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彼女は天才、彼は秀才  作者: 大和麻也
天才は忘れない
22/27

I 「当ててあげるよ」

When, Who, Where, Why, What, How ...has done it?

 家事の当番ではないので、ソファに座ってくつろいでいた。

 台所からかちゃかちゃと、才華が食器を洗う音がする。テレビからはわいわいと、タイガーズファンのヒットマーチが流れている。両耳から入ってくる安寧の音に、ぼくはうとうとしていた。

 連休のあいだにゆっくりと羽を伸ばしたとはいえ、まどろんでしまうほどこの夕食後の時間が心地よい。もとはといえば他人の家だというのに、どうしてこんなにも安らぐのだろうか。東京の生活が当たり前になったとはいえ、上京当時のような、生活に馴染めないのではないかという不安や焦燥は一切感じなくなっていた。ぼくの不安は勉学や交友など天保での生活に残されるのみで、それも家にいれば忘れてしまう。むしろ家にいると、余裕と安心で満たされた気分になる。

 当たり前になった日々は、あらゆるぼくの思いをすっかり塗り替えた。

 どうしてぼくは、こんなにも気持ちがいいのだろうか? 何が最初のころと違っているのだろうか? 単に慣れた、忘れた、というだけの話なのだろうか?

 東京の生活が当然になるだけの、特別な思い入れがある、ということなのかもしれない。ずっとここにいたい、という思いが、地元淀川以上にあるということなのか。でも、ぼくは何を思い入れある拠り所にしているから安らぐのか、正直よく解らない。家にいることが安らぎなのは間違いないけれど、家に対する思い入れを語れるかと言われると困る。

 ぼくの日常の基準とは、何なのか?

 うつらうつらと、ぼくの意識は遠のいた。



 連休明け初日の学校を終え、へとへとになって家に帰ったら、すぐに睡魔が襲ってきた。ソファに座ってうつらうつらとしていたが、五分ほどで頑張って目を覚まし、自室の机に向かった。宿題は明日提出のものがひとつだけ、少しばかり残っている。才華が渋るから、ぼくも釣られて手を抜いていた宿題だ。

 しかし、鞄を漁っても宿題の問題が見つからない。数学の副教材に載せられている問題なのだが……

「あかん、ロッカーに入れたまんま忘れてしもたのか」

 独り言が漏れる。こんなとき、教材を貸してもらう頼みの綱は才華なのだが、才華とはクラスが違うから数学担当の教師も違い、ぼくの使っている教材を才華は持っていない。

 そうだ、才華はまだ学校にいるかもしれない。持ってきてもらおう。

 携帯電話を開く。

「あ、才華? まだ学校にいるかい?」

『うん。いま帰るところ』

「いま、ひとり? ひとりなら、お願いがあるんだけど」

『大丈夫だよ、ひとり。買い物か何か?』

「いいや、ぼくのロッカーから数学Aの副教材を取ってきてほしいんだ」

 わかった、と才華がごそごそと下駄箱に靴を戻しているらしい音がした。部活の賑やかな声も少しだけ聞こえる。

『ええと、B組の十一番のロッカーだよね?』

「そうそう。ダイヤル錠だから、番号を教えるね」

 きょう教えたら番号を変えないといけないな、などと思っていたが、才華は少し違う発想のことを訊いてきた。

『三桁?』

「へ? そうだけど?」

『弥の生年月日を教えて。三桁の番号、当ててあげる』

「1994年の五月二十一日だけど…………まさか! 三桁だからって、一千通りの数列からひとつを当てるなんて無理だよ」

『平成六年、ね。ん、違うか』

 どうやら才華はぼくのロッカーに辿り着き、通話をしながら鍵を開けようとしているらしい。才華が不可能な問題に挑戦している様子が滑稽なものだから、ぼくもぼくで楽しい気分になってきた。

「いいよ、当ててごらん。いくらでも質問してみるといいよ」

『よし、乗ったね? ……ううん、521も994も065も違うんだね。125でもない。なるほどね、生年月日じゃないってことか』

 才華の回転が速くて戸惑ったが、521は単純な誕生日の数字、994は生まれ年の西暦の下三桁、065は平成六年五月、ということらしい。125はおそらく誕生日を逆さにしたもののことだろう。

 いままで聡明な推理を展開してきた才華が困っているとなると、正直いい気分だ。ぼくは生年月日なんて単純で悟られやすい三桁にはしていないのさ。

『四月一日で、401……違うね』

 ぼくが東京に来た日だ。噓みたいな日だよね。才華もよく記憶しているよ。鍵の暗証番号とは違うけれど。

 その他家族の誕生日も聞かれた。どれもぼくの設定した番号ではなかった。

 いい気分だったので、つい口が滑り、

「ヒントをあげるよ。暗証番号は、ぼくが絶対に忘れない数字さ。大好きだもの」

『ああ、そうだ。よし、タイガーズが最後に優勝した年は?』

 ……嘘でしょ?

「日本一になったのは、1985年」

『985……やっぱりね。開いたよ』

 まさか開けられるなんて思いもしなかった。

『数Aの副教材だよね……あったあった、じゃあ、持って帰るね』

 通話が切れた。次からどんな番号にすれば才華に開けられないのかな?



 またある日、ソファでうつらうつらとしていた。

 きょうは、タイガーズの応援がテレビからわいわいと聞こえるだけ。才華が帰ってこないので、夕食を済ませていないのだ。日常の音がしない代わりに、ぼくのお腹から音がしそうなくらい。

 ここ数日、才華の帰りが遅かったり、学校から帰るとすぐに出かけたりする。

 しかし、きょうに至っては携帯電話が繫がらないし、メールは三通ほど送っても返信がない。友達と一緒にいるのか知らないけれど、帰るのか連絡がないと夕飯の準備をしていいのかも分からない。いや、そもそも才華が夜まで遊ぶような友達はいない。

 どうしたのだろう? 何かあったのかな?

 不安になる。平馬に電話してみようか、それとも江里口さんに電話してみようか……いや待て、ぼくと才華が同居していることを知っている同級生はいない、まともに取り合ってもらえないのではないか。

 とすると、父さんか母さんだろうか、そう考えていたとき、

「ただいま」

 才華は帰って来るのだ。

 遅い帰宅を怒るに怒れなければ、無事の帰宅を喜ぶに喜べない。

「おかえり。当番は僕だから、いまから作るよ」

「うん、お願い」

 よそよそしくなった才華に、ぼくはそわそわしていた。

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