手紙とパワーバランスと第三皇子と
手紙が返って来たのは十日後だった。
三日に一度くらいの頻度であたし宛ての荷物や手紙が届くときがある。ラインバッハ家を出てから二週間は経ったが、同じ頻度でネェルから日記のような手紙が届いているのは愛が重くて苦笑いするしかなかった。
手紙の中にはクラリスからの茶会の招待状も入っていて、乾いた笑いをするしかなかった。王宮内にいるのにわざわざ手紙で誘ってきているのは得体の知れない恐怖がある。
あれから直接的にクラリスが接触して来なくなった。シャルと一緒にいることが多くなったのが一因でもあるが、クレマンティーヌを味方につけたからかもしれない。
二週間も王宮にいるとパワーバランスが目に見えてくるものだ。
絶対頂点に皇帝が君臨していて、次点で現存する唯一の王妃のクレマンティーヌ。彼女の庇護下には彼女の実子である第三皇子のシャルと、その妻であるあたしがいる。もう一人のクレマンティーヌの実子である第五皇子のロランがいるが、彼は海外留学中なので王宮内にはいない。
クレマンティーヌの下には亡き第一王妃の息子、第一皇子のオーギュスタン。これが暴君との噂の男で、女好きで大柄な態度が悪目立ちし、暴力を肯定する。同盟国の内紛へ遠征中なので、まだ出会っていないけど出会ったら、互いに髪を掴み合って喧嘩する自信はある。シャルの手前耐えるけどね。多分。
次に第二皇子のギュスターヴ。オーギュスタンとは双子の兄弟だ。双子と言っても似ているのは女好きくらいで、理知的で臣下には優しいらしい。彼もまたオーギュスタンと共に遠征中なので出会ったことはない。
で、クラリス第一皇女だ。この下に第三皇子のシャルに、第二皇女のルイーザ、第五皇子のロラン、第三皇女のオルテンシアと続いていく。
ルイーザは既に同盟国へと嫁いでいるので王宮にはおらず、オルテンシアに至ってはまだ五歳だ。
第四皇子がいないのは、火事で第一王妃と共に亡くなったからである。
とにかくあたし一人では一番下の第三皇女様にさえ頭が上がらない。他の皇族と対等に話せるのは、クレマンティーヌとシャルの権力の傘に入っているからだ。
クラリスの手紙にやんわりとした文体で御断りしておいてから、ヴィクトルからの手紙を開いた。
手紙には魔術会の主な内容が書かれていた。
魔術会は魔術の発展と啓蒙を目的として開かれる祭典。ラリア皇国の魔術師たちが一挙に集い、魔術の成果を見せ合う場でもある。披露して実用的ならば、汎用的な魔術へと改良されて、法整備された後に生活魔術になったりするらしい。
生活魔術だけではなく、戦闘系統の魔術を披露する場もある。どうやら闘技場で戦うらしい。何それ詳しく微細まで! と紙面に顔を近づけたけど、それだけの情報しか書いていなかった。
ヴィクトル自身も行ったことはなく、子供の頃に知識として記憶しているだけらしい。
魔術師団の元師団長のイザークに訊ねなかったのは、手紙が検閲され、またイザークに対しての良からぬ噂が流される可能性を少しでも無くすために訊ねなかった。
パワーバランスが分かっても、どこからイザークの噂が流れているのかはまだ解明できていなかった。
「ラインバッハ卿が皇帝の座を狙っている噂か……」
政務活動を二人で終えて、手作りお菓子と紅茶で一息を入れていたシャルは腕を組んで唸った。
「何か知らない? ちょっとしたことでもいいからさ」
どんな些細な情報でも欲しいあたしは前のめりに訊ねる。ちなみにこの政務を終えた後のティータイムは何気に至福の時間だったりする。あまりにも美味しいお菓子を食べ過ぎるおかげで、筋力トレーニングや魔力トレーニングをしていても余分な肉がついてきてしまった。このことはグウェンには内緒にしている。
「噂の発生時期は、ボクがグウェンに婚姻を申し込んだ後に聞くようになったね」
「それって、あたしを使ってオトウサマが皇帝の座につくのを画策しているって吹聴しているもんだよね。オトウサマも馬鹿にしてるし、あたしも馬鹿にしてるし、シャルのことも馬鹿にしてるよね! ムカつくなぁ」
