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「お前の妹は何をしているのだ」
「…申し訳ありません、あれは馬鹿なんです」
陰陽寮から戻ってきた大白蛇と舞雪は渡廊で猫と対峙する吹雪を眺めていた。
それほど遠くはない位置で眺めているわけだが、猫に夢中な吹雪に人の姿など目に映らない。
「まぁ、何かしら意味のあることをしているのだろう」
「ううっ…いいですよ、そういうよく分からないフォローは」
二人が傍で見ているのも知らず吹雪はフェイントをかけて猫に飛びついた。
そして派手に転んだのだった。
どれくらい派手に転んだかを聞かれれば、床が抜けるかと思ったほどだ。
更に言えば二人の位置からそれははっきり見えていた。
それ、つまり吹雪の両足の付け根よりもっと中心部にある尻よりももっともっと中心にある……褌だ。
舞雪の頭から血の気が引いた瞬間であった。
「あ、いったぁ……」
数瞬後、吹雪はやっと呻き声をあげた。
自分の現状に気づいていないのだろう、格好はそのままだ。
早く妹に現状を教えてやろうと口を動かす今や顔が真っ青な舞雪だが、ショックで声が出ない。
まさか自分の妹が自分の師の目の前でふんチラをお披露目するとは、まさに夢にも思わなかったのだ。
白目を剥いて声の出ない口をぱくぱく動かしている舞雪を尻目に大白蛇は平然と何も気づいていない吹雪に声をかけた。
「白褌とは……色気の無い奴。」
「は?」
声のした方向に首だけ向ける。
今、この二人――大白蛇と吹雪にとって5,6年振りの再会となる。
言われたことを全く理解していない吹雪はただただ頭に疑問符を浮かべる。
「それとも、吹雪…」
大白蛇は口元を隠していた檜扇をわざわざ仕舞った。
現れた口元はこれ以上にないほどにやにや、と嫌らしい笑みを称えている。
そして空いた手で丸見えになっている吹雪の尻を叩いた。
「!?」
「陸奥ではこの様に挨拶代わり褌を見せる風習でもあるのか?」
事態に気づいた吹雪は赤面しながら、急いで捲れ上がった裾を下ろそうと手を伸ばす。
が、それは叶わなかった。
「まぁ、待て、吹雪。これが田舎の挨拶なのだろう?ならば仕方あるまい。しばらく見せたままでも構わんぞ」
伸ばしかけた手を掴まれ、途中で押さえられれば、袖が肩口まで下りてきて白くて細い腕が露になった。
更に吹雪の頬が紅に染まる。
「は、離してください!冗談では済まされませんよ!?」
「冗談?挨拶なのだろう?いいぞ、このまま褌を見せたままでも。ほら、どうだ?」
今や大白蛇は吹雪の手を抑え、下半身は動かせないように吹雪の腰に自分の足を乗っけている状態だ。
しかも時々、尻に足をうりうりと押し付けては反応を見ては楽しんでいる。
この男間違いなく、30歳以上離れた女に犯罪ぎりぎりの悪戯をしている変態である。
「ちょ、やめ、やめてください!!あああ、兄上いいらっしゃるなら早くこの変態をどうにかしてくださいッ!」
吹雪の涙声交じりの悲痛な叫びが響く頃、それはちょうど舞雪が卒倒した頃であった。
「…じょ、冗談でもあのようなこと……どうかと思います」
舞雪は机を挟んで対面する自らの師に控えめに言った。
が、その目は明後日の方向を向いている。
この男、舞雪に師の目を見て忠告も注意も出来るわけがない。
舞雪の脇には被害者Aが赤面した顔を俯け、僅かに震えている。
「そうだな、吹雪にそうはっきり言っておけ。お前は兄だろう」
「わ、私のことではなくて、あなたのことです!」
即座に噛み付く吹雪だが、大白蛇は素知らぬ顔だ。
ついでに言うと舞雪も加勢することも庇うことも出来ない微妙な立場なので全て聞き流した。
「おいおい。吹雪、随分な態度だな。年配、しかも兄の師に対する態度ではないぞ」
「うっ…」
言葉に詰まる吹雪。
舞雪はすまなそうに、吹雪を見やった。
「ま、まぁ…久しぶりの再会ですから、ほら吹雪、そういう挨拶をしなさい」
すまなそうに見たって、やはり庇うことは出来ない。
目の前にいるのは自分の師だ。
吹雪だってそれは知っている。
だから、一瞬嫌なそうな顔をしたものの素直に従ったのだ。
「ちっ…。お久しぶりです…」
無愛想な一言である。
しかも、舌打ち付と一緒のお得なセット。
「暫く見ない内に美しくなったなぁ、吹雪」
それに対しての返答は初っ端から口説きにかかった一言だ。
大白蛇の返答にますます昔を思い出してきたのだろうか、吹雪はちょっと小馬鹿にしたように片側の口角だけを上げる。
「蛇殿様も…相変わらずの様で」
「こらっ!吹雪!!」
ぺちんと舞雪が吹雪の頭を叩いた。
不敬である、と怒っているのだ。
「こらこら、あまり妹を苛めるなよ」
「し、しかし…!」
「舞雪…お前は今の吹雪の言葉のどこが気に入らなかったのだ?相変わらずで悪いかよ」
舞雪の全ての動作がぴたっと止まった。
大白蛇を見れば意地悪そうに笑うだけだ。
「兄上―、私はただ相変わらず若いですね、と言っただけですよ?何か問題でも?」
妹の吹雪においては、今度は大馬鹿にしたように鼻で笑う始末だ。
「い…いや、き…聞き間違いだったようです……」
愛想笑いで返すが、それは酷く歪な処世術。
舞雪は息ぴったりに己をダシにして遊ぶ師と妹を交互に見た。
この兄はもう二度と妹を助けぬ、と心に誓った。
が、この人の良い男は5分もすればすぐにそんなことも忘れ、また下らない罠に引っかかるのだろう。