14.報告
教師はグレイスたちを連れて教室を出ていった。
扉が閉まると、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。
私はその場に立ったまま、小さく息を吐いた。
胸の奥に残っていた緊張が、ゆっくりほどけていく。
そのとき。
「アマーリエ」
ベルンが声をかけた。
私は顔を上げる。
ベルンは少しだけ考えるように沈黙してから言った。
「今日は、もう帰った方がいい」
私は少し驚く。
「……ですが、授業が」
ベルンは静かに首を振った。
「十分だ」
それから、少しだけ表情を緩める。
「今日はゆっくり休んでください」
少し間を置く。
「……また改めて会いに行きます」
私は小さく頷いた。
「はい」
リナがすぐに近づいてくる。
「馬車を用意いたします」
私は一度だけ教室を見回した。
数日前までとは、まるで違う空気。
でも。
胸の中は、不思議なくらい静かだった。
⸻
その日の夕方。
屋敷へ戻ると、両親はすでに話を聞いていた。
父は難しい顔で腕を組み、母は私の手をぎゅっと握った。
「怖かったでしょう」
母が言う。
私は少し笑った。
「……大丈夫です」
父はしばらく黙っていたが、やがて言った。
「今日はもう休みなさい」
「十分よくやった」
私は静かに頷いた。
「はい」
⸻
ベッドに入ると、すぐに眠気がやってきた。
今日は、いろいろありすぎた。
目を閉じる。
意識が、ゆっくり沈んでいく。
そして。
⸻
気がつくと、あのカフェに立っていた。
窓からオレンジ色の光が差し込んでいる。
空気の中には、細かなほこりがきらきらと漂っていた。
アンティークの机。
革張りの本。
静かな夢のカフェ。
向こうの席には、アマーリエが立っていた。
私を見ると、ぱっと顔を明るくする。
「真理恵さん」
私は椅子に腰を下ろす。
「こんばんは」
アマーリエも向かいに座る。
「今日は……どうでしたか」
心配そうな顔。
私は少し笑った。
「うん」
「全部うまくいったわ」
アマーリエの目が大きくなる。
「え……?」
私は今日の出来事を話し始めた。
グレイスがブローチを取ったこと。
ベルンが現れたこと。
教師が来たこと。
グレイスの顔が真っ青になったこと。
話し終えるころには、アマーリエは完全に固まっていた。
しばらく、何も言わない。
それからゆっくりと息を吐いた。
「……本当に」
「起きてしまったのですね」
私は肩をすくめた。
「うん」
「結構あっさり」
アマーリエは少し笑う。
「私には」
「とても大きなことのように感じます」
私は椅子にもたれた。
「まあ」
「人生初の作戦会議だったしね」
アマーリエはくすっと笑う。
それから、少し真面目な顔になる。
「真理恵さん」
「はい」
「私……」
少し迷う。
そして言った。
「ずっと」
「耐えるしかないと思っていました」
テーブルを見る。
「言ったら迷惑になる」
「頼ったら困らせる」
「だから」
小さく息を吐く。
「……黙っているのが正しいと」
私は静かに言った。
「でも…違った?」
アマーリエは頷く。
「はい」
少し笑う。
「違いました」
そして少しだけ照れながら言う。
「真理恵さんと入れ替わって、良かったと思ってます。もちろん戻りたい、けど、このきっかけのおかげで私、気づけたんです。これからは、もっと周りに頼ることができるかもしれないって。」
「うん」
私は頷いた。
「それでいいと思う」
アマーリエは少し安心したように笑った。
それから、テーブルの上に視線を落とす。
「……最初に、あの紙に書いたときは」
「不満ばかりでした」
私は肩をすくめた。
「そりゃそうでしょ」
「不満を書く紙だったし」
アマーリエはくすっと笑う。
「はい」
少しだけ間が空く。
カフェの窓から差し込む光の中で、ほこりがゆっくりと揺れている。
アマーリエはその光を見ながら言った。
「でも」
「もし、また紙を書くなら」
私は少し身を乗り出す。
「うん?」
アマーリエは少し照れたように笑った。
「今度は」
「やりたいことを書いてみたいです」
私は思わず笑った。
「いいね、それ」
アマーリエは頷く。
「はい」
「やりたいことリストです」
私は椅子にもたれながら言った。
「それ、どんどん増えると思うよ」
アマーリエは少し首を傾げる。
「そうでしょうか」
私は笑った。
「うん」
「世界って、思ってるより広いから」
アマーリエは静かに頷いた。
「……そうですね」
カフェの光が、少し揺れる。
ふと、眠気が近づいてくる。
アマーリエも同じことを感じたのか、小さく瞬きをした。
「……そろそろ」
私は頷いた。
「うん」
アマーリエは少し微笑む。
「また、お会いできますか」
私は少し考えてから言った。
「どうだろうね」
それから、肩をすくめる。
「でも」
「アマーリエはもう大丈夫」
アマーリエが首を傾げる。
「え?」
私は笑った。
「もう、一人で歩けるでしょ」
アマーリエは少し驚いた顔をして、それからゆっくり頷いた。
「……はい」
その笑顔は、最初に会ったときよりもずっと柔らかかった。
カフェの光が、ゆっくり遠ざかっていく。
視界が、白くぼやける。
私たちは手を取り合って、そのまま意識が薄れていった。




