表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
仁鬼 ~仁のある『鬼』~  作者: 雪ノ瀬たつも
4/6

第一章 其ノ参

 右隣の和室では、仁が寝ている。

 左隣の物置部屋では、平段堂拓正が寝ている。

 そしてこの部屋には、自分ひとりだけ―――。

 伊織はごろんと寝返りを打った。

「………」

 眠れない。眠りたくない。

こんな夜なんかは、眠りが怖い夢をつれてくるから。



 赤い色。

 始めはそれを布だと思った。

 真っ赤な、真っ赤な布。

 綺麗だけど、どこか毒々しいその赤は。

 血だった。

 目の前で、倒れた人の。

 頭の奥で、黒い何かが蠢く感じがした。

 意識が、後ろへ引っ張られる。

 視界が、くすんだ色をしていた。

「……なんで……うそや……うそやうそやうそや………うそや」

 自分はただ現実を認めずに泣くばかりで。

「なんで……そんな」

「怖いか?娘」

 頭上から、声が降ってきた。

「それとも復讐したいか?その男の」

「……復讐」

 それもいいかもしれない。そして、復讐を達成するとともに死ぬのだ。もうこの世界にいいことなんて何ひとつない。

 ふらり、と立ち上がろうとする。

 しかしそれを止めたのは、自分の大切な人を殺したその人だった。

「今はやめとけ。今のあんたじゃ無駄死にがオチだ。それともなにか?そんなに早くしにたいのか?それがその男の望んだことか?」

 親のような存在。

 それが自分にとって、今倒れている男の価値だった。

 自分のことを一番よくわかってくれた人。

 でもその人はもういない。

 死にたい。でも、死にたくない。

 目の前に立つ男は、ため息とついた。

「やめとけやめとけ。あんたまだガキじゃねえか。死んだって何ひとついいことないぜ?そうだな、生きる目標がないってんなら、俺がくれてやるよ」

 彼は、にやりと嗤った。

「復讐したいんなら、今はだめだ。何十年後でもいいさ。俺を探しに来い。もちろんあんたが強くなったらな」

 彼は、自らを『鬼』と呼んだ。


     ***


「―――ッ」

 唐突に目が覚めた。

 東の空はまだ薄暗い。時計を見る。四時五十七分。

「……あほらし」

 ぽてん、と頭の上に何かが落ちてきた。

 手紙だ。かなり古いものだろう。汚い字で、何か書いてある。「い、お、り、へ」

 声に出して読んでみた。

「げ、ん、き、だ、し、て」

 そしてその下。

「た、く、ま、さ、よ、り」

 読んでから恥ずかしくなった。いったい何年前の物だろう。よくこんなものを取っておいたと思う。

 そして、わざわざ取っておいた理由を思い出して、伊織はさらに恥ずかしくなった。

「……ああ、そうやったな。これ、あの人が死んだときに平段堂拓正からもろた手紙やったわ」

 あのときは本当にショックで。

 あのあとその場所で彼の死体は見つからなかった。だから彼は、いまでも行方不明者として登録されている。

 彼の弟―――自分の父は、いまだ彼が死んだことを信じていない。

 自分も―――信じたくは無い。

「ほんま、あほらしいわ」

 いまさら二度寝する気にはなれなかった。

「平段堂拓正起こしに行ったろ」

 伊織はのそのそと布団から這い出した。



「ン…なんだよ……まだ三時じゃん」

 拓正の眠たそうな声。

「知るかボケ。ほら、はよ起きへんと給料減らすで?」

 拓正がガバッと起き上がる。起きたついでに布団をたたみ、さらには寝癖まで整えた。

 この不景気の中、減給の力はすごいと思う。

「……」

 そんな拓正をジトッとした目で見る伊織。

「どうでもええけど平段堂拓正」

「なに?」

「顔に枕のアトついてるで。さっきまで幸せそうな顔して寝てた証拠やな」

「………!」

 拓正は赤面して顔を隠す。

「うそや、うそ。あ、でもさっきまで幸せそうな顔して寝てたのはホンマやな。寝てる時は可愛い顔してるやん、あんた」

 うそ、ありえない。伊織に寝顔を見られた?

