メイクフィルム~クソみたいな学校に対するささやかな反抗として、僕らはあの夏に映画を作った~
二〇一五年の夏。ものすごく暇な夏だった。世間では東京オリンピックのエンブレムの事件や、イスラム国というテロ組織がニュースをにぎわせていた。僕にとっては、東京は行ったことのない大都会で、大多数の日本人にとってのニューヨークやロンドンやパリみたいなもので、なんのつながりも感じないただの街だった。そこにいる人たちの生活も文化も何一つ想像することができなかったし、五年後の東京オリンピックも一年後に世界の裏側で始まるリオオリンピックも大した違いがなかった。イスラム国も同じで日本人の捕虜が殺されようが、アメリカが爆撃しようが、少なくとも僕の人生にとってはなんの関わりもないことだった。今何秒か数えている間に、世界のどこかで人が死んでいるのだ。そんなことをいちいち真剣に考えていたら、気が狂ってしまうと思う。スマートフォンを持っていなかった僕には、ツイッターで文句を言うことすら出来なかった。国が勝手に海を埋め立てて、米軍基地を作るという意味のわからないニュースもあった。しかし、それらは僕にとっては全く関係もないどうしようもないことで、暇をどうにかするようなエネルギーを持っているものではなかった。僕がなにか社会や制度に対する不満を言うと、両親や極わずかなまともそうに見える教師は「大人になったらちゃんと投票に行きなさい。そしたら世界を変えられる。」というようなことを言った。それはまるで、地球儀を見せながら地球が丸いことを説明するような口調だった。ここが北極で、ここが南極。日本がここで、この海は太平洋。この軸が傾いているから季節があるの。地球は丸いから、水平線の向こうは、望遠鏡で見ても見えないの。山の向こうを見ることが出来ないみたいなものよ。とでも言い出しそうな雰囲気だった。おそらく、彼らの時代にはまだ希望があったのだろう。でも僕らは、将来の夢を言えばAIに奪われると言われて育ったし、大人になったら増え続ける年寄りのために税金を払わなければならないのだ。
その頃の僕は、スマートフォンを買ってもらって、彼女ができれば、この暇な日常から開放されると思っていた。今考えれば、そんなことではどうにもならないような気がするが、当時の僕にとってそれらを手に入れるということは、世界のすべてを手に入れるも同然のことだった。今だって宝くじか何かで大当たりして、世界中で豪遊して、数えきれないくらいの女を抱きたいと思う。そういうような夢物語が、当時の僕にとってはスマートフォンと彼女だった。
僕は時々空を見上げ、雲や太陽や米軍機について思いを馳せた。もちろんそれはあまりにも暇だったからで、科学的な興味があった訳では無い。僕の家のベランダからは、遠くに海が見え、たまにオスプレイやF22が飛んでいるのが見えた。平和の象徴であるかのような退屈な日々と轟音を響かせる戦闘機は、ウイスキーと寿司のようにミスマッチで、ここにUFOが現れたら、ミサイルが飛び交うのだろうかということをよく想像した。基地の周辺をよく走っている太った海兵隊員は、宇宙人と戦えるのか。彼らの動きは僕を含めた普通の中学生よりも拙く、とても世界一の軍隊とは思えなかった。いきなり空から攻撃されたら、飛行機やヘリでは攻撃できないだろうから、基地から迎撃ミサイルが飛んでいくのだろうか。それとも、そういう時に備えて、僕らが泳ぐ海には潜水艦が待ち構えているのだろうか。宇宙人がやってきたら少しは楽しそうではあった。しかしある日、シェルターのような場所に詰め込まれて、じっとしていなければならないに違いないという考えに至り、そんなことではこの退屈はどうにもならないのだと思った。
夏休み以前の日々も、夏休みになってからも、僕や僕と親しい友人にとっては、どうしようもないほど退屈だった。僕らになにかに熱中する情熱と体力があったならば、僕たちは何者かになれたのかもしれない。あくまで何らかの才能が僕らにあったらの話だけど。今現在僕は何者にもなれていないし、あの夏にもう少し頑張って勉強していれば、僕の人生はもう少しマシなものになった可能性もある。実際僕は、入試の点数では安全圏だった高校に内申点が不足して落ちたし、そのせいで後に苦労することになったのは言うまでもない。でも少なくとも、暇な夏休みの経験は僕の一部を構成しているわけだし、たまに何かの拍子に、例えば夏の暑い日にコーラを飲んだりすると、思い出したりしてクスッと笑ってしまうこともある。タイムマシンがあったら、当時の僕に「暇な夏休みもいいもんだよ。何年か経ったら、いい思い出になっているはずだ」とでも言ってあげたいが、おそらく「何だこのおじさん、ウザいな」と返されることは自分のことなので、重々承知している。自分のことは何にもわからないような気がするけど、そういう部分では何者よりも自分のことはわかっている。
とにかく僕らは、夏休みにほぼ毎日友人の部屋に集まっていたものの、なにも生産性のあることをやらず、暇である日常をどうにかしようとすることもなかった。もちろん僕と友人たちは別々の人間なのだから、彼らにとっては実は暇じゃなかったのかもしれないとも思うこともできる。でも、彼らは暇そうな顔をして、「暇だー」「あちー」「彼女ほしー」「やりてー」という類の言葉を発していたし、全く同じ状態だった僕はおそろしく暇だったのだから、きっと彼らも僕と同じくらい退屈だったんだと思う。僕らはまだ中学2年生で、酒やタバコに走るほどグレてはいなかったし、部活や勉強で忙しいほど真面目でもなかった。毎日どこか(カラオケやボーリング場など中学生にとって楽しい場所)に出かけるほどの金はなかったし、言うまでもなくセックスをする相手もいなかった。停電するほどの台風も来なかった。僕らは、各自家で昼ごはんを食べると、ある友人の家に集まり(彼には自分の部屋があって、大量のゲームと自分のPCまで持っていた)夕方になると、家に帰った。僕は最も門限が早く、六時には家に着いていなければならなかった。彼らの中には門限がなかったり、親が夜遅くにしか帰ってこないやつもいたが、彼らも皆僕が帰る時間になると、セミが一斉に鳴き止むのと同じように、自然と帰路に着いた。十日に一度カラオケに行き、三日に一度は、コンビニでお菓子を買って、みんなで食べた。集まるのは、多ければ五人、少なければ二人の時もあった。僕は、甲子園で見たいゲームがあれば行かなかったし、いちおう部活をやっているやつもいた。彼らは顧問のマントヒヒのような顔をした社会科教師に怒られない程度に、部活を休んだ。何時に集合などという約束事はなく、今日は行けないなどの連絡もなかった。僕を含めて何人かはまだスマートフォンを持っていなかったし、僕らの主な交通手段であった自転車に乗れば、僕らの家はお互いに十分もかからなかった。なによりも、待ち合わせをしているわけでもないのに連絡をするほど、僕らは僕らの関係を維持することに対して勤勉ではなかった。人間関係を維持する勤勉さの重要性に気が付くのは、それから何年か経ってからだった。
