第4話 人見知りしない子供と人見知りする大人
「うっ……」
「大丈夫?」
ベッドで眠っていたマリが目を覚ました。
天井に吊り下げられた魔法具の明かりは、目覚めたばかりの瞳には刺激が強く、視覚では周囲の情報を得ることができない。
聴覚から得られる革靴の足音によって、多数の人がいることだけが分かっていたが、なぜ自分がそんな場所に居るのかは、分かっていなかった。そして魔法具の明るさにも慣れてきて、自分に声を掛けてきた女性の顔がはっきりと見えた。
その女性は可愛らしい顔立ちとは裏腹に、身に着けた服は真っ黒な軍服のようであり、腰に差した杖は炎のように真っ赤だった。
「お姉さんはだぁれ?」
「私はシャルルって言うんだ。君はなんて名前なの?」
「私はマリだよ」
「マリちゃんって言うのかぁ、可愛らしい名前だね」
「うん、私の自慢の名前なんだぁ」
マリはニパァと笑った。釣られてシャルルの口角も上がっていた。そんなほのぼのとした空気が部屋を支配していたが、斬り裂くような冷たい声と共に、扉が開けられた。
「目を覚ましたのなら、団長に伝えに行け!」
「――はっ!」
ベッドに寝っ転がっているマリと目線を合わせるためにしゃがみ込んでいたシャルルは、飛び跳ねるように立ち上がり、即座に敬礼をした。そして部屋の入口に立つ女性の横を走って通り過ぎる。部屋に残されたマリと女性の間には、冷たい空気が流れていた。
マリも子供ながらに女性が纏う闘気というものを感じ取っていた。数多の戦場を駆け回り、いくつもの死線を超えて来たものにしか纏えない戦士の証、そんな見えない圧がマリの口を噤ませる。
「……」
マリは女性から話し出すのを待っている。
しかしいくら待っても女性は言葉を発さない。ただマリの目を見つめ、動きを観察するような厳しい視線を浴びせているようだった。
廊下から絶えず聞こえる革靴の足音だけが部屋に響き、本来音を出す役目を持つ二人の間には、気まずさと沈黙だけが介在していた。
「……あの、お姉さんの名前は――」
「リコ」
勇気を出し、名前を聞いたマリだったが、女性はリコと名乗るだけで口を噤んでしまい、再び沈黙がその部屋に君臨した。
あまりの気まずさに、マリもまた女性のことを観察する。
足元はシャルルと同じように黒の革の軍靴を履いており、全身に真っ黒な軍服を身に纏い、腰には黄色の杖が差していある。そしてシャルルとは違い、キリっとした顔つきで、軍の麗人と呼ばれても違和感のない美しい女性だ。
「リコお姉さん、ここは何処なの?」
「――ここは【マーリン第3師団魔女館】だ」
マリがリコお姉さんと言った瞬間、リコの表情が崩れたように見えたが、すぐにキリっとした表情に戻ったため、マリが気付くことはなかった。
「???」
リコからすれば、リコの顔よりもリコが言い放った言葉の意味を考えることの方が重要であり、脳みその大半をその言葉の意味を探るのに稼働させている。しかし6年にも満たないマリの人生で得た知識を総動員させたところで、たかが知れている。
そんな彼女からすれば、リコが言った【マーリン第3師団魔女館】は、ただの言葉の羅列と同義であり、脳みそはいらない情報と判断した。いらない情報から海馬を守るため、彼女が本能的に取った手段、それは脳のシャットアウトである。
「――」
「お、おい大丈夫か!?」
「団長を連れてきました――ってマリちゃん!!?」
運悪く、マリが気絶するとほぼ同時に、団長を連れたシャルルが帰ってきた。
気絶したマリにリコが駆け寄っているその光景は、傍から見たらリコがマリを気絶させたようにしか見えない。
「リコ! 幼い子供に何をしたんだ!!」
「――っ急に気絶したため駆け寄っていました!!」
「そんなことを聞きたいのではない! 私が聞いているのは、どうして少女が気絶したのかだ!!」
「わ、分かりません」
「もういい。私がこの場を見ているから、二人は通常業務に戻れ」
団長と呼ばれる女性に睨まれたリコは、逃げるように部屋を後にした。
彼女は「お前にも言っている」と伝えるように、シャルルのことを睨みつけた。シャルルもリコと同じように、脱兎のごとく部屋から飛び出した。
「ふぅ、きっとこの子を前にして、黙り込んじゃったんだろうな。あいつはカッコいい見た目とは裏腹に、極度の人見知りだからな」
ベッドの近くに椅子を持ってきた女性は、マリの頭を優しく撫でながら呟いた。
「こんな天使みたいな少女に現実を伝えるのか……団長ってのは損な役割だ」
現実を見ない者は現実に殺され、現実を見る者は現実に打ちのめされる




