さようなら御姉様
「日常が色づいているなんて嘘っぱちだ」
下校中の駅のホームで曇り空へと向けて一人ごちる。
「音流さんってさ、話しかけても素っ気無いし、暗いってか何考えてるか分かんなくて怖いよね」
「やめなって、いきなり奇声あげて突っかかって来るかもよ」
「ヤバッありそうでこわ」
キャハハハと下品な笑い声で教室の真ん中に陣取りながらスクールカーストが上の女子達が笑っている。
ゴミ捨てを終えて戻ってきたら聞こえてきてしまった会話だ。陰口は陰で言うから陰口であって、本人に聞こえたらただの悪口だ。
ああここで扉を開けて入ったら空気最悪になって、悪口言った奴らの気まずそうな顔が見れるんだろうな。罪悪感を持つくらいなら人の悪口なんて言わなきゃいいのにって愉悦に浸れるんだろうな。
だけど私は扉の取っ手に手をかける事さえできない。後退りして時間をおいてまた出直すのだ。
それが私だから。
今日の学校での悪い出来事を思い出して、連鎖的に悪い出来事を思い出してくる。
「あんた何よこの点数。ちゃんと勉強してるの!?」
期末試験のテストの点数が前回より悪かっただけで母は怒る。平均よりは上だし学年の上位十パーセントには入っているのに、目の前の数字の変動だけで世界の終わりかのように怒る。
「あんたお姉ちゃんなんだから、もっと頑張りなさいよ」
これが母の口癖だった。小さい頃からずっと言われてきた。言う瞬間の間も分かるから、俯きながら空言でハモりをきかせることもできるようになった。
別になりたくて姉になった訳じゃないのに、勝手に妹が出来て姉になってしまっただけなのに、どうして強いられないといけないんだろう。どうして教育の材料として消費させられなきゃいけないんだろう。どうして姉になっちゃったんだろう。
私は妹よりかは出来は悪い。私は公立で、妹は有名な私立。コミュ障の私と違って友達も沢山いるし、勉強もできる。いつもお洒落だし、もっさりとした私とも違う。並んで立つと際立って私が醜悪な何かに見えてくる。だから一緒にいる時間は少ない。
ああ駄目だ駄目だ。こんなことを思い出しても気持ちが沈むだけだ。
頭を振って忘れようとするも、悪い思い出は鎖でつながれているのでずるずると心の中にいる悪い私が引っ張ってくる。
帰りとは反対方向の電車が来て降車する人達が流れていく。
ドン! と強い衝撃が背中に走った。
「いっ」
バッドトリップをしていた私が現実に引き戻されたのは救われたが、私の背中にぶつかっていったおじさんは舌打ちをして去って行った。何も救えない。
もういっそのこと死んでやろうかな。
ここではない違う世界で違う人生をやり直したい。流行りの異世界転生で心の欲望を発散させてやりたい。って……別に私にはそんな爆発するような欲望なんて皆無だけど。
ただ、ただ死にたくなる。
そうすれば世界の中心に入れる気がする。私を軸にして世界が回ってくれるような気がする。そうして救われる気がする。
でもそんなことはないって知ってる。どこかの誰かが同じ思いで、生命活動を止めても世界は動いているんだもの。だからこんなさめざめとした気持ちも渋々受け入れて、うだつのあがらない人生を満足できる希望を抱いて生きていくだけなのだ。
「いてえ! おい! 分かった! 分かったから! 放せ!」
男性の怒りと痛みが籠った声が近づいてきた。何事かと思って声の方向を見ると、さっき私にぶつかったおじさんが、片腕を背中に捻りあげられながら背の高い女性に押し出されるようにこちらへと向かってきていた。
周りの怪訝な目も気にせずに、女性とおじさんが私の前まで来た。
「おい、言うことあるでしょ」
「ああっ! いででで!」
口答えしようとするともう曲がり切らない方向に腕を持っていく女性。
「うぐっ、先程はぶつかってしまい申し訳ありませんでした」
おじさんは私に頭を下げた。唐突の事で私はおどおどとしてしまった。周りの目を気にしてなんと言っていいのかを迷ってしまった。
「はい。よくできたました」
そう言うと女性は手を離した。するとおじさんは目を三角にさせてより強い怒りを女性に向けた。
「お前! これは私刑だし! 脅迫だからな! 訴えてやるからな!」
大衆の面前で公開謝罪をさせたのだから、法律的には女性の方が不利であろう。私のせいで見知らぬ女性が裁判になってしまう。そんな事実に足が震えだす。
「おう、かかってこい」
なのに女性は不敵に笑って言うのだ。
「なっ、いいのか?」
「遠慮しないでどうぞどうぞ。因みにおっちゃん、裁判ってめっちゃ手間かかるからね」
「な、なに?」
「こういう案件って民事だから長い事かかるし、費用を差し引いて取れても五十万もいかないし、時間もかなりかかるよ。それにおっちゃんもあたしに裁判するって脅迫しているからもうちょっと下がるかもね。あとおっちゃん会社員だよね? じゃあ会社にも連絡いくし、説明責任発生するからね。それでもあたしの経歴に傷つけたいんならやればいいよ」
女性は堂々と胸張って言う。その堂々たる言葉と姿におじさんは怯んでしまっていた。女性の発言内容が真実であろうと虚偽であろうと、自信の現れが後ろめたさを増長させるのだ。
「っち!」
根負けしたおじさんはまた舌打ちをして怒り肩で駅の階段を降りて行ってしまった。
周りの人達は拍手もせずに日常に戻って行く。
「んじゃ」
事が済んだ女性も日常に戻って行ってしまう。
「待って、待ってください」
声をかけて止めてしまった。自分でもなんで止めたのかは分からない。ただこの人からは私の人生に足りない物を感じた気がした。
咄嗟に出たので次の言葉を考えていなかったので、続かない会話に女性が少し首を傾げた。
「あの……えっと、その……お礼を」
「えー、うーん」
女性は私の顔を見て唸っていた。そうだよね。私みたいなのが声をかけて止めてはいけない程真逆の存在だ。そりゃあ困るよね。
「じゃあちょっとお茶しよっか」
でも女性はそんな思いを払拭するかのように朗らかに笑って了承してくれた。
これがキョクチョウさんとの出会い。
7日 21:10投稿予定です。
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