皇帝と謁見と腕相撲と(3)
「時にグウェン。どうしてここが水映の間だと呼ばれる所以を知っているか?」
「額縁に張られた水には、記憶が映し出されているからですわ」
グウェンの助言をそのまま言うと、皇帝は鷹揚に頷いた。
「勤勉なものだ。覗いてみるといい」
この水は遠目から見ていてもただの水だったし、重力に逆らって落ちてこないし、何かしらの魔術の類なのは明白だった。なので近くに行って観察したい欲望をうずうずさせていたのだ。
お許しが出たので、額縁の一つの前まで移動して覗き込む。
水に顔を近づけると、波紋が発生し、波紋と同時に色が滲み広がっていく。波紋が落ち着きをみせると、慈母のような笑顔で赤子を抱えている艶麗な女性が映し出された。
「それはシャルが生まれた時のだな。左隣を見てみよ」
指示通りに左隣に移動して見てみると、同じように水が波紋を作り出し、波紋が無くなると、どこか広い大広間で、甲冑やローブを着た人間達が傅いている情景が映し出された。これは……玉座か?
「玉座を奪還した時のだ。手前におる青いローブを着たのがイザークで、その後ろにいるのがヨランダだな」
イザークが白髪じゃなくて朽葉色の髪の毛だ。ヨランダはよく見えないけど、今と変わらないように見える。
「これは全部陛下の視点ですよね? 陛下の記憶をこの水に捧げているんですか?」
二つとも皇帝が映っていないし、人の視点からの映像なので簡単に理解できた。ただ理解できないのが、記憶を水に映し出しているなら、本人の記憶も無くなっていないと魔術として成っていない。
「ほう………そこにあるのは複写だ。なのでわしの記憶は捧げておらん」
あたしは学んできた魔術の仕様と違うくて、理解できなく混乱する。
「うーむ。説明してやりたいが、むっ?」
追加の説明をしてくれそうなところで、皇帝の鼻から血がつーっと垂れた。
「ちっ血が」
懐に入れてあったハンカチを取り出そうとすると、大きな掌を前に出されて止められた。
「よいよい。年甲斐もなくはしゃぎ過ぎただけだ」
上着のポケットからハンカチを出して、そこへ片鼻を押さえて、ふん! と暴風のような鼻息で血を放出した。掌一杯の血が出て心配になるんだけど。
「おろ?」
今度はあたしが、一瞬身体から力が抜けてふらりとしてしまい、テーブルの上に手をついて倒れないように支えた。魔力を全力で込めたので、どうやら人の心配をしている場合じゃないみたい。
「父上、グウェンもこの通りなので、本日はここまででよろしいですか?」
シャルが正しい姿勢に戻れないあたしの隣まで移動してきてそう言った。
「そうだな。今日はここまでにしおこう。シャルル、ヨランダが待機しているから呼んでまいれ」
シャルは逡巡した後に苦い顔をして部屋を出た。多分だけど、あたしを支えることができないのが不甲斐なかったのだろう。あたしがシャルの立場だったらそう思う。
「すまなかったなグウェン」
「うあっ、こちら……こそ」
今度は首を垂れるのではなく、目を伏せる謝罪だった。一日二回も皇帝に謝罪させたんだけど、優越感より罪悪感の方が勝つのは、皇帝ではなく人に謝罪をさせているからだろう。
「其方にならシャルを任せられる。不肖な義父として頼んでも良いか?」
何やら見込まれていた。腕相撲してゴリラ力を見せつけたおかげで見込まれたのか? 筋肉であたしの性格を語れたのかもしれない。こちらとしてはよくわからん。よくわからんが、元よりそのつもりだ。
「はい。任せてください。お互いに幸せになってみせます」
曲げていた身体を無理にでも上げて宣言する。この言葉だけは胸を張って言いたかった。
「お、お嬢様っ」
皇帝が大きく頷いたところで、シャルが呼びに行っていたヨランダが一礼して入室してきた。
「おぉヨランダ久しいな。と、呑気にしておる場合ではないな。魔力不足に陥っておる」
「了解しました。お嬢様、失礼しますよ」
そろそろ普通の姿勢が限界だったところで、ヨランダがあたしをお姫様抱っこしてくれた。
「お、お先に失礼します……」
皇帝に一礼をしてヨランダに身を預けて、あたしとヨランダは水映の間から退室した。シャルはまだ皇帝と話すようだった。
自室で横になりながら、ヨランダに魔力を補充してもらっていると、シャルの部屋と繋がっている扉がノックされた。
まだ怠いので小さく頷くとヨランダが「どうぞ」と答えてくれた。
「グウェン、調子は……まだ悪そうだね。あぁっ、寝たままでいいよ」
シャルは木製トレイの上にティーポットと御猪口のような陶器のカップを乗せて入室してきた。
入室の前に立っていたヨランダがトレイをおける台車を持ってきた。
「ありがとう」
シャルはトレイを台車の上に置いて、なにやらカチャカチャと陶器の音を鳴らしながら作業をしている。こちらからは背中しか見えない。
「ヨランダ、少しだけグウェンの身体を起こしてもらってもいいかな?」
要介護者と化しているので、ヨランダに起こしてもらって、背中に枕を挟み込まれた。
「ありがとう。それでこの薬湯を飲ませて欲しいんだ」
ヨランダが御猪口を取って、あたしの口元へ持ってきてくれた。鼻に薬湯の香りが入ってきたが、ハーブティーのような香りだった。
あたしはグイッと一気に飲み干した。
「しぶっ! うえっ! 苦っ! かっ辛っっ!!!」
舌で触れた時は渋くて顔のパーツが真ん中に集中したのに、喉を通り過ぎる時に吐き出したくなるような苦みが襲ってきた。そして喉元通り過ぎて胃へと落ちたら、薬湯が触れた部分が辛さを発現させた。味の三段変化や。
「良薬は口に苦しですわよモモカ」
カーッと熱くなった身体はまた汗を掻きだす。他人事だと思って軽口叩いているな。いつか夢の中に現れた時に味合わせてやる。
「その薬湯はボクが調合した薬を煎じたものだよ。効能としては血行と魔力の巡りを促進させるんだ。これから汗を沢山かいて老廃物を出すけど、一時間ほどすれば止まるよ。それでぐっすりと寝むれば、明日の朝には身体を入れ替えたようにスッキリしているはずだよ。ボクが検体として確かめたから、安心してほしい」
そこは疑っていないけども、味が不味いのは事前に言っておいてほしかった。
ヨランダがコップではなく吸い飲みに入れた水を飲ませてくれる。と、とにかく熱くて、辛いから、水が沢山欲しくなってくる。
「飲み水が足りないかな。ボクが持ってくるよ」
そう言ってまた部屋を出て行ってしまった。
それから水を飲んでは、汗を拭いては、ヨランダに担がれてトイレに行ってはを繰り返していると、言われた一時間が過ぎたところで、体の熱さは無くなった。
流動食を食べて、ヨランダに付きっ切りになってもらって、その日は就寝した。
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