VI 「良い日にしよう」
日曜日。菅野のゲームセンターで待ち伏せしていると、予想通り、平馬が現れた。
「久米。ここまで来るとは随分な根性だな」
「平馬が江里口さん一筋なように、ぼくも才華に言われちゃあ断れない」自転車を停める平馬に近寄る。「全部わかったよ、平馬がやろうとしていること」
平馬は肩を竦めた。
「誰が考えたお話だい?」
「才華と江里口さん、ついでにぼくも。みんなで考えたのさ」
「穂波に才華ちゃん、おまけに久米も、ときたか。そこまでするようなことでもないのに。……面白そうだな。聞いてみようじゃないの」
睨みつけるような鋭い目で促してくる。ぼくはその凄みをかわし、軽い口調で続ける。
「そうだね、考えてみればそれほど大層なことじゃあなかった。
まず、噂の正体から考えたよ。ひとつ、『ゲームセンターに行っている』という噂。なぜ、『窪寺のゲームセンター』という話にならなかったと言えば、平馬が菅野のほうにも行っているからさ。菅野なら、天保の生徒もいるからね。おまけに、どちらも同じメーカーのゲームセンターだ。つまり、メーカーが重要だった。
メーカーの話は置いておいて、もうひとつの噂。『女の子と会っている』……これも、平馬のスキャンダルを噂にしたいなら、どこの学校の生徒かが必要になる。でも、それがないってことは、制服を着ていない相手だってこと。だから、その子と会っている時間は下校時間ではない。さらに、放課後だけで済ませられることではない、ということ。
平馬はいつも自転車ですぐに帰ってしまうから、窪寺で何かがあった。しかも、放課後だけでは済まされず、ゲームセンターのメーカーまで気にするような何かさ。病院にも通っているようだからね」
「見ていたのか」と平馬が嫌そうに言う。「あのあとも追っかけられていたとはな」
「ごめんよ、才華が気になってね。江里口さんにも秘密にしているんだ。
さて、ここからが才華と江里口さんの推論さ。
窪寺で何かがあったとすれば、平馬は自転車のトラブルに遭ったと見える。それで病院に通うとなれば、事故の可能性が高い。平馬は体の右側にだけ怪我があるから、右側に自転車を倒したんだよね? でも、警察沙汰にはなっていないし、学校でも騒ぎはない。相手が入院するような怪我をさせてはいないんだ。
じゃあ、誰が病院にいるのか? 会っている女の子の妹だよ。才華に立ち聞きをしてもらったら、『妹』と聞いて来たみたいでね」
平馬が舌打ちをした。気分を悪くさせるのは当然だけれど、事実のようだ。
「その子の妹が入院しているんだ。たぶん、元からの病気でね。で、自転車のトラブルとはたぶん、妹の子の人形を轢いてしまったんだ。思いっきり、壊してしまうほどにね。
平馬の通うゲームセンターのUFOキャッチャーに、小さな女の子向けのアニメの限定グッズが置かれているらしいね。劇場版公開記念で、一か月前から。しかも入手は相当難しいようだ。おそらく、妹の子がそのアニメのファンで、お姉さんの女の子はその人形をやっとのことで手に入れ、妹に届けようと大切に持ち歩いていたんだ。それを偶然、平馬が轢いて壊してしまった。
だから平馬はその子と約束をする。『おれが必ず取ってやるよ』ってね。妹の子は入院していて、その病院に届けるとも約束したんだ。
……どうだい? ここまでが才華と江里口さんの導き出した真相だよ」
ふう、と呆れたように平馬が息を吐いた。
「素晴らしい天才だよ、穂波は。それと、才華ちゃんも」
演技めかして両手を上げた。
「まさか、一回尾行しただけでそこまで解るとは思わなんだ。まさかだ。確かに、轢いてぶっ壊しちまったよ。ゲームセンターも探してさ、必死でUFOキャッチャーに喰らいついてさ。高校生にもなって恥ずかしいぜ。ゲームセンターに入り浸るのも、見栄を張った約束をするのも」
「……へえ、ぼくも驚いた。全部当たっていたんだね」
平馬は何度も頷いた。しかしそれから、挑発的な声で言う。
「でも、ひとつ見抜けていないな」
「うん。それに関しては才華が納得していなかったよ。……どうして、後ろめたくもない事情なのに、江里口さんに隠しているのか」
ふん、と平馬は鼻で笑った。そして、白い歯を見せながら、
「じゃあ、才華ちゃんに伝えておいてくれ。……事実は小説より奇なり、とは言うが、事実は小説ほど気を張って読み取るものじゃない。理由なんてただひとつ、面白いからさ」