あまりに暇を持て余していた僕らは、アニメを見たり、ゲームをしたり、プロレスをしたり、あてもなく自転車を漕いで海まで行ったりしたが、そんなことは”暇である”という事実をより一層強調するだけに過ぎなかった。僕らは暇を潰すために集まり、暇であることを認識し、それでいながら勉強や部活を真面目にやる気にはなれなかった。真面目にやるのがダサいと思っていたわけではなく、真面目にやるように言ってくる大人が嫌いだったのだ。「今やらないと、大人になって苦労する」と彼らは口をそろえて言った。そのたびに僕は、「君たち大人が作った世界のせいで、希望がどこにもない人生を歩まないといけなくなっているんだ。精一杯努力したって、それで成功できるのはほんのひと握りじゃないか」と説明してやろうかと思った。自分が中学生だった時のことは棚に上げて、大人になったら部活なんて出来ないぞなどと言っている大人達への静かなる反抗の結果として、僕らはどうしようもなく暇な日々を過ごすことを選んだ。それに、僕らが通っていた中学校は、校則がおそろしく細かかった。例えば、肌着はワンポイントのロゴがついているものすら禁止で真っ白でなければならず、男は前髪が眉毛より長かったら怒られた。女は肩に着く長さの髪は結ばなければならなかったし、その際に使うヘアゴムの色にまで指定があり、ツインテールもダメで、うなじが見えるポニーテールもダメだった。ベルトは黒か茶色で、シャツの第一ボタンは締めなければならず、バレンタインデーの日に持ち物検査があったこともあった。僕らが敵視している一部のモテる男と彼らのことが好きな女子が指導の対象になり、僕らは拍手喝采して上機嫌で帰ったが、よく考えればひどいことだ。そんな学校に通っていたら、学校のことを好きになれるやつは少ないはずで、僕らは特に憎んではいなかったものの、好きにはなれなかったし、好きになろうともしなかった。猛暑の日に体育祭を決行し、熱中症になる生徒が続出し何台も救急車が来て、全国ニュースになったこともあった。振替休日の次の日の全校集会で、校長は謝罪を一切口にせず、暑い中頑張った君たちを見てラオスに行ったときのこと思い出したという話をした。僕らは周囲と目配せして、各々長めに拍手したり、口笛を吹いたり、足を踏み鳴らしたりした。僕らは、そのような”ささやかな”反抗を好んだ。もうリーゼントでツッパる時代ではなかったし、少なくとも僕らの学校にはそんなやつは一人もいなかった。グレたやつは隠れてタバコと酒をやり、学校に来なくなり、新学期になると転校していた。大多数は規則を守っていて、死んだような顔をして真面目に過ごしていた。彼らにとっては、そのような中学校生活を送ることは、これからの人生において(例えば偏差値の高い高校に行くためなど)必要なことであるかもしれなかった。でも少なくとも僕は、そんなことが出来るほど達観してはいなかったし、社会に出たこともない公務員の面白くもない話を半日も聞かされるだけで十分苦痛だった。勉強を教えるならもっと優れた人はいくらでもいるだろうし、学校生活において重要なのは勉強だけでなく社会に出るための訓練だというのなら、大学を出て試験に受かればすぐに教師になれるというのは明らかに間違っている仕組みだ。そんな三年間というのは我慢して過ごすには長すぎたし、思春期というのはそのような我慢をするにはいささか体力が有り余っている時期だった。そして、僕らが敵視していたのは、教師や学校の規則だけではなく、生徒会などのまるで「自分は正しいことをしています」とでも言いたげな顔で、(おそらく)何も考えず、校則に従っていて、校則を守ることを強制するようなやつらにも及んだ。当然のことながら、そんな風なやつらにはなりたくなかったし、僕らにはまだ反抗するエネルギーや活力があった。ルールに従って口を噤んで生きていくのは、大人になってからで十分だと思ったし、学校の細々とした規則は、従うべき対象ではないように思えた。「第一ボタンを締めないとだらしなく見える」と言うのなら、そこら中の第一ボタンを開けている大人に同じことを言えよと思っていたのだ。
十年も前のことだし、もうよく覚えていないが、おそらく終戦記念日の昼、僕は昼ごはんを食べ、相馬の家へ向かった。彼は自分の部屋と大量のゲーム、それに自分のPCを持っていたが、スマートフォンは持っていなかった。彼の祖父はなにかの社長で、彼がほしいというものはある程度買い与えたが、月々いくらという契約を伴うものにおいてはそれだけではどうしようもないようだった。彼に足りないものは、スマートフォンと彼女だけで、それは僕と同じだった。違うところは、他に僕が欲しいと思っていたものの全てを彼が持っていたということだけだった。そういう彼の部屋は、僕たちには魅力的なもので、彼も部屋から出たがるような性格ではなかった。「特にやることもないけど、外に出ると暑かったり寒かったり、疲れたりするだろ?それが嫌なんだ」という彼の言葉は、いつ言ったのかは覚えてないが言葉だけは今でも覚えている。
昼食を食べると、歯磨きをして水を飲んだが、僕の支度はそれだけだった。ワンコインで買えるような安い整髪料で髪をセットしたり、アクセサリーをつけたり、服のコーディネートを鏡の前で見直したりもしない。朝起きて寝間着から着替えた状態のまま、靴下と靴を履いて家を出る。おしゃれをする必要もないし、この頃の僕らにとってのオシャレとは、シャツを着てジーパンを履いてハイカットのスニーカー(校則では禁止されている)を履くくらいで、それも女の子がいるクラス会などに行くか、隣町にできたショッピングモールに行くか、その時くらいしか着ないものだった。今日はそのどれにも当てはまらなかったし、僕らの中にはダサい方が面白くていい、とでもいうような風潮があった。
昼ごはんの納豆がまだ唇の端で粘ついていた。坂道を自転車で下りながら、空を見た。特段いつもと変わらない、青空と入道雲のハッピーセットが、今日も退屈な一日であることを教えているようだった。自転車で二十メートルほどの坂を交差点まで下る。僕の顔にはたまにするドライヤーの温風よりも熱い風が吹き付け、唇も太陽の熱を感じる。交差点を左に曲がり、二百メートルほど緩やかな坂を上る。右手には団地と畑が見え、通りには誰一人歩いていない。左手には保育園があり、園児たちのはしゃぐ声が甲高く響いている。立ち漕ぎをやめてギアを3から2に落とし、左の手首辺りで額の汗を拭う。腕の毛に汗が絡み、生え際の潰れかけのニキビが痛む。
終戦記念日だからか、彼の家に向かうまでの途中、三台の右翼の街宣車とすれ違った。黒いバンに日章旗を掲げ、大きな音を鳴らしていた。最後にすれ違った一台は、なぜか宇宙戦艦ヤマトの曲を流していた。交差点を曲がり、ファミリーマートの前の坂を上って、彼のマンションの駐車場の脇に自転車を止めた。そこにはもう何台かの自転車があった。四階まで階段で上がった。踊り場がある度に、眼下に高速道路が見える。きっとそこを走っているのは、夏の沖縄を観光したい人ばかりで、「こんなキレイな島で夏休みを過ごしているのに、暇だなんてとんでもない」とでも思っているのだろう。でも、水槽の中のことは、入ってみないと分からない。水の冷たさや空気の少なさ、あるいは餌の量や水槽自体の広さ。それらは中に入って、泳いでから初めて認識できることだ。外から水槽の中を見ている人には、中で泳ぐ魚の気持ちは分からない。
「おう。」
「うす」
相馬は、チャイムを鳴らすと出てきて、僕とたったそれだけのあいさつを交わした。思い返してみれば、彼とおはようとかそのような正式なあいさつと言えるような言葉を交わした記憶はない。少なくとも、僕らにはそれでなんの支障もなかったし、それは今も変わっていないと思う。
部屋にはもう三人、集まっていた。南條と正田、広川がいた。南條と正田は、バスケ部に所属していたが、走り込みが嫌いでよく練習を休んだ。でも南條は黒人の血が入ったクォーター、正田はイタリア系アメリカ人のクォーターで、そのせいで二人とも背が高く、それだけでメンバーに選ばれていた。広川はパーマをかけた普通の人よりも天然パーマで、黒人の血を引いている南條よりも髪の毛がちぢれていた。新学期の身なり検査では、誰よりも重点的に髪の毛を見られていた。僕らの学年には正田と南條のような外国の血が入った生徒は、一クラスに一人程の割合でいた。
