ダンスと屈辱と許嫁と
異能バトルへの第一の課題が出来た。
社交ダンスを覚える、だ。
と言っても、何をどう覚えればいいのかなんて知らない。ヨランダ以外にあたしが教われるのはこの背後霊だけである。さっきはダンスをやるのなんて意味がないと言った手前、どんな顔で頼めばいいのかと考えつつ、グウェンの顔色を見やる。
「あらあら大変ですわね。どこかの誰かさんはダンスなんて必要ないと仰っていましたが、ダンスを習得しないと魔力向上できませんわね~」
その視線で状況を把握したグウェンは鬼の首を取ったようにあたしの前でニタニタと愉しそうに笑う。
こ、こいつ、自分が優位に立ったからって、こんなにも態度を変えられるものなの。ムカつく。
ムカつくが、現実である。
グウェンよりも大人な精神面があるあたしは、グッと堪えてムカつきを飲み込んだ。
「すみ…ません」
「え~? 聞こえませんわ~? 声が小さいのは誠意が籠ってないからなのではなくて~?」
耳に手を当てて小馬鹿にした様子で煽ってくる。
う、うぜー。引っ叩きたい。
その欲求も抑えて大声を出した。
「すみませんでした! あたしにダンスを教えてください!」
屋敷一体に響く程の大声で叫んだ。流石のグウェンも大きすぎて耳を塞いでひいていた。
「わ、わか」
「お嬢様」
グウェンが返事を言いかけた時、あたしとグウェンの間にヨランダさんが出現して、グウェンと共に心臓が止まるくらいに驚いた。片方は止まっているか。
「ど、どうしたのヨランダ」
まだ高鳴っている心臓を落ち着かせつつ答えると、ヨランダは頭を軽く下げた。
「いえお嬢様を探していたのを失念しておりました」
「あたしを? なんで?」
「フィリップ様が御来訪なされたので」
「げぇっフィリップ!? あんの男よくもヌケヌケと顔を見せられますわね!」
シュザンヌに見せるような嫌悪感増し増しの表情をして、握りこぶしを強く握るグウェン。
誰だよフィリップっていう目線をグウェンに送る。
「フィリップ・ド・ヴァロウヌ侯爵子息。あの女狐が勝手に用意した許嫁ですわ。あぁっ口にするのも悍ましいですわ!」
鳥肌でも立ったのだろうか身震いをするグウェン。
許嫁ねぇ。なんで先に教えてくれなかったんだって言うのはグウェンの反応を見る限り野暮なことかもしれない。
シュザンヌが用意した許嫁のようだし、無視したり無碍にすると小言が雨のように飛んできそう。今はダンスの特訓がしたいのになんとも間の悪い時に来てくれるものだ。
「会わなきゃ駄目? あたし調子を戻したいんだけど」
「会わないこともできますが、あれだけの大声を出したのですから……」
話の途中でヨランダは来た道を振り返った。あたしもそれに倣って見やると、短髪栗毛の如何にも貴族風の男が執事を二人連れてこちらに歩いて来ていた。
「やぁグウェン、今日も美しいね」
あたしの前で歩みを止めると、貴族式の礼をしてから、ありきたりな愛の言葉を囁かれて寒気がした。しかも続けてあたしの手を取って、自らの口に近づけようとしたので咄嗟に振り払った。
正しい礼儀なのかもしれないけど、なんか気持ち悪かったから振り払ってしまった。
「おや、大声を出していたので機嫌が良いと思ったのだが、親愛の挨拶もさせてくれないのかい?」
気障な野郎だ。言葉一つ一つに寒気がして悍ましくて鳥肌が立つ。あたしこういう上辺を取り繕って女性の機嫌を取る男が苦手だ。包み紙だけを一杯貰っている気分になって、お中元やお歳暮の時に再利用してやりたくなる。
「なにが親愛ですか、私の事を都合のいい女としか捉えてない癖によく言えましたわね! 気を付けなさいなモモカ! この男は公爵家であるラインバッハ家の玉の輿に乗ろうとしているのですわ! この言葉も全て噓偽りで、前世ではあの女狐と手を組んで、ラインバッハ家での私の立場を無くしてきましたわ! 許せませんわ! この! この!」
嫌悪感で怒り狂って、フィリップの顔面を殴っているグウェンに、怒りと恨みが籠っている紹介をされた。暴力はいけませんわ。
その間にもフィリップが薄っぺらい愛の言葉をつらつらと並べたてていたが、右から左へと抜けていくだけであった。
グウェンが言っていることが正しいとすると、この言葉には愛が籠っているのではなく、空っぽな軽い嘘しか籠っていないのだろう。そんな感じはする。
「もしかして恥ずかしいのかい? だったら可愛らしいね」
よくそんな歯が浮く台詞をポンポンと思いつけて言えるものだ。こいつの関わってきた女性はこういう言葉に惹かれてきたのだろうか。実は転生スキル持ってますとか不遇魔術極めましたとかじゃないと、あたしの嗜好とは合わないな。
「こんにちは。ねぇフィリップって魔術使える?」
「おいおい突然だね。まぁそんなところも愛おしいね。僕は魔術なんて野蛮なのは使えないよ。でも魔法は使えるのさ」
目にかかりそうな前髪を払ってフィリップが言うもんだから食指が動いた。
「え、魔術は使えないのに魔法は使えるの? どんなの?」
「こっちにおいで見せてあげよう」
グウェンの静止の声も右から左へと流して、フィリップの手招きに応じて近くまで寄る。
この世界で初めて見る魔法とやらにワクワクドキドキして胸が高鳴っている。だって魔法だよ。魔法ってあれだよ、魔紋が出て、詠唱して発動するアレだよ! 詠唱目録とか作っちゃってたんだよね! 一体どんな詠唱で、どんなものを見せてくれるんだろう!
