III 「背番号1」
「で、どうしたんだい? 才華」
六回の表、相手の攻撃がはじまり、ぼくは才華の相手をしてあげることにした。才華が気になったこととはいえ、才華の頭脳からしてみればきっと簡単な話。次のタイガーズの攻撃はゆっくり見ることができるだろう。
才華は無視されてやはり機嫌が良くなさそうだが、その不機嫌を嚙み砕いたような顔で話しはじめた。
「まず確認するけど、いま言ったこと、理解してる?」
「ああ、ええと、ファウルが飛んだ先に、五歳くらいの男の子と、ビールの売り子のお姉さんがいたんだよね……ううん」
「ほら聞いてない」
口を尖らせる。こうして何かが『気になっている』ときの才華は、感情表現が本当に豊かになる。普段はクールというか、さばさばした表情ばかり向けられているから、ありがたいようなありがたくないような。
とりあえず才華の話に傾注しないと、才華の気が済まないだろう。
「分かった、分かった。分かったからごめんよ。話は聞くから。もう一回、丁寧に話してくれる?」
そのとき、テレビから歓声が上がる。フォアボールを与えてしまった。
才華はため息をついてから話す。
「さっきの誰かのファウル……ええと、鳥取って選手だっけ?」いいや、鳥崎だよ。この子わざと間違えたね。無視していたぼくに文句は言えないけれど。「その選手のボールが飛んだ先に、売り子さんがいて、男の子と話していたみたいなの。売り子さんは一球前のファウルのときもそこにいたから、応対が長すぎないかなって、変に思ったの。そうそう、近くの座席に座っていたおじさんも話に参加していたみたい。様子からして家族ではなさそう」
「なるほど、少し飲み込んだよ」
つまり、売り子さんが長居している理由というより、男の子が売り子さんと話している理由を考えればいいんだね。そして、ヒントになるのはおじさんの存在くらいか。これではあまりに支離滅裂だ。
そう思っていると、才華の方から整理をはじめた。
「とりあえず、売り子さんが長居する理由を考えないとね」
「簡単に考えれば、ビールを渡したんだろうね」
「でも、長すぎるの。ボールを投げる間隔は二十秒くらいあったから」
ビールをカップに注ぐ。長くともせいぜい十秒くらいで済むだろう。
才華の話だと、一球目のファウルのときから売り子さんはそこにいて、ビールを注いでいたということになる。それがだいたい三十秒のこと……スピードも重要なはずだ、長いかも知れない。
「お金の受け渡しは? そうだ、何人かが一斉に注文したのかも」
「小銭も用意しないでビールを注文するかな? それに、その売り子さんが飲み物を売ったらしい人はそのおじさんくらいしかいなかったよ。あと、二回目のファウルのときは男の子と目線を合わせて話していたから、違和感があるかな」
「しゃがんでいたの?」
「そう。表情までは見えなかったけれど、小銭を受け取った直後からそこまで親身になれるかな?」
二球目が来るまでの時間いっぱいを使って、支払いまでの対応をしたと考えたのか。もっと早く対応が終わったなら、男の子と話す前にその場を去ってしまうだろう。
「……ねえ、ビール以外のものを売っていたりはしないの? たとえばおつまみとか、お弁当とか」
「ううん……そういう売り方はあまりしないよ。たいてい、飲み物と食べ物でお姉さんが違うんだ。それに、お弁当ならスタンドじゃなくて、裏の売店で買うほうが普通だし」
才華は「よく知ってるね」と驚いた様子だ。野球の試合なら球場で五、六回は見たことがあるのさ。もちろんタイガーズのスタンドで。
才華が質問を重ねる。
「じゃあ、値段が高いってことは? 小銭がたくさん要るとか」
「小銭なら準備しているだろうって話だったじゃないか。で、高いものなら売らないよ。最近はワインを売っているなんてこともあるけれど、まあ滅多にないよね。防犯も心配だし」
難しい顔をした才華は、ちらりとパソコンを見たが、「ないよね」と呟いた。球場のウェブページに売り子さんの商品一覧が載っているとは限らない。
お、いつの間にか攻守が入れ替わっていたようだ。でも、すでにひとつアウトを取られているじゃないか。
いい加減ぼくは試合が気になるのだが、才華の『気になる』のほうが優先度は上だ。
「クレームってことは……ないかな」
「どうして?」
「男の子のいる理由が解らなくなるもん」
「男の子なりに止めに入った、なんてのは? 小さい子って意外とまっすぐだからね」
「そうか……そういう見方もある」
あれ? 才華の反応が良い。冗談のつもりで言ったのだけれど。
「てっきり、男の子は偶然そこにいただけだと思っていたの。売り子さんとは切り離して考えていたのは、ちょっと安直だった……」
「どうして? 迷子でもおかしくないんじゃ――」
「いや、さっきも言ったよ。迷子になるような子から、人の多い球場で親が目を離すなんて変。あれだけ小さい子だもの、ちゃんと世話を見られる人が付いていたはず。つまり、男の子は親御さんからそれほど離れた場所にはいない、そして、迷惑をかけているわけでもない」
「つまり、男の子の方から寄って行った、ってことなのかな?」
「たぶん、そう。でも、どうして……」
才華が考え込む。
いまのうちに、とテレビに注目する。チーム一番の大砲が打席に立っているのだ。ぶんぶんと豪快にスイングする姿にはロマンを感じるね。もう少し慎重になってくれないとひやひやするのは正直マイナスだけれど……ほら、外れた球を大振りして打ち損じ。
その引っかかったような打球が、例のスタンドのほうへ飛び込んだ。すると、歓声が上がる。どうやら打球を誰かがキャッチしたようだ。
「ねえ、弥」
「なあに?」
かつん、と当てただけの打球はファーストに処理された。スリーアウト、タイガーズはまたも反撃できず。
視線を上げると、才華が拗ねたような顔をしていた。しまった、また野球に熱中して機嫌を悪くさせてしまったらしい。
「弥がタイガーズのファンだと思って質問するよ」
「へ?」どうしてまた突拍子もないことを? とりあえず、タイガーズファンのぼくを見込まれたのだから燃えてきた。「まあ、タイガーズのことなら何でも答えるよ」
「じゃあ、訊くよ。いまのユニフォームは縦縞で、黄色の縁取りのロゴが胸にあるよね?」
「そうだね。三年前からのデザインさ」
「ありがとう。じゃあ、縦縞だけどロゴが黒だけのユニフォームって、いつの?」
「ええと……それだけじゃあ似たようなユニフォームばっかりだよ」
「じゃあ、少なくともいつからいつぐらい?」
「三年前まで、二十五年くらいは同じようなデザインだと思う」
「その時代、一番人気のあった背番号1は、いつごろの誰?」
「……トッド・オリバーじゃないかな? だいたい二十年くらい前の選手だよ。今年の新外国人みたいに、すごく打率のいい外国人選手だったみたい。流石にぼくは生まれていないから詳しくは知らないけれど、目立った成績を上げた1番は、そんなにいないと思う」
「最後にもうひとつ。いまの背番号1番は鳥崎選手みたいだけれど、現役は何年目?」
「六年目」
「……ありがとう。これで全部解ったよ」
才華の口角がぐっと上がっていく。
「なるほどね、こんな話だったんだ」
次回推理編。家入才華の推理を当ててみては?