皇帝と謁見と腕相撲と(2)
皇帝は対面に椅子を持ってきてから、上着を脱いだ。血管が浮き出ている極太の腕だ。
右腕の肘をついて華奢なあたしの手が、剣だこや複数の切り傷がついた手に治まるのを待っている。近くにくるとより迫力あるなこの人。
意を決して、中腰になって同じような姿勢で皇帝の手を握った。遠くから見ると狐と熊が腕相撲している構図に見えるんじゃなかろうか。
皇帝の手を握った瞬間に、身体の中に電気が走った。痛みはなかったが電気のようなものが駆け抜けた気がしたのだ。皇帝の手は発熱しているのではと勘違いする程に熱かったから、そのせいかもしれない。
不思議な感覚は気のせいだろう。今は目の前の巨木にも劣らない人物との腕相撲に興じなければならない。このまま手を握りつぶされるなんてことはないよね。楽に指の骨が折られると容易く想像できるくらい、手の大きさが違う。
「中級魔術までしか使えないのだな?」
あたしが握りやすいポジションを探していると、確認のように問われた。
「現状では」
「ふむ。ではそちらは一切手加減なしで頼むぞ」
流石に手加減してくれるらしい。本気でやられたらポッキリ折れるか、腕があらぬ方向へと曲がってしまう。
「了承しました」
あたしが了承したことで、互いの手が組み交わされた。
これって普通に腕相撲したら勝負にはならないよね。魔術の事を訊ねているから、前提として魔力を籠めなければいけないのは確かだ。
いいのか、全力で。ヴィクトルに魔力を補強をしてもらったのが家を出る二日前だから、五日の移動期間を含むと一週間は魔力を補充していない。補強分の魔力は恐らく抜けているはずだから、全力を出したところで大した力にはならないだろう。そもそもこの身体がいくら魔術適正があるからと言って、この一時代の覇者に通用するなんて露程も思っていない。
てことで、言葉通りに受け取って全力を込める。
レフリーなどおらず、あたしが力を込めたのが開始の合図となった。
お互いの筋肉が隆起する。
大木にでも張り手をしているのかと勘違いする程に動かない。全力を出さなくても馬車を引ける程度の力があるはずなのに、ピクリともしない。
力自慢ではなく技巧派のあたしでも、自尊心が傷つく。他人から見れば無理だろうと言われるはずだ。だがあたしは、こんにゃろ~と歯を食いしばって、額に血管浮かべて、全力で左へと押し倒そうとする。
ぐらりと揺らぎを感じた。一瞬だけ左へと動いた。
転機だと更に力を入れようとしたら、あたしの腕がゆっくりと右へと倒されていく。戻そうと力を入れても叶わない。
結局抵抗虚しく、手の甲をペタリとテーブルにつけられてしまった。
あたしの負けである。
一体これで何を知れたのか。
「モ、モモカ………」
グウェンが驚愕と恐怖の混じった表情をしていた。
雨に打たれたような汗を全身から噴き出したあたしはグウェンの見ている先、皇帝陛下を見る。
皇帝陛下は肩で息をしており、顔からは同じように汗が伝っていた。
あたしの前にいるはずなのは汗の一つもかかずに、腕相撲で赤子の手をひねって楽しそうにしている皇帝のはず。こんなただの悪役令嬢擬きに汗を流すわけがない。だからあたしは慌てて握っていた手を離した。
「グウェン。貴殿………」
皇帝も驚いていた。やばぁ、もっと淑女らしい腕相撲をするべきだったか。いや、淑女らしい腕相撲ってどんなの?
「わしに八割の力を出させるとはやるな!!!」
皇帝は上機嫌に言いつつ巻くっていた服を戻していた。
「は、八割? 陛下はこの国で最も筋肉量のあるお方なのですわよ。その方に八割の力を出させるって、モモカ、貴女どこにそんな力を隠して持っていますの!?」
実はあんたの身体の仕様なんだよね。とは言えない。グウェンが自身の身体の魔力保持量が多いのはまだ知らない。あれから伝えようかと考えていたが、魔力を吸い取る性質を伝えれば、前世でシャルルと離れる起因となってしまった性質の為に、グウェンに深い傷跡をつけてしまう。
出会った当初なら考えなしに伝えていたかもしれないが、グウェンは大切な友人なのだ。引っ掻き傷程度の言葉は言い合うけど、致命の一撃になりうる言葉はお互いに言わない。
「あ、ありがとうございます?」
息が整ってきたので、とりあえず誉め言葉と受け取って謝礼をしておく。ただこの筋肉モリモリマッチョマンから八割の力を引き出す令嬢って、シャルから見ればあたしは一体どういう風に映っているのか。オランウータン? ゴリラ? 人間であってほしいものだ。
「今年の祭りが楽しみになってきたな」
皇帝の言う祭りは建国祭だ。この夏が終わる頃に建国記念日があり、その週は国民総動員で祭り気分になるらしい。王宮では大事な催しなのでグウェンから説明された。なので赤く塗りつぶされたただの休日って訳じゃないみたい。
皇帝がシャルを一瞥したが、あたしは視線をそちらに動かすことはなかった。どの霊長類として捉えられているのかを確認するのが怖い。
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