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第8話「禁断の果実」

 

 禁断の果実――


 焼き菓子のことしか考えていないような、この世界では、人類が最初に口にした食べ物だと伝えられている。

 しかし、それは同時に、罪の象徴でもあったという。


 あまりにも美味すぎて、一度口にすれば、他の食べ物では満足できなくなってしまう。

 故に、禁断の果実。


 ……と、ババアは語っていた。

 適当言ってるんじゃないだろうな?


「本当に実在するのか?」

「もちろんだとも。坊やの足で確かめてみるといい」


 いつの間にか用意されていた地図の切れ端を、ババアはぶっきらぼうに手渡してきた。

 中央には、小さな文字で『禁忌の森』と記されている。


「いいかい。この場所は決して口外するんじゃないよ!」

「なんで?」


 ババアからの返答はない。

 ただ、こちらをじっと見つめたまま動かない。


「そんなにヤバい場所なのか?」


 おい、何か言ってくれよ……。


 沈黙の中、プレッツェルのようにねじれた時計の針だけが、カチ、カチと音を刻んでいる。


「おいってば!」


 まるで察しろと言わんばかりの沈黙に、だんだん耐え切れなくなってくる。


「……ククク」


 僕が声を荒げた瞬間、ババアの肩が小刻みに震え始めた。


「ははははは! 冗談だよ、ただの穴場さ。……まあ、森の奥には野生の動物がわんさかいるから、あんまり近づかない方がいいけどねぇ」


 こいつ、ふざけんなよ。

 本気でビビったじゃんか!


 よく見るとこの地図、普通の紙じゃない。

 米やジャガイモなどで作られた、食べられる紙状のお菓子だ。


 最後まで、おふざけ全開だな。


 僕は呆れながら、サクットを抱えて家を後にした。



    ◇ ◇ ◇



 ババアの地図を頼りに、僕とサクットin神様は、禁忌の森の入り口らしき場所を彷徨っていた。


 まだ昼間だというのに、辺りは薄暗い。木々は空を覆い隠し、不気味なくらい静まり返っている。

 化け物や魔物の類が出ても、おかしくない雰囲気だった。


 禁忌の森という名前は、伊達じゃないってことか。


「ふっ、オ、オリスよ……まさか、おおお怖気づいておるのか?」


 サクットの中から神様が煽ってきた。

 だが、声が震えまくってるので、動揺しているのが丸わかりだ。


 神様がビビってどうすんだよ。

 ……いや、ババア相手にも散々ビビってたし、今さらか。


「こんな暗がり、誰だって警戒するだろ」


 一応、神様が話しやすいようにフォローしておこう。こんなんでも、一人よりは心強いからな。


「お、おお……確かに用心するに越したことはないのう。なかなかやるではないか」


 案の定、すぐ調子に乗りやがる。

 ビスケット以外の焼き菓子を自由に食べられる日が来るのは、まだまだ先になりそうだな。


 ミルフィーユの層を一枚ずつ重ねるように、僕たちは慎重に森の奥へと歩みを進めた。


「え……?」

「な、なんじゃこれは!?」


 森の入り口を抜けた途端、想像もしていなかった光景が飛び込んできた。


 鬱蒼としていた森の中には、きれいな青空が広がっていた。

 ビターチョコレートのコーティングを割った途端、真っ白なクリームが現れるように、景色は一変していた。


「止まりなさい!」


 呆気に取られていると、突然、刺すような鋭い声が響き渡った。

 声のした方の先には、こちらを睨む女性の姿。


 いるよなー、やっぱり。

 こういう禁足地へ向かおうとする時に立ちふさがるNPC。

 だいたい、最初に話しかけてくる奴って、道案内役か門番なんだよな。


「ここを通りたいなら、通行料を払いなさい」


 ……通行料をせしめるタイプの門番だった。


 眼鏡の女性は、僕を一瞥すると、次の瞬間、目を見開いて二度見した。


「メ、メアリー!?」


 いきなり、ババアの名前を叫ばれた。

 そういえば僕の今の姿は、若い頃のババアによく似ているらしい。


 ……ということは、ババアの知り合いか?