各々がスマートフォンの画面を見ていて、相馬のPCのディスプレイには、アイドルのミュージックビデオが流れていた。僕らは部屋の中で、ディスプレイの前に二人、その後ろに三人というふうに並んで座った。誰が決めたものでもないが、それが定位置で、出入口のドアに最も近い位置(PCを先頭にだとすると、後列の右端だ)に僕が座り、ほかのみんなも座る場所が決まっていた。サッカーが好きな広川が、攻撃的3-2フォーメーションなどという類の名前をつけ、各々の座る位置に、左サイドバックなどという名前をつけた(僕の位置はおそらく、右サイドバックだったと思う)が、僕も含めて他にサッカーが好きな人はおらず、日本人では本田と香川、外国人ではロナウドとメッシとネイマール以外のサッカー選手を知っているやつはいなかったから、そのポジション名はあってないようなものだった。僕らは家族でテレビを見るように、ユーチューブを見て、それに飽きると、サッカーゲームでトーナメント戦をした。いつもと同じだった。ユーチューブに飽きれば、野球ゲームやサッカーゲーム、あるいは格闘ゲームなど、白黒がはっきりするゲームでトーナメント戦をした。ゲームの持ち主である相馬は決勝から参戦する特別シードで、Jリーグのチームしか使えず、オウンゴールで1点あげてから始めるというのが僕らのトーナメント戦のルールだった。四人の予選からは広川が勝ち上がった。僕は1回戦で正田にイタリアのクラブチームを使って勝ったが、その後に広川に負けた。彼は相馬にブラジル代表で挑んだが、3-1で負けた。それなりに盛り上がったが、終わるとまた暇になった。スマートフォンを持っているやつは無言でいじり始め、僕らの間には会話という会話はなかった。
画面を甲子園に切り替えると、聞いたこともない地方の公立高校が、誰でも聞いたことがあるような名門校に打ち込まれていた。アナウンサーも観客も、中継を見ている僕らですら、この試合は見たくないと思った。アナウンサーが、ここで更に追加点をとられると厳しい展開になってしまいますと言った直後に、ドラフト候補らしい大男がホームランを打っている。同じ格好なのに身体の大きさがあまりにも違うその様は、猫と虎のようにも見える。
「文化祭、なにかしようぜ」
おそらく、この日は、広川が言い出した。この話題は僕らの中では、あいさつのようなものになっていて、この日誰が言い出したのかはっきり覚えていない。毎日挨拶をしている人を思い出して、自分と彼あるいは彼女のどちらが先に挨拶をしたのか覚えていないように。でも、その声を聞いて僕は左隣を見た気がするし、前の2人は振り返っていたし、左サイドバックの南條と目が合った気がするから、おそらくセンターバックの広川が言い出したのだと思う。
「そやな。バンドもダンスもできないし、漫才やってもさらし者になるだけやしな」と相馬が関西弁のような口調で言った。彼は全く関西とは無関係だったが、時々このような口調で喋った。彼の両親は沖縄出身で一度も島の外に住んだことはなかったし、この時はまだ修学旅行よりも前だから相馬自身に至っては、島の外に一歩も出たことは無かったはずだ。僕はこれが関西弁だと思っていたが、京都の大学に入学して相馬のイントネーションは全くもって関西弁では無いということを知った。彼は沖縄方言のイントネーションで、語尾だけが関西弁風だった。
「5人だし、コントやるか、バンドやるか、ダンスやるかの三択だと思うけど、そんなのを生徒会とか教師の前でオーディションでやるとか最悪だからな」
「それな」
「なにもやらないでクラスでやる変な劇だけやるのはもっと嫌だけど、」
「俺らだけで演劇やるには人数が足りないし、どうするかな」
南條と広川が互いに喋って、同時に黙った。
「僕は何か、反抗したい。ささやかな。その方法はパンクでも、フォークでも演劇でもなんでもいいんだけど」
皆が一斉に僕の方を見た。
「そうなんだけど、それを考え続けてもう二週間は経ってる」
と冷静な口調で広川が言った。彼は右手に500ミリのペプシの缶を持っていて、発言し終わるとそれを一口飲んだ。トクトクとコーラが缶から流れる音が聞こえ、前髪が扇風機の風に靡いた。相馬の部屋にはクーラーが付いておらず、風通しが良い部屋ではあったものの夏は扇風機が不可欠だった。1階の部分にはインドカレー屋があって、時々スパイスやニンニクの匂いがした。広川の喉仏が下がり、嚥下するその時、広川はなにか思いついたような表情をした。そのせいか、少しむせ、咳き込んだ。それから、ひと息吸った。まるで、歌い出す前のオペラ歌手のように、息を吸う音ですら、僕らを引きつけるものがあった。広川はとくに容姿が整っているわけでもなかったし、天然パーマで少し太っていた。そんな広川に引き付けられるほどに、僕らは文化祭のアイデアを欲していたということなのかもしれない。
「演劇が無理やったら、映画撮らへん?」
広川の言葉の後には、ごく僅かな間だが沈黙があった。コンサートか何かで、拍手し始めるタイミングを見計らっているときと同じような感じだった。
「最高だぜ、ブロ!」
と南條が一番先に言い、僕らもそれに賛同した。賛同するまでもなく、最高の意見だと思った。カメラさえあれば作れるし、映画の中で僕らが目指す”ささやかな”反抗を表現するのは、至極簡単なことのように思えた。少なくとも本番で失敗して恥をかくこともなければ、演劇に比べれば覚えなければならないものも少なそうだと思った。
「俺の兄ちゃんのバイクでも借りて、盗んだバイクで走り出して、真夜中の学校で窓ガラスを割って周ろうぜ」
と正田が言った。彼は母親の影響で尾崎豊が好きで、アメリカンスタイルの大型バイクを見かけると、必ず、盗んで走り出したいという類の発言をした。彼の兄が乗っていたのは、ただのホンダの125ccのスクーターだったが、撮影で使用できるなら十分なものに思えた。彼の兄は背が高く、近所の国立大に通っていて、1つ年上のものすごく巨乳の女の人と付き合っていた。塾講師のバイトをしていて、僕らに会うと五百円玉を財布から取り出し、これでジュースでも買えよといった。僕らはそれをもらうと、じゃんけんをして勝ったやつが総取りした。でも結局総取りしたところで、ヌード袋とじが付いている雑誌を買い、みんなで見ることになった。
「バイクとかもいいけど、俺達は”ささやかな”反抗がモットーだろ?じゃあさ、もっと皮肉っぽい感じのほうが良くないか?」
「じゃあどういうのがいいっていうんだよ?」
南條の発言に対しての疑問にも関わらず、正田は僕の方を見た。イタリア系の血のおかげか、鼻筋が通っていて、目や髪は色素が薄く、黒目と黒髪ではあるものの、若干茶色がかっている。いつかの身なり検査で、髪を染めていないか学年主任のカメムシのような顔をした禿げた男が、虫眼鏡で髪を調べていたのを思い出した。調べられたあと、「先生、僕の髪の毛を一生懸命見たところで、先生の髪は生えてこないですよ」と言って、反省文を書かされていた。僕はその顔を見ながら、映画のキャストが僕らだけだとしたら、主演はこいつにする他ないなということを考えた。他のやつがやるよりも、見られる絵になるだろう。どうしようもなくさえない中学生しか出てこない映画なんて、いくら30分以内の短いものであるとはいえ、見ていられないはずだと思った。それに、美容の専門学校に行っている広川の姉に任せれば、一定数の女子が映画の観客になるはずだ。普段から下ネタがあまりにも多すぎて、全く人気がないどころかむしろ嫌われていることを考慮しなければ。彼には女子の前で下ネタを言える男はイケてるとでも思っているような節があった。一度体育祭の練習を休んでいた女子に「体育座りの時って、ズボンの間からパンツ見えないか気になる?あの部分の盛り上がってる感じ、エロいんだよねー。マンコにピアスつける人ってあそこにつけるんでしょ?」と聞いて、泣かせてしまったこともあった。その時は、学年主任や教頭まで出てきてこっぴどく叱られ、なぜか家に帰らされていた。あの後ブチ切れた母親と一緒に家に謝りに行ったら、うちの娘に関わらないでくださいだって。ものすごくデブなお母さんだったな。やっぱデブって生活習慣が原因だから、そういう意味で子供もどんどんデブになるよな。うわー悲しいなー。
「おい、聞いてるか?」正田は手の甲でドアをノックするように、僕の肩を叩いた。
「うーんそうだな」