 焦って彷徨った視線が、伊織と合う。

「あ」

 思わず声を漏らしてしまった。

 伊織は息を吐いて、拓正の横に座り込んだ。

「なあ、平段堂拓正」

「なに」

「うちのこと、どう思う?」

「どうって」

 しばらく考えるような仕草を見せて、拓正は答える。

「変人」

「もう給料やらん」

「うそだろ?」

 涙目の拓正。伊織は舌打ちをして、頭を拓正の肩に乗せた。

「伊織?」

「黙って」

 拓正は黙った。

 静かだ。今は夜中である。当たり前だ。静かに決まっている。

 自分と伊織の呼吸の音だけが、小さく聞こえる。なんだか小さい頃みたいだった。小さい頃悪戯が見つかって押入れに隠れた時の感覚と似ている。

「平段堂拓正」

「ん?」

 急に肩が軽くなった。伊織が頭をどけたのだ。

 伊織はそのまま横になる。

「そこ、布団ひいてないけど」

「別に構わへん」

 ぽつりと、伊織が言った。

「平段堂拓正は、約束守ってな」

「え?」

 拓正は思わず訊き返す。

 すぅ、と静かな寝息が聞こえた。

 ふっと拓正は微笑み、その隣に寝転んだ。

 なかなか眠れないと思っていたが、伊織の寝顔を眺めていたら、いつの間にか眠ってしまった。



     ***



 トントントン、と聞こえてくる小気味のいい包丁の音。

 窓から差し込んでくる日の光が眩しい。

 伊織はがばっと跳ね起きた。

「何時や!」

 時計は九時を指している。完全に寝過ごした。

 チッと舌打ちして、伊織は部屋を飛び出す。

 階段を駆け下り店に行くと、拓正が厨房に立っていた。

「あ、伊織。おはよ」

「平段堂拓正、なんで起こしてくれんかったんや!」

 伊織は開口一番叫んだ。

 包丁を持つ手を休めて、拓正が言う。

「いや、だって、伊織があまりにもぐっすり眠ってたから」

「寝過ごしたやないか!」

 焼肉屋えらいこっちゃ(店名)では、伊織の提案でモーニングとランチを行っている。朝七時からの開店で、十一時まではモーニング、三時までランチ。その後五時まで店を閉めて、五時から夜の十一時まで店を開く。

朝の開店時間はとっくに過ぎている。

 伊織は急いで自室に戻ると、寝巻きを脱ぎ捨て服に着替えた。台所の卓袱台の上に朝食が乗っていた。とっくの昔に冷めてしまっている。それを急いで口の中にかきこむと、伊織は店に続く階段を駆け下りた。

「平段堂拓正、うちのエプロンは?」

「え?厨房の冷蔵庫の横にあったけど」

「おおきに」

 厨房に入ってエプロンをつけると、伊織は息を吐き出した。

 今日も忙しくなるだろう。ありがたいことだ。それだけ儲かっている。

 ―――そういえば、仁、何してんやろ。

 ふと気になった。台所には彼のぶんの朝食まで用意されていなかった。もう先に起きて、食べていったのだろうか。そもそも鬼―――いや、『鬼』は、何を食べるのだろう。

 ―――あいつ、自分で『鬼』やて言うとった。

 夢の中に出てきた彼も、昨日出会ったばかりの仁も。

 同一人物なのだろうか。それにしては全く似ていない気がする。でも妖怪なのだから、化けられるのかもしれない。

 もし、おじさんを殺したのが、仁だとしたら。

 ―――うちは『鬼』を殺す。

 


 うつむいたまま動かない伊織を、拓正はちらりと見た。

 目が怖い。ああいう時は、大抵ろくなことを考えていない。

 自分のことを実の娘のように可愛がっていた叔父が死んで、伊織は少し変わった。言い方は大げさだが、自分を犠牲にするような行動もしばしばある。その度に心配するこっちの身にもなってほしい。