誰かが流した実態のない悪意にモヤモヤする。実体のない悪意は幽霊みたいなものだ。物理的に対処ができないし、世間体という潮流に流されてしまうと、虚実でも真だと認知され、放置すれば認識を変えるのが難しくなってしまう。だから早い段階で訂正しておきたいのだ。
「落ち着きなさいなモモカ、ここで怒りを露わにしても何もなりませんわよ」
実父が反逆者扱いされているのにグウェンはやけに落ち着いていた。
「それよりも捕まえた時のことを考えなさいな。御父様を侮辱した罪は処刑台に上がるよりも辛いことになりますわよ」
グウェンは何もない明後日の空間に薄暗い笑いをしていた。怒り過ぎて正常になっていたようだ。正常なのかなこれ。
「この噂で得する人間がいるはずだけど………」
「得する人間か………次期財務大臣とか?」
「財務次官を務めている二コラさんになるけど、彼もまたそういう手段を講じる柄じゃないね。そもそも財務省内で内部分裂は起きていないよ。全員がラインバッハ卿を敬っているからね。この国の破綻した財政を立て直すのを先導した人なんだから、当時を知っている人ならば余計にね」
当時の王は圧政を敷いて、国富を民に配分しなかったので、腐敗していく国を憂いた甥に革命を起こされて討ち取られた。それで懐に閉まってあった富を再分配した立役者がイザークなのだ。そりゃあ崇められますわ。
「じゃあ外の人間? でも王宮内から流布されたんだよね?」
「恐らくとしか言えないね。それに実はラインバッハ卿に注目させていて、また違った目的があるかもしれないしね」
そう言うとあたしと目を合わせながらシャルは黙った。
「どしたの?」
あたしが問うと、ちょっとだけズレた眼鏡を上げなおしてから朗らかな笑顔を作った。
「なんでもないよ、グウェンに見惚れていただけ」
それは! なんでも! ある発言! 甘いお菓子を食べると、甘い言葉を囁きたくなるのかな? あたしも囁いた方がいいのかな。とりあえずあたしも見惚れちゃお。
お互いに目を合わせ続ける。部屋の中に沈黙が生まれて、気分が落ち着くハーブの匂いのおかげで、目元が緩くなる。
あたしにはわかる。これはいい雰囲気という奴だ。このいい雰囲気のまま、シャルが手を伸ばしてきて、頬に手を触れてくれて、そのまま流れで……。なーんて厭らしい妄想をしていまうくらいの空気感だ。グウェンが生唾飲み込む音も大きい。
シャルの白い手が伸びてくる。妄想が現実に追いついて、あたしの動悸は激しくなる。グウェンが「あわわわのですわ」とか間抜けな鳴き声を上げているのが雰囲気を台無しにしているが、それすらも聞こえるのが遠くなるほどに手に集中してしまう。
手が震えることもなく、余熱を感じる程の距離まで伸びきった。あとはこのまま触れてくれれば、もう流れだ。
「クラリスちゃんが来ったよー」
シャルの部屋の扉が開け放たれて、空気の読めない、野暮で、強欲で、礼儀知らずの精神性が子供女が邪魔してきた。グウェンが鬼の形相で睨みつけているのが、あたしの顔にも伝播して同じ顔になっていることであろう。
「ま、また後で来るねー」
あたし達の尋常じゃない怒気を察したか、流石のクラリスでも下手な口笛を吹きながら扉を閉めた。
シャルへと向き直ると、もうあたしの前には手は無くて、顔を朱に染めて目を泳がせていた。
「モモカ、まずはあの女を懲らしめますわよ」
珍しくグウェンと意見が合った。どうしてやろうかな。あたしがクラリスを屈服させてやろうかな。
その日は気まずくなったシャルと、ぎくしゃくした会話をしてからお開きとなった。シャルがもうちょっとで触れるところまで前進したので、もう少しすれば触れてくれるはずだろう。あたしはシャルが手を自分から伸ばしてくれるまで待っているだけだ。
28日 21:10に更新です。よろしくおねがいします。
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