僕は何も考えていなかったのを隠しながら、今ようやく考え出した。このメンバーの中で最も映画に詳しいのは間違いがなかった。というのも、彼らはターミネーターやバック・トゥー・ザ・フューチャーすらも見たことがなかった。けれど、僕は決して映画に詳しいというようなレベルではなく、父親が登録していたネットフリックスをたまに見るくらいのものだった。アクション映画とエロくて可愛い女優が出ている映画しか見ず、ショーシャンクの空にはどうせ脱獄するんだったら見なくていいと思い、小さいハンマーを注文する辺りで見るのをやめていた。
「殴ったりセックスしたりするのは無理だと思うから、コメディっぽい感じにしたらいいんじゃないかな。例えば、先生の誰かの口調のモノマネを、スターリンとかヒトラーみたいな独裁者の格好でやるみたいな」
「うぉぉー」
下賤な、感心の声が上がった。
しかしながら、それにはひとつ超えなければならない関門があった。演劇やバンド演奏など、体育館の舞台をつかう人にはオーディションがあるように、絵の展示や映像作品の公開をするには、生徒会や担当教師の検閲を通らなければならなかった。教師はともかく、なぜ生徒会のやつらに審査する権限があるのかは知らないが、とにかくそういう決まりだった。映像作品は30分以内という制限があり、そのほかにも中学生らしく健全なものという、なんともはっきりしないルールが定められていた。軍服代わりの学ランを着て、つけ髭や髪型を真似してヒトラーに扮装して、学年主任の「そんなこともできないのか、少年」という口癖を真似したり、バイクを乗り回す映画を作ったところで、そんなものは公開できないに決まっていた。「中学生らしくない。ふさわしくない」という、意味不明な説明は、入学してからもう何度も耳にしていた。眉毛を整えるのも校則違反で、教師たちが言うには、眉毛を整えるような中学生としてふさわしくない行動をしている人の周りには、悪い連中が寄ってきて、トラブルに巻き込まれるということだった。僕らが、反抗的な映画を提出したら、こんなものを作る人はトラブルに巻き込まれるし、まともな大人になれない、とでも言うのだろう。そしてなぜか家に帰され、次の日から花壇の掃除と反省文の提出をさせられる。僕らが一生懸命作った映画は、日の目を浴びることも無く、メモリカードの中のデータになるしかなくなる。僕がそう告げると、またみんな黙り込んだ。
沈黙が十秒ほど続くと、 「しゃあないな」
と言って、広川はユーチューブで新しい動画を再生し始めた。iPodの広告を飛ばし、アイドルグループのロゴが表示される。相馬と広川が好きなアイドルの、おそらくミュージックビデオのメイキング映像だ。アイドルたちは、所々で集まってダンスの確認をしたり、髪の毛やメイクを直したりしている。衣装は黒に金のボタンで、学生服と軍服の中間のように見える。各々メンバーによってスカートの長さやネクタイの有無などが違い、個性がある。監督らしき人が、紙をめくりながら、指示を出す。スタッフのほぼ全員が今にもジョギングに行けそうな格好をしているが、監督らしき男だけはジーパンにポロシャツを着ていて、どう見ても季節外れのニット帽をかぶっている。カメラマンは、口パクしながらダンスをしているのをカメラで追い、出番がないアイドルグループのメンバーは、マネージャーに小型の手持ちビデオカメラを渡され、「今日は寒いですねぇ?どうですか?」などとインタビューをする。
このミュージックビデオには、どこか暗い印象があった。歌詞やダンスは、お世辞にも明るく快活なものでは無かったし、中東の紛争地の廃墟のような場所で撮影されていた。錆びた車や、破壊されて鉄筋が曲がった建物。しかし、メイキング映像には、明るさがあった。アイドル達が真剣な眼差しをするのは、カメラの前だけだった。カメラの前でないところでは、(顔の美しさやスタイルの良さなど、生まれ持ったどうしようもない部分を除けば)僕らの学校にいるような、普通の女の子だった。休み時間に隠れてお菓子を食べたり、どうでもいい恋愛話で盛り上がったり、教育実習で来た大学生に惚れたりする、そんな普通の女の子だ。しかし、アシスタントの「では、行きます。3、2、1」という掛け声によって、彼女たちは仮面を被った。「カット!はい、OKです」と言われるまで。その変わり身の具合は、先週釣りに行った時に南條が釣ったイカを思い出させた。
僕は彼女たちには全く興味がなく、メンバーの名前も誰一人として知らなかった。おそらく、これは僕以外の2人も同じで、僕らの中でこのアイドルが好きなのは、相馬と広川だけだった。でも僕は、この曲だけは知っていた。それは、カラオケに行くとオタク2人が、迷惑なことに必ず一人一回以上は歌っていたし、僕はこの曲の歌詞が好きだった。歌詞では、「上手くやり過ごそうと仮面を被っていたら、いつか仮面が自分の顔になってしまう」ということが繰り返し出ていた。
「なぁ」
と、誰かが僕の肩を揺すり、そこを振り向くと正田だった。おそらく僕が何度呼んでも気が付かなかったからだろう、僅かに眉頭が上がっている。ほかの三人も、皆同じような表情でこちらを見ている。扇風機の生暖かい風が、一ヶ月ほど切っていない僕の前髪を揺らした。夏休みというのは髪を伸ばすチャンスだったのだ。時間が立って太陽の向きが変わったのか、西向きの窓から入り込む太陽のが強くなっているような気がする。アイドルたちは撮影を終えて「ありがとうございました」と言いながら、カメラマンやヘアメイクと挨拶をしている。
「なんだ?」
「えっと、」
正田はなにか、道端で犬のフンを見た時のような顔をしてから、後ろにいる相馬を振り返った。
「思いっきりヤバいやつ作って、そのメイキングを今のやつみたいな、青春映画っぽい感じで仕上げて、本番までに少し手直ししますって言っといて、本番ではホンモン流せばいいやない?」
あぁ確かにと僕は頷いた。この時から、僕らの夏休みは、ある程度暇ではなくなった。僕らには”やること”ができたし、それはゲームをしたりあてもなく自転車に乗ったりするような、暇をつぶすための行動ではなかった。
脚本は僕が描き、編集はPCを持っている相馬、カメラは被写体にならないやつが交代して担当することになった。僕の家にはなにかの行事の時にだけ使われるビデオカメラがあり、撮影には主にそれを使った。SDカードは、各々の使わなくなった3DSのものを使った。僕らにはほぼ全くと言っていいほど、映画を作ることに関する知識がなかった。僕は家に帰り、何年も前に中古で買った父親の物理的にも重たいPCを貸してもらい、「映画 脚本 コツ」と検索した。特に役に立つ情報は得られなかったが、文化祭で公開できるのは、30分以内という時間制限があったから、大したことは無いと思った。やってみればきっとどうにかなるだろう。僕はそのように育てられてきたし、そういう生き方しか知らなかった。反省は終わってからでいいんだ、なんくるないさーと父親はよく僕に言い聞かせていた。
僕らは着々と映画を作り、その裏でわざとメイキング映像風に見せるために、スマートフォンで動画を取って編集した。「今日は雨ですが、撮影頑張ってまーす。おやつで買ったガリガリ君が当たりましたーやったー」というような、どうしようもない映像だ。本番で流す方には「学校」というタイトルを付け、審査で見せる方には「夏の夜の夢」というタイトルを付けた。シェイクスピアを知っている人にも、知らない人にも青臭いと感じられる言葉を選んだ。夏ではあるが、夜も夢も一切関係はない。
審査の日、僕らは映像を入れたUSBメモリをもっていることを除けば、いつも通りの生活を送った。時々、持っていることを忘れそうになったが、ポケットにほんの僅かな重量を感じるだけで、意識はそこに集中した。泥棒はこんな気持なのかもしれないと僕は思った。英語の授業では日本語の下手なALTをバカにして笑い、歴史の授業では偉人の顔に落書きをした。ALTは僕らのLとRの発音を何度も馬鹿にして笑っていたくせに、「かきくけこ」も言えなかったのだ。不味くて少ない給食を食べ、午後の国語と数学は寝て過ごした。そして、放課後に審査を受ける被服室に集まった。クラスが違う南條は少し遅れてから入ってきて、説明をしていた生徒指導の体育教師は、メスを呼ぶための鳥の鳴き声かと思うほど大きな音で舌打ちをして、睨みつけた。僕は鳥かと思ったが、南條は猿かと思ったらしく、「俺は仲間じゃないっつーの」と小声でいった。体育教師はずんぐりむっくりで体毛が濃かった。そのせいでゴリラあるいはゴリ先生などと呼ばれていたが、何を勘違いしたのか自らのことをゴリちゃんと呼んでいる痛いやつだった。
