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虫食い障子は月明かりを通す。

舞雪は時間がないことを知っていた。

しかし、何と説得すれば良いか。

それが分からない。



「百鬼夜行は今日が終わる時、術者・つまりあなたのもとに戻ります」



術者の老人は話を聞いていないかのように、ただぼーっとしていた。

それでも舞雪は言わなければならない。



「それが何を意味するか、分かっているでしょう。」


「死、か」



ぽつり、と落とした言葉。

老人の表情には何も無い。



「だが、それがどうした?死が怖いか、若造」


「何を。…当然です、私は死ぬのが怖い。それが私の血に混じる妖の宿命でもあります。しかし、あなただって…!」



舞雪には人の顔に牛の身体を持つ妖怪の血が流れている。

短命な件は、他よりも一層、死に怯えているのは事実だ。


だが、人間もまた死に恐怖している。

それだって事実。

だと言うのに。



「私は死が怖くは無い。怖いのは病がこの世から無くならないことだ。そしてこれがこの上なく、憎い」


「違う…!あなたが、あなたが憎いと思っているのは…その病に対するその感情は……」



老人の表情に何かが浮かび始めた。














箱庭を覗けば、そこは真っ暗闇だった。


草木も眠る時刻に若い男女が小路を歩いている。

仲睦まじく談笑しながら歩く男女の後ろを着ける影は、目だけを爛々と不気味に輝かせて両手を掲げた。


鈍く光る鉈と金槌が指に絡みついた両の手は、狙いを寸分も外さず、男の頭に直撃した。

鉈により、頭はこめかみを凹ませ白い何かを覗かせながら血飛沫をあげる。

金槌は男の綺麗に生え揃った歯を滅茶苦茶に砕いた。


白い破片がはらはらと宙を舞う。

それはまるで月を砕いて、ふわり、と風に委ねたような幻想を孕む。


若い女が突然のことに呆けた表情をして、倒れかけている男を、自らの愛しい人を見送った。


どう、と倒れた時。

事態に気づき始めた女はそれでも、心ここに在らずという表情で影を見上げた。

男だった、浅く皺の刻まれた、男。


狂人のように口を三日月に歪めた老人は、満足そうに男の血飛沫を受けて笑っていた。

悲鳴を上げながら逃げる女には目もくれず。


意味も分からず視せられた夢は、ちょうど舞雪が5歳になった頃に視た予知夢だった。















「大白蛇様が、憎いのでしょう…」


「……。」


「何故言わないのですか、はっきりと。言えば、きっと言えば…こんなに人は死ななかった」



舞雪は瞳から涙を零した。

何故と聞いた手前、舞雪にはその理由が分かっていた。

だから、だから泣かずにはいられなかった。






「俺の、俺の娘を娶った男だぞ。この俺の…人外の如き生活を送る俺の娘を娶ったんだ、あれは。他に良い家の女が多くいると言うのに、それでも、それでも俺の娘を娶ったんだ…!」



老人は感情を露に立ち上がった。

片足は重たそうに、ずるりと引きずられた。



「ざまぁみろ、そう思ったさ。俺を見下していた奴らの娘より、この俺の娘を、紫寿を選んだんだ!紫寿を誇らしく思ったさ、大白蛇殿に感謝したさ!」



老人の見開かれた目尻から零れたそれは、複雑な色を放って頬を伝う。



「約束だってしてくれた…紫寿を幸せにすると!そして俺は信じた、大白蛇殿も俺の息子になった…!だが!!」



逢瀬をしている男を狙って殺したその手は、行き場のない思いを代弁するかのように無造作に障子を破く。

それは鬼が鍵爪で引っかいたような凶暴さを見せた。



「あいつは、捨てた…紫寿を。いや、違う…捨てんじゃない、あいつは紫寿が罪垢であることを知らなかった…!それでも勿論、俺は怨んだ…だが、だが……!」



やがて老人は脱力したように、その場にへたり込んだ。

はらはら、と伝う涙は止まる気配が無い。



「片輪者は、罪か…?…あれは、俺の息子だぞ?親が、親が子を怨むと言うのか!?それだけじゃない…!紫寿は、」






―――…独りになった後も、捨てられたんだと女中に言われた後も…慕っていた。



「哀れだった、何て哀れなんだ…俺の娘は公家の娘よりも愛された俺の娘は、誇らしい俺の娘は!どんな仕打ちを受けようと…自分自身でも信じられなくなったその後も、それでも慕っていたぁ…」