 伊織がこうでは、仁がこの家から出て行ったことは話さないほうがいいだろう。殺しに行くとか物騒なことを言われたら怖いから。


     ***


「仁、もういいだろう」

 焼肉屋えらいこっちゃ(店名)の裏には公園がある。そこのベンチに座ったまま、頭を抱えて動かない仁に、輪太郎が痺れを切らせて声をかけた。

「確かにあそこはいい家だった。仁が『鬼』って知っても助けてくれたし、飯まで用意してもらった。でもな」

 一拍置いてから、輪太郎は言った。

「あんたは、トラブルメーカーなんだよ。あんたがいるだけで、他の妖怪が寄ってくる。あの家に、これ以上迷惑掛けたいか?」

 氷のように冷たい声だった。

 『鬼』は、そこにいるだけで妖怪の恨みを買う。禁術を使って妖怪になった者を、本物は妖怪とは認めてくれない。

 輪太郎の言葉に、うなだれながらも仁はうなずいた。

「……そうでござんすな」

 角を隠すためにかぶった帽子は、彼の顔まで隠していて、表情はわからない。しかし、輪太郎には、仁が嗤っているように見えた。嘲笑っているのだ。自分自身を。

 仁はゆっくりと立ち上がった。

「さて、行くでござんすか」

 夏の日差しがまぶしい。これから他の町へ行くとしたら、熱中症に気をつけなければならないだろう。



 わかっていたことだった。

 自分がそこにいれば、迷惑がかかる。迷惑どころの騒ぎではない。下手をすれば、関わった人間の人生すら変えてしまうかもしれないのだ。

 だから、関わらない。できるだけ関わらないほうがいい。人に関わったら、最後に傷つくのは、自分だから。

 傷つくのが、怖いから。



 大切な何かを守るため、自らが孤独を手にする。

 それは宿命。

 『鬼』の宿命。

 そして彼は―――


―――『鬼』になった。



 その日、仁と輪太郎は、街を離れた。



 と、言いたいところだが。

 次の日になっても、仁たちはまだ街にいた。

 本当は今すぐにでもこの街を離れたかったのだが、しばらく歩いたところで重大なことを思い出してしまったのだ。

「どうした?」

 急に足を止めた仁に向かって、輪太郎は尋ねた。

 仁は引きつった笑みを浮かべ、振り返った。

「オレはどうして、あんなところで気絶なんかしてたんでござんすっけ」

「ん?」

 眉をひそめながらも、輪太郎は答えた。

「そんなの、一ヶ月間何も食わなかったからだろ」

「なんで一ヶ月間、食べることを我慢してたんでござんすかね」

「金が無かったんだから、仕方ないだろ」

「あれから金は貯まったでござんすか?」

「………………」

 長い沈黙が返ってきた。

 次の契約者が現れるまで、基本的に『鬼』は死なない。

 だから腹が減っても命に別状は無い。しかしそうかと言って、何も食べなくてもいいというわけではなかった。食べなくても死ぬことはないが、そのかわりあまり食べないと、元気が無くなるのだ。

 ぎゅるるるるるる………。

 仁の腹の虫が鳴いた。

「…………おまえな」

「拓正に用意してもらった昨日の朝ご飯だけでは、足りなかったみたいでござんすね」

 右手をひらひら振りながら言い、仁は笑った。

「それに……」

「まだなんかあるのか?」

 輪太郎が睨む。

 うっ…と言葉につまりながらも、仁は言った。出来るだけ許してもらえるように。

「持ってきたもの、全部置いてきちゃった」

 輪太郎が口を開けた。

 すううぅぅぅと息を吸う。

 そして叫んだ。

「アホかぁッ、お前はああぁぁァァァァッ!」



 仁を泊めた部屋を片付けていた拓正は、布団の下に何かが入っていることに気付いた。

「?」

 それは、小さな灰色の袋だった。

 中を見てみる。

 そこには、透明な紫色の石が入っていた。



 しばらく考えて、拓正はその袋をポケットに入れた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