被服室にはテーブルが9つあり、その中央のテーブルが、僕たちに割り当てられていた。映像作品を作ったのは僕らの他には映画研究会だけで、残りの奴らは展示する絵や漫画が印刷されたA4の紙を何枚か持っているだけだった。生徒会と体育教師は、ページを捲りながら絵の大きさや、作成した意図など、どうでもいいことばかりを質問し、合格であれば展示許可証なる紙を渡し、責任者に名前を書かせた。展示許可証には”誓約”なる欄があるらしく、体育教師は「以下の誓約を確認して名前を書きなさい」と、審査が終わる毎に説明していた。僕らはハエの羽音のような小さな声で話し合い、隣のテーブルにいた漫画研究会に許可証を見せてもらうことにした。「提出したものを変えてはならない」というような文言があれば、僕らの夏休みは水の泡になってしまうからだ。正田が許可証を受け取り、僕らは互いの頭がぶつかりそうになるほど勢いよく覗き込んだ。実際に南條と相馬は頭がぶつかったらしく、ふたりとも側頭部をさすっている。そのような文言は一切なかった。あったのは「私達は、中学生らしく、学術的で風紀を守った作品を展示することを誓います」という奴隷契約のような文言だけだった。
僕らの順番は一番最後で、僕ら以外は全員が審査をパスした後だった。外はもう夕方になっていた。運動場の方からは野球部の練習する掛け声や打球の音が聞こえていたし、吹奏楽部のラッパの音も聞こえた。
こんなに時間がかかるなら、前もって提出させて、後日許可証だけ渡せばいいのにと思ったが、そんな事を言ってしまうと上映できなくなってしまうのは目に見えていた。この学校の教師は、少し文句を言われただけで激高した。今思えばそれだけストレスフルな職場だった不幸な人たちだったのかもしれない。それを考えれば少しは同情してやろうかとも思うが、かといって何も悪いことをしていないいたいけな少年たちにそれをぶつけるのは悪だ。「では、どうぞ」と生徒会のやつが言った。どうぞだとよ、何様だよと正田がつぶやき、僕は思いっきり足を踏みつけた。生徒会は二人で、ひとりは副会長でもう一人は見たことがない一年生だった。副会長は小指ほどの太い眉毛で、太っていた。第一ボタンは今にもはち切れそうになっていて、ネクタイで首を絞められているようだった。輪郭も顎も首もなかった。脂ぎったくせ毛の髪の毛が、眉毛ほどの長さで切りそろえられている。顔面の3分の1は赤いニキビで覆われていて、ナメクジのように厚い唇の周りには口ひげが生えている。ひげ禁止という校則があることを知らないのか、あるいは今朝剃ったものがここまで生えてきたのか。誰が見ても美人だった生徒会長とセットで、美女と野獣と呼ばれていた。
「お願いします」
僕はUSBメモリを副会長に渡した。副会長はそれを隣の一年生に渡し、体育教師を振り返った。
「タイトルは?」
「夏の夜の夢です」
ふっという奇妙な音が副会長の口から聞こえた。そして南條が右手の拳を親指を握り込むようにして握って手首から音を鳴らし、彼が大嫌いなナメクジを見た時のような顔をした。怒った時のくせだ。
南條の顔を見て、僕は副会長がタイトルをバカにしたことに気づいた。不思議と怒りはわかなかった。むしろ僕の感情の波は、より静謐さを増した。こういう時、僕は頭の中でビートを流しながらラップのように悪口を考える癖がある。これは今でも変わっていない。付き合っている女の子がヒステリーを起こしたときなんかはいつもそうだ。それは全く持って感情の爆発ではなく、むしろ冷静に没頭して何かを考えているときに近かった。僕は眼の前にいる醜い男を見ながら、こう考えた。
この醜い男は、僕らが作った映画を、青臭い中二病映画とでも思っているのだろう。いつも校則を破って怒られている痛いヤツらが、もっと痛いことをしているとでも思っているのだろう。でもそうではない。痛いヤツらだとバカにしていた自分がバカにされる映画なのだ。ちゃんとお前に似ているやつもいるぞ。デブでブスの独裁者なんて、そんなの何人いると思ってんだ?お前は映画の中で、太り過ぎだと言ってきた医者を撃ち殺し、そのせいで太りすぎて死ぬんだ。ざまぁねぇな。お前の将来もそれと一緒だ。ボンボンでいいもの食ってるから太ってんのか、運動不足で太ってんのか知らないけど、デブで短小でブサイクなお前は権力だけあっても無様な生き方しかできないんだよ。
「ジャンルとしては、青春映画、ということで、いいですかね」
副会長は所々に笑いをこらえているような動作を入れながら質問した。その姿は咳き込んでいる老婆のようだった。不健康な肉塊が不規則にピクピクして、後から波を打つように腕の肉が揺れた。
「そうですね。夏休みに映画を作った僕たち、というのがコンセプトです」と自分でもよくわからない説明をすると、「なるほどな」と体育教師が感心したような声を出し、許可証を手渡してきた。何に納得したのかわからないが、僕らはそれに必要なことを書き込み、被服室をあとにした。この時まだ僕らは撮影を始めてもいなかった。脚本と小道具の準備に時間がかかったのと、正田の兄が彼女と二人でスクーターで九州を一周する旅行に出たためである。僕らはそんなことなどおくびにも出さず、何も面白くない日常を適当にスマホで撮った映像を渡したのだ。
文化祭の日は11月の最初の日曜日で、少し肌寒くなっていた。衣替えは十二月になってからだから、「先生、ジャージを着てもいいですか」という意味不明な質問がよく聞こえた。校則に依れば許可なくジャージを着てはならず、許可は授業が始まる度に取らなければならなかった。全く意味のない決まりであることが分からなかったのか、それとも分かっていながら強制していたのかは今でもわからない。でも数十人もいる教師の中で意味のない決まりで生徒を不自由にしていることに気づいていながら何も言わなかった人がいたなら、その人は子供にものを教えるというのがどういうことなのかを知らない人なんだろう。
当日の会場は多目的ホールだった。体育館とは違って教室棟にあり、多くの人がそばを通ったが、見張っている教師の数は少なかった。二階から見ているのが一人、プロジェクターの横で作業をしている情報の教師が一人。
僕らが本当に上映する映画の中身を知っているのは僕たちだけだったが、前日の夜に「学校をバカにしたブラックコメディをやる」ということを各々の友人に吹き込んでおいた。あとは彼らが勝手に(阻止してくるだろう生徒会を除いて)噂を広めてくれるはずで、僕らが上映の準備に取り掛かった頃には、五十人近くが多目的ホールに集まっていた。見たところやはり同学年の二年生の生徒が多く、次に一年生が多く、三年生はほとんど居なかった。おそらく、体育館のダンスやバンドを見に行っているんだろう。あくまでも花形なのは向こうで、もっと盛り上がっているはずだ。ホールの端の方には他校の不良らしき連中もいた。髪を茶色に染め、タイツのようなダメージジーンズを履いて、スポーツ用の長袖アンダーシャツの上に半袖のポロシャツを着ている。同じような格好で、パンフレットを団扇のように仰いでいる。彼らは、校則は守らなくても仲間内のルールは守る。彼らのコミュニティーの中でのルールが服装以外にどんなものがあるのかは知らないが、何百人もの少年少女に意味のない細かい規則を押し付けている教師に比べれば、ずっと健康的な気がする。