 それにしては、若すぎるような……。


「いや、僕は――むぐっ!?」


 突然、サクットが僕の口元にビスケットを突っ込んできた。


「しーっ! 今は話を合わせておくのじゃ!」


 小声で神様がささやく。


「相手は禁忌の森の住人。あの恐ろしい老婆の知り合いというなら好都合……このまま勘違いさせておくのじゃ」


 バレたら大変なことになりそうだぞ。

 ババアの怒りの方が。

 

 勝手に若い頃の姿で名を騙られていたと知ったら、あとで何をされるかわかったものじゃない。

 ……まあ、被害を受けるのは、まず間違いなく神様だけど。


 自由に焼き菓子を食べる権利を剥奪され、再びビスケット生活へ逆戻りする神様の姿が脳裏をよぎる。


 そのサクット産のビスケットって、最初の一枚は結局、誰が作ったんだろう。

 量産するにしても、元になるものは必要なはずだ。

 ほんのり辛味が効いているあたり、案外、ババアの手作りだったりするのかもしれない。


「そのちょっと辛そうなビスケットの香り! やっぱり貴方、メアリーでしょ!?」


 意外なところで、サクット産ビスケットの秘密が判明した。

 やっぱり、あれはババアのお手製だったらしい。


「僕はオリスだよ」

「おぬし、バラしてどうす……うぐっ!?」


 お返しと言わんばかりに、残りのビスケットの欠片をサクットに突っ込む。

 どうやら、神様の口にクリーンヒットしたらしい。


 ババアの知り合いなら、変に隠し事をしても意味ないだろ。


「メアリーじゃ……ない?」

「うん。僕はその弟子ってところかな」

「……なるほど。そういうことだったのね」


 眼鏡の女性は、どこか懐かしそうに目を細めた。


「私はショコラ。まあ、行商人みたいなものよ」

「行商人? ……こんな人の来ない場所で?」

「ここで商売をしているわけじゃないわ。森の果実をジャムにして街へ出荷しているのよ。……昔は、メアリーにも随分お世話になったわ」


 そう言って、彼女は柔らかく微笑んだ。


「メアリーの知り合いなら歓迎するわ。それにしても、あのメアリーが弟子をとっているなんて、不思議な感覚ね」

「……ババア、こんなところにも顔が利くのか」

「ふふっ、ババアって……!」


 ショコラは腹を押さえ、小刻みに肩を震わせる。


「んふふふふ……あー、おかしい。確かに、もう何十年も経ってるものね」


 どうやら笑いのツボにハマったらしい。

 ……ひとまず、通行料を請求された件は忘れることにしよう。


「それで、メアリーのお弟子さん」


 ショコラは笑いを落ち着かせると、改めて僕の方へ向き直った。


「この森に何の用かしら? 禁忌の森って呼ばれていることは、承知で来たんでしょう?」

「うん。禁断の果実を探しているんだ」


 そう告げた瞬間、ショコラの表情がぴたりと固まった。


「その話は、誰から聞いたの?」


 さっきまでの砕けた喋り方とは、似ても似つかない。

 冷たく張り詰めた声色に、僕の背筋がドライアイスで直接冷やされたみたいに寒くなる。


 ……ババアの知り合いって、怖い人が多いんだな。神様を除いて。


「もちろん、ババアから」

「メアリーが……」


 ショコラは目を伏せ、小さくため息をついた。


「……そう。わかったわ。この先に私の家があるの、詳しい話は、そこでしましょう」


 僕は、気絶しているであろう神様を起こさないよう、そっとサクットを抱え直した。

 そのまま、ショコラの後を追っていく。


 青空が照らす森は見通しもよく、野生動物の類に遭遇することはなかった。



    ◇ ◇ ◇



 数分もしないうちに、簡素な作りのログハウスにたどり着いた。

 白い壁に、積み重ねられた丸太。まるで、巨大なブッシュドノエルをそのまま家にしたような見た目だった。


 家の内装には見覚えがあった。