詠唱もせずに、フィリップはあたしに向かって投げキッスをした。
「どうだい君を虜にする魔法さ」
フィリップにキメ顔ウィンクされた。
……これは殴っていいやつか。あたしの異世界魔法の純情を弄んだ罪で、鳩尾正拳突きをしても許されるんじゃないか。それでは物足りなそうだな。何をしても許されるはずだろうから、もっとキツイのにしよう。
「どうやら虜にしてしまったみたいだね。虜になっている君も美しいよ。虜になったのなら、ほら僕の腕を掴んで寄り添ってくれてもいいんだよ。僕の腕はいつでも君の止まり木になれるんだから」
フィリップの腕を掴んで。
「そう。そのまま、どうして僕に背中を向けるんだい? 君の美しい顔と僕の美しい顔は見つめ合わないとどわああああああああ!」
背負い投げをした。
フィリップは背中から叩きつけられずに脚で着地して、あたしの身体を支えにしてなんとか背中で地面に親愛の挨拶をせずに済んだ。ほう結構運動能力あるんだ。やるじゃない。
グウェンは無事なフィリップを見て舌打ちをしていた。その憎くさが今だけはわかる。
「な、なにをするんだ!」
「ごめんなさーい。さっきまで格闘訓練していたので、勘違いしてしまいましたわ」
体勢を立て直して怒りを向けてくるフィリップにグウェン風にぶりっ子ぶって謝罪した。もちろん心は愛の言葉並に籠っていない。
「む、むぅ勘違いなら致しかないか」
乱れた髪と服を正しながら言うフィリップ。後ろの執事達が今にも飛び掛かってきそうな横暴なことをしたのに、勘違いで済ましてくれた。案外話の分かる奴なのかもしれない。もしくはグウェンに頭が上がらないのか。
しかし、この男は時間が経てば裏切って、シュザンヌに加担しグウェンを殺すのだ。
ニコニコと笑顔を張り付けて無害を装っているが、玉の輿を狙っているだけあって大胆な奴であるから、さっきの咄嗟の怒りを向けてきたのが本性かもしれない。グウェンの身からすれば信頼も信用もない男。
「そうだ、グウェン。僕がダンスを教えてあげようか?」
「え?」
「聞こえたよ。ダンスを教えてほしいんだろう? 君ほどのダンサーが行き詰ったのなら、カップルである僕が手取り足取り教えてあげようじゃないか」
どうやらあたしの大声は本当に屋敷全体に聞こえていたらしい。
ヨランダさんも下手なあたしのステップ見て怪訝そうな顔をしていたし、フィリップのこの言い方からして、もしかしてグウェンってダンスが巧いのかも。
「なーにがカップルですって! 貴方は私を追放した後に別の女と……ムキーッ!」
当のグウェンはどこから出したかハンカチを噛んで悔しがっていた。
グウェンのしてきた行動に正当性はないかもしれないが、生前この男にされたことを聞いているだけで不憫でならない。
「いいの? てかできるの?」
「モモカ!何を言っていますの! この男と手と手を取り合うなんて、うひぃ!」
現状でグウェンから教わることができないので、手っ取り早く教えてくれる人に教えてもらえる方がいい。フィリップもせっかく教えてくれると言っているのだ。言い方は気持ち悪いが厚意に甘えよう。
「ふふふ、僕のダンスは社交界でも有名なのは承知済みだろう? 他の貴族にも指導をしているから安心して胸を預けてほしい」
やっぱり寒気がする言い回しだ。今からでも断ろうかな。
「その生徒の女と最終的にくっついたではありませんか! この!浮気者!」
うわー。本性を聞いてると、ただの厚意とは思えなくなってきた。
ま、でもグウェンの感情はあたしには関係ない。気持ち悪い男だが、利用するだけ利用させてもらおう。お互い様だ。
「えっと基本姿勢はこうだったよね?」
先程のヨランダに教えてもらった基本姿勢を思い出して一人で作る。
「流石はグウェンだ。綺麗な基本姿勢だよ」
おぉよかったよかった。一回で見様見真似できるのはあたしの長所だ。教えてもらえば、一日で人並みレベルにできるのだ。
フィリップはあたしの手を取って、基本姿勢を作る。
近くで見るフィリップの顔は凹凸のある男性らしさと、各パーツが柔和な女性らしさで形成されていて、若干中性な細い顔立ちだ。あんまり褒めたくないけど、爽やかイケメンである。
「ぎゃああああ! 汚れますわよ! 離しなさいな! 唾履いてやりなさいな!」
どうしてもあたしとフィリップを触れ合わせたくないグウェンが、身振り手振りで身体を貫通させて邪魔してくる。無視だ無視。