまとなっては、えらくみっともない姿だったと思う。そもそも、こうして後悔していること自体がみっともない。家族、家族と才華を理解していると思っていたが、いざ解決には江里口さんたちの力を借りてしまったことも情けない。
才華を一番知っているのは、ぼくのはずなのに。
『質問ばっかり。少しは自分で考えたら? いまのご時勢、応用力の勝負でしょ?』
上京早々に言われた、辛辣な才華の言葉が思い出される。
でも、この言葉のとおりだった。ぼくは杉内先輩や平馬、江里口さんに才華のことで相談をしたのはいいけれど、ぼく自身で解決策を用意していない。いま、告白をするというチャレンジを押し付けられてしまったのもそのせいだ。
入学してからも、ぼくは自分で考えることができていなかった。数学の問題は平馬に答えられてしまうし、杉内先輩には将棋で負けっぱなし。『応用』という領域に足を踏み入れていない。そうして怠けた結果、天保で花を咲かせられずに埋もれてしまった。
――だからぼくは、努力と勉強だけの『秀才』になれても、才華のような『天才』にはなれなかったんだ……
ここに至るまでが遠かった。遅すぎた。
ぼくも自力で考えんとあかんな。
腕を組んだ。ぼくはこうすると、少しだけ集中できる。
才華が外出を繰り返すようになったのは、連休明けだ。連休明けに何があったかと思い出してみても、特別なことは思い出されない。ただ、ロッカーの鍵を開けてもらったことは印象が強い。かつて江里口さんは、この『開錠』を目撃していて、才華の推理力を警戒するようになった。
才華がそうして出かけて行くときにも、これといって変わったことは見られない。お気に入りであるアイボリーのアイビーキャップをいつもどおりに被り、財布そこそこしか持ち歩かない。服装は決して手抜きではないけれど、だからといって『着飾っている』とは言いにくい。とはいえ、行き先を教えてくれないし、そわそわした態度もある。平馬は、その態度などを考えて、才華に恋人ができたのだと考えた。
さらに、杉内先輩は『欠かせない何か』で才華が出かけていると推理した。先輩が言うには、アルバイトや学校のような、『行かないとペナルティがあるもの』だ。しかし、強制力を伴うようなことならば、才華の行動が不規則なのはおかしい。この日の帰りは六時、その日の帰りは八時、あの日の帰りも六時、というような毎日なのだから。きょうは出かけたが、きのうはなかった、ということもある。曜日に縛られていることもなさそうだ。
こうして考えると、平馬の考えが杉内先輩のものより優れているととれる。江里口さんが答えを教えてくれないいま、ぼくの考えの基幹にもできるだろう。
しかし、家族として認めたくないのは確かだ。才華といえば、人情に関しては鈍感の極みと言わざるを得ない女の子。誰かに求愛されるようならば『興味ない』、自分が恋するようならば『なんだか気分が悪い』という反応が思い浮かぶ。恋愛をするヒマがあるなら、ひとつでも多くの疑問を見つけ出して百科事典を開くのでは?
……やはり、どれもこれもぼくの私見でしかない。客観性を欠いた意見には、いくらか才華から批判を浴びせられたくらいだ。
結論が遠い。
頭を冷やすため、背後を見てみる。
ぼくの後ろを江里口さんがきょろきょろと挙動不審に歩いている。前を歩くぼくももやもやして落ち着かない。
思えば、江里口さんはどうしてついて来るのだろう? 才華の説得ならば、わざわざ家に来る必要はない。ぼくのように、学校にいる時間帯にメールで呼び出せばいい。アドレスも知っている。
まして、才華が家にいるとは限らない。『出かけたきり帰らない』という旨を相談しているのなら、昼間に才華が家にいないと考えたほうが普通に思える。
楽しげに告白の提案をしていた顔を思い出す。
妙な気分だな……
不思議な気分のまま、家のすぐ近くまで来てしまった。
自力で結論には至れなかった。才華が在宅とは限らないが、いよいよ偽の告白をすることになりそうだ。背後を見ると、江里口さんは目を逸らす。
目の前には、ぼくの家。いまとなっては淀川よりも居心地のいい、スイートホームだ。えんじ色の屋根を見れば、懐かしい思いが溢れてくる。上京したてのころは『江川』だった表札には、『田中』と書かれている。
ぼくが歩調を遅くしたのに気づき、江里口さんは家の前で立ち止まった。
「さあ、ここだよ」
家を示すと、こくりと頷いた。変だね、『家入』でも『久米』でもないこの家の表札には驚かないようだ。……やはり少しだけ、何かがおかしい。
財布から鍵を取り出し、開ける。
「ただいま」
「お邪魔します」
家の中から返事はない。明かりもついていないし、施錠もされていたし、誰もいないらしい。江里口さんには無駄足だったようだ。麦茶くらいは出せるかな? 勉強でも教えてもらって時間を潰そうか?
「才華が来るまで上がって待つ?」
遠慮がちに頷いて、靴を脱ぎはじめた。初めての家に上がる緊張のせいか、口数が減った気がする。
違和感が募る。
しかし、気にしたところでぼくには気がつけないと思うと、気分が重くなる。暗い茶の間へ入るドアノブに手を掛けた――――
次回最終回。最後の推理、ぜひ謎を解いてみてください。