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「糞がッッ!何あれ、何あれ何々あれ!?死ねばいいのに、牛車に跳ねられて死ねばいいのに!」


不知火は形振り構わずそこら辺のものを足蹴する。

着物が掛けられていた衣架いかは横倒しになり、兀子ごっしはどこぞの頑固な親父が引っ繰り返したかのように逆さになっている。

そう、これは間違うことなき、八つ当たりである。

蒿雀家の姉妹の最たる特徴は直情であることだと、現場を見た誰もが確信した。


「…え、怖い。なにあの人。同じ人とは思えないです」


「こっ!こら、吹雪…なんてことを言うんだ!この頃、口が悪いぞ、お前。女だというのに…」


「…舞雪。お前、ちょっとあの阿呆を止めてこい」


「!!?…私がですか……?」


「ああ、そうだ。先程の口ぶりではあれが平気と見える。ここは私の部屋ぞ、全く…人の私物をあれほど壊しおって、仕置きしてやれ」


舞雪は押し黙って、顔を青くした。

視界に入れないようにしていた不知火を不自然にぎちぎちした動作で振り返る。

ちょうど鎮子を頭の上で持ち上げ、今まさに振り下ろそうとしていたところのようだ。


重石として用いる鎮子を易々持ち上げるその姿は、鳥よりも先に霊長類のゴツイ奴を連想させた。


「……私も、平気じゃないです」


「安心しろ、最初から期待は塵ほどもしておらん。牛車の用意をせよ、出かけるぞ」


「え…あぁ、はい!」


言われた通りに準備をしようとするが、袖を引くその手に行動を遮られる。

何事かと思って舞雪はその手の主、吹雪に目を向けた。

…表情が死んでいた。


「あれと私を二人っきりにしますか…」


「大白蛇様…ふ、吹雪は……?」


「置いてけ、無用だ」


そういうことだから、と目で訴えるが吹雪には勿論、納得した様子はない。

ヘタレで役立たずな兄と何を話しても無駄だ、と吹雪は標的を大白蛇に絞る。


「酷い!あなたには人の心がないのですか!?以下一応あなたとの身分差を考えて全てピー音でお送りします!**!****!****!!」


「馬鹿言え。お前だってさっき私を不知火と二人っきりにしたではないか。良い子にしているのだぞ」


「今ちょうど悪い子になりました!私も連れてってくださいよ、じゃなきゃここでお菓子売り場で駄々こねる子供みたいにゴロゴロしますよ…!」


「恥を知れ、一体いくつだお前は。路雅は再び忍び込むであろう“曲者”を捕らえようとするだろう。私にその依頼が来たときは勿論、断るつもりだが、その際は他の有力者に依頼が行くのは必定。断るように言って参る。だから、お前は…あれ、あれをどうにかしておけ」


そう言って大白蛇は扇で不知火を指した。

しかし、その時には既に不知火の動きは止まっていた。


「…はぁ?どういうこと?あの女のためになんかするって言うの!?」


どうやら逆鱗に触れてしまったようだ。

ずかずか、と乱暴に歩み寄って胸倉を掴まんとする勢いで睨みつける不知火。

その視線を受けると大白蛇は逆に笑みを浮かべ、示していた扇で口元を隠した。


「当たり前だろう?陽炎に何かあっては蒿雀は潰える。お前はどうなるかも分からんし。言っておくが、これは大白蛇の善意ぞ。不知火は不知火で自分の身を案じておれ」


結局なし崩しになり、吹雪と不知火はぽつんと二人、乱れた室内に取り残され、、大白蛇と舞雪はさっさと牛車でどこぞへ出かけてしまった。




さて、そこで大いに困るのが吹雪である。

最後にドでかい爆弾を投下されたこの地で何をどうすれば良いのか。


「チッ!」


盛大な舌打ちに肩を跳ねさせ、恐る恐る暴れ鳥を見る。


「なによ、なんで皆あいつの味方すんのよ、あいつよりも私のほうが上なのに、意味分かんない意味分かんない意味分かんない意味分かんない意味分かんない意味分かんない意味分かんない意味分かんない…」


がちがち、と親指の爪を噛みながら一心不乱に不知火は呟く。

それは地獄の底から這いずり響く怨嗟の呟き。


たった二人の姉妹だというのに何故これほど恨み罵りあうのだろうか。

自分と舞雪との関係をちらっと頭の片隅で反映すると、そんな疑問が吹雪に浮かぶ。

当主の座が姉妹間を壊すほどの価値があることが理解できないのだ。


「……不知火さん」


「あん!?何よ!」


「綺麗ごとを言うようで甚だ申し訳ないのですが、姉妹間で良い思い出とかないんですか」


「あるわけないでしょ!あいつ、あんたが思っている以上にクズよ、人に罪擦り付けるし、他人の功績は横取りするし!ていうか、どうしようか!?あんたん家って陸奥にあるんでしょ?いっそそこまで逃げようか!」