気の弱そうな情報の教師がPCとプロジェクターの最終確認をした。裏方作業と会場スタッフのような作業をしていた生徒会長が僕にマイクを渡し、プロジェクターの横にある演目の紙をめくった。「夏の夜の夢」会場からは失笑が起こった。「うわだせぇ」と言ったやつが最前列にいた。副会長だ。いつもより更に脂ぎった髪(彼は文化祭の前は頭を洗わないと決めているのか、整髪料をつけるのがあまりにも下手なのか)で、腐ったミカンのようなブヨブヨの腕をボンレスハムのように「生徒会執行部」という黄色の腕章が締めている。首だけじゃなくて、腕も締めるようになったのか。と呟いてしまい、渡されたばかりのマイクを生徒会長に取られた。
「本作品はこちらの五人の生徒たちを中心に作成した青春映画です。彼らのこの夏の青春をぜひご覧ください。上映時間は20分となっています。スクリーンを使うので電気を消しますので、撮影などの際は周囲への配慮をお願いします。」
僕は少し汗ばんでいるうなじや制服のシャツを押し上げている胸の中身は一体どうなっているのかを考えていた。幼少時代の幼い同級生の記憶にある女の子の身体と完全に大人になったAV女優の身体は僕もよく知っていたし、それなりの数をイメージすることができた。でも、隣に立っている中学生のおそらく発達途中の身体は僕には想像もつかなかった。きっと薄い色の下着を着ているのではないか。なんとなくそう思った。多目的ホールに集まっている人の中に正田の兄とその彼女の姿が見えた。タイトなニットを着ていて、周りにいる制服の女子を五人集めてもかなわないようなスタイルがあらわになっている。あんな人と付き合えるなら、生徒会の言うことも教師の言うこともなにもかもいうとおりにするだろう。そのくらいの価値があると思う。でも彼女の身体は容易に想像できた。同じようなスタイルのAV女優は名前でしりとりができるくらいには知っている。でも今隣でしゃべっている女の子はどんな身体をしているのか全く想像できない。いま彼女がいるやつはもしかしたら知っているのかもしれない。なんてことだ。
ケツをたたかれた。
「マイク渡されてるんだからなんかしゃべれよ」
南條が僕を見下ろしていた。僕の手にはいつの間にかマイクがあって、生徒会長は腕章をいじりながら所在なさげに下を向いている。大人数の前でしゃべるのは平気なのに、無言だと恥ずかしいのかな。
「えー。僕らもそれなりに頑張って作ったので、ぜひ最後まで見ていただけたらと思います。」
僕はここまで言ってマイクを下ろし、主演の正田を見た。彼は何も見ていないかのように、堂々と後ろに手を組んで遠くを見ている。思わずため息が出そうになった。ちょっとでも面倒なことは知らないふりをするいつもの癖だった。
「主演はそこにいる正田君です。彼のつたない演技も見てやってください。」
横目で正田が睨んできたことが分かったところで僕はわざと長い間をとった。映画を作るときに見たヒトラーの演説から学んだ技で、この学校の教師が全体集会の時にやるのと同じものだ。多目的ホールにいるほぼ全員が僕を見た。
「この物語はフィクションです。」
僕はそれだけ言って、生徒会長にマイクを渡した。彼女は絵にかいたような不思議そうな顔をしていた。当然だ。僕らが提出したのはフィクションだどうだというような話ではないし、そんなことを覚えているということはあの誓約書なるものをちゃんと読んでいたということにもなる。うれしいなぁ。それと引き換え太った副会長のほうは、いっちょ前に監督みたいなこと言いやがってという感情が顔面に出ていた。
ノートパソコンの前にいる情報の教師がOKサインを出した。ありがとうございます。僕らはそう言って五人全員でパソコンの前に陣取った。あえて円陣を組むように密着し、メモリーカードを入れ替える。念のため何度も練習したこともあって自分でも驚くほどの早業で、僕はまるで自分がスパイにでもなった気分だった。今やこのパソコンは僕らの生殺与奪の権で、これさえ守り抜けば最後まで上映できるという何よりも大切なものだった。中学の間中、僕の欲しいものランキングは彼女とスマホがトップタイをキープしていたけど、この瞬間だけはこのパソコンが上回っていたかもしれない。
僕は再生ボタンにマウスのポインターをおき、相馬に目配せした。彼は見たことがないほど使命感に満ち溢れた表情で日曜のヒーロー番組のように大げさに頷いた。このとき彼は胸ポケットに、彼の母親がパート先の店長にセクハラされていた時に使っていたというボイスレコーダーを仕込んでいた。僕らの作戦はパソコンを死守しつつ、世の中としてはタブーになりつつも未だ地下組織のようにひっそりと存在していた教師からの暴力と限りなく暴言に近い文句に対する対抗策として、上映を止められそうになったら録音していることを晒すというものだった。なんにでも執着し用心深い相馬は、僕らが何の規約にも反していない証拠のために誓約書もポケットに入れていた。そして、多目的ホール担当になった生徒会メンバーの一人が南條と正田のバスケ部の後輩だったことを事前に突き止めた僕らは、そのいたいけな一年生を買収することに成功していた。僕らが正田の兄にもらった五百円で買い集めた雑誌のヌード袋とじをありったけコピーしたもので、彼はあっけなく寝返った。その様子も相馬によって録音されていたことは言うまでもない。その一年生はスクリーン周りの担当に立候補し、パソコンではなくスクリーンを消されるという事態にも備えていた。僕が人生で立てた計画の中で最も穴がない状態だった。
僕は再生ボタンをクリックした。
赤茶けた荒野が映る。少しどよめきが起こった。荒野に見立てた僕の祖父の畑だ。収穫が終わって冬まで用がない一角をズームで撮っているだけだ。バイクの音が鳴る。正田の兄のスクーターだ。それに相馬がフリー音源のハレーっぽい音を付け足している。真っ黒な服を着て真っ黒なヘルメットをかぶった正田が乗っていて、一瞬で通り過ぎる。もちろん僕らの年齢では免許は取れない。でもここは私有地で、スピードも15キロかそこらのものを速く編集しただけだ。そして西部劇風のフリー音源が流れ、タイトルとクレジットが流れる。「ゴリラ怪人ミスターゴリちゃん」「ブヨブヨ怪人フク・カイチョー」そんな名前がどんどん流れる。笑いが大きくなった。気づいたのだ。僕らの映画の題材に。
当初予定していた独裁者モノはあきらめ、嫌な奴を怪人にしたのだ。理由は簡単で、独裁者がみんな同じような見た目で面白くないことと、歴史の授業が始まるのが三年生からでまだ二年生だった僕らが独裁者をそんなに知らなかったからだ。
「ねぇ。ちょっと」
生徒会長の声が聞こえる。もちろん知らないふりだ。まだクレジットしか出ていないのだから、何の文句も言われる筋合いはない。
学校の近くの公園が映った。わざわざ早起きして撮ったものだから映り込む他人もいない。なんとひどいことに、学校の周辺では中学生が公園に何人か集まっているだけで通報する人がいた。僕らも放課後に公園でプロレスをして何度か通報された。通報した通りがかりのおばさんによれば喧嘩かいじめだと思ったということだった。僕らはレフェリー役を作って楽しくやっていただけだし、遊具で遊んでいた小学生も観客のように楽しんではしゃいでいた。中学生をもっと信用してくださいよ。僕らはそう伝えたが、同じようなことは結局何度も起こった。だから僕らは休みだというのにものすごく早起きして撮影していた。
「悪の本丸、禿野公兆の命令でこの町の少年少女を洗脳しに来たぞ」
おどろおどろしい笑い声が響く。シコった後に裸のまま寝て夏風邪になった南條の声をさらにボイスチェンジャーで低くしたものだ。彼は夏風邪になったことに気づいた早朝に、僕の家に電話をかけてきた。おい、俺シコって裸で寝たら風邪ひいて声ガサガサだから今日のうちに怪人の声全部取っちゃおうぜ。彼は電話がつながるなり突然そうしゃべった。僕がスマホを持っていないことを忘れていたらしい。僕はあきれ顔の母から受話器を受け取り、南條はかすれて力のない声で、風邪ひいて声ガサガサだから怪人の声を撮ろうといった。
