結婚式と死の運命と終わりと(6)
「カミーユ!」
「動くな!」
首筋に突き立てられたナイフが、カミーユの柔肌につぷりと突き刺さって小さな赤い球体を作った。
「動くともっと深く刺しますわ」
シュザンヌの目は狂気に満ちているようであたしは従うしかなかった。
「貴女は私が裏切ると確信していましたね」
「一度手を噛んだ犬はもう一度同じことをしますわよ。躾ける親もいませんし、そもそもその親に似たんでしょうね」
あたしが動かないのを確認してから、シュザンヌはこれまでの話を聞いていたのかヴィクトルに毒づいた。
「悪い人だわ。私がこの小僧を引きずっている時も気付いていたのに、それを小娘に警告もしないんだから………お前は私を悪辣な女と思っているようですが、お前も同類ですわよ」
「でしたらどうなんですか?」
ヴィクトルは鼻で笑ってからあたしの方へと一歩踏み出した。
「動くなと言ったでしょ!」
猿叫に似た叫び声だった。
「ヴィクトル動かないで! あの人は本気!」
追い詰められた鼠のように破れかぶれになっている。この機に乗じてあたしから全てを奪おうとしている気概が伝わってくる。
「そうですか」
「そうですかって………」
他人事のように興味の欠片も持っていない発言が信じられなくて言葉が続かなかった。
「シュザンヌ。貴女に言っておきます、私が直接貴女に手を下す事はありません」
「ふふっ、その目で私を呪ったから手を出す必要がないと? 呪いが発動する前にこの小僧を殺すわ」
ぐぐぐと、カミーユの柔肌にナイフの先が入り込みそうになる。
「やめて!」
あたしの声でゆっくりとナイフはゆっくりと戻された。あたしの気持ちを揺さぶれてシュザンヌはさぞ満足なのだろう。
「………呪いが発現するのは数時間後かもしれないのです希望的な観測に過ぎません。それでは私がこの眼で見届けられないではありませんか」
「では………誰が下すのです? 小娘は動けませんわよ」
「私ではないのは確かですね」
そう言ってヴィクトルは近づいて来る。あたしの手前まで来ると屈んでシャルの背中に手を当てた。すると酷かった火傷がキレイなシミもない肌へと戻っていく。
荒かった呼吸もゆっくりと落ち着きを取り戻していく。
「どういうつもりなの?」
「もう私はお嬢様と踊ることはできませんからね」
意味の分からない回答だった。こんなことをしでかしたら、もう普通に付き合うことさえもできないのは当たり前だ。
だけどこれであたしが治癒の魔術を使う必要はなくなった。カミーユを助けるために魔術を使うことができる。もしかしてヴィクトルはそうする為に治療してくれたの。あたしがシュザンヌとの確執に決着をつける為に?
ヴィクトルはそれ以上何も言わずに立ち上がって、あたし達から距離をとった。腕を組んで静観を決め込むつもりらしい。
「茶番は終わったかしら。だったのなら小娘、誠心誠意を込めて謝罪なさい。そうすれば誠意を汲んでこの小僧を解放してあげますわ」
分かる。この女の意図が、悪意に満ちた意図が。あたしを完膚なきまで屈服させて、征服感と傷つけられた自尊心を満たそうとしている。
シュザンヌに従って土下座をしても要求が過激になるだけなのは、これまでの培った人生経験で理解できる。でも従わなければカミーユの喉にナイフが刺さるだけなのだ。
打開するための魔術は恐らくカミーユを巻き込んでしまう。あたしの魔術は威力は桁違いなのだが、精度は低くなる。
「やれば解放してくれるんだよね」
「口答えするのですわね」
またナイフが肌に食い込みそうになる。
「待って! 分かった、するから!」
「口の利き方がなっていませんわね」
「………待ってください。謝りますから」
あたしは二つ膝をついて謝罪する態勢になる。誠心誠意を込めた謝罪を土下座しか知らない。頭を地に付ければいくらシュザンヌでもそれが最上位の謝罪だとは理解するはずだ。
誰も助けてはくれない。もとより誰かに助けを求める気もない。カミーユを助けるのはあたしの役目だ。グウェンの運命を変えたせいで、カミーユを部屋から連れ出したせいでこうなっているのだ。行動したあたしに責任がある。
普段だったら絶対にそんな事はしない。潤滑に円満に人間関係を紡げるならば、あたしは孤高じゃなかった。だけど、今は違う。グウェンやカミーユ、その他の素敵な人たちがいたからこそ、こうして結婚式まで辿り着いたんだ。それを蔑ろにするのは違う。
あたしはあたしという人間性を殺してでもカミーユを守りたい。
「口答えをして申し訳ありません。毎回たてついて申し訳ありません」
額を地に付けて欲しがっている言葉を述べると、見えてはいないがシュザンヌの悪辣な笑顔が想像出来た。
「それだけですか?」
グウェン本人だったら、もう少し機転の利かせた謝罪ができるのかもしれないが、あたしが言えるのはこれくらいなのだ。
「もう二度と逆らいません。だからお願いしますカミーユを放してください」
床に付けている掌を握って謝罪をする。視界の端に捉えている純白だったドレスは煤と土埃と血で汚れている。あたしは一体どこで間違えたんだろうか。
「いいですわよ。面を挙げなさいな」
一陣の風が吹いたような言葉だった。あたしは言われたとおりに顔を上げると、目を疑った。
シュザンヌはカミーユの喉元からナイフを突きつけるのやめていた。ただ変わりに背後の轟々と燃える炎の方へとカミーユの身体を近づけていた。
二人の均衡は腕一本で、今にもカミーユの力の抜けた身体はシュザンヌの細腕から解き放たれようとしている。
放すってまさか。
「解放してあげますわ。お前が言ったんですからね」
握っていた拳の中にある小石を強く握った。シュザンヌがあたしの謝罪に悦に浸った隙を見てこの小石をぶつけるつもりだったのに、言葉裏をかいてそんな行動に出るとは思わなかった。
「なんとかしようとしていたんですわよね!? 自分でなんとかできると思っていたんですわよね!? 残念ですわね! 自分の力と過信していたのでしょうけど、結局周りに助けられていただけなんですわよ!」
勝ちを確信した笑いだった。三日月のように口が裂けるくらいに笑っている。舞踏会で見せていた静かに笑みを溢すのではない。不気味に、かつ豪快にシュザンヌは勝ちを誇っている。
握った石をぶつけてもカミーユも一緒に火の海へと落としてしまう。いや万が一にも倒れ方が良ければ。本当に? この一投でそうなる可能性は低い。
頭の中で最善と最悪が幾度も回る。
次の瞬間にシュザンヌは突き飛ばすように手を離した。
「あっ」
小さく声を漏らした時には遅かった。何もかもが遅かった。
カミーユの姿は呆気なく炎の中へと消えていった。
掴もうと思って伸ばした手は届くはずもなく、指先ではシュザンヌが腹を抱えて高笑いをしているだけだ。
「アハッ、 その顔が見たかった! 絶望に伏して、光を失ったその顔が! アーッハッハッハッハ。………ネェルを虐めたことを謝らなかった罪ですわ」
何も動けなかった。助けようと思えば助ける手段はあったはずだ。怒涛の展開で思考がついてきていないなんて言い訳は後悔している時にすれば良かったのだ。がむしゃらにでも抵抗すれば良かった。グウェンのように振舞うべきだった。一時の恥を受け入れて自分を曲げたあたしに対しての罰だ。
あたしの不甲斐なさでカミーユを死なせてしまった。
30日 21:10投稿予定です。
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