歪みに歪んだ感情は様々な角度で折り曲がりながら、抉って切り刻んで突き破って傷つけた。


傷つけた代償が、今返ってくる。




それは、捨てられた女がそれでも男を慕うが如く――…。





障子から差す光が強まる。


何かが勢いよく突っ込んでくるのと同時に壊れかけの障子がいとも容易く吹き飛んだ。

壊れかけから今度こそ、明確に壊れた障子となったのだ。


吹き飛んだ障子の向こうには魑魅魍魎がいた。

角を生やしたもの、一つ目のもの、獣の姿をしたもの…全て妖しく、怪しいもの。


間に合わなかったか、舞雪はさっき言った自らの言葉を思い出し、自らを勇気付けた。



「死は怖いが…、ここまで大袈裟にして何もせずに帰る未来の方が恐ろしいと視える」



何たって今、彼の周辺には妹がいるのだ。

常々、兄を兄とも思わぬあれが、今度こそ鬼の首を獲ったかのように喜び、田舎に帰るよう促すだろう。


冗談ではない、やっと都で良い職が取れたのだ。

誰があんな田んぼと畑しかない田舎に帰ってやるもんか。


懐から一枚の紙を出す。

何事か文字が書いてあるが、流れるようなその字をまともに読むことは出来ない。

じわじわ、と舞雪の紙を掴む指先に痛みが奔る。

むず痒い様な熱を発するその痛みは、当に火の中に手を突っ込んだ様な感触をもたらす。


これが件ゆえの、妖ゆえの宿命か。

破魔符は文字通り、怪しき魔を破る符である。

当然、その魔には件も入る。


その影響が、これなのだ。


様々な形をしていた百鬼は再び、黒い靄となり、わらわらと集まり始めた。

今度は家ではなく、こちらを狙ってくるつもりだろう。

黒い靄となった百鬼夜行と舞雪たちの間には阻むものがない。



「さ、下がっていてください…せめてあなたをお守りしなければッ!」


「構ってくれるな。死のうが、どうなろうが…どうでもいい。あの方が教えて下さった呪だ。俺の望みが叶うのだ。病が、なくなる…」



虚ろな目をして老人は百鬼夜行を見た。

蠢く黒の中希望があるはずもない。

ただあるのは人にとっての地獄。


犬歯の鋭い鬼が靄の中で、老人を不気味な手でこまねいた。



「誰があなたにこれを教えたか、私は知らない。だが…百鬼夜行はただの力です!それも何かを叶える力でもない。ただ奪い、殺し、痛みを負わせ、攫う力。それこそ病と同じではございませんか…!」



老人の虚ろな目に僅かな理性の光が灯った。


紫寿は病に殺されたのか、大白蛇に殺されたのか。

それは分からない、未だに自分の中で決着がつかない。

だが、目の前のこの百鬼夜行もまた病であるなら。


敵なのだ、この百鬼は。


自分一人では勝てないことは分かっているが、屈服は死んでもお断りだ。

今まで虐げられ生きてきた老人の魂は誰よりも頑固で、気高かった。


形をうつらうつら、変えながら百鬼夜行が突進してきた。

破魔符を投げつけると、見えない壁となり一定以上近づけさせないことが出来る。

が、この効果…そうは持たないだろう。

何てたって、件である舞雪お手製の破魔符だ。


案の定、見えない壁に徐々に亀裂が入っていくのを舞雪は実感していた。

他人事の様にこのままでは死んでしまうな、と頭の片隅で思い始める。

だが、もう片隅ではきっと大白蛇が助けに来てくれるだろうことを考えていた。


それが間に合うかどうか。

間に合わせるためには、身代わりになって、囮になって死ぬべきだろうか。


無意識に舞雪の口元に笑みが零れた。

苦々しい、もはや笑うしかない、と言う種類の笑みだ。



「…死ぬのは嫌だなぁ……特に喰われて死ぬのは」



遂に壁が決壊した。

視界いっぱいに黒が蠢き、鼻腔は腐臭で満たされた。

最期の最後に百鬼夜行を理解できた。


これがならず者の力、ただの力。

操るものが制御できなければ、ただの力…傀儡にもなりはしない。






「阿呆な奴…」



後ろから声が聞こえた。

一瞬、幻聴かと思ったが、それでも舞雪は信じて振り返った。

生きて帰りたかったから、眼前に迫る百鬼夜行に後頭部を見せて後ろを見た。


闇夜に映える金は見紛うことなく。



「お、大白蛇様…ッ!」


「人の家で暴れるなよ、障子が飛んでしまっているではないか」



安堵したように舞雪が名を呼べば、大白蛇は微笑を浮かべる。



「舞雪、目を閉じていろ…」



言葉の真意を理解できなかった舞雪はぽかん、とした。

急に何を言っているのか。

こんな危険な状況で余裕満々に目を閉じるほどの勇気は無い。


大白蛇が左目を手で一瞬覆う。


すると、妙な妖気が流れ始めた。

今までに感じたことの無い妖気だ。

手が左目の前を通過すると同時に不可思議なことが起きた。

凄まじい音を立てて蛇が咆哮を上げた。

どこにいる蛇か、大白蛇の左目から八つの蛇がぎちぎち、と音を立てて百鬼を威嚇しているのだ。



「…え、」



しかも巨大な蛇だ、とても物理的には目から飛び出せないほどの。

屋根を突き破り、夜空に叫び声を轟かせる八つ股の蛇…一体どちらが“人の家で暴れている”のか。


一つの蛇が大きな口をこれでもかと開き、百鬼夜行に噛み付く。

が、黒い靄である百鬼夜行に噛み付けるわけもない。

がちん!と顎を凶暴に鳴らす蛇は口惜しそうに目をぎらつかせると、百鬼夜行は恐れを抱き、一度後退した。



「兄上ッ!あなたって人は…!」



突然、腰の辺りに衝撃が奔った。

吹雪だ、吹雪が舞雪にタックルをかましたのだ。



「ぐふッ…!ふ、吹雪…お前、空気を読め!」



舞雪がそう言うのも無理はない。

何たって今、ここで息子を恨む父と父に負い目を感じている息子が再会を果たしたのだ。

そう思って言った舞雪だが、ちらっと吹雪の方を見ればどうやら本当に心配していたことが瞳の潤いから伺える。



(ああ、私…ちょっと兄っぽくないか…。そんなことを言ってる場合ではないだろうが)





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