南條の声の後、ゴリラ怪人ミスターゴリちゃんが現れた。大爆笑が起こった。生徒会長が何か大きな声を出したが、観客の笑いがそれを上回っていた。ゴリラ怪人はジャージのズボンにポロシャツというあいつのいつものファッションそのままにゴリラの被り物をかぶっただけだ。ポロシャツは広川の父親のゴルフウェアで、ゴリラの被り物は百均で買った。
「なに?怪人が出た?どこだ?わかった。今行く!」
正田の棒読み演技にはなぜか笑いは出なかった。
そしてバイクのシーンだ。オープニングとは別の角度で撮影したものだ。元々はシールドの部分が透明だったヘルメットを水彩絵の具で黒く塗った。正田がそれをかぶるときにべたべた触ったせいで色にムラが出たが、それが逆に光沢のようになっている。
「このゴリラ野郎め!何でこんなことするんだ!僕らの町の少年少女は何一つ悪いことなんかしてないじゃないか!」
「この世界はそんなきれいごとでは回っていないんだよ少年。禿野公兆が決めたことなのさ。俺はそれに従って、お前らを懲らしめるだけさ。」
「そんな。そんなのひどいじゃないか。お前は自分の意志ってのがないのかよ。言われるがままにそんなことして!」
「青臭いな」
正田の演技はただ大声で叫ぶだけで、CV南條のゴリラ怪人は抑揚もなく一本調子で喋っているだけだ。でも会場は盛り上がっていたし僕はだいぶ満足していた。
画面は暗転し、格闘シーンに移った。
僕らの中には一人も格闘技経験者はいなかったが、格闘漫画の知識だけはあった。各々好きなキャラクターをモチーフにした変な構えをする。彼らなりに真剣にやっているということはわかるけど、どう見ても殺しあう者同士の構えには見えないし、ゴリラ怪人にいたっては被り物で視界が狭いこともあって、どうも顎が上がっている。
「そんな構えじゃあいかんよ。それになぁ、世間のことなんかなーんにも知らんガキのほうが自分をえらい奴だと思っとる青二才よりはずーっといいことを言うもんだ。」
戦闘シーンの中に突然、麦わら帽子をかぶって首にタオルを巻いた白いTシャツを着た老人が現れてそう言った。僕の祖父だ。戦争の時に艦砲射撃とマラリアで家族の半分を失い、八十を過ぎて歯の半分とほとんどの髪の毛を失った。彼は畑の所有者として撮影を見守るだけのはずだったが、勝手に役に入り込んで思わずカメラの前に出しゃばって出てきたのである。僕は撮影をストップして説得を試みた。
「おじい、これは学校の文化祭で流すやつだから、おじいは出てこないでよ。さっき説明したでしょ、畑だけ貸してくれって。おじいが出てきたら意味わからんことになっちゃうよ。」
「おーん。」
祖父はよくわからない返事をした。彼は普段からこうで、甲子園で地元の高校が勝つと三線を弾きながら歌い出し、カーアクションの映画を見た後にスピード違反で切符を切られたりしていた。
「でもこれ中々いいよ。なんか師匠登場みたいになってるし、風刺を効かせる感じのこと言ってるし。」
相馬の一言でこのシーンは採用となり、空手経験者の祖父はかっこいい構えまで伝授した。
「なかなかやるな。」
泥だらけになったゴリラ怪人が映る。沖縄の畑の赤い土ではどうも味気がなかったから、彩度を落として暗くしている。
「ゴリちゃんとか言ってんじゃねー!キモいんだよ!」
黒づくめの正田が飛び蹴りをして画面は暗転した。会場から拍手が起こった。顔を上げると二階にいた見回りの教師がいなくなっている。大方応援を呼びに行ったかなんかだろう。タイムリミットはもう近づいていたのだ。
「わが麗しき会長のためにも、彼らは放っておけないですねぇ」
次はブヨブヨ怪人である。
フク・カイチョーのクレジットに爆笑が起こった。さっきの時と全く同じな正田の電話シーンとバイクの運転シーンが流れ、黒づくめの正田の背中側からブヨブヨ怪人がズームされていく。その姿にまた爆笑が起こった。ブヨブヨ怪人を演じるのは南條で、理由は単純に一番デカいからだ。
僕らは自転車で大きいサイズ専門店なるものに行き、見たこともないような大きさの白いシャツを買い、その中に水風船を詰めた。南條のシルエットは相撲取りそのもので、それに百均で見つけた豚の被り物をかぶせた。もちろん制服のネクタイもしている。誰の風刺なのかはまるわかりだった。
「何でもかんでも好き勝手に食らって、そんな体になったってのに、俺たちの町まで食らうつもりか!」
「そんな体とはなんだ?美しいではないか。わが愛しき麗しの会長もこの体を、この私をお気に召しているというのに。」
「たまたまお前が副会長になっただけで、会長はお前のことを選んでなんかいないだろ!」
「だまれ!私は!私は!」
南條は黒づくめの正田に向かって走り出した。映像がスローモーションになり、腹がアップされる。腹が波打っていて、まさにブヨブヨ怪人にふさわしい見た目だった。
戦いのテーマが流れる。有名なボクシング映画の曲をサンプリングしたフリー音源だ。
まず最初にプロレス風に組み合った。組み合った衝撃でゆれている腹がアップになるカットに切り替わる。撮影期間中に誕生日があり、誕生日プレゼントで当時最新のアイフォンに買い替えた広川の撮影だ。
「デカいな。でも、強いわけじゃない。」
「何を言ってるんだ?もうお前は追い詰められてるじゃないか」
このシーンは基地のフェンスのそばで別撮りしたもので、畑のど真ん中で撮影するとどうしても追い詰められている感じが出なくて四苦八苦した結果だ。さっきまで何もない荒野の真ん中で戦っていたのに、いきなりフェンスに押し付けられているというのは大きな矛盾ではあるけども、そんなことは僕らにはどうだってよかった。それに顔のアップだけだから大した違いはない。
「追い詰められているのはお前が強いからじゃない」
黒づくめの正田の後ろのフェンスが音を立てる。
「お前がデカいからだ。お前は子供のころからデカかった。生まれた瞬間、そんなものは決まってたんだ。でもな、お前は強くない。それは強くなろうとする努力を怠ったからだ。お前が慕っている会長の言われるがままに動いてるだけのやつが偉そうなこと言うなよ。彼女は強くなろうとしてるんだ。生まれつきデカかっただけで自分が偉いと思ってるお前と違ってな。」
「なんだと!」
ブヨブヨ怪人が黒づくめの正田にとびかかった。カットが変わる。正田の肩越しにブヨブヨ怪人が見える。
「だから言っただろ、お前は強くないって」
「なにっ?」
ブヨブヨ怪人が振り返った瞬間、正田の飛び蹴りが炸裂し、南條の腹の水風船が破裂した。
大歓声が起こった。多分これは僕が今までの人生で聞いた完成の中で一番大きかった。甲子園でプロ野球を見たときよりも。
暗転し、次のシーンに移る直前、僕の腕に生暖かいしずくが触れた。突然雨が降ってきたときのように、僕は今自分に何が起こっているのか分かった。右の手首をつかまれて後ろに引っ張られていて、右手のシャツの袖も引っ張られていた。多目的ホールの奥に見える体育館につながる通路からさっき倒されたばかりのゴリラ怪人によく似た男が走ってくるのが見える。スクリーンの後ろからは怒声も聞こえる。
「なぁ。もうやめてよ、学校来られなくなっちゃうよ。言いたいことはちゃんとわかったけど、ダメだよ。」
僕はその声に振り向いてしまった。生徒会長が泣いていた。僕らは自分たちで完璧と思えるくらいの策を用意していたというのに、美少女の涙に対抗する必要が出てくるなんて考えもしていなかった。
僕らが生徒会長の涙を見てしまってから体育教師が大声で叫びながら多目的ホールに入ってくるまでの数秒の間に僕らは陥落した。プロジェクターの前に集まっていた人たちは解散させられ、消されていた照明がついた。生徒会長の目は
真っ赤だった。その肩越しに、買収した一年生がニヤニヤしながら片付けをしているのが見える。僕らはその後満場一致で彼が買収された時の音源を公開した。同じ方法でバスケ部の別の一年生を買収し、一年生全体のグループチャットにそれを載せたのである。そうして彼はバスケ部だというのに一切モテなくなった。悲しいことだ。僕らの学校ではサッカー部と野球部とともに三大モテ部活であり、バスケ部の三年生ともなればほとんどが非童貞であるといわれていたのだ。しかし彼は男子の中ではコピーを流通させることで、エロ本王として一学年上の僕らの同級生とも取引するほど有名になった。もちろん持ち物検査でばれて大ごとになり、その覇権は盛者必衰と呼ぶにふさわしいものだった。