「でも、病の際に…」













不穏な空気とは、当に文字通り不穏な空気なのだ。

きっとこの状況は下男下女のちょっとした気配が積もりに積もって、外に漏れてしまっているのだろう。

そしてそれは例外なく、まだ五つにもならない小さな次期当主の妹にも伝わっているだろうことを思うと、ただただこの姉妹が哀れで仕方がない。

獣の如き低い唸り声を上げて、やっと10になった次期当主は理性など全くない様子で暴れる。

女中はもはや乳母の自分以外は誰も陽炎様に近づかないので、普段ではあり得ないが下男が陽炎様を力ずくで拘束していた。

自分が怪我することも他人が傷を負うことも、完全に視野入れず四肢を無茶苦茶に振り回すその姿は何のためか。


「陽炎様、落ち着いてくださいませ…」


無駄と分かりつつも何百回目かのその言葉を静かに言う。

返ってくるのは獣の唸り声ばかりである。


事の顛末はなんと単純なことか。


まだ10とは言え、陽炎様にはもう十分に外で忍の仕事をこなすほどの実力があった。

そしてそれは何回目の任務であっただろうか、陽炎様は忍んだ屋敷で取り押さえられたのだ。

様々な機密を握っている忍が捕まったのだ、例え子供であろうと待っているのは拷問である。

苦痛に耐えかねた陽炎様は依頼主から目的まで全てを話してしまった。

しかし、問題なのはここからであった。

無事帰って来られた陽炎様を長老が追及しないわけがなかった。

女中一人入れないで何をしていたのか知らないが、長老達が陽炎様を解放されたときには既に鬼病を発症されていたのは確かだ。


訳が分からない。

自分の孫が、あるいはひ孫が、もしくはそれ以上が愛おしくないのは何故なのだろうか。

何故こんな仕打ちが出来るのだろうか。


それが分からないのは、やはり私がただの乳母でしかないためだ。

だから家の誇りも何も分からない。

ただの白痴者。


しかし、それでも哀れで仕方がないのだ。

何故これほど陽炎様は苦しまなければならないのか。


「あなた、これ以上はなりません。陽炎様にこれ以上、傷を負わせてはなりません…縛るのです」


苦渋の決断を口にすると、下男は戸惑いつつも応答し、縄を持ってこようと障子を開ける。



紅の炎が身を燻らせる姿を連想させるその赤髪。

耳をそば立てていたのだろう、不知火様が瞳に涙を溜めて障子の向こうに立っていた。


「え…あ……」


とろそうな下男が戸惑いの視線を私に向ける。

悪いこととは重なるものだ。

この前まで野山での遊び友達であり、姉であり、主人となる者のこんな姿を見てしまうなんて。


すぐさま駆け寄り、陽炎様の姿を隠すように不知火様を抱きしめ、そのまま姉妹を引き離すように足早にどこかなるべく遠くへ足を向ける。


「大丈夫で御座います、すぐ良くなりましょう」


「ね、姉さんは…姉さんはどうしたの……?」


あれほど活発な子がこれほど怯えてしまうとは…。


「大丈夫で御座いますよ、ただのご病気で御座います。すぐ良くなりますよ」


言った先から自分の言葉が都合の良い嘘のように感じられた。

本当に良くなるのだろうか、何故良くなるといえるのだろうか。

心が死んでしまっているというのに。


「本当…?本当に大丈夫なの?」


「えぇ、大丈夫で御座います…」


消え入りそうな声であることは理解していた。

なんて頼りにない言葉なんだ。

これは私にとっても希望以外の何物でもない。

本当にすぐ陽炎様は回復されるのだろうか。

確証はない。


しかし、それでも長老達は不安定な陽炎様を鞭打つように扱うだろう。

それしかないのだ。

それほどまで陽炎様と不知火様には差がある。


「不知火様…陽炎様のご病気は良くなられてもお仕事はもう出来ないかもしれません……」


「えっ…じゃあもう遊べないの!?」


「いいえ、それは全て不知火様次第なのですよ。もしかしたら陽炎様にとって、このお仕事は抱えきれないものなのかも知れません、ですから不知火様がお助けするのです」


「……そしたら、姉さんは良くなるの?」


舌足らずに話すその言葉は無邪気で、純粋で濁りがない。

それは冷えた空気が満ちる秋空の如く。


「えぇ」


短い返事しか返せないのは、頭の片隅で他のことを考えていたからだ。

本家は今や廃れ、分家が介入したこの酉の家。

最早、本家と分家の垣根を完全に忘れ、協力しなければ酉の家すらなくなってしまうだろう。


真っ黒な烏が木の上で鳴いた。


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