16.アマーリエの後日談
事件から、少し時間が経った。
グレイス・ヴアルディエ公爵令嬢に下された処分は、数日の謹慎と学園内での奉仕活動だった。
それだけ、と言えばそれだけだ。
けれど、貴族社会では“何をしたか”が残る。
侯爵家の令嬢に対する嫌がらせ。
机の中の物を勝手に持ち出したこと。
そして、それをベルンと教師に見られたこと。
その事実だけで十分だった。
グレイスは以前のような余裕を失い、ベラとディアナもまた、目に見えておとなしくなった。
学園の空気は、前とはずいぶん違っていた。
以前のように、くすくすと笑う声は聞こえない。
その代わりに、
「アマーリエ様、おはようございます」
「次の講義、ご一緒してもよろしいですか?」
そんな声をかけられることが増えた。
アマーリエはまだ少し戸惑いながらも、笑顔で対応できるようになっていた。
それは、怖さがなくなったからではない。
怖くても、悩みを誰かに言っていいと知ったからだ。
人を頼っていいと、知ったからだ。
その日の午後。
屋敷へ戻ったアマーリエは、自室の机の前に座っていた。
窓から差し込む光が、机の上をやわらかく照らしている。
そこには、一枚の紙が置かれていた。
最初は、不満を書き出した紙だった。
陰口を言われる。
物を隠される。
壊される。
両親を馬鹿にされる。
婚約者に相応しくないと言われる。
あの時は、それを書くだけで胸が苦しかった。
けれど今、その紙の隣には、別の紙が置かれている。
アマーリエはそちらを見た。
『やりたいことリスト』
そう書かれた紙には、まだ数行しかない。
1.領地を見に行く
2.リナと街へ行く
3.学園で友達とお茶をする
アマーリエはペンを手に取った。
少しだけ迷う。
そして、小さく息を吐いてから、新しい一行を書き足す。
4.ベルン様と、ゆっくりお話する
書き終えて、自分で少しだけ頬が熱くなるのを感じた。
「……」
そのとき。
扉が静かにノックされた。
「お嬢様」
リナの声だ。
「どうぞ」
扉が開く。
リナはいつものようにきちんとした所作で一礼したが、その口元にはかすかな笑みがあった。
「ベルン様がお見えです」
アマーリエは思わず顔を上げる。
「え……?」
「お時間がよろしければ、お話がしたいと」
アマーリエは一瞬、机の上の紙を見た。
『やりたいことリスト』
つい先ほど書いたばかりの四行目が、目に入る。
それだけで、少しおかしくなって、アマーリエは小さく笑った。
「……はい」
「お通ししてください」
リナは静かに頷く。
「かしこまりました」
扉が閉まる。
アマーリエはもう一度、机の紙を見る。
不満を書き出した日には、こんなふうに笑える日が来るなんて思っていなかった。
頼ることは、弱さだと思っていた。
黙って耐えることが、正しさだと思っていた。
けれど違った。
言葉にしてよかった。
話してよかった。
頼ってよかった。
あの不思議な入れ替わりがなければ、真理恵に出会わなければ、気づけなかったことはたくさんある。
でも。
歩き出すのは、自分だ。
これから先、何を書くのか。
どこへ行くのか。
誰と並んで進むのか。
それを決めるのは、自分だ。
アマーリエは立ち上がった。
机の上の紙をそっと押さえる。
そして、静かに微笑んだ。
不満を書き出したその手で、
今度は未来を書いていこう。
————
アマーリエがやりたいことリストを書いた夜。
気がつくと、眠っていてそこはあの場所だった。
でも。
誰もいない。
アンティークの机。
夕方の光。
ほこりがきらきらしている。
アマーリエは少し寂しくなる。
「……真理恵さん?」
返事はない。
少し歩く。
机の上に紙がある。
そこには一言だけ
『やりたいこと、増えた?』
アマーリエは少し笑う。
そしてその下に書く。
『はい』
『たくさん』
光が揺れてきらめく。
そして、目が覚めた。