そんなことになるとも知らない僕らは、ニヤニヤしている一年生に裏切られたことを認識しながら特に怒りは沸いてこなかった。途中まででも上映できたことによる妙な興奮と目の前にいる美少女が号泣していること、とんでもなく怒られるだろうこと。あまりにもいろんなことがありすぎて脳が働かなくなっていたのだ。だから僕らが買収した一年生に怒りだしたのは、文化祭の一週間ほど後だった。
僕らは職員室の前に一列に並ばされ、一人ずつ中に入ってくるように言われた。完璧だと思っていた作戦の一部がまた崩れた。ボイスレコーダーを持っていたのは相馬ただ一人だったからだ。だから僕らは相馬をトップバッターで行かせることにした。五人もいれば一番ひどい怒られ方をするのは一番目に決まっている。僕らはこの期に及んでまだ、反抗する手立てを考えていたのだ。僕らはそれだけこの学校に関する何もかもが嫌いだったし、行き場のないエネルギーと暇な時間にうんざりしていたのだ。
職員室の薄い扉の向こうからは怒声も何も聞こえてこなかった。暫くして相馬が出てきた。彼は僕らを見ると捨てられた子犬のような目をしながら首を横に振り、横を歩く付き添いの教師に見えないように後ろ手に指を二本立てた。二週間ではなく二か月だった。僕らはその長い期間の間、放課後に二時間半学校中を清掃し毎日原稿用紙二枚分の反省文を書いた。僕らがその措置によって得たことは特に何もない。
僕は最後に職員室に呼ばれた。単純に立っていた位置の問題であり、決して僕が臆病者だったというわけではない。職員室に入ると四人の教師が腕組みをして立っていた。生徒指導の体育教師、学級担任、スクリーンのところにいた情報の教師、校長である。彼らは怒り疲れたのか、直立不動というわけではなく一癖も二癖もある変な立ち方をしていた。ヒーローものの映画を見て、ヒーロー戦隊の真似をしたくなったのかと聞きたくなるほどだった。そして彼らの後ろにはパイプ椅子に座った生徒会長がいて、彼女はまだ泣いていた。
「リーダーは誰だ?」
ゴリラが言った。腕組みしている腕はあまりに毛深く、刺しに来た蚊が絡まって出られなくなるのではないかと思うほどである。ジャングルの中に生えている食虫植物よりも機能的なのではないか。
「僕です」
「なるほど」
「自分が何をしたのかはわかっているのか」
「自分たちで作った映画を上映しました。審査の際に提出したものとは違うものを上映しましたが、誓約書には提出した作品を変えてはならないという類の文言がなかったため特に何かに違反したという認識は持っていません。」
四人が同時にため息をついた。僕以外の全員が同じようなことを言ったんだろう。時間が経ったからかあきれていたのかは知らないが、彼らは僕の発言に対してため息以外のリアクションを取らなかった。
「じゃあ、何が悪かったと思う?」
学級担任が持っていた缶コーヒーに口をつけてから質問した。彼女は北陸のどこか寒いところの出身で、沖縄育ちの僕らには信じられないくらい肌の色が白かった。それにいつも老人ホームに入っている老婆のような服を着ていて、子供をあやすような口調で話した。それが方言だったのか個人的な癖だったのかはよくわからない。でも彼女は怒ると、そんなありとあらゆる要素を打ち消すほど攻撃的なことを喋った。今ならば間違いなく何らかの裁きが下るだろうし、それはこの時でもそうだっただろうと思う。
「そうですね。特定の個人を揶揄したような人物を登場させたことで、その人に嫌な思いをさせた可能性があるということですかね。」
「それって、いじめに加担しておきながらいじめられっ子が自殺したら、「僕は嫌がらせはしましたけど、首にロープをかけてぶら下がるように強制した記憶はありません」とか言ってるのと同じじゃない?」
「そうなんですか?」
僕はあえてゴリラに向かってそう言った。ゴリラは案の定よくわからないという顔をしている。
「うん、先生の言うとおりだと思いますよ」
馬鹿な返しだった。
「僕は上映が始まる前に、この物語はフィクションだと言いましたし、できる限りコミカルにして楽しく見られるように作ったつもりです。ですからいじめとは根本から異なりますし、僕らがあんな作品を作ったのは学校に文句を言いたかったからであって、個人を攻撃したかったわけではありません。」
「あなたみたいな小賢しい教え子が過去に何人かいたけど、みんなまともな大人になってないわ。性格も行動も言葉選びも、全部終わった人と同じなの、あなたも」
校長は何も言わない。こんなひどいことを言う人が、子供を教えるという立場につくことが正しいとは思えなかった。間違いなく僕はクソガキだったけど、自分たちで作った映画を上映しただけで、将来まともな大人にならないなんて。そもそも犯罪をしたわけでもない子供に「まともな大人にならない」なんてことを言うのは、まともな大人のすることとは思えない。
「何かほかに言うことはあるかな?」
学級担任がすべての毒を吐きつくし、ゴリラがエサのバナナをもらった時のような顔で罰則についてしゃべった後、校長は僕に向かって言った。禿げているのはわかるが、なぜあそこまで頭皮が光るのだろう。
「二つあります。一つ目は、まぁ無理だと思いますが意味のない校則をできるだけなくしてほしいこと、二つ目は○○さん、泣かせてしまってごめんなさい。あなたはちゃんと頑張ってると思います、長袖もオッケーになったし。」
生徒会長は涙を拭いて僕を見た。目の周りが赤い。鼻先も赤くなっている。睨んでいるわけでも怒っているわけでもない。パイプ椅子に座った上目遣いの美少女。彼女が何で泣いていたのか僕にはわからなかった。でも僕らがやったことで泣いているのは明らかだったし、僕らはあなたに対して何の恨みもないということを説明しないといけないと思った。そんな気持ちは彼女が美少女だったから生まれたのかもしれないけど、彼女が不細工でも男でも僕は同じことをしたんじゃないかと思う。彼女はただ一人体制側の中で正当に戦っていた人だったからだ。夏服時の長袖シャツの自由化、ジャージ登校時の半ズボン自由化、彼女は意味のない決まりを正当な手続きで無くしたのだ。
「〇〇さんが生徒会長でよかったと思ってる」
僕はそれだけ言って、職員室から出た。
父と母が幼い妹を連れて立っていた。こういう学校行事の時に親が着ている服はどうしてこうもダメなんだろうかと思う。おじさんとおばさんのテンプレートでいないと何か問題があるのだろうか。
「お兄ちゃんたちが作った映画どうだった?」
僕は中腰になって妹の手を握りながら聞いた。彼女は僕の十歳下だから、彼女は今頃十年前の僕らのようなものすごく退屈な日常を過ごしているのかもしれない。部活もやっていてスマートフォンも持っていて、意味のない校則はほとんど全部なくなっているようだから案外充実しているのかもしれないけど。
「面白かった!ちょっと怖かったけど」
僕は彼女の手を引いて車まで行って家に帰った。車内でも家についても、両親は僕を叱らなかった。かと言って、褒めもしなかったけど。彼らがこのことについて僕の前で初めて語ったのは、それから数年たってお酒を飲めるようになった僕が正月に実家に帰った時だ。
「傑作だってほめようと思ったけど、お母さんの手前そんなこと言うわけにもいかないし、あの頃のお前だったら調子乗っちゃいそうだしな。それに生徒会長の女の子泣かせたんだろ?ちゃんと謝ったのか?あのあと」
僕はそれには答えなかった。テレビでは演歌歌手が歌っている。いつも発泡酒ばかり飲んでいる父親が買ってきてくれたビールは苦くて、すぐにおなかを膨らませた。
僕がこのころの思い出について、そして五人の中で僕だけが生徒会長に謝ったことでその後どうなったかを語りだしたのは、映画を一緒に作った五人のうちの半分と疎遠になってビールがおいしくなったころだった。