私を連れて行って、お願い。
ベアトリーチェは、ロレンツィオの右手を両手で握りしめて、
「私を連れて行って。お願い。汚れた、私なんか・・・そして裏切った私を許せないというのであれば・・・それは正しいこと、当然なこと・・・だから、殺してくれてもいい。でも、それは私を連れて行ってから、あなたを裏切った女として殺してほしい。八つ裂きだろうが、生きたまま火あぶりであろうがかまわない。あなたのものとして、殺してほしい。もう、あなたから離れない、離れたくない。」
あの頃と変わらない意志の強さを感じさせる顔立ち、そして表情。さらには、強いオーラも感じられた。そうなると、ロレンツィオには、
「侯爵夫人の知り合いはいませんので、何か人違いをなさっているのではありませんか?」
「あなたのことは、知りませんね。会ったこともありません。」
と冷たく言い放って、彼女の手を振り払って立ち去ることは出来なかった。
二人は、王都の繁華街、露店が立ち並ぶ通りから一歩入った路地裏にいた。冒険者風のいで立ちの男女としか見えない2人である。
それは、ロレンツィオがベアトリーチェを助けるために起こした脱走事件から3年近くがたったある日のできごとだった。
ベアトリーチェは、侯爵夫人としての日々を送っていた。だからこそ、ロレンツィオは躊躇した。それは、彼女の幸せを壊したくないと思ったからであり、その幸福な彼女が彼とともに出奔するとは思えなかったからだった。
「疑っている?これは罠だと?」
と彼女の顔は、彼が知っている敬愛していた上司の、学生自治会長の顔だった。わかっていると心の中からの声をロレンツィオは感じた。
「あなたは、姑息な罠を仕掛けるような人ではないことは知っていますよ。」
と彼は答えた。彼の気持ちは落ち着いたが、それでも、まだ動けなかった。それを察するかのように、いや察した彼女は、
「今の生活が不幸せだから、不満があるから逃げ出したい、というわけではない。いや、そうなのかもしれない。だが、私は君に殺されてもいいから、君と一緒にいたい・・・。いっときでもいい・・・本当と君といたい、全てを捨ててでも。私を信じて、さして殺して。」
彼女の目は、真剣だった。
「わかりました。行きましょう、共に。詳しい話は、とりあえず後にしましょう。」
とロレンツィオは言ってしまった。
そしてすぐに、彼女の手を握って駆けだした。彼女はそれに従ったが、
「どこに?」
「黙ってついてきてください。」
「わかった。今度は、自分の意志でついていく。」
先ほどはああ言ったロレンツィオは、それを疑ったわけではない、疑わないと思おうとしたが、自分達を追って走り出している連中の姿、彼らが走る足音、気配がないかどうかチラッと後ろを見たり、感覚を研ぎ澄ませたりした。彼女の真剣な目も視界に入った。そう、何もない。彼女はそうは思っていなくとも、彼女の跡をつけている者達がいてもおかしくはないだろうが、それもいない。大体、彼女がそういう意図でなかったら、とっくの昔に気が付いて、そいつらは動けなくなっていたろうな、と彼は思い至った。彼女と、また一緒にいられる、不安がかなりあるもののロレンツィオは嬉しかった。とにかく、幸せだったはずの結婚生活を捨てて、自分のもとにきて本当にいいのか、よく確認しよう、そうでなければ・・・、
「俺はどうしようとしているのだろうか?」
ベアトリーチェは、今の生活を捨てることには、何も感じてはいなかった。考えてしまうのは、どうしてあの時、ロレンツィオのもとから逃げ出したのか、ということの方だった。
「どうして私は、あの時、ロレンツィオから逃げたのだろうか?どうして彼を嫌悪したのだろうか?」