数秒間黙っていた。
平馬も黙っていたが、やがて首を横に振った。
「納得いただけない?」
「うん、納得しない。平馬の言う『面白い』には、もっと重大な意味がある気がするんだ。もしくは、隠すための常套手段か」
「……参ったね」驚いたように漏らす。「久米は才華ちゃんより、人情の推理に関して優れているのかもしれないな」
「……?」
「久米。おれだって男の端くれだ。彼女に恰好悪いところは見せたくない。
おれが人形を届ける子は、連休明けに退院するんだ。でも、人形を取るのは難しいし、おれの小遣いにも限りがある。当然、連絡先を聞いて届ける手段はあるが、穂波に対して後ろめたいことはしたくないんだ。
お前、才華ちゃんに失敗するところを見せたいか? 嫌だろう?」
ぼくが首を縦に振ると、平馬も首を縦に振った。
『あいつはあいつなりの正義が堅いから』――江里口さんが強い信念を持って言っていた。平馬の持つ正義は、自分の面子も、相手への思いやりも、すべて内包しているんだ。なりふり構わず約束を守ろうとするそれは、決して『変』な基準ではない。ろくに道徳観を持たいないで平馬を見るから、違うように見えるだけだったのだ。
平馬の言う『面白い』こそが、平馬の基準。プラスもマイナスも、優しさも冷たさも、こだわりも柔軟さもすべて、『面白い』に秘められている。それを表に出さないのも、平馬なりの正義。
ぼくはもう少し、この男を理解していなければならないんだ。ただ気が合うだとか、面白いだとかではなく。
「それで、久米。真相を知ってどうするんだ? 穂波は自分で考えたんだからもう知っているし、久米や才華ちゃんがおれをしょっぴくのも筋違いだ。おれはまだ、人形を手に入れていないし、連休中には穂波を放っておいてでも終わらせないと気が済まない」
「そうだね、ぼくもそれを悩んでいたんだ。平馬の約束が事実だったら、もう止められないからね。手伝いも、させてくれないだろう?」
「いわずもがな」
「なら、ぼくたち三人とも約束するんだ。平馬の約束が果たされたなら、すぐにでも江里口さんと会ってほしい。江里口さんは、失敗したときにちゃんと平馬のところへ行く気だからさ」
「……言われなくとも、そうするつもりだぜ」
「それなら完璧だ」
顔を合わせ、互いに鼻で笑った。満足だった。
大切な人のため、約束のため、菅野市を飛び回る平馬の連休は、充実しているに違いない。
平馬がじゃあな、と手を振って踵を返したときに、ぼくはふと思い立った。
「なあ、平馬。才華のフルネームは知っているよね?」
「家入才華、だろう? 穂波が家入って呼んでいるのを聞いた」
きょとんとしている平馬に、ぼくはぼくの精一杯の凄みを利かせた。
「なら、『才華ちゃん』呼ぶのはやめてくれへんかな? 才華がぼく以外の男に下の名前で呼ばれるのは、えらく腹が立つのや」
唖然とする平馬を見てその場を去るのは、正直えらく気分が良かったね。
家に帰ると、何かいいにおいが漂っていた。
「才華、何しとるの……」
見れば、才華が何かを皿に盛って、ラップをかけようとしているところだった。
「あ、弥、帰ったんだ。マフィン作ったの、食べてみる?」
「嘘、才華がお菓子を? 珍しいね」
「だって弥が……」
ひとつ手に取って見ていると、才華が口籠った。
「うん? どうした?」
「ああ、いいよ。食べてみて」
口に入れてみる。……ううん。
「才華、お菓子苦手やろ? 正直これ、こってりしとるわ」
「こってり……そう、くどい味なのね。はいはい、正直な感想ありがとう」
不機嫌そうに再度ラップをかけ始める才華。
「おいおい、才華。正直に感想を述べるのは、作る側の上達になるし、食べる側も次からおいしいものが食べられるし、えらく有意義なことじゃないか」
「……屁理屈」
テーブルの端に皿をどけた。しかも少し乱暴に。
まさか、才華は本当にお菓子作りが苦手だったのか? 生活に必要がない、などと見栄を張っておきながら。冗談だったんだけどな。
「ああ、ごめんよ、才華。機嫌を悪くしないで。突然作ってくれたから、嬉しくて少しからかったんだよ」
顔を赤くする才華が口を尖らせ、小声で言う。
「……だって弥が、あしたは良い日にしようって」
『飛び回る彼』完結です。推理は正解でしたか?
おまけ タイトル・名前の由来
・飛び回る彼:北村薫『空飛ぶ馬』より
・平馬梓:アーサー.ヘイスティングズより