11
いたい、ただひたすら…痛い。
手が足が顔が、痛い。
頬にしみる様な痛みが走る。
「……っう」
押し殺していた嗚咽が唇から漏れる。
頬から伝う沁みるものは、きっと涙だ。
それを知っていても私にはどうすることもできない。
これはただの過去だから。
視界に入る己の髪すら邪険にし、手は前髪を振り払った。
しかし、その手は普通の肌の色をしていなかった。
「なん、なんでっ…どうしてっ…!」
止め処なく流れる涙、頬の痛みは一向に治まらない。
薄暗く、最低限のものしかない室内。
視界の隅々に映るそれらを見て、状況が分かってきた。
がむしゃらに腕を振り回せば、机の上に置いてあったものを全て畳みの上にぶちまけてしまった。
何かが割れる音が響き、やっと動きが止まった。
放心したように動かない。
やがて深いため息をつく。
「分かってる、分かってるわ」
落ち着いて聞けば、この声…聞いたことがある。
しかし、今やその声は記憶にある声とは違い擦れていた。
泣きに泣いてこうなったのだろうか。
「そう…!言う通りよ、こんな…こんな姿見たくないでしょうよ、見せたくもないんだもの!」
自嘲気味に笑いながら、机から落として割れたものの欠片を拾う。
それは姿を映す、鏡だった。
鋭い切っ先に手を伸ばす。
その覗き込む様な体勢。
鏡に映った顔は、一瞬誰か分からなかった。
それは確かに…紫寿の顔だった。
しかし、その顔。
黒い痣の様なものがいくつも浮かび上がり、元の容貌を想像するのが難しい程に変わり果てていた。
呼吸が止まるかと思った。
それは紫寿の呼吸ではなく、私の呼吸が、だ。
「…何が罪か?そんなの分かってるわ。私みたいな下女があなたの隣に居たこと。それが罪なんでしょ?」
鏡の破片に映りこんだ顔を紫寿は指先でなぞった。
切っ先を撫でると指先から赤い血の玉が生まれる。
「―――でも。それでも、それでも…あなたのことが好きなのよ、色男さん…」
縋りたくてもどこにも縋るれるものがない。
大粒の水滴が鏡の破片に降り注ぐ。
怒りと悔しさと悲しみと、愛しさで歪んだ顔はぼやけてやがて何も見えなくなった。
目が覚めた。
頬に当たる枕が冷たい。
それもその筈、私は泣いていたようだ。
その証拠に視界がぼやけている。
だから、目の前にいる人物が誰か分からない。
「お前は子供だな、吹雪。夢で泣くなよ…」
狩衣を着た、蛇殿様だった。
小馬鹿にするように笑っているのに、頬の涙を拭うその手は優しかった。
「何を見たか…分かるのですか?」
「分からん。占じれば分かるかも知れんが、占じて欲しくはあるまい」
身を起こすと、蛇殿様が小さく歓声を上げる。
「随分激しく寝たようだな」
言われたことに疑問符を浮かべつつ、取りあえず自分の衣を見る。
…肌蹴に肌蹴ていた。
言いたいことは山ほどあるが、分が悪い。
黙って衣を正す。
「昨晩、どこぞの男でも呼んでいたのか、ん?どうなんだ、吹雪…」
昔を振り返る。
この人は確かに意地の悪い人だった。
だが、私にはいつも優しかった…はず。
「よく言われますね。蛇殿様こそ、昨日もどこぞの女の元に通ったのでは?あなたは稀代の女泣かせですね、ほんと」
「…ほう。口が達者になったな、吹雪」
褒められたのか、いや…絶対馬鹿にされたのだな、今のは。
蛇殿の伏せられた目蓋の奥にある瞳は見えない。
だから、何を考えているかも分からない。
でも、きっと馬鹿にされたのだろう。
だって彼は今、私の頭を撫でているのだから。
子供扱いされているようで嫌だったが、この人から見れば私は何時まで経っても子供なんだろう。
でも、物凄く不快であると顔には出しておいた。