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「今日、あの馬鹿女が来ますよ。多分」
「馬鹿女?…ああ、酉か。だが、そのように馬鹿だ何だと言うものではないぞ」
「誰か分かった時点で蛇殿様だって見下しているのですよ。同罪です、どーざい」
御帳台で言葉を交わす男女。
一見、仲良さ気に見える二人だが、衾の中では激闘を繰り広げている。
取りあえず、今のところ眉上から白の角を二本生やした女、吹雪が優勢だ。
「しかしまた…何であの酉が来るんだ。定例会にはもう少しあるだろう」
抵抗してくる吹雪の腕を、目を伏せた男、大白蛇が捉えようとするが、掴み損ねた。
この人種ではありえない金の色彩を持つ眉が不快そうに寄った。
「あの馬鹿、シクったのでござい…ますよ。だから定例会なんて、関係ない…んです」
もぞもぞ、と静かに争うことに集中しながら、言葉を途切れさせ吹雪はそう言う。
定例会とは十二支に準えられた妖怪の血を引くものが定例に開く会のことだ。
そんな妖怪が一気に集まれば、陰陽師とかが来て、一気に“さよなら、現世”のはずだ。
しかし、この妖怪共の中にも陰陽師はいる。
一人はそれこそパチもんだが、もう一人は純然たる陰陽師である。
大白蛇と言う名の妖怪は元々信仰されているので、他の妖怪のように祓われて消えるということはない。
「お前…、いい加減にしないとどうなっても知らんぞ」
執念深く抵抗する吹雪に大白蛇は脅しの言葉を吐く。
大人気ない目上からの威圧に吹雪が何か答える前に襖が乱暴に開いた。
純白の襖の隙間から出てきたのは、露出度の高い女だ。
鮮やかな紅い髪は身を捩る炎を表すかのようにくせっ毛で、身に着けている小袖は最初からそういう形なのか、裾が異様に短く太ももが外気に晒されている。
不機嫌そうなその顔は、着物に色気があっても本人からはそれを感じさせない仕様になっていた。
その女の目が大白蛇を捉えると、その黒丸の瞳孔を心なしか大きくして…まず盛大な舌打ちをした。
「……いっっっっっちゃついてんじゃないわよ!!」
この女、今年で36歳となるが、いまだに独り身、悲しい浮世。
女の叫びに吹雪は、車に轢かれそうになった山の仲間たちのように肩を震えさせ、咄嗟に衾の中に隠れた。
そんな吹雪の挙動をしっかり感じ取った大白蛇は闖入者に驚いた様子もなく、御帳台から這い出た。
「蒿雀、お前まだ相手がいないそうじゃないか。それはあれか、私に飼われたいと言うことか?」
「ん!!」
大白蛇の朝の挨拶を意にも介さず、蒿雀 不知火は自分の片足を提示した。
上手く動かせないのか、片足はまるで体の一部と言うよりは物のようである。
その太ももを目の悪い巳は舐める様に見つめて、頷く。
「ほほう、よい足だなぁ…」
「ぶっ殺すわよ!?あんたでしょ、これあんたの術でしょ!!」
蒿雀の太ももを黒い蛇がゆったりと優雅に這いずっていた。
それは奇しくも主人と同じ、まるで太ももを舐め回すかのような動作である。
「あまりぎゃーぎゃーと喚くな」
「あん!?こちとらあんたのせいで仕事しくじったんだから…って聞きなさいよ!!」
早口で捲くし立てる蒿雀に背を向け、大白蛇は別室に下がろうとしていた。
怒り心頭の蒿雀は更に声を荒げ、言葉を続ける。
そんな様子を珍しそうに眺める吹雪。
実は彼女、蒿雀と見知っているのは過去夢の中だけである。
さながら動物園のパンダでも見ているような感覚で傍観している吹雪にすれ違う時、大白蛇はこっそり耳打ちをした。
「少々着替えてくる。どうせ、愚痴を聞いて欲しいだけだろう。あれの気が済むまで聞いてやれ」
「え…まぁ、良いですけど。でも……私も着替えたいんですが」
「お前は別に良かろう、子供なのだから。私は大人ぞ」
「わっ、私だって大人ですよ!!」
そこだけは曲げられないのか、吹雪はやけに必死に強調する。
しかし、大人と言うものはそんなチンケなものを易々一蹴するのだ。
「大人なら昨晩やらせてくれたはずだ!何を、とは言わんがな!」
(何で、何であんな必死になれるんだ…今、開眼しそうな勢いでしたよ)
まぁ、いいや…と吹雪は取りあえず蒿雀をそこら辺に座らせ、三十路半ば過ぎた女の愚痴に耳を傾けた。