III 「よほど嬉しいんだろうね」
ふたりで並んで歩く。ぼくの背が男子にしては低くて、才華の背が女子にしては高い。ゆえにほぼ同じ身長だから、並んでいると少しばかり恥ずかしい。
そんなぼくの気を知ってか知らずか、才華は興奮気味。
「ねえ、弥。興味深い話だと思わない?」
迫って来るように才華が高い声でまくしたてる。正直なところ、というより当然、ぼくの興味はさほどそそられていない。
「才華。人のことにそういう興味を持つのは、正直どうかと思うよ」
「でもさ、気になるんだもん」
ほらきた、『気になるんだもん』だ。この言い分なら才華のほうに筋は通っていないから、理屈でねじ伏せることはできるだろう。けれども、こうなった才華を止める技術、上手い文句がまだぼくにはない。
それに、退屈しのぎにはちょうどいいのだろう。ひとつ、乗ってあげるのもまた面白いかもしれない。
「じゃあ、才華。自転車屋さんの松嶋さんは、たとえばどんな人に会うと思うの?」
「直感では思いつかないな……既婚かどうか、判らなかったし」
「え?」ぼくは驚きと呆れを感じた。「そんなことも調べようとしていたの?」
「うん。指環をしていなかったのは気づいたの。急に会いに行くって言うくらいだから、恋人とか、離婚調停とか、不倫相手とかなのかな、と」
「お日様の出ているうちから高校生の男女でする話ではないよ」
才華をたしなめたつもりだったのだが、当の本人は気にしない。
「でも、自転車の修理業なんかもしているわけだから、営業中は外しているのかなって思ってさ」
なるほど。
今度はぼくが提案してみる。
「じゃあさ、仕入れってのはどう? メーカーとの取引なんてのも」
「ううん」才華が唸る。「それって、日曜日にやるかな? まず、わたしたちみたいな他人に対して『人に会いに行く』って雑談をするくらいだから、仕事の事情というよりは、個人の事情なんじゃない?」
確かに。
でも、指摘からひとつ気づいたた。
「きっと、その人と会うのがよほど嬉しいんだろうね」
「どうして?」
才華が不思議そうな顔をする。少々義理や人情に疎い女の子なのではないか、とぼくは最近薄々感じている。
「いましがた才華が言ったじゃない。『他人に雑談している』ってさ。赤の他人にわざわざ話題を自ら提示するわけだから、どちらかといえば自慢したり、褒められたりしたいことなんじゃない?」
「ふうん……」
他人事のように頷いている。話を合わせてあげているっていうのにさ、まったく。
「とりあえずさ、要点をまとめてみようよ。ヒントになるようにさ」
「そうだね……」才華が長考に入り、二十秒ばかりで顔を上げた。「まず、誰に会うのか――松嶋さんが既婚か未婚かは不明。次に、松嶋さんが会ってどう思う人なのか――弥の言うとおりなら、会って嬉しい人。もうひとつは、どうしていまなのか」
「どうしていまなのか?」
力強く頷いた才華は、得意げな顔だ。
「そう。だって、日曜日は午後が休業だよ? どうしてわざわざ、営業終了の前に出かけなくてはいけないのか、不思議じゃない?」
ははあ、もっともだ。
営業時間や休業日で考えるならば、『人に会う』というだけで至急臨時休業にする必要はないはずだ。あと二、三時間で営業は終わるのだから。
午前で営業を打ち切る理由とは何か。それはもちろん、誰に会うのか、会ってどう思うのかに直結することだ。才華がそれを要点としてまとめたのは、大変理にかなっているというところ。流石の思考力、推理力といったところか。
「『急いで会う』とは言っていたよね?」
ぼくの確認に、才華は頷く。
「そのことだけど……どれくらい急だったのかな? ねえ、松嶋さんの服装って、弥から見てどうだった?」
なぜそんなことを聞くのだろう?
「ううん……出かけるための恰好だったんじゃないかな。結構いいシャツを着て、ジーパンをはいてさ。エプロンというか、そういう汚れてもいいような恰好とは違ったと思う」
「なるほどね……」
考えはじめる。でも、考えをぼくに伝えてくれないんじゃあ面白くない。
「どういうことを考えているの?」
「……会うタイミングのことだよ。ラフな恰好をしていたならば、出かける直前ではなかったということ。臨時休業のチラシを貼るなら準備する前じゃないと、店にだれもいなくなっちゃうから自然なことでしょ? でも、松嶋さんはちゃんと出かける恰好をして、すぐにでも出かけられる状態で臨時休業のチラシを貼った……
あ、そうか。午後を待たずに臨時休業にする必要はあったんだ……」
「え? 何に気が付いたの?」
「…………」
黙り込んで長考に入ってしまった。たまに、ぼそりと「臨時休業」だの「定休日」だの「お昼前」だのと呟くが、その断片的なヒントから才華の推理に辿り着くのは難しい。仕方がないから才華の隣を少し恥ずかしい思いで歩いた。
平岡と思しき高い建物が見え始めたころ、才華が顔を上げた。
「そうか」
「解った?」しばらく放置されたせいでつい喰い付いてしまう。「どんな人に会いに行くのかな?」
「弥、ひとつだけ。普段会うことの少ない人に会うのって、嬉しい?」
「え?」唐突な質問にちょっと戸惑ったが、答えは変わらない。「会いたくても会えない人だったら、それはもちろん嬉しいさ」
そっか、と呟いた才華の口角が挙がっていく。
そしてにっこりとぼくに笑顔を見せた。
「なんだ、弥。こんなの意外と簡単な話だったよ」
次回解決編。皆様の推理、お待ちしています。