 ……あったというより、これはババアの家によく似ている。


「メアリーの家によく似ているでしょ?」

「似ているというか、ほとんど一緒……」


 設計した大工が同じだったのだろうか。

 ……というより、たびたび忘れそうになるが、ここはゲームの世界だ。

 家の内装が似通っていても、不思議ではない。


「昔の人の家はだいたい、こんな感じよ」

「……昔の人って、何年前の話?」

「さあ? もう数えるのもやめちゃったわ」


 ショコラは悪戯っぽく笑った。

 僕はふいに今の時間を確認したくなって、パイフォンの画面に視線を向けた。


 ……あれ? 時計が動いていない。


 シュガースティックで表示されたデジタル時計の数字が、さっきから微動だにしていなかった。


 まさか、壊れたのか? 再起動すれば直るだろうか……いや、もし起動しなくなったら困るな、やめておこう。

 電波はちゃんと立っているし、バッテリー残量も問題ない。


「へぇ、今の時計ってこんな感じなのね」


 いつの間にか、ショコラがパイフォンの画面を覗き込んでいた。


「ああ、ごめん。どうも時計の機能だけ壊れてるみたいで」

「時計が動かないってことなら、壊れていないわよ」

「え?」

「だって、この森の中では、時間が止まってるんだから」

「……は?」


 思わず、間の抜けた声が漏れた。


「……貴方、禁断の果実のことは知ってるの?」

「美味すぎて、他の食べ物が口に合わなくなるってことくらいかな」

「はぁ……メアリーの悪い癖ね」


 ショコラは額に手を当て、大きくため息をついた。


「まったく、あの人は。いつも面倒な説明役を人に押し付けるんだから」


 ババアが雑だったり、肝心なことを何も説明してくれなかったりするのは、若い頃からなのか。


 今以上にやんちゃだったら、手が付けられないだろうな……ちょっとだけ、ショコラに同情してしまう。


「この森はね、禁断の果実が熟した瞬間のまま時が止まっているの」


 なんだって? そんな荒唐無稽な話――いや、あるか。ゲームの世界だもんな。


「そして、恐ろしいことに、禁断の果実の話も全部事実よ」


 禁断の果実って、ただの比喩表現じゃなかったのか。

 そんな危険な材料を、レシピに載せるなよ!


 パイフォンに書いてあったレシピはゲーム攻略用のものだったのだろう。

 だけど、そんな味覚を破壊するような焼き菓子を、街の人たちに食べさせるわけにはいかない。


 ――今のこの世界は、現実なんだから。


「なんとかできないかな? ババアが僕を送り出したってことは、対策があるんだろうし」

「ふふっ」


 頭をひねる僕を見て、ショコラが笑みを零した。


「昔、メアリーも同じことを悩んでたわ」

「え?」

「『こんな美味しいものを自分たちだけで独り占めするなんて、もったいない!』ってね」

「……ババアが?」

「ええ。禁断の果実のデメリットを打ち消す方法を何十年も。そして、試行錯誤の末、ようやく見つけたの」


 黄金色の粉末が入った瓶が、テーブルにそっと置かれる。


「シナモンよ」


 シナモン――アップルパイやカレーに入っていることがある、あの香辛料だ。僕は好きな方だけど、嫌いな人も結構いるらしい。


「シナモンは禁断の果実の味を忘れるための香辛料。メアリーが見つけた、唯一の対抗手段よ」


 アップルパイにシナモンは定番中の定番だ。これなら、焼き菓子の風味を壊さずに済む。

 それにしても、シナモンにそんな効果があるなんて、知らなかったな。


「禁断の果実も、シナモンも、本来なら貴方に譲ってあげてもいいのだけれど……」


 ショコラはそこで、いたずらっぽく口元を緩める。


「私は行商人なの。言いたいことはわかるでしょ